6章17話 永遠の瞬間
「愛は時と共に育つもの?」
クロノスが興味深そうにケペトを見つめる。
「面白いことを言うな」
「はい」
ケペトが微笑む。
「最初はそうじゃないと思っていました。でも、アケム君と付き合うようになって分かったんです」
「どんなことが?」
「愛って、一瞬一瞬を大切にすることなんです。その瞬間に時を止めるんじゃなくて、その瞬間を心に刻むこと」
クロノスの表情が柔らかくなった。
「続けてみろ」
「私、最初はアケム君といる時間が永遠に続けばいいって思ってました。でも、それは違ったんです」
愛の本質について
ケペトは神殿の中を見回しながら話し続けた。
「時が流れるから、愛も成長するんです。昨日より今日、今日より明日、少しずつ深くなっていく」
「ほう」
「もし時が止まったら、愛も止まってしまいます。それは本当の愛じゃないと思うんです」
クロノスは黙って聞いていた。
「クロノス様は、どうして愛を恐れるんですか?」
「恐れる?」
クロノスが眉をひそめる。
「はい。愛が時の流れを乱すからって、拒否していらっしゃるように見えます」
「私は…」
クロノスが言いよどむ。
「もしかして、クロノス様も昔、愛する人がいたんですか?」
クロノスの表情が大きく変わった。
「何故そんなことを…」
「だって、愛を知らない人が、愛を恐れるはずないから」
クロノスの過去
しばらくの沈黙の後、クロノスが重い口を開いた。
「昔…遠い昔の話だ」
「聞かせていただけますか?」
「私にも、愛する人がいた」
ケペトは静かに聞いていた。
「彼女の名前はクレイア。美しく、優しい女神だった」
「素敵なお名前ですね」
「ああ。私たちは愛し合い、永遠に一緒にいることを誓った」
「永遠に…」
「しかし」
クロノスの声が暗くなる。
「私は時の神だ。永遠を与えることはできても、自分が永遠を享受することはできない」
「それは…どういう意味ですか?」
「時の神は、時の外に存在しなければならない。時の流れを管理するために」
ケペトは理解した。
「つまり、クロノス様は愛する人と同じ時間を過ごせなかったんですね」
「そうだ」
クロノスが頷く。
「彼女は時の中を生き、私は時の外から見守るしかなかった」
別れの痛み
「クレイア様は…」
ケペトが優しく尋ねる。
「時と共に老い、やがて天に帰った。私は永遠に生きるが、彼女は有限の時を生きた」
「それは…辛かったでしょうね」
「ああ。あの時、私は初めて時を憎んだ。なぜ時は流れるのか、なぜ愛する人を奪っていくのかと」
クロノスの目に、遠い悲しみが浮かんだ。
「でも、それ以来、私は悟ったのだ。愛は時の敵だと」
「敵?」
「愛する者は皆、時を止めたがる。永遠を願う。しかし、それは時の流れを乱すのだ」
「でも」
ケペトが優しく言う。
「クレイア様との愛は、無駄だったんですか?」
「無駄?」
「はい。クロノス様は、その愛を後悔していらっしゃいますか?」
クロノスは考え込んだ。
「後悔は…していない」
「それなら、愛は時の敵じゃないと思います」
新しい視点
「どういうことだ?」
クロノスが興味深そうに聞く。
「愛は時の流れに意味を与えるものなんです」
ケペトが説明する。
「意味?」
「はい。何もなければ、時はただ過ぎていくだけです。でも、愛があると、一瞬一瞬が特別になります」
「特別に…」
「クロノス様がクレイア様と過ごした時間は、きっと特別だったでしょう?」
クロノスは静かに頷いた。
「ああ…あの時間は、確かに特別だった」
「それが愛の力です。時に価値を与える力」
ケペトは神殿の時計を見上げた。
「この時計たちは、全部違う時刻を指してますね」
「ああ。時の流れが乱れているからだ」
「でも、どの時計も美しいです」
「美しい?」
「はい。それぞれが違う瞬間を大切に刻んでいるから」
愛の精霊の登場
その時、神殿の窓から小さな光が飛び込んできた。
「ケペト様!」愛の精霊だった。
「どうしてここに?」
「心配になって…あ、こちらがクロノス様ですね」
愛の精霊がクロノスの前で小さくお辞儀をする。
「はじめまして。私、愛の精霊です」
「愛の精霊?」
クロノスが驚く。
「はい。元々は憎しみの精霊だったんですが、ケペト様の愛で変わったんです」
「憎しみが愛に?」
「はい。ケペト様は、憎しみの私も受け入れてくれました。それで愛を知ったんです」
クロノスは感心した。
「憎しみすら愛に変える…君は本当に愛の調停者だな」
「ところで」
愛の精霊が言う。
「外でみんなが心配してます」
「みんな?」
「はい。時の流れが乱れて、昨日から今日になったり、明日になったり大変です」
外の状況
神殿の外では、確かに混乱が続いていた。
アケムは心配で眠れずにいた。ケペトが神殿に入ってから、もう三日が経っていた。いや、時間が分からないので、三日かどうかも定かではない。
「ケペト、大丈夫かな…」
「きっと大丈夫よ」
イシスが励ます。
「あの子は強いもの」
「でも、時の神なんて…」
「信じましょう」
ラーが言う。
「ケペトの愛の力を」
その時、ハトホルが指差した。
「あ、神殿の時計が…」
見ると、神殿の時計の針が、ゆっくりと動き始めていた。
「動いてる…」
「ケペトちゃん、何かやってるのね」
心の扉
神殿の中では、クロノスがケペトに重要なことを打ち明けようとしていた。
「実は…」
クロノスが言う。
「私が時の流れを乱しているのには、もう一つ理由がある」
「もう一つ?」
「クレイアのことが、まだ忘れられないのだ」
「忘れられない?」
「ああ。時々、彼女ともう一度会いたくて、時を戻そうとしてしまう」
「時を戻す?」
「そうだ。彼女がいた時代に戻ろうと。しかし、それは禁忌だ。時の神が個人的な理由で時を操作することは」
ケペトは理解した。
「それで時の流れが乱れているんですね」
「ああ。私の心の迷いが、時空に影響を与えている」
愛の真実
「クロノス様」
ケペトが優しく言う。
「何だ?」
「クレイア様は、クロノス様に時を戻してほしいと思ってるでしょうか?」
「それは…」
「きっと思ってないと思います」
「何故だ?」
「だって、愛する人には幸せでいてほしいですから」
クロノスは驚いた。
「クレイア様が一番悲しむのは、クロノス様が自分のせいで苦しむことじゃないでしょうか」
「彼女が…悲しむ?」
「はい。愛する人の幸せを願うのが、愛ですから」
クロノスの目に涙が浮かんだ。
「私は…間違っていたのか」
「間違ってなんかないです」
ケペトが微笑む。
「ただ、愛の方向が少し違っていただけです」
愛の方向
「愛の方向?」
「はい。過去に向かう愛じゃなくて、未来に向かう愛」
「未来に?」
「クレイア様との愛の記憶を大切にしながら、その愛で今を生きるんです」
クロノスは考えた。
「今を生きる…」
「はい。クレイア様も、きっとそれを望んでいると思います」
「そうかもしれないな…」
その時、愛の精霊が割り込んだ。
「あの、私からも一つお話しがあります」
「何だ?」
「私、憎しみの精霊だった時、時間がとても嫌いでした」
「嫌い?」
「はい。時が過ぎると、憎しみも薄れてしまうから」
「それで?」
「でも、愛の精霊になって分かったんです。時が過ぎると、愛はもっと深くなるって」
クロノスは感心した。
「愛は時とともに深くなる…」
「はい。だから、時の流れは愛の味方なんです」
和解の始まり
クロノスは立ち上がった。
「君たちの言う通りかもしれない」
「クロノス様…」
「私は長い間、愛と時は対立するものだと思っていた。しかし、君たちの話を聞いて、考えが変わった」
「本当ですか?」
「ああ。愛は時を意味あるものにし、時は愛を深くする。そういうことなのかもしれない」
ケペトは嬉しくなった。
「それじゃあ、街の時の流れを元に戻していただけますか?」
「もちろんだ」
クロノスが微笑む。
「でも、その前に一つお願いがある」
「お願い?」
「君の愛の力を見せてほしい。本当の愛とは何かを、もう一度確認したいのだ」
愛の力の実演
「分かりました」
ケペトが頷く。
「でも、どうやって?」
「君の大切な人を思い浮かべてみろ」
ケペトはアケムのことを思った。
すると、神殿の中に温かい光が満ちた。
「これは…」
クロノスが驚く。
「愛の光です」
愛の精霊が説明する。
「こんなに温かい…」
光は次第に広がり、神殿全体を包んだ。
そして、不思議なことが起こった。
神殿の時計が、全て同じ時刻を指し始めたのだ。
「時計が…」
「愛の力で、時が調和している」
クロノスが感動する。
「これが、愛と時の本当の関係なのか」
光はさらに広がり、街全体に及んだ。
外では、バラバラだった時の流れが、ゆっくりと統一されていく。
「すごい…」
アケムが空を見上げる。
「時間が元に戻ってる」
イシスが驚く。
クロノスの決意
「素晴らしい」
クロノスが感嘆する。
「君の愛の力は、時を乱すのではなく、時を調和させるものだったのだな」
「はい」
ケペトが微笑む。
「そして、私が学んだこと」
クロノスが続ける。
「クレイアとの愛は、過去に置いておくものではなく、今を生きる力にするものだったのだ」
「そうです」
「ありがとう、ケペト」
クロノスが深々と頭を下げる。
「君のおかげで、愛の本当の意味を思い出すことができた」
「私も勉強になりました」
「これから私は、時の神として、愛を支える時の流れを作っていこう」
「支える?」
「そうだ。愛が育つための、美しい時の流れを」
街の復活
神殿から出ると、街は完全に元に戻っていた。
人々は喜びの声を上げ、正常な生活を取り戻していた。
「ケペト!」
アケムが駆け寄ってくる。
「アケム君」
二人は抱き合った。
「心配した…」
「ごめんなさい。でも、大切なことを学んだんです」
「大切なこと?」
「愛と時間は、敵じゃないってこと」
「よく分からないけど…」
アケムが笑う。
「でも、ケペトが無事で良かった」
その時、クロノスが現れた。
「皆さん、ご迷惑をおかけしました」
「クロノス様」みんなが驚く。
「今後は、時の流れを正常に保ちます。そして、皆さんの愛が育つお手伝いをさせていただきます」
「お手伝い?」
「はい。愛する者たちのために、美しい時間を作ってさしあげます」
新たな友情
「それじゃあ、クロノス様も私たちの仲間ですね」
ケペトが提案する。
「仲間?」
「はい。一緒に、愛と調和を広めていきませんか?」
クロノスは考えてから、微笑んだ。
「それも良いかもしれない」
「決まりですね」
ハトホルが手を叩く。
「今度は時の神様も仲間入りね」
「これで七柱の神と愛の調停者ね」
イシスが嬉しそうに言う。
「違うよ」
愛の精霊が訂正する。
「七柱と愛の調停者と愛の精霊だよ」
みんなが笑った。
感謝の宴
その夜、バビロンの人々が感謝の宴を開いてくれた。
「ケペト様、本当にありがとうございました」
サラが深々と頭を下げる。
「いえいえ、私は何も…」
「謙遜しないで」
ダニエルが言う。
「あなたのおかげで、私たちは時間を取り戻しました」
「それどころか」
別の人が続ける。
「愛することの素晴らしさも教えていただいた」
宴では、メソポタミアの音楽が演奏された。
「素敵な音楽ですね」
ハトホルが感心する。
「エジプトとは全然違う」
「音楽に国境はないのね」
イシスが微笑む。
クロノスも宴に参加していた。
「久しぶりに楽しい時間だ」
「時の神様も、楽しい時間を過ごすんですね」
ケペトが言う。
「ああ。君のおかげで、時間の素晴らしさを再発見した」
「良かったです」
帰路の準備
翌日、テーベに帰る準備をしていると、クロノスが提案した。
「私が時の通路を作ってさしあげよう」
「時の通路?」
「はい。一瞬でテーベに帰れます」
「本当ですか?」
「ええ。お礼です」
「でも」
アポピスが口を挟む。
「空の旅も悪くないぞ」
「そうですね」
ケペトが考える。
「せっかくだから、ゆっくり帰りませんか?」
「ゆっくり?」
「はい。途中で色んな場所を見ながら」
みんなが同意した。
「それも良いですね」
ラーが頷く。
「旅の時間も大切にしましょう」
クロノスが微笑む。
「君たちらしい選択だ」
こうして、一行はアポピスの背中に乗って、ゆっくりとテーベへの帰路についた。
途中で美しい夕日を見たり、雲の合間から星を眺めたり。
時間を急がず、一瞬一瞬を大切にしながら。
それが、愛と時間の新しい関係なのだということを、みんなが理解していた。