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第1話 出会い

「大きくなったら僕のお嫁さんになってね」


 城の敷地の小さな森の中。白い椅子に座る幼いエリアノアに跪く、金色の髪の王子。 グレーの瞳がじっと彼女を見つめる。


「うん!」


 手を引かれ、その甲に触れる唇。

 エリアノアの記憶の一番古い場所にある、幸せな、幸せな、物語。


   *


「初めてお目にかかります。ムールアト伯爵が娘、ミレイ・ムールアトにございます」


 赤い髪の娘は、そう言うとエリアノアに礼を取った。

 王弟である当主を持つファトゥール公爵家は、礼儀見習いの貴族の娘を預かることがままある。ミレイもそうした娘の一人だった。


「そう。よろしくね、ミレイ」


 彼女の脳内には各貴族の名前が広がった。どこまでミレイを伴うべきかを考える為、ムールアト伯爵家の家格を確認する。伯爵家とは言え、ほぼ子爵よりの序列だ。

 王城の夜会までは連れて行くことが可能だが、それ以上──例えば、エリアノアの婚約者であるサノファ第一王子との茶会に、同席させるわけにはいかない。


「先ずは来週の夜会の為のドレスね。セルク、テイラーと宝石商を呼んでおいて」

「かしこまりました。お嬢様」


 側に控えていた執事は手配の為に下がる。

 エリアノアは緩やかに波を打つ美しい銀色の髪の毛を揺らしながら、青い目を細めた。


(確かムールアト伯爵が最近、妾腹の娘を養女にしたという噂は、聞いた気がする……)


 おそらくそれが、このミレイのことだろう。市井で暮らす娘を引き取ったからか、彼女の挨拶にはぎこちなさがあった。


(身のこなし方から、家庭教師をつけさせないといけなさそうね)


 預かる以上は、出自がどうであれしっかりと礼儀を身に付けさせたい。それが、ミレイがこの先少しでも生きやすくなる為に必要なことであると、エリアノアは十二分に理解していた。


(私より少し年下……かな?)


 エリアノアは十六歳だ。幼い頃より王子の婚約者として、帝王学に加え王妃教育を受けている為、同年代の少女たちよりは大人びている。双子の弟がいるが、彼もまた公爵家の跡取りとして教育を受けている為、公爵家の二人の子どもは、幼いままでいられる時間が少なかった。

 そして、今ひとつ。

 エリアノアが大人びている理由は、心の中でまでは淑女でいることを捨てた、ということもある。


(彼女、市井で暮らしていた方が、幸せだったんじゃないかしらね。可哀想だけど、まぁ、引き取られてしまった以上は仕方ない、か)


 小さい頃から王妃、淑女の教育を受けて入れば、本来の子どもらしい部分が押しつぶされてしまう。それを心配した彼女たちの母は、心の中と、家族の前では自由でいて良い、としたのだった。

  気が強くお転婆だったエリアノアも、母の意を汲み、今はその気性を身の内におさえこんでいる。そうして、家族以外の前では表に一切出さないでいた。あくまで外面としてではあるが。


「家庭教師を用意するわ。多少大変かもしれないけど、貴族として生きていく為に、必要不可欠なことだから、頑張って」


 思慮深さを欠片も見せないミレイに、エリアノアはわずかな不安を持つ。今まで預かってきた行儀見習いの娘たちは、いずれも基本的な教育を受けてきた令嬢だったからだ。

 とは言え、ミレイを淑女として成長させる仕事は、エリアノアのものではない。貴族令嬢としての社交を経験させ、覚えさせる。彼女のすべき役割は、ただそれだけだ。


(考えすぎるのはやめやめ! 可愛らしい顔をしているし、教育をきちんと受ければ、良いご縁もできるでしょ。それが我が家に期待されている、彼女の家からのことでしょうしね)


 貴族令嬢の行儀見習いの目的、それは政略結婚の駒として正しく価値を持つようになること。


(若干、最近市井で流行の結婚相談所みたいな気分だけど)


 エリアノアは侍女の淹れた紅茶を飲むと、ソファを立った。


「ミレイ、自分の家だと思って過ごしてね」


 エリアノアの言葉に、ミレイは満面の笑みで再びぎこちない礼を取った。


   *


「ミーシャ、あの子はどうしてる?」


 アロマオイルで全身のマッサージを受けながら、エリアノアは侍女のミーシャに声をかける。

 今夜は王宮主催の夜会だ。


「先週こちらにおいでになってから、毎日みっちりと礼儀作法とダンスのレッスンをつけられていましたので、だいぶ」

「だいぶ」


 侍女の中途半端な物言いに、苦笑する。


「王宮の夜会は、早すぎたと思う?」

「通常であれば問題ございませんが」


 聞けばミレイはエリアノアと同じ歳だという。それであれば、いくら市井の出であっても、引き取られたあと最低限のダンスくらいは躾けられているものと思った。

 だが蓋を開けてみれば、レベルを上げる為につけた家庭教師からは、一日八時間レッスンをしても間に合うか危ういなどと言われたと、ミーシャから告げられる。


(あの挨拶のぎこちなさなら、あまりにも予想外ということはないけど)


「それでもどうにか、形になってくれていれば、まぁ初回は良いかしらね。ああいうのは経験だし」


 磨かれた体にガウンを羽織ると、髪の毛を結い上げられていく。今頃はミレイも同じように支度をしていることだろう。

 ドゥールモア大陸の南東に位置する大陸第三の国、カイザラント王国。今夜はこの国の側妃サルール・スシュア・エヴァルンガ主催の夜会だ。彼女の息子である第一王子サノファ・トゥーリ・カイザラントの婚約者であるエリアノアは、当代一と思わせるほどの装いを期待されている。


「本当はもっとシンプルな髪型が好きなのに」

「仕方ありませんわ、お嬢様。今夜は」

「わかってはいるのよ、わかっては。サルール殿下に、恥をかかせるわけにはいかないって」


 エリアノアの装いは、主催者である側妃サルールの評価に直結する。

 だからこそ、気が抜けない。

 カイザラント王国の現王マイノア・アルマイ・カイザラントには、二人の妃がいる。正妃であるラチュアノ・ルールティ・サンドレイア=カイザラントと、第一王子の母である側妃だ。

 正妃との間には第一王女が生まれており、この国のしきたりに則り水の女神の巫女となることが決まっている。

 王家の血を引く娘しか中央神殿の巫女長──姫巫女──になることができず、その立場は王と同等とされていた。

 エリアノアの美しい銀の髪がさらりと揺れる。弟と同じこの銀色は、母親譲りのものだ。美しい母親と同じこの髪色を、エリアノアは密かに自慢に思っていた。

 豊かな髪を高い位置で結い上げ、真珠とアクアマリンを織り込んだ髪飾りをかぶせれば、王女のような品格を生み出す。

 すっきりとした襟足には真珠の粉が溶かされた美容液が塗りこめられ、それはそのまま全身に塗られ、光を反射しキラキラと輝く。

 全身のマッサージを終えた後の、血行の良い肌はほんのりとした桃色が浮かび、それが更に美しさを強調した。

 化粧を施し、胸元にはこの国の守護女神である水の女神を司るアクアマリンのネックレス。大粒のそれは、少しだけ首には重い。その色にあわせたような銀色と水色のグラデーションのドレスは、コルセットで胸元からウエストラインを美しく見せた彼女のスタイルの良さを際立たせる、上品なデザインだ。


「お嬢様、お美しくございます」

「ありがとう。ミーシャやマルア、そして皆のおかげよ」


 二人のエリアノア付きの侍女、そして支度を手伝う多くの侍女たちに笑顔で礼を伝える。公爵令嬢という響きから、勤めるまでは気難しい令嬢なのではと思っていた侍女たちは、一度目通りしただけで、エリアノアに夢中になってしまう。


(どんなときにも、感謝を伝える。人間関係をうまく築くには、これが一番大切なのよね)


 エリアノアは、プライドの高い一般的な貴族とは違い、目下の立場へも配慮を欠かさない。それが、使用人たちや領民たちに愛される理由の一つだ。


(お父さまやお母さまの態度が違っていたら、私もこんなこと考えなかっただろうけど)


 ロンググローブをつけて貰いながら、その甲に目を遣る。


(どうせなら)


 小さく吐く息が、空気を震わせる。


(どうせなら、あの方の為に美しく装えたら良いのに)


 幼いあの日。

 サンドレイア帝国の城の庭で出会った、美しい金の髪。やわらかなグレーの瞳の少年。その出自は知らないが、エリアノアにとって彼は、特別な人間に映ったのだった。


(私にとっての、王子様だったのよね)


 緩やかに、記憶はあの日へと向かう。


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