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9章25話 新しい風


朝の光がイシス神殿の窓から差し込み、ケペトの頬を優しく照らした。目を覚ますと、いつものように愛の精霊が枕元でくるくると回っている。


「おはようございます、ケペト様!今日もとっても良いお天気ですよ!」


「おはよう、愛ちゃん」

ケペトはのんびりと身支度を整えながら、今日という新しい一日への期待を胸に膨らませた。最近の神殿は本当に賑やかで、毎日が小さな発見と笑顔に満ちている。

中央広場に向かう途中、いつもより多くの人だかりができているのに気づいた。何やら興奮した声が聞こえてくる。


「あら、何かしら?」

近づいてみると、見慣れない装いの人々が数名、荷物を抱えて立っていた。褐色の肌に、色鮮やかな布を身にまとい、どこか遠い国から来たような雰囲気がある。


「あ、ケペト様!」

アケトが駆け寄ってきた。


「どうやら遠方からの商人さんたちみたいですね。珍しい香辛料や布を持ってきているようで、みんな興味深々で」


「まあ、素敵!どちらの国から?」

商人の一人、年配の女性が振り返った。深い茶色の瞳に、優しさと知恵が宿っている。


「私たちはヌビアから参りました。アセナと申します」商人の女性は丁寧に頭を下げた。「テーベの神殿の調和について、遠い国でも噂を聞いております。一度この目で見てみたくて」


「ヌビアから!」

ケペトの目が輝いた。


「遠いところをありがとうございます。私はケペト、この神殿で神官をしています」

アセナの表情がぱっと明るくなった。


「もしかして、あの愛の調停者として名高いケペト様でいらっしゃいますか?」


「え、えーっと…」

ケペトは頬を赤らめた。


「そんな大げさな…」


「いえいえ、本当に有名なんですよ。神々と人が共に暮らし、愛と調和に満ちた場所があると。私たちの国でも、多くの人が憧れているんです」


神殿での歓迎

「それなら、ぜひ神殿をご案内させていただきますね!」

ケペトはアセナたちヌビアの商人を神殿複合体へと案内した。途中で出会ったハトホルとイシスも合流し、一行は賑やかな歓迎の行列となった。


「わあ、本当に美しい…」


アセナの娘らしき若い女性、カヒナが目を輝かせながら神殿の建物を見上げた。


「こちらがラー様の神殿です」

ケペトが説明すると、金色に輝く神殿から威厳ある声が響いた。


「遠方からの客人を歓迎する」

ラーが現れると、ヌビアの人々は一斉に跪こうとしたが、ラーは慌てて手を振った。


「いや、そのような堅苦しいことは不要である。ここでは皆が対等の仲間だ」


「太陽神ラー様が…直接お言葉を」

アセナは感動で声を震わせた。


「ふふ、最初はみんなそうなのよ」

ハトホルがくすくすと笑った。


「でもすぐに慣れるわ。ラー様、実は料理が苦手で、この前なんて—」


「ハトホル!」

ラーの頬が少し赤くなった。


「余計なことは言わなくてよい」

その様子を見て、ヌビアの人々からも自然と笑いが漏れた。


「本当に、神様がこんなに身近に…」

カヒナがつぶやいた。


「そうなのよ」

イシスが優しく微笑んだ。


「みんな家族みたいなものですから。あ、そうそう、お疲れでしょうからお茶をお出ししますね」


香辛料の発見

イシス神殿の居間で、ヌビアの商人たちとお茶の時間が始まった。アセナが持参した香辛料の小瓶を取り出すと、部屋中に芳醇な香りが広がった。


「これは何という香辛料ですか?」

ネフティスが興味深そうに小瓶を手に取った。


「ベルベレという香辛料です。我が国では肉料理や煮込み料理によく使います」


「いい香り!」

ケペトがうっとりと目を閉じた。


「なんだか温かくて、でもちょっとピリッとして…」


「料理に使えるんですか?」

セトが顔を出した。最近の料理修行熱は相変わらずで、新しい調味料への関心は人一倍だ。


「もちろんです」

アセナが微笑んだ。


「よろしければ、簡単な使い方をお教えしましょうか?」


「本当ですか!」

セトの目が輝いた。


「頼む!」

イシスも興味深そうに身を乗り出した。


「私たちも学ばせていただけたら嬉しいです。新しい味を覚えるのは楽しいですものね」


「ヌビアの料理って、どんな感じなんですか?」

ハトホルが弾んだ声で尋ねた。


カヒナが答えた。

「私たちの国では、たくさんの香辛料を使って、体が温まるような料理を作るんです。寒い夜にも、暑い日にも、香辛料の力で元気になれるんですよ」


「素晴らしいわね!」

ハトホルが手を叩いた。


「音楽みたい。いろんな音が合わさって美しいハーモニーを作るように、いろんな香辛料が合わさって美味しさを作るのね」


「その通りです!」

アセナが嬉しそうに頷いた。


「料理も音楽も、調和が大切ですものね」


星の知恵

そこへホシが現れた。珍しく少し慌てた様子で、手には星座の図面を抱えている。


「あ、ケペト様、皆様、申し訳ありません。お客様がいらしていたのですね」


「ホシ、大丈夫よ。こちらはヌビアから来てくださったアセナさんたちです」

ケペトが紹介すると、ホシは丁寧にお辞儀をした。


「ヌビアから!それは遠いところを…私はホシと申します」


「星の守護者でいらっしゃるのですね」

アセナが興味深そうに見つめた。


「実は、私たちの国でも星の観測は重要なんです。航海や農業に欠かせませんから」

ホシの表情がぱっと明るくなった。


「本当ですか!ヌビアの星座について、ぜひお聞かせください」


「喜んで。私たちの国では、南の空に『大河の守護者』という星座があるんです」

ホシが持っていた図面を広げながら、目を輝かせた。


「それは興味深いです。こちらの星座図と比較してみませんか?」

二人が星座について語り始めると、その熱心さに周りの皆も引き込まれた。


「星って、どこの国から見ても同じなのに、国によって違う物語があるのね」

ケペトがしみじみと言った。


「そうですね」

ネフティスが頷いた。


「星座の形は同じでも、そこに込められた想いや物語は、その土地の文化が創り出すものですから」


「文化の違いって素晴らしいわ」

ハトホルが感嘆した。


「同じ星空を見上げながら、こんなにも豊かな物語が生まれるなんて」


料理の実践

「そういえば」

イシスが手を叩いた。


「せっかくですから、今日の夕食はヌビア風の料理に挑戦してみませんか?アセナさん、お教えいただけるでしょうか?」


「ぜひとも!」

アセナが嬉しそうに頷いた。


「皆さんにヌビアの味を知っていただけるなんて光栄です」


「俺も手伝わせてくれ!」

セトが意気込んだ。


「新しい調味料の使い方、しっかり覚えたいんだ」


「私たちも一緒に作りましょう」

カヒナが提案した。


「故郷の味を再現できたら嬉しいです」

神殿の厨房は、いつになく国際色豊かな雰囲気に包まれた。アセナとカヒナの指導のもと、ヌビア風の香辛料を使った煮込み料理の準備が始まった。


「まず、この香辛料を軽く炒めて香りを立たせます」

アセナが丁寧に説明すると、セトが真剣な表情で見つめている。


「炒めすぎると苦くなってしまうので、香りが立ったらすぐに次の工程に進んでくださいね」


「なるほど…香りで判断するのか」

セトがつぶやいた。


「目で見るだけじゃダメなんだな」


「その通りです。料理は五感を使うものですから」

イシスが野菜を切りながら、感心した様子で頷いた。


「確かに、同じ材料でも、香辛料の使い方一つで全く違う料理になりますものね」

アポピスも興味深そうに見学している。


「このベルベレという香辛料、何種類もの香辛料が混ざっているのですね。とても複雑で…いえ、複雑ですが調和している」


「さすがアポピス、よく分かりますね」

アセナが微笑んだ。


「十数種類の香辛料を絶妙なバランスで配合しているんです」


「星座料理にも応用できそうですね」ホシが目を輝かせた。「星座ごとに異なる香辛料を使い分けて…」


「面白そう!」

ハトホルが手を叩いた。


「音楽と香辛料と星座のコラボレーション!」


調和の発見

調理が進むにつれて、厨房は異文化交流の場となった。ヌビアの調理法とエジプトの調理法が自然に融合し、新しい発見が次々と生まれる。


「あ、これ美味しそう!」

愛の精霊が鍋の上でくるくる回っている。


「愛の力が込められた料理は、きっと最高に美味しくなりますよ!」


「愛の精霊まで…」

カヒナが驚いた様子で見つめた。


「ああ、この子は愛ちゃんって言うの」

ケペトが説明した。


「みんなの愛情を込めた料理を、さらに美味しくしてくれるのよ」


「精霊様も一緒に料理を…何て素晴らしい場所なんでしょう」

アセナが感動で声を詰まらせた。

料理の香りが神殿中に漂い始めると、他の神々も集まってきた。ラーとネフティスも、珍しい香りに誘われて厨房を覗いている。


「これは…今までに嗅いだことのない香りだ」

ラーが興味深そうに言った。


「ベルベレという香辛料を使ったヌビア料理です」

ネフティスが説明した。


「文献で読んだことはありましたが、実際に作るのは初めてですね」


「知識と実践は違うものですからね」

アセナが優しく微笑んだ。


「でも、皆さんとても上手に作ってくださって」


「みんなで協力すると、やっぱり楽しいね」

ケペトが満足そうに言った。


料理が完成に近づくにつれて、厨房は笑い声と会話で満たされていた。文化は違っても、美味しいものを作りたいという気持ちは同じ。その想いが、言葉の壁を越えて皆を繋いでいる。


夕食の時間

夕方、神殿の食堂には香ばしい香りが漂っていた。ヌビア風煮込み料理を中心に、エジプト風のパンや野菜料理も並ぶ、まさに融合の食卓だ。


「いただきます!」

みんなで声を合わせて言うと、一斉に料理に手を伸ばした。


「わあ、美味しい!」

ケペトが感嘆の声を上げた。


「ピリッとするのに優しくて、体がポカポカしてくる」


「本当ね」

ハトホルが目を輝かせた。


「こんな風に料理で体が温まるなんて、音楽で心が温まるのと似てる」


「ヌビアの冬は厳しいですから」

カヒナが説明した。


「体を温める料理は生活の知恵なんです」

セトが感動した様子で頷いた。


「料理って、ただ美味しいだけじゃないんだな。その土地の気候や生活に合わせて発達するものなんだ」


「その通りです」

イシスが微笑んだ。


「料理は文化そのものですものね」

アポピスが丁寧に料理を味わいながら言った。


「この複雑な味わい…まるで時を経て熟成された叡智のようです」


「詩的な表現ですね」

アセナが感心した。


「でも確かに、この香辛料の配合は代々受け継がれてきた叡智の結晶です」

ネフティスが感慨深そうに頷いた。


「文献で読む知識も大切ですが、こうして実際に味わってみると、その文化の深さがよく分かりますね」


文化の橋渡し

食事が進むにつれて、会話はますます弾んだ。お互いの国の文化について語り合い、共通点や違いを発見する喜びがテーブルを包んでいる。


「ヌビアでは、どんな音楽が親しまれているんですか?」

ハトホルが興味深そうに尋ねた。


「太鼓を中心とした、リズミカルな音楽が多いですね」

カヒナが答えた。


「特に祭りの時には、みんなで円になって踊りながら歌うんです」


「素敵!」

ハトホルの目が輝いた。

「ぜひ聞いてみたいわ。今度、文化交流会みたいなのを開けないかしら?」


「それは良いアイデアですね」

ケペトが手を叩いた。


「お互いの音楽や料理、星座の話なんかを紹介し合って」


「私も星座の比較研究ができそうです」

ホシが嬉しそうに言った。


「同じ星を見ていても、こんなに違う物語があるなんて驚きでした」

アセナが感動した様子で周りを見回した。


「本当に、ここは調和の場所ですね。初めて会ったのに、まるで昔からの友人のよう」


「それがケペト様の力なんです」

愛の精霊がくるくる回りながら言った。


「愛の調停者様は、どんな人とも心を通わせることができるんですよ!」


「愛ちゃん、そんな…」

ケペトが照れた。


「でも本当ですよ」

アケムが優しく微笑んだ。


「ケペトさんがいると、どんな人でも自然に打ち解けてしまう」


「きっと、皆さんがお優しいからですよ」

ケペトが謙遜すると、テーブル中から笑い声が上がった。


今夜の星空

夕食後、一行は神殿の屋上に上がった。夜空には満天の星が輝いている。


「あそこに見えるのが、私たちの言う『大河の守護者』です」

アセナが星空を指差した。


「なるほど、こちらの星座図だと…」

ホシが図面と夜空を見比べている。


「同じ星の並びでも、全く違う物語なんですね」


「でも、どちらも守ってくれる存在として描かれているのが面白いわね」

ネフティスが観察した。


「人は皆、空の星に希望や守護を求めるものなのかもしれませんね」

ケペトがしみじみと言った。

星空の下で、エジプトの神々とヌビアの人々が肩を並べて座っている光景は、まさに調和そのものだった。


「今夜は本当に素晴らしい夜でした」

カヒナが感慨深そうに言った。


「私たちも、とても楽しかったです」

ハトホルが微笑んだ。


「明日はもっといろんなことを教えてもらいたいな」


「ぜひとも」

アセナが頷いた。


「私たちも、まだまだここで学びたいことがたくさんありますから」

夜風が頬を撫でていく。異なる文化が出会い、新しい調和が生まれた特別な一日が、静かに更けていった。

そんな中、ケペトは心の奥で小さな予感を感じていた。この出会いが、きっと新しい何かの始まりになる。そんな期待に胸を躍らせながら、星空を見上げ続けた。


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