第19話 ドミニク・ユーリアという人物
午後になると、ドレスを新調する為に呼ばれた仕立て屋が到着した。
黒髪を一つにまとめ上げ、眼鏡をかけた女性は、たくさんの紙を出しドレスのデザインをすらすらといくつも描いていく。
名をドミニク・ユーリアという。
「ドミニク、こういうのはどうかしら?」
「クルファ様、エリアノア様のイメージでしたらこういうものも」
「あら、私はここはこんな感じが良いわ」
三人の女性がアイデアを出し合いながらドレスの形を決めていく様を、部屋の片隅で二人の男性が紅茶を飲みながら見守る。
「ホルトアには、シラルクに足を延ばしてもらうかもしれない」
「シラルクですか?」
カイザラント王国の西側の一角に位置するシラルク連邦王国。五つの王国から成る連邦国家だ。
「ヴァオリエから武器を買い入れるのに仲介をしている商人が、どうやらマイハルン王国の者らしくてな」
「……なるほど」
マイハルン王国はシラルク連邦王国の中で一番西側にある。ヴァオリエ王国と接しており、マイハルン王国の海からカイザラント王国の港へ入れば、武器の密輸入も可能だ。ただし、その港の領主を抱え込めていれば、であるが。
つまり、そのルートを調べたいということだ。
「エリーがこちらを発つタイミングで、僕も向かいましょう」
「そうだな。それが周りの目を誤魔化せる良いタイミングだろう」
「お父様、ホルトア、どっちの色が似合う?」
エリアノアが布地を体にあてて、二人に声をかける。久しぶりに聞く、彼女のはしゃいだ声に、ゼノルファイアもホルトアも満面の笑みで、別々の色を答えたのだった。
*
「ではこのデザインにはグリーンの布を、こちらの方には薄藍を使わせていただきます」
「ええ、お願いね。急がせて申し訳ないけれど」
「すぐにお持ちいたします。──ところで、最近不思議なご依頼をいただきまして」
ドミニク・ユーリアはいくつかの書類を引き出す。その言葉をきっかけに、部屋の隅にいたゼノルファイアとホルトアがテーブルへ集まった。 四人が揃うのを待ち、彼女は口を開く。
「先ずはムールアト伯爵家からです。今日の午前中、奥様からご依頼をいただきました。お嬢様──ミレイ嬢のドレスなのですが……。ご予算がおかしいのです」
「おかしい? それはいつもよりも、ということかね?」
「はい、旦那様。そもそもあまりご依頼自体もないのですが、それでも常の予算のおよそ三倍はございましょう」
「三倍? しかしムールアト伯爵家にそんな余剰があるとは思えないが」
ゼノルファイアの言葉に、ドミニク・ユーリアが頷く。
「この金額は、エリアノア様の常のドレス代に近しいものでございます。お支払いについて確認しましたところ、支度金が下賜される予定があると……」
「へぇ。殿下の元に輿入れできると思われているわけだ」
「ホルトア、ムールアト伯爵の奥方はどちらの方か覚えていて?」
「そう言えば……」
エリアノアの言葉に、ホルトアは目を細める。ムールアト伯爵の娘として引き取られたミレイは、妾腹だ。下女に手を出し、それと知った正妻が市井に追いやったという。その正妻の出自は、マイハルン王国の男爵家三女。
「マイハルン……。ここでも、この名が出てきたか」
「ご子息は昨年から、奥様の郷里に、遊学されているとのことです」
ドミニク・ユーリアが継いだ言葉に、四人はマイハルン王国に関わる人間を、脳裏に順番に浮かべていった。
グリニータ伯爵、ムールアト伯爵夫人、ムールアト伯爵嫡男。
そして、グリニータ伯爵から秘密裏に連絡を受けたムールアト伯爵本人。
マイハルン王国の商人とムールアト伯爵家に関わりがあるかはまだわからないが、注視する必要がある。
ムールアト伯爵夫人の出自の話に、エリアノアが話を戻す。
「マイハルン王国では、王族の選んだ女性を妻にできるそうよ」
「なるほど。だからムールアト伯爵の奥方は、ミレイが輿入れできると思っているのか。でもエリー。肝心の伯爵の方は、さすがに現実が見えているんじゃないかな」
「ドミニクの元へ依頼が来たのは、今朝でしょう」
「はい、左様でございます」
「ああそうか。その頃彼はうちに来ていたのか」
「それに、昨夜のうちにグリニータ伯爵が何か連絡をとっていたのよね……」
(グリニータ伯爵家が何かをしたところで、ミレイが妃になれることはないと思うけど)
書類をぺらりと捲り、ドミニク・ユーリアは話を続けた。
「今一つは、グリニータ伯爵家のことでございます。八ヶ月ほど前の正妃陛下の夜会で、グリニータ伯爵令嬢が社交界デビューされました」
「ええ覚えているわ。ねぇエリー。あの伯爵の子にしては、随分と楚々として可愛らしいお嬢様だったと思うのよ」
「ダンスの足取りもしっかりしていて、所作も美しかったわ」
「そんな娘御ならば、すぐに婚約者もできただろう」
「でも、婚約という話はそう言えば聞いていないね」
「その通りでございます、ホルトア様」
毎月夜会用のドレスを発注していたグリニータ伯爵家が、一週間ほど前にしてきたオーダーが、外出用のドレスに変わったという。
「つまり、誰か特定の人間にしぼり始めたということね」
「クルファ様、仰る通りにございます」
婚約者を決める為の夜会に、新しいドレスで参加する必要はなくなったということだ。それ自体は不自然なことではない。
「考えすぎかもしれませんが、グリニータ伯爵家で茶会があったのは、十日ほど前にございます」
「あの娘と殿下が参加した茶会か」
「左様でございます。その茶会で何かがあったのではないかと」
「引き続き、何かわかれば知らせてくれ」
「かしこまりました」
ゼノルファイアの言葉に、ドミニク・ユーリアは礼を取る。
ドミニク・ユーリアという名は世襲制だった。ユーリア・テイラーという仕立て技術職人の一族から、一人代表となる者が受け取ることのできる名。その名には、もう一つの仕事が紐付いていた。
──ファトゥール公爵家の細作、スパイ。
ファトゥール公爵家は、代々王弟、もしくは王位に近しい人間が存続させてきた、カイザラント王国一の名門である。その公爵家に代々仕えてきたのが、ユーリア・テイラー一族であり、世襲ドミニク・ユーリアであった。
仕立て屋として貴族の家へ、場合によっては市井の中で雑談や契約書の類をもって情報を得ていく。不自然さのないよう、必要以上に深追いはせず、しかし信頼を得て情報を掴むことを得意としていた。
「グリニータ伯爵家の茶会については、私の方で調べるわ」
「ええ、お母様が一番向いてると思うの」
「エリーは数日後にはここを発つんだから、しばらくはゆっくりしてなさいね」
「それを言ったらホルトアだって同じじゃない」
「じゃぁ僕もゆっくりするから、エリーもゆっくりするんだ」
「……その言い方はずるい」
「エリーの負けだ。移動は疲れるだろうから、今のうちに体を休ませておきなさい」
「お父様まで。三人とも、私を甘やかしすぎじゃない?」
本人の気付かないところで受けている精神のダメージを、本人が気付かないように癒やしたい。そうした家族の穏やかな気遣いに、ドミニク・ユーリアは優しい心持ちになる。
自分本位に動くことのない貴族。
それがドミニク・ユーリアが、ユーリア・テイラー一族が、ファトゥール公爵家に仕える理由でもあった。
「じゃぁ、マイハルン関係はまとめて僕が調べておきます」
「頼んだぞ、ホルトア。私とエリーは、二人でゆっくり過ごそうか」
「あら、あなた。私がお仕事をご用意いたしましょうか」
「……冗談だよクルファ」
「ふふ。勿論判っておりましてよ」
大きな鞄一つに、書類やドレスの布をまとめてドミニク・ユーリアがその場を辞す。それを合図に、執事が夕餉を告げに四人を呼びに部屋に入る。
少しだけ長い一日が、ようやく終わろうとしていた。