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第11話 婚約破棄の要求

「お呼びでしょうか、エリアノア様」


 応接室に呼ばれたミレイは、エリアノアの前で礼もせずに名前を呼んだ。

 そんな彼女を、エリアノアは溜め息を扇子で隠し、見る。

 行儀見習い先の令嬢であり、公爵令嬢であり、自身も子爵位を持つ、第一王子の婚約者。どの条件を一つずつ見たとしても、確実にミレイより立場は上だ。

 形だけでも礼を取れないものか、と溜め息が出るのも当然であろう。


「エリアノア様?」


 あえて呆れた目で見ても、ミレイは気付きもしない。

 エリアノアは何事もなかったかのように、改めて口を開いた。


「ザークエンドル・グリニータ伯爵のお茶会に行かれたそうね」

「ええ! ええ、エリアノア様。サノファ様がお連れくださったのです」


 得意満面に告げるのは、エリアノアよりもサノファに優遇されていると伝えたいからであろう。


「そう。それはよろしかったわね。ミレイはグリニータ伯爵とはご縁がおありだったのかしら」

「いいえ? 私は全て、サノファ様の良きように」


 もっともらしく言ってはいるが、自分で考えることをしない愚か者であると、自ら認めているようなものだ。王子の婚約者に必要なものは、従順さでも愚かさでもない。


「では、サノファ殿下はどうしてグリニータ伯爵のお茶会をお選びに?」

「そんなことを聞いて何になるのかしら」

「ふふ。興味があったからですわ」

「まぁ! エリアノア様がサルール様のお茶会に出ている間に、私とサノファ様が二人で楽しく過ごしていたことが気になるのですわね」


(そこはどうでも良いのだけど。何というか……私より上位に立とうと、必死ね)


 肯定とも否定とも取れない表情を作り、先を促す。こうした何気ない駆け引きをすること。貴族としての基礎的なスキルが、ミレイは一つも身についていない。


(あぁ、家庭教師の無駄遣いだったなぁ。彼女たちもきっと、脱力していることでしょう。特別手当でも出して労ってあげようかしらね……)


「サノファ様が馬車に乗られた時に、側近の方がお手紙をお持ちになったの」

「側近の方が?」

「前に一度お会いした方ですわ。あの、夜会の時に」

「……イルダ・ロンガ・ゼトファ侯爵子息かしら」

「そう、その方です。イルダ様も素敵だけど、やっぱりサノファ様が一番よねぇ」


(まって。ゼトファ侯爵が絡んでいるの?)


 グリニータ伯爵の問題だけかと思っていたところへ、思いがけない大物が引っかかってきてしまった。

 第一王子の側近として、若い頃から城へあがっているイルダ・ロンガ・ゼトファ。彼の父親であるゼトファ侯爵は、熱心な第一王子派の筈だ。


(でも手紙を預かっただけであれば、白、とは言えなくともグレーではあるか)


「そのお手紙を読まれたあとに、サノファ様はグリニータ伯爵邸に行くとおっしゃられましたの」

「招待状ではなかったの?」

「グリニータ伯爵が、サノファ様を王の器だとお褒めになっていた、という旨のお手紙だと聞いているわ」

「……それでどうして茶会に?」

「グリニータ伯爵に会いに行く、とおっしゃっていましたわ」


(話が飛びすぎる。殿下ってそこまで愚かだった? それとも、ミレイの記憶が愚かなの? ちょっとどっちも有り得て判断つかないわね)


 もともとが、勉学に対しても何に対しても、堪え性のない王子だった。エリアノアが近くにいて、彼を抑えていた部分は大きい。彼女の抑止力がないと、こうまで突飛な行動を何も考えずにするとは、おそらく誰も思っていなかったであろう。


(ゼトファ侯爵が絡んでいたならば、堂々と息子に手紙を渡させることはしない筈)


「そのお手紙はどなたから?」

「わからないわ」

「なにかお印などは」

「真っ白の封筒に、茶色いインクでしたの」

「まぁ。ミレイは良く覚えているわね。他になにか覚えていることはないかしら。そういうことを記憶するのも、殿下の近くにいる者に必要なことよ」


 エリアノアの言葉に、ミレイは必死に記憶をたどる様な表情を見せる。


「うぅんと。ああ、とっても甘い香りがしていました」

「甘い香りね。何に似ていたかしら。バラや百合、ジャスミン、他にもいろいろあるわよね」

「そういうのではなくて、もっとむせ返るような」

「むせ返るような」


(それは手紙の持ち主を示すものではないわ。どちらかと言えば、何か意図のある香に近いのではないかしら)


「ところで、エリアノア様」


 エリアノアの顔のすぐ前まで、ミレイが近付く。失礼極まりないその動きに、エリアノアは思わず扇子で顔を隠した。王子の突飛さは、もしかしたらミレイが加速させているのかもしれない、などと思っていると、それ以上にエリアノアを驚かせる言葉が続いた。


「サノファ様の──王子の婚約者の座を、譲っていただけないかしら?」


 突然のミレイの言葉に呆然とするエリアノアだったが、すぐに表情を取り戻す。

 たとえあまりにも愚かな発言であったとしても、目の前で慢侮されれば相手は話を聞かなくなる。

 少しだけ困ったような表情をあえて作り、ミレイの手を取った。


「殿下がお好きなのね」

「ええ、好きよ。そしてサノファ様も私のことが好きだとおっしゃったわ」

「まぁそれは素敵ね」

「エリアノア様よりもずっと、私が好きとおっしゃったの」


 軽率な言葉を繰り出すサノファにもミレイにも、頭が痛くなる。もう少し考えて物事を進めてくれないだろうかと、改めて感じてしまう。

 それに、と思う。


(この子は、『王子の』と言った。サノファ殿下を好きだと言いながら、その根底にあるものは、それなのね。本人は気付いていないようだけど。だとしたら、ご愁傷様と言ったところだわ)


 第一王子と公爵令嬢の婚約には、政治的思惑がつきまとう。『王子の婚約者』とは華やかな世界で、楽しく煌びやかに生きるという意味ではない。それを理解していない者に、どう説明すれば良いのだろうか。エリアノアは言葉を選ぶ。


「でも、婚約者の座は譲るというものでは」

「エリアノア様は王子の事をお好きではないのだから、私に譲ってください」


 その言葉にぎくりとする。

 好き。

 政略結婚に、そんな感情は不要だった。出会った時から婚約することがほぼ決まっていた王子に情は生まれたものの、それが恋情となる前に、彼の方からそれを手放したのだ。


(私だって、彼と恋に落ちることができたら、幸せだったのかもしれない)


 幼い頃には、エリアノアを大切にしてくれていた。慈しんでくれていた。

 それがいつしか、彼女の聡明さを疎み、儀礼的に対応するようになっていったのだ。それでも、つつがなくお互いの立場を尊重し、生きていけると思っていた。


 けれど。

 エリアノアの事を可愛いと言ったその口で。

 エリアノアの事を大切だと言ったその口で。

 彼はミレイが可愛いと言う。

 ミレイの事を大切だと言うのだ。


(ミレイの事が好きならばそれでも構わない。私も、気持ちを他に持って生きていけば良いだけだし。ただ、それは殿下がきちんと筋を通された場合の話。そうじゃなければ、私だって黙ってないわよ。──どう料理してくれようか)


 政略結婚で、儀礼的にでも相手を尊重する。

 それはサノファが国王となり、エリアノアが正妃となるということだ。

 つまりはきちんと国民を導き、国益を満たすことを最優先とする。

 その為の政略結婚でなければ、エリアノアにとって意味がない。

 王とは国を導く者であり、正妃とは国を導く王を正しく立たせる為の者なのだから。

 そして、その道に立つ為に我を殺し、今日までやってきたのだ。


(十九歳にもなって、己の欲望を優先させて周りが見えないような者が国王になるだなんて、あり得ないでしょう)


 正妃となれば、その愚かな国王を永遠にサポートせねばならない。この先、四六時中続く心労を思い、エリアノアは溜め息を吐いた。


「ちょっと! 聞いていらっしゃるの?」


 失礼極まりないこの伯爵令嬢も、かわいそうな被害者なのかもしれない。

 引き取られた伯爵家よりも格上の生活を、行儀見習いという立場とは言え味わってしまった。屋敷の使用人たちに傅かれ、公爵令嬢にでもなったような気持ちのところへ、第一王子の誘いだ。

 愚かな娘は、すっかり勘違いをしてしまったのだろう。

──『王子』という立場と、婚姻できる立場になったということを。

 エリアノアは紅茶を一口飲むと、ゆっくりと笑った。


「好きとか嫌いとかではないわ。政略結婚というのは、そういうものでしょう」

「サノファ様が、かわいそうだわ」

「あら。それでしたら、お気持ちの通じていらっしゃるあなたが、側妃におなりになれば良いでしょう」


(側妃としても、後ろ盾が弱すぎて難しいだろうけどね)


 エリアノアが正妃でなければ、行儀見習いの家として側妃の後見となることもできただろう。しかし、正妃を出す家だ。わざわざ側妃に上げる者を後見するわけがない。

 他にいる側妃派の公爵家を後見に頼むとしても、今のこの状況では、醜聞を恐れ受け入れることはないだろう。侯爵家にしても同様だ。

 ミレイが王族などではなく、他の伯爵家なり侯爵家の男性と婚約をするとなれば、ことはもっと簡単にすすんだ。しっかりと教養を身に着けさせた上で、王国第一の公爵家の後見で嫁入りができたのだから。

 そうしてそれを、ミレイを引き取ったムールアト伯爵は狙っていたのだろう。


(それが幸せかどうかは本人次第。貴族の娘となってしまったからには、ある程度の不自由は受け入れないといけないの。良い暮らしができるのは、義務を果たしているから。それを忘れたら、この世界ではやっていけない)


 自らの食い扶持を自らで稼ぎ、その代わりに自らの自由をその手にする。そうして得た食い扶持のいくらかを国や領地に収め、国を、領地を運営してもらう。

 この国の貴族以外の者は、そうした矜持で生きている。貴族と貴族以外は、互いが互いの立場を尊敬し合う。それができない貴族は、すぐに落ちぶれていくのが、この国であった。

 それは、王族にも当てはまる。だからこそ、暗愚な王を出さない為に王位継承者を変更したり、神殿に王へ諫言のできる立場の人間を置いたりしているのだ。

 それでも、それに当てはまらない考えの人間はいる。

 そうした人間の中に、他ならぬ第一王子が入ってしまわないよう、エリアノアは彼の一挙手一投足を見つめ続けていた。


(この娘が殿下と縁を結ぶには、殿下が継承権を放棄しないと。まぁ、そうなったとしても、殿下には王家の駒として自由恋愛なんて無理。だとすれば、王子という位を捨てて市井に下るしかない。それがもしかしたら、一番幸せかもしれないけど、彼に市井の生活なんてできるわけもないし)


 ミレイは何故そこに考えが及ばないのだろうか。妾腹として生まれ、伯爵家を出た母親と庶民の暮らしをしていた筈なのに。エリアノアはじっとミレイを見つめる。


「サノファ様は──私一人とおっしゃってくださいましたわ」


 得意満面でそう言い切るミレイに、エリアノアは目を瞑った。甘い言葉を綴るサノファと、それを受け入れてうっとりとした表情のミレイが脳裏に浮かぶ。


(そう、殿下が。あの方が、この娘の考える力を奪ったの)


 恋に浮かれた娘に、現実を突きつける仕事をする者が誰もいなかった。出自を遥か彼方に置き忘れ、公爵家の人間のような錯覚を起こしている。それは、サノファがそのように彼女を扱ったからだ。


(それでも、たしなめたことも、家庭教師から指導したことも、幾度もあったわ。情報の棄却は、己の責任よ)


 耳に痛いことは、手に取ることもせずに切り捨てる。ミレイがしてきたことは、そのままミレイ自身を追い詰めることでもあるのだ。それに彼女はいまだ気付いていない。


「エリアノア様。私はサノファ様を愛しています。あなたとは違って」

「……それでは殿下から私に、婚約を解消するよう進言なさい。私の今の立場では、私から婚約解消をすることはできませんもの」


 呆れ果てた気持ちを胸に、エリアノアは薔薇の大輪が咲き誇るような笑みで、ミレイに笑いかけた。

 その先に起きることなど、何一つ教えることはなく。


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