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第18話 謝罪

 ファトゥール公爵邸には、来客と会う時に会話の内容を密かに聞くことができる、その為の来客の間がある。

 壁に埋め込まれた鏡の向こう側からは、来客の間の様子も見ることができるようになっていた。

 この部屋は、エリアノアとホルトアが遊んでいるときに二人で思いつき、作らせた部屋だ。所謂マジック・ミラーの作りになっている。


(会話もそのまま聞こえるようにうまく作って貰ったけど、役に立つわねぇ)


 無論、それを来客が知ることはない。

 そんな来客の間に、男が一人。

 ホルジュ・ムールアト伯爵。ミレイの父親だ。

 王城のあるこの王都カイザランティアから、エリアノアの治めるメイアルンへ行く途中の水街道。ムールアト伯爵は、そこに小さな領地を持っている。公侯伯爵の家名が領地の名前になっていることが殆どのこの国に於いて、例に漏れずムールアトという名前が彼の持つ領地名だった。


「この度は、閣下の名に傷をつけるようなこととなり、誠に申し訳ございません」


 さぞや見るも哀れな表情を浮かべているのかと思えば、どこか余裕のある顔つきだ。隣の部屋で彼を見るエリアノアは、おや、と眉を上げた。

 ムールアト伯爵の前には、父であるファトゥール公爵ゼノルファイアと、母のファトゥール公爵夫人クルファが並ぶ。


「ご令嬢にはよくよく、物事のあらましを教え、今後に活かすように」


 ファトゥール公爵の言葉に、ムールアト伯爵は頭を下げる。


(今回の件で、ムールアト伯爵の出世はほぼ消え去った上に、娘のミレイは手駒として使い物にならない。それなのに、随分と余裕があるように見える)


 通常であれば、これ以上の災難が降って湧くことのないよう哀れな姿を見せ、命乞いではないが、身の保身をしてくるはずだ。もっとも、貴族の矜持を大切にしている公侯爵家レベルの家では、それは蔑まれるような行為だが。

 ムールアト伯爵がそれを知って、このような態度をとっているとは思えない。どちらにしろ、彼の保身を考えた場合、最悪の状況を免れる為には無様にすり寄るしかないのだ。


「貴殿の処遇については、追って陛下より沙汰がおりよう」

「っ! それは」


 この段になり、ようやくムールアト伯爵の顔色が悪くなる。


(んん? この言葉で顔色が悪くなるということは、やはり状況を理解していなかったということか。娘が娘なら、やはり親は親ということなの? でもミレイと違って、ムールアト伯爵は生まれながらの貴族の筈)


 つまり、貴族としてのものの考え方や、道の歩き方は判っている筈なのだ。エリアノアの隣にいるホルトアも、小首を傾げている。同じように感じているらしい。


「ムールアト伯爵。あなたは閣下と仰いましたけれども、殿下とお呼びするべきでしたわね」


 母クルファが冷たく言い放つ。

 閣下とは、公爵を正式に呼ぶ時の敬称である。一方殿下とは、王族を呼ぶ時の敬称だ。

 つまり、ミレイが成した非礼は公爵家に対してだけではなく、王弟一家への非礼──侮辱である、と言外に伝えたことになる。


「わ、私は──」

「セルク。お客様がお帰りです」

「こ、公爵。今一度お話を……」

「まだ何か用向きがおありかな。それでしたら、今後は王宮を通して連絡を貰おう」

「ひっ」


 父ゼノルファイアの声は優しい。優しいが故に、威圧感が非常に大きかった。ムールアト伯爵は、その迫力に涙目になりその場から動けなくなる。

 クルファの言葉に、執事セルクがフットマンに合図をした。

 フットマンが扉が開くと、ムールアト伯爵を残して二人が退室する。二人共、伯爵を一瞥もすることはない。

 残された伯爵は、執事に促されるまま部屋を出て、馬車に乗せられていった。


   *


「では、グラフス殿下のご婚約の話はまだ、ということに?」

「ええそうなのよ。サノファ殿下を今すぐに廃嫡とするのは、グリニータ伯爵の件で都合が悪いこともあって」


 エリアノアの問いに、クルファが困ったような顔で応える。本当はすぐにでも、サノファの王位継承権を剥奪して欲しいのだろう。娘を虚仮にするような真似をされたのだ。母心として、黙ってはいられない。

 だがそれ以上に、クルファには公爵夫人としての務めがある。溜飲を下げるのはまだ少し先、と己の心をしまい込んだ。


(ということは、仮面のあの方の進退も、まだ決まらない可能性があるのかも)


 サノファの進退よりも、そちらが先に脳裏に浮かんだことに、エリアノアは困惑してしまう。サノファ個人の事というよりも、王位継承者が誰になるかは、政として重要なことであるというのに。


(嫌だ、私ったら……。国の大事だと言うのに、こんな)


 恋という存在を幼い頃に打ち捨ててしまったエリアノアには、今湧き出ている感情が人を想うときには自然であるということを、まだ素直に受け入れることができていない。


「では、ミレイはどうなるのかしら」

「どちらにしろ、陛下が二人を会わせることはないだろう。殿下はしばらく謹慎だ」

「おかわいそうにとは思わないけど、難儀なことね」

「夜会──それも正妃陛下の夜会でエリーにあんな事を言うなんて、謹慎で済んで良かったところさ」


 茶番にしか見えなかったから剣を抜かなかっただけだ、などと物騒な事を続けるホルトアに、エリアノアは笑う。

 ムールアト伯爵が帰った後、四人は水壁の部屋でお茶をしていた。

 昨夜のこと、そして今後のことを話し合う為だ。


「ところでエリー。しばらくの間、領地に帰ってはどうだい?」

「お父様? ──ええ。来月には収穫祭だし、帰ろうとは思うけど……」

「そうね、それが良いわ」


 母の同意の言葉に、エリアノアが苦笑した。


「万一向こうで縁談の話があがっても、かわしたほうが良いということね」

「話が早いわ。その通りよ」


 第一王子の廃嫡を据え置くということは、第一王女の婚約問題もしばらくは曖昧にしなければならない。つまりは、ファトゥール公爵家の一男一女の子どもたちの縁談についても、今は身動きが取れない状態だった。

 公爵家嫡男のホルトアはともかく、第一王子と婚約を解消したエリアノアに対しては、他の公侯爵家からの縁談が、この後ひっきりなしに届くことが予想される。そうなると、本人が王都に不在である方が、時間稼ぎも体よく断ることもできるのだ。


「ホルトアはどうするつもりなの?」

「僕も、もう少ししたらしばらく領地に帰ろうかな。うちの祭りは初夏だから、エリーのところに行くのも悪くない」

「あらそれは良いわね。待っているわ」

「ふふ。二人共、素敵な収穫祭を過ごしていらっしゃい」

「ホルトアには少しこちらで手伝って貰うこともある。エリーは先に領地に」

「はい、お父様。そうね……、午後に作るドレスは領地に送って貰おうかな」

「それじゃぁ、微調整ができないじゃないの。急がせるから、完成させてからお行きなさい」

「お母様、どれだけ急がせるつもりなの?」

「今は忙しい時期じゃないでしょう」

「あまり無理を言うのも──そうだわ、先に調整していただいた後に、刺繍を入れていただくのはどう?」

「それは良い考えね」

「父上、ドレスの話には入れませんね」

「仕方ない。男は黙って、完成したものを楽しみにしておくべきだ」

「では、ドレスに合わせたジュエリーの見立てなどを、その間にしませんか」

「……男をあげたな?」

「父上の背中を見て育っております」


 男同士、女同士、しばし政の話を端に置き、楽しい時間を過ごす。紅茶の種類が変わった頃、再び四人は今後の話に戻ってきた。


「昨日、夜会中に届いた報告だが──グリニータ伯に、ムールアト伯が接触した」


 ゼノルファイアの言葉に、三人が頷く。


「今日、伯爵が保身に走っていなかったのは、その辺が関係ありそうだね」

「その割に、最後にお父様が出した陛下という単語で慌てた辺り、詰めが甘いのでは?」

「娘がしでかした事がどういうことか、もう少しご理解頂きたいものだわ」


 ムールアト伯爵への評価は、当たり前だが散々である。

 夜会が始まる前に、ムールアト伯爵がグリニータ伯爵に声をかけていたそうだ。人の多いところで接触をするとは、やはり詰めが甘いのだろう。

 続く報告によれば、夜会の騒動の後は屋敷に戻り、グリニータ伯爵の方からムールアト伯爵へ手紙を出していたらしい。

 貴族らしい動きは、グリニータ伯爵の方が得意のようだ。


「お父様。グリニータ伯爵の裏に、いずれかの公侯爵家がいる可能性はあるかしら?」

「今のところ、そういう筋は見えてはいないな」

「エリー、何か気になることがあるのかい?」

「ううん……。サノファ殿下に手紙を渡したのはイルダ様だと言うお話は、したかと思うけど」

「誰からの手紙か、っていう話ね」

「ええお母様。イルダ様ならば、縁のない者からの手紙を殿下に渡すとは思えないの」


 つまり、第一王子の側近であるイルダが知る者、またはその縁の者からの手紙だと考えられるのだ。

 しかしイルダの父ゼトファ侯爵は、第一王子派である。


「わざわざ火の中に、あまり上出来ではない第一王子を飛び込ませるなんて、すると思う?」

「エリー、すっかり思ったことを言うようになったね。良いことだ」

「ホルトアったら。でもそうね──。もう遠慮する必要もなくなったから」


(今後は、もっと楽しく生きていきたいなぁ)


 そんなことまで、思ってしまう。嫁ぎ先が王家でなければ、気持ちとしては随分と楽になるのだ。


(場合によっては、私が公爵家を継ぐことになるしね)


 紅茶を飲み込めば、クルファが続けて口を開く。


「そうよ。正直あんなに愚かになると判っていたら、エリーをみすみす婚約なんてさせやしなかったわ」

「クルファ、それは私に対しての嫌味かな?」

「あら判ってしまったかしら。──なんて」

「はは。私だってクルファとまったく同感さ。まぁ、昨日はさすがにあのば──愚かな第一王子が何をしでかしたのかと驚いたが」

「お父様、今馬鹿と言いそうになっていませんでした? 同意ですけど」


 昨夜、別室で王、正妃と楽しいひと時を過ごしていた公爵夫妻。広間を一望できる部屋で、様子を見ていた。途中で王たちには王女から、公爵たちにはホルトアから手紙が届き、詳細を読んだ四人は、一斉に頭を抱えたが、それは過去の話。

 その場ですぐに、サノファとエリアノアの婚約解消は取り決められ、ゼノルファイアはエリアノアへ、大公としての立場で手紙をしたためた。

それもまた、少し前の話だ。


「エリーが殿下とダンスをした時にもイルダ様の名前が出たと言うし、もう少し僕の方で調べてみるよ」

「そうだな。嫡男同士の方が探りやすいだろう。細作をつけるにしても、心の中までは知ることはできないしな」

「皆が皆、殿下のようでしたら楽なんだけどなぁ」

「ホルトアは、国を滅ぼすつもりでもあるのかしら?」

「母上、確かにそうですね。そんなことになったら、国が滅びてしまう」


 愚かな国王を戴くだけで、国は傾く。それは歴史が教えている。暗愚な王子は、それすらも理解できなかったようだったが。


「さぁ、そろそろお昼よ。エリー、お昼の後は仕立て屋が来ますからね」


 何色のドレスにしようかしら、と上機嫌なクルファを先頭に、四人はダイニングへ向かった。


(我が家の仕立屋が来るということは──事態はまた、大きく動きそうね)


 公爵家の仕立屋の秘密を思い浮かべ、エリアノアは薄く笑うのだった。


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