第24話 ツァルセン02
ツァルセンの一番大きな港をミャルゼ港と言う。エリアノアたちは、市街地から乗り合いの馬車で、ミャルゼまで移動する。
大きめの幌のかかった馬車から、エリアノアは外を眺めた。
(道は清潔。人の表情は明るい。安定した領政が行われているようね)
すれ違う人々の服装もスッキリとしている。少なくとも市街地から港に向けては、貧困にあえぐ人たちがいないことがわかった。
(馬車の中も、会話をしている人たちの声色も穏やかで、身だしなみもきちんとしている。良い領地だわ)
「エリアノア様。辻馬車でなくてよかったのでしょうか」
「あなた方には少し心労をかけるのかもしれないけど、この方が、街や人がわかるのよ」
「いえ、私たちのことはお気になさらないでくださいませ。エリアノア様のお心のままに」
大人数が乗り合う乗合馬車よりも、決められた場所に待機し、呼び止めた人間だけが乗る辻馬車の方が、警護をするにも、格式的にも順当である。その為、ミーシャがそう問うたのだ。
二十分もすると、市街地を離れる。馬車の中の人も一人減り、二人減り、とだんだんと人が少なくなった。道の端には店の代わりに木々が増え、そうしてさらに五分も走ると、再び民家と店が現れ始める。馬車の中は一時、四人だけになったが再び人が乗り始めた。
「もうすぐ港みたいだね」
「潮のにおいがする」
くん、と鼻を小さく鳴らす。普段ならば、彼女はそんなことをけしてしない。だが、乗合馬車に綿のドレスという今の状況が、エリアノアを少しだけ自由にする。
そんな彼女の姿に、ラズロルが笑みを浮かべた。
「やだ。下品だった?」
「そうじゃないさ。そういう姿も良いな、って思って」
「ラズはそう言う事を、さらりと言うのよね」
「駄目かな?」
「そうではないけれど」
「じゃぁ、良いんだね。これからも言うよ」
「……それはずるいわ」
頬を僅かに膨らませるエリアノアに、今度は声を出してラズロルが笑う。
そんな二人を、ミーシャは穏やかな表情で見つめる。今までの第一王子の婚約者という時代に、ずっと気を張っていた主が幸せそうに笑う。それは何よりも嬉しいことだった。
「ほら、降りよう」
「なんだか誤魔化された気分ね」
先にラズロルが降り、エリアノアに手を添える。少し高さのある馬車をゆっくりと降りると、ミャルゼ港は目の前だった。
岩場に並ぶカゴ。何艘も連なり並ぶ舳先。強い磯の香りに、にゃごにゃごと鳴く海鳥。太陽が傾き、海は赤く染まっている。だがそこには、人影はない。
「もうこんな時間だもの。誰もいなくて、当たり前だったわ」
「明日また来てみる?」
「そうね。──あ、あそこに誰か」
エリアノアの目の先に、男性が二人。年の頃は五十を過ぎた程度だろうか。服装からして漁師のようだ。手にはカゴを持っている。後片付けをしているのだろう。
「すみません、よろしいでしょうか」
ラズロルが駆け寄り、声をかける。それに気が付いたようで、二人の男性が近付いてきた。
「ちょっと港のことを伺いたくて」
そう口にするエリアノアの姿を見て、一人の男性が口を開いた。
「なんだいお嬢ちゃん。ずいぶん別嬪さんだねぇ。なんでも聞いてくれ」
「まぁ別嬪さんだなんて、嬉しいわ。おじさま方はこの港の方ですの?」
「ああ。生まれも育ちも働きもこのミャルゼ。海の男とは俺のことよ」
「おいおい、海の男は俺だろ」
もう一人の男性も口を開く。先程の男より少しだけ若いように見える。
「こちらの港はお魚を主に?」
「そうさね。あとは貝も少し。まぁ貝については、メイアルンのゾルフェ港には負けるけどな」
「あそこの貝は良質だもんな」
「まぁ嬉しい」
「お、嬢ちゃんはメイアルンの?」
年若い方の男性が、エリアノアに笑いかけた。
「そうなんです。それで、いろいろな領地の港の勉強をしていて」
「へぇ。そりゃ良いな。ここの港は、漁師が船で水揚げするのが主だ。ジョコダのグリアーノ港は遠洋とかも最近は入れてるらしいけどな。うちは自分たちでとった近海物を水揚げするのがウリなんでね」
「グリアーノ港は遠洋を?」
男の言葉にエリアノアが首を傾げる。
(あの港が遠洋船を水揚げするなんて話を、聞いたことないわよ。どういうこと?)
「そうそう。最近、見たことのない船がここらを通るから、ちょっと聞いてみたんだわ。そしたら、なぁ」
「ああ。もっと南の方まで船を出してるっていうじゃねぇか。けどちょっと変なんだよな」
「変? 何が変なのでしょうか」
ラズロルが男の言葉に疑問を返す。
「兄ちゃん、南の方に船で行くのはどう思う」
「どう、ですか?」
「ここから南に行くには、エヴァルンガの半島やマドルチアの大半島を超える必要があるんだよ。そこで捕ったとしても、帰港する間に鮮度が落ちちまう。だったら向こうに基地を持って、内陸を水路で移動したほうが早い」
「確かにそうね。それに、わざわざ南に行く必要がないくらい、この辺りの漁場は豊かじゃない」
カイザラント王国には三つの漁場がある。一つは北の、今いるエリア。もう一つは南の第三王都と第四王都を結ぶエリア。最後が南西のホルトアのいるズールマトエリア。
北のこの漁場は、その中でも食用となる魚が多く生息し、良い漁場として国内に多く魚を流通させていた。
「そうなんだよ。嬢ちゃん良くわかってるね」
「その船は南で、と?」
今度はエリアノアが男に尋ねる。
「おう。なんだか変だなぁって思って、ちょっと様子を見てたら、ここ半年くらい頻繁に行き来してる。グリアーノ港って漁獲高減ってるのかね」
「あまりそういう話は聞かないな」
ラズロルはそう言うと、小さく「ふむ」などと口にした。エリアノアも納得したのか、二人に礼を言い、その場を離れた。
「グリアーノ港、ね。次はジョコダに立ち寄りましょう」
「かしこまりました、お嬢様」
「風が出てきたよ。体に触るから、そろそろ帰ろう」
「ええ、そうしましょう。辻馬車を」
その言葉に、ジョルジェが港に止る辻馬車に声をかけた。
海風がだんだんと強くなり、夕暮れの空は藍紫を引き連れる。高い位置には明るい星が瞬き始めた。
エリアノアの肩に、ラズロルの上着がかかる。
「生憎今これしかなくてね。寒いだろうから、羽織ってて」
「ありがとう。嬉しいわ」
少しだけずしりとした上着。いざという時に、体を守れるようにしっかりと織られたそれは、まるで軍人が着るもののようだ。
(ふふ。ラズのにおいがする)
直前まで羽織っていたそれはわずかにあたたかく、まるでエリアノアの肌を守っているかのように感じた。




