第23話 ツァルセン01
ツァルセンは漁業が発展している土地である。
王都から北東方面、側妃の実家であるエヴァルンガ侯爵の地、エヴァルンガから始まり、ツァルセン、ジョコダ、そしてエリアノアの治めるメイアルンまでが、入り組んだ岸に小さな湾をいくつも持つ、カイザラント王国の豊かな漁場であった。
海に面した多くの領地と同様に、このツァルセンでも海と領地内を結ぶ多くの天然及び人工の川が、張り巡らされている。
エリアノアたちは王都から続く川を中へと引き込んだ、宿場町への水路を辿っていた。
「相変わらず美しい街並みね」
「都市計画が、きちんとされている領地に感じるな」
「その通りよ。ツァルセン家は代々、測量に秀でた者を庇護してきたそうで、そうした方々が都市計画に一役を買ったと聞いているわ」
川岸には、色とりどりの建物が立ち並ぶ。桟橋がいくつも建物から連なり、直接建物に入ることができるようになっていた。
それらの建物は全て宿であり、建物の逆側には道路が走る。陸路の客は道路側から、水路の客は桟橋から、それぞれ中に入れるように作られていた。
「エリアノア様、あちらの宿に予約をいれております」
随従が告げると、船は速度をゆっくりと落とし川岸に近付く。
ラズロルのエスコートで桟橋に降り立つと、公爵家の使いということもあり、宿の主人が挨拶にやってきた。
「ようこそおいでくださいました。お部屋までご案内いたします」
「二日間、よろしくお願いします」
エリアノアは使いに出ている立場を装う為、言葉遣いをわずかに軽くした。彼女の後ろに控えるラズロルは、そんな様子をじっと見つめる。それは、いつもと違うエリアノアを、見逃すまいとしているようにも見えた。
部屋は三階の角部屋。いくつかの部屋を擁しており、男女がそれぞれの部屋にわかれることができる。
主寝室には勿論エリアノア。同じくらいの広さの寝室をラズロルが使うことになった。侍女や随従もそれぞれ男女にわかれた部屋に、いくつかのベッドを用意してもらいそこで休む。とは言え、複数のベッドを入れても余裕のある広さの部屋だった。
「随分と大きな宿なんだね」
「はい、ラズロル様。こちらはこの街一番の大きさを誇る宿でございます」
「君は──グルサムといったかな?」
「その通りでございます。祖父の代からファトゥール公爵家に仕えております」
随従として今回の旅に付き従っている彼は、普段屋敷では文書の取り扱いチームに所属している。メイアルンの領地の文書を預かり、王都の公爵邸に持ち帰る役目を、今回は一つ抱えていた。
「まだ日も高いし、少し街に出てみないか?」
「良いわね。少しでも見てまわりたいわ──ミーシャとジョルジェが後ろに。あとは宿の中を探っておいてくれるかしら」
いくら身分を隠しているとはいえ、公爵令嬢と公爵子息の二人だけで出かけるわけにはいかない。侍女のミーシャと随従の一人であるジョルジェは、共に腕に覚えのある従者であった。エリアノアとラズロルの後ろを、カップルのふりをしてついていく。
他の者は、宿泊客は勿論のこと、従業員の様子を見聞きし、この街や近隣の様子を調べることとなった。
宿を出て、二人は並び道を歩く。
(二人で並んで街を歩くだなんて、まるでデートみたい!)
「これは、デートみたいだな」
「ふふ。ラズとなら喜んで」
「本当に? だったら嬉しいけど」
心の中を読まれたのかと思うほどのタイミングで言われた言葉に、エリアノアはどきりとする。けれど、それをおくびにも出さずに、笑顔で返した。
彼のことを気にかけているなど、けして悟られないように笑みを浮かべる。
ゆっくりと、エリアノアの歩幅にあわせ、石畳を歩く。道は中央に向かって緩やかに盛り上がり、その両側には排水の為の溝が掘られていた。雨が降ったときには、そこに水が流れていく仕組みだ。
しばらく歩くと街並みが少し変わる。
それまでの宿場から、商店の集う地域になった。
「あれは何かしら」
「エリー、走らないで」
見たことのない布地が店先に置かれている。
絹とも綿とも違う質感に、エリアノアは興味を惹かれたようだった。
店頭に駆け出したエリアノアを、ラズロルが苦笑しながら追いかける。彼女がいつも履いている靴よりも、ヒールの高さが低いせいもあり、身軽に動く。
「ようやく16らしいところを見たな……」
布地に興味を持ち駆け寄る無邪気な表情に、ラズロルは思わずそう呟いた。エリアノアの銀色の髪の毛は一つに束ねて帽子の下に隠れている。襟元を覆うストールが、髪の毛の代わりにふわりふわりとその端を揺らせた。
「ラズ、触ってちょうだい。不思議な手触りだわ」
「へぇ本当だ。ウール……でもないな」
「いらっしゃいませ。そちらは、コルトリアム産のワイザル花の実から取れた糸でできてる布です」
店頭で盛り上がる二人を見て、店員が出てきた。コルトリアムとはツァルセンの陸地側奥に位置する土地で、ソアラ侯爵の持つ領地の一つだ。山が多く、綿花など糸の元になる植物の栽培と糸や布の生産を得意としている。
「ワイザル花からこんなに素敵な布ができるだなんて、知らなかったわ」
「お嬢さん、良い所の人だね。これは布地が重くて厚めだから、庶民の防寒着に使われるんだ」
店員の言う通りだった。エリアノアのような貴族の女性は、基本的に絹織物やそれに準ずるような布を使う。
今彼女が着ている綿も、身分としては庶民であっても裕福な家の人間が着るようなつくりをした綿だった。
無論、そうしたものは身分など関係なく誰もが身につけることを許されてはいるが、実際に手に入れることができるのは、やはり裕福な立場の人間だ。
「そうなのね。知らなかったわ……」
知らなかったことと、己の傲慢さに恥ずかしくなる。それでも、この布はエリアノアにとって、随分と魅力的に見えた。
「なぁに。今知ったんだから恥じることじゃないさ、お嬢さん。ついでに買っていかないかい?」
人懐っこい笑顔で、店員が物差しを取り出す。エリアノアは笑って、1クーイ分、つまり1メートルを求めた。
「お嬢さん可愛いから、本当は350パイラスだけど負けて300パイラスにしておくな」
「まぁありがとう」
「店員、250にならないか」
「ラズ?」
「お兄さんいきなり言うねぇ。280パイラス」
「270」
「うーん。275。これ以上は負けられないよ」
「十分だ! 感謝する」
パイラスはこの国の通貨。綿の中でも、一番オーソドックスなものが、1クーイ400パイラス程度なので、この布が安いことがよく分かる。
「驚いた」
「え?」
「ラズったら、値切り交渉なんてできるのね」
「店頭ではあまりやったことがないけど、仕入れの値付けは経験があるんだ」
「公爵家で?」
「まぁ、そんなところかな。特産品とかの価格の交渉なんかもやってたからね」
「なるほど。私はその辺りを、役人に任せてしまっているから、全然駄目」
「人には役割があるんだから、気にする必要はないさ」
メイアルンでは、領民から登用した役人が、基本的な領内の行政を行っている。できるだけ自分たちの生活のことを、自分たちの責任に於いて運営して欲しいと考えているからだ。そしてもう一つ。
「それに、その為に、エリーは領地の運営をそういう形にしているんだろ? エリーの仕事は適材適所に人を配することだ」
人には得手不得手、向き不向きがある。そしてそれを役割、とも言う。
エリアノアに剣を持てと言っても、できないことなど誰でもがわかる。それと同様に、領民でも第一次産業、第二次産業、第三次産業、6次産業、行政や他にも、向いていることに就業できるようにしたいと考えていた。今、多くの領地では親が営む業務を子どもが継ぐことが多い。必須ではないが、その他の職業に就く為の門戸が非常に限られているのだ。
「そうね。その通りだわ」
布地の事があったからか、妙に気にしてしまっていたエリアノアも、ラズロルの言葉に納得をする。
「うん。その笑顔が一番」
「やだもう。照れるじゃない」
「たくさん照れて良いよ」
店員が包んでくれた布をラズロルが手にし、店を後にした。彼の甘い言葉に、エリアノアは頬が熱くなるのを感じる。そのせいか、どうして彼がメイアルンの領地運営方法を知っているのかと言うことに、疑問をもつこともなかった。
(こんなの……まるでデート。本当にそう思ってしまいそう)
立ち並ぶ店を見ながら、エリアノアの心の中はそわそわと落ち着かないでいた。




