1章3話 いつもと違う朝
「おはよう、ケペト。今日はなんや顔色がええなあ」
アケトが朝食を準備しながら、嬉しそうに声をかけてきた。
「おはようございます!えへへ、よく眠れました♪」
ケペトは左手首をそっと袖で隠しながら答えた。蓮の痣は朝日に反応するように、ほんのりと温かくなっている。
「そうそう、今日は予定通りイシス神殿に行くんやったね」
「はい!楽しみです♪」
ケペトの返事はいつもより弾んでいた。イシス神殿で会えるかもしれない…そんな期待があったからだ。
朝食を食べながら、ケペトは窓の外を見た。今日の太陽は昨日よりも明るく、力強く感じられる。まるで何かが始まろうとしているような、そんな特別な朝だった。
「ケペト、ほんまに今日は何かええことありそうやな」
「そうですね!なんだか、特別な一日になりそうな気がします♪」
アケトはケペトの明るさに釣られて、自然と笑顔になった。
イシス神殿への道のり
朝食を済ませた後、ケペトはイシス神殿へ向かった。神殿複合体の中でも、イシス神殿は特に美しいことで有名だった。青と白の優美な建物が蓮の池に囲まれ、いつも花の香りが漂っている。
歩いている途中で、昨日出会ったアケムのことを思い出した。
「また会えるかな…」
頬が赤くなってしまう。でも今日は、もっと大切なことが待っているのかもしれない。
イシス神殿に近づくにつれて、左手首の痣がだんだん温かくなってきた。まるで何かに導かれているような感じだった。
「あれ?」
いつもなら神殿の周りで遊んでいる動物たちが、今日はなぜか元気がない。蓮の池の花も、少し首を垂れているように見える。
「やっぱり何かが…」
その時、神殿の奥から美しい光が差し込んできた。それは太陽の光よりもずっと温かく、優しい光だった。
太陽の女神ラーとの出会い
「あら、あなたがケペトね」
振り返ると、そこには息を呑むほど美しい女性が立っていた。金色のロングヘアに太陽のティアラ、金と白の上品なドレスに身を包んだ、まさに女神という言葉がぴったりの存在だった。
「あ、あの…」
ケペトは緊張で言葉が出てこない。でも、その女性の瞳は厳しそうに見えて、実はとても優しかった。
「私はラー、太陽を司る女神よ。アヌビスから話は聞いているわ」
「ラー様…!」
ケペトは慌てて深々とお辞儀をした。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。私たちは対等なパートナーなのだから」
ラーが微笑むと、周りの空気がふわりと温かくなった。
「対等…ですか?」
「そうよ。あなたには私たちを助ける力があり、私たちにはあなたを支える力がある。お互いに必要な存在なの」
ラーの言葉に、ケペトの緊張が少しずつほぐれていく。
「でも、私なんて女神様に比べたら…」
「身分や種族なんて関係ないわ。大切なのは、その人の心よ」
ラーは優しくケペトの手を取った。
「あなたの心は、とても美しい光を放っている。それは私の太陽の光にも負けないくらいよ」
神々の現状説明
「アヌビスから聞いたと思うけれど、今、私たちの間で小さな問題が起きているの」
ラーはケペトと一緒に、神殿の美しいテラスに座った。そこからはテーベの街が一望でき、人々の営みがよく見えた。
「みんな、世界をより良くしようと頑張っているのよ。でも…」
ラーの表情が少し曇った。
「それぞれが別々の方向を向いてしまっているの。私は太陽の力で世界を明るく照らそうとしているけれど、イシスは癒しを重視して、時々私の光を弱めてしまう。ハトホルは音楽で盛り上げようとするけれど、ネフティスは静寂を大切にしたがる」
「なるほど…」
「そしてセトは、古いものを一新しようとするから、みんなが築いてきたものを壊そうとしてしまう」
ケペトは一生懸命に話を聞いていた。
「みんな良いことをしようとしているのに、うまくいかないんですね」
「その通りよ。私たちには『調和』が足りないの。そして、その調和を作り出せるのが、あなたなのよ」
最初の試練?
「でも、具体的にはどうすれば…」
ケペトが質問しようとした時、急に空が曇り始めた。
「あら?」
ラーが首をかしげた。太陽の女神である彼女が困惑するということは、これは自然な天候変化ではない。
「ラー〜!また勝手に太陽を強くして〜!」
空から美しい女性の声が響いてきた。雲の間から現れたのは、青と白のドレスを着た優雅な女性だった。
「イシス?どうしたの?」
「あなたが太陽を強くしすぎるから、私の大切な植物たちが疲れちゃったじゃない!」
イシスが空中に浮かんだまま、ラーに抗議している。
「でも、明るい方が人々は元気になるでしょう?」
「明るすぎても疲れちゃうのよ!適度な休息も必要なの!」
二人の言い合いを見ていて、ケペトはなんとなく理解した。
「あの…」
「何?」
二人の女神が同時にケペトを見た。
「お二人とも、相手のことを思いやってらっしゃるんですね」
「え?」
「ラー様は人々を元気にしたくて太陽を明るくして、イシス様は植物や人が疲れないように心配してくださってる。どちらも優しさから来てることなんですよね」
ケペトの自然な調和力
ケペトの言葉に、ラーとイシスの表情が変わった。
「確かに…私はイシスの植物のことを考えていなかったわ」
「私も、ラーが人々のことを思ってくれていることを忘れていました」
「だったら、一緒に考えてみませんか?太陽の光も癒しも、両方大切にできる方法を」
ケペトの提案に、二人の女神は顔を見合わせた。
「そうね…朝は爽やかに明るく、昼は適度に温かく、夕方は優しい光で…」
「そして私の癒しの力で、疲れた人や植物をリフレッシュさせる時間も作って…」
「それです!」
ケペトが嬉しそうに手を叩くと、左手首の痣がほんのりと光った。すると、不思議なことに空の雲が晴れ、太陽の光が優しく、でも力強く差し込んできた。
「あら…」
「これは…」
二人の女神は驚いている。
「今の光、いつもより心地よい」
「私の植物たちも、嬉しそう」
実際に、周りの花々が生き生きと輝き、小鳥たちが楽しそうにさえずり始めた。
友情の芽生え
「ケペト、あなたって本当に不思議な子ね」
ラーが感心したように言った。
「特別な魔法を使ったわけでもないのに、私たちの力がこんなに調和するなんて」
「私も驚きました。でも、とても気持ちがいいですね」
イシスも嬉しそうに微笑んでいる。
「えへへ、私も不思議です。でも、お二人が仲良くしてくださると、私も嬉しいんです♪」
ケペトの自然な笑顔に、二人の女神の心も温かくなった。
「そうそう、イシス。今度、一緒にお茶会をしない?」
「いいですね!ケペトちゃんも一緒に♪」
「やったー!」
三人は自然と手を繋いで、円になった。その瞬間、周りの世界がキラキラと輝いて見えた。
人間との繋がり
「そういえば、ケペト」
ラーが思い出したように言った。
「あなたには大切な人間の友達もいるのよね?」
「はい!アケトさんや、街のみんな、それに…」
ケペトの頬が赤くなった。
「もしかして、恋する乙女?」
イシスがにっこりと笑った。
「そ、そんな!」
「あら、素敵じゃない。愛は最も美しい調和よ」
ラーも微笑ましそうに見ている。
「でも、まだよくわからないんです。ドキドキするし、また会いたいって思うし…」
「それが恋よ♪」
イシスが優しく説明してくれた。
「大切にしなさい。人間同士の愛も、神々と人間の友情も、どちらも世界を美しくするものだから」
新しい日常の始まり
その時、神殿の方から呼び声が聞こえてきた。
「ケペト〜!どこにいるん〜?」
アケトの声だった。
「あ、アケトさん!」
「お友達ね。行きなさい」
ラーが優しく背中を押してくれた。
「でも、お二人は…」
「私たちはいつでもあなたのそばにいるわ。困った時は、心の中で呼んでくれれば大丈夫」
「本当ですか?」
「ええ。そして、今度は他の神々たちにも会ってもらうわね」
イシスが楽しそうに言った。
「ハトホルなんて、きっとあなたを気に入ると思うわ。同じくらい明るくて可愛いから♪」
「楽しみです!」
ケペトは嬉しそうに手を振って、アケトの元へ駆けていった。
日常への帰還と新たな希望
「ケペト、こんなところにおったんか。探したで〜」
「ごめんなさい、アケトさん。ちょっと散歩してました」
「まあ、元気そうやからええけど。それより、なんや今日は空気がきれいやな」
アケトが空を見上げた。確かに、いつもより清々しい感じがする。
「そうですね♪」
ケペトは左手首をそっと触った。痣は今、とても温かい。
神殿への帰り道、街の人たちもいつもより元気そうに見えた。花屋のおばさんの花はより美しく、パン屋のおじさんのパンはより香ばしく、子どもたちの笑い声もより楽しそうだった。
「なんかみんな、今日は特別元気やな」
「本当ですね♪きっと、良いことがあったんですよ」
ケペトは微笑んだ。自分の小さな行動が、こんなにも世界を変えることができるなんて、まだ信じられな
い気持ちだった。
特別な出会いの再び
神殿に戻る途中、また角の向こうから急いでやってくる人影があった。
「あ…」
昨日と同じように、ケペトとアケムがばったり出会った。でも今度は、お互い準備ができていたので、ぶつからずに済んだ。
「あ、昨日の…」
「ケペトさん!」
アケムが嬉しそうに声をかけてくれた。
「こんにちは、アケムさん♪」
「本当に偶然ですね。もしかして、神様が引き合わせてくれているのかも」
アケムの言葉に、ケペトの胸がドキドキした。実際に、神様たちが見守ってくれているかもしれない。
「そうですね。きっと、素敵な偶然です♪」
「あの…もしよろしければ、今度本当に神殿にお邪魔してもいいでしょうか?」
「もちろんです!いつでも歓迎します♪」
二人の自然な会話を、空の上からラーとイシスが微笑ましく見守っていた。
希望に満ちた終わり
夕方、神殿に戻ったケペト。アケトと一緒に夕食の準備をしながら、今日の出来事を思い返していた。もちろん、神様たちとの出会いは秘密だけれど。
「今日はほんまに良い一日やったな。なんか、世界全体が明るくなったみたい」
「そうですね。私も、とても幸せな気分です♪」
夕食を食べながら、ケペトは窓の外を見た。夕日がいつもより美しく、優しい光で街を包んでいる。きっとラー様とイシス様が、一緒に力を合わせてくれているんだろう。
そして今夜もまた、素敵な夢を見ることができそうな気がした。今度は、他の神様たちにも会えるかもしれない。
「明日も頑張ろう♪」
ケペトは左手首の痣をそっと撫でた。それは温かい光を放ちながら、彼女の新しい冒険を見守っているようだった。
こうして、神々の調停者としてのケペトの物語が、本格的に始まったのだった。明日からはきっと、もっと楽しくて、もっと素敵な出来事が待っているはずだ。
そんな希望に満ちた気持ちで、ケペトは眠りについた。今夜の夢には、きっとまた素敵な神様たちが現れてくれるだろう。