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5章14話 混沌の友情


ポピスの黒い涙を見て、ケペトは何かが変わったことを感じていた。恐ろしいと思っていた混沌の龍が、今はとても孤独で寂しい存在に見えた。


「アポピス様」

ケペトが優しく声をかける。


「様?」

アポピスが困惑する。


「誰も私をそう呼んだことはない」


「でも、あなたも大切な神々の一人です。敬意を払うのは当然です」

その時、他の神々が慌ててケペトを止めようとした。


「ケペト、危険よ」

ラーが警告する。


「でも」

ケペトは首を振る。


「アポピス様は、もう混沌をまき散らしていません」

確かに、周りの混沌の力は静まっていた。花も咲き直し、小鳥たちも戻ってきている。


アポピスの困惑

「私には…よく分からない」

アポピスが巨大な体を小さく縮めた。

「今まで、私は恐れられ、憎まれる存在だった。それが当然だと思っていた」

体が縮むにつれて、より人間に近い姿になっていく。最終的に、黒い髪の青年の姿になった。ただし、目だけは赤いままだった。


「わあ、人間の姿になれるんですね」

ケペトが感心する。


「必要に応じて、な」

アポピスが戸惑いながら答える。


「だが、この姿になったのは久しぶりだ」


「どのくらい久しぶりですか?」


「千年…いや、もっとか」


「それは孤独でしたね」

アポピスは驚いた。

同情されたことも、孤独を理解されたことも初めてだった。


「君は本当に変わった少女だな」


「変わってますか?」

ケペトが首をかしげる。


「ああ。普通なら、私を見ただけで逃げ出すものだ」


神々たちの反応

「あの」

ハトホルが恐る恐る口を開く。


「アポピス様は…怒っていないんですか?」


「怒る?」

アポピスが振り返る。


「何に?」


「その、私たちが…調和を作ったことに」

アポピスは少し考えてから答えた。


「最初は興味があっただけだ。この辺りから、今まで感じたことのない調和の力を感じたからな」


「興味?」


「ああ。私は破壊と混沌の神だが、創造にも興味がある。破壊の後には必ず何かが生まれるからだ」

セトが前に出た。


「つまり、俺たちを潰しに来たわけじゃないのか?」


「潰す?」

アポピスが苦笑いする。


「セト、君は相変わらず直接的だな」


「知り合いなんですか?」

ケペトが驚く。


「昔、戦ったことがある」

セトが答える。


「でも、それは仕事だった」


「仕事?」


「混沌が強くなりすぎたとき、バランスを取るために戦う。それが我々の役割だった」


「でも、今日は違う」

アポピスが言う。


「今日は、本当の調和というものを見せてもらった」


調和会への参加

「あの」

ケペトが提案した。


「もしよろしければ、アポピス様も心の調和会に参加してみませんか?」

みんなが驚いた。


「ケペト、それは…」

イシスが心配そうに言う。


「でも、きっと面白いと思います。アポピス様の音楽、聞いてみたいです」


「私の音楽?」

アポピスが困惑する。


「はい。きっと、今まで誰も聞いたことのないような音楽だと思います」

アポピスは悩んだ。

人間たちと一緒に音楽をするなんて、考えたこともなかった。


「でも、私がそんなことをしたら、人間たちは怖がるのではないか?」


「大丈夫です」

ケペトが微笑む。


「私がちゃんと説明します」


「説明?」


「アポピス様がどんなに優しい方か、みんなに伝えます」


「優しい…」

アポピスが呟く。


「誰もそんな風に言ってくれたことはない」


街の人々への説明

次の調和会の日、いつものように人々が集まってきた。でも、今日は特別ゲストがいることを事前に伝えてあった。


「皆さん、今日は特別なお客様をお迎えしています」ケペトが説明する。


「どんな方ですか?」

ミラが興味深そうに聞く。


「アポピス様という神様です」

会場がざわめいた。


アポピスの名前を知っている人もいた。


「アポピス?混沌の神の?」


「怖い神様じゃ…」


「大丈夫です」

ケペトが手を上げる。


「アポピス様はとても優しい方です。ただ、今まで誤解されていただけなんです」

そこにアポピスが現れた。人間の姿とはいえ、その存在感は圧倒的だった。

最初、人々は身を寄せ合って怖がっていた。


「皆さん」

アポピスが静かに話し始める。


「私がアポピスです」

声は低いが、優しさが込められていた。


「今まで、私は恐れられる存在でした。それが当然だと思っていました。でも、ケペト神官に、別の可能性があることを教えてもらいました」


「別の可能性?」


「破壊と創造、混沌と秩序は、対立するものではなく、補い合うものだということです」

人々が静かに聞いている。


「今日は、皆さんと一緒に音楽を作らせていただけないでしょうか。私なりの音楽を」


最初の演奏

「それでは、いつものように歌から始めましょう」

ハトホルが提案する。

最初は緊張していた人々も、歌い始めると自然体になってきた。

アポピスは黙って聞いていた。人間の歌声を、こんなに間近で聞くのは初めてだった。


「温かい」

アポピスが小さくつぶやく。


「え?」

隣にいたケペトが聞く。


「人間の歌声は、こんなに温かいのか」


「そうですね。心が込められているからでしょうね」

楽器の演奏が始まった。


「アポピス様も、何か楽器は?」

ケペトが聞く。


「楽器…」

アポピスが考える。


「私は雷を楽器にしていたが、それでは人間たちが怖がるだろう」


「雷?」


「そうだ。雷鳴を太鼓のように、稲妻を弦楽器のように」


「すごいですね。でも、確かに怖いかも」

その時、アケムが近づいてきた。


「アポピス様、もしよろしければ、これをお使いください」

差し出したのは、大きな太鼓だった。


「太鼓?」


「はい。雷の代わりに」

アポピスは太鼓を受け取った。


「ありがとう。やってみよう」


アポピスの音楽

アポピスが太鼓を叩き始めた。

最初はおそるおそるだったが、だんだんと本格的になってきた。

その音は確かに雷を思わせる力強さがあったが、恐ろしさはなかった。

むしろ、大地を目覚めさせるような、生命力にあふれた音だった。


「すごい…」


「迫力がある」

人々が感嘆の声を上げる。

他の楽器も、アポピスのリズムに合わせて演奏し始めた。


すると、不思議なことが起こった。

今まで聞いたことのない、新しい音楽が生まれたのだ。

秩序と混沌が絶妙に調和した音楽。

美しさの中に力強さがあり、力強さの中に優しさがある音楽。


感動の瞬間

演奏が進むにつれて、人々の中からすすり泣きが聞こえてきた。


「どうして泣いているんですか?」

ケペトがミラに聞く。


「分からない」

ミラが涙を拭く。


「でも、心の奥が震えて…」


「私も」

他の人も同じような反応を示していた。


「懐かしいような、初めて聞いたような…」


「何か大切なことを思い出したような」

ケペトは理解した。これは魂の音楽だった。

人間の魂の奥底にある、原始的な感情に響く音楽。

喜びも悲しみも、愛も恐れも、すべてを包み込む音楽。


「アポピス様」

ケペトが感動で震える声で言う。


「ん?」


「あなたの音楽は、魂の音楽です」


「魂の音楽?」


「はい。人の心の一番深いところに響く音楽です」


新しい理解

演奏が終わると、会場は静寂に包まれた。

そして、一人の老人が立ち上がった。


「ありがとうございました」

深々と頭を下げる。


「何に対して?」

アポピスが困惑する。


「私は長い間、人生に迷っていました。でも、今日の音楽を聞いて、分かったような気がします」


「何が?」


「人生には、美しいことも辛いことも、両方ある。でも、それ全てが大切だということ」

アポピスは感動した。自分の音楽が、人を救ったのだ。


「私も」

別の人が立ち上がる。


「最近、娘と喧嘩して悩んでいました。でも、対立も愛の一つの形だと分かりました」

次々と人々が感想を述べる。

みんな、アポピスの音楽に深く感動していた。


友情の芽生え

調和会が終わった後、神殿でお疲れ様会をした。アポピスも参加していた。


「今日は本当にありがとうございました」

ケペトがアポピスに言う。


「こちらこそ。久しぶりに…いや、初めて楽しい時間を過ごした」


「楽しかったですか?」


「ああ。人間と一緒に音楽を作るなんて、夢にも思わなかった」


「それでは、また参加してくださいますか?」

アポピスは少し考えてから頷いた。


「もし、皆さんが良ければ」


「もちろんです!」

ハトホルが元気よく答える。


「あなたの音楽、とても素晴らしかったです」


「私も感動しました」

イシスが微笑む。


「俺も認める」

セトがぶっきらぼうに言う。


「お前の音楽は本物だ」

アポピスの目に、また涙が浮かんだ。


「ありがとう…皆さん」


新しい仲間

「それじゃあ、アポピス様も私たちの仲間ですね」

ケペトが嬉しそうに言う。


「仲間?」

「はい。一緒に音楽を楽しむ仲間です」


「仲間か…」

アポピスが小さく笑う。


「悪くないな」


「決まりね」

ラーが微笑む。


「これからは七柱の神々と人間の調和会ね」


「七柱?」


「ラー、イシス、ハトホル、ネフティス、セト、そして私」

ケペトが指折り数える。


「あ、違った。私は神じゃないから、六柱の神々と人間の調和会ですね」


「いや」

アポピスが首を振る。


「君は神以上の存在だ。愛の調停者として」


「そうね」

イシスが同意する。


「ケペトは特別よ」

ケペトは赤くなった。


「そんな大げさな…」


「大げさじゃないよ」

アケムが言う。


「ケペトのおかげで、みんなが幸せになってる」


日常の変化

それから数日、アポピスも神殿の日常に加わった。

最初は戸惑うことも多かった。


「アポピス、その花に水をやりすぎよ」

イシスが注意する。


「すまない。力加減が分からなくて」


「でも、愛情を込めてくれてるのは分かります」

ケペトが笑う。


「愛情?」


「はい。一生懸命お世話してくれてますもの」

アポピスは照れくさそうに頭を掻いた。


料理の時間では、

「アポピス様、火が強すぎます」

イシスが慌てる。


「あ、すまない」

慌てて火を弱める。


「でも、火おこしは上手ですね」

ケペトが感心する。


「これくらいは得意だ」


「頼りになります」

少しずつ、アポピスは神殿の生活に馴染んでいった。


街の人々の反応

街の人々も、最初は戸惑っていたが、だんだんとアポピスを受け入れるようになった。


「アポピス様、おはようございます」


「おはよう」


「今日の調和会、楽しみにしています」


「ありがとう。私も楽しみだ」

市場で買い物をするときも、


「アポピス様、これおいしいですよ」

店主が勧める。


「そうか。では、それをもらおう」


「ありがとうございます」

普通の会話だが、アポピスには新鮮だった。

恐れられることなく、普通に接してもらえる。


「ケペト」

アポピスがある日言った。


「はい?」

「君のおかげで、私は新しい世界を知ることができた」


「新しい世界?」


「愛される世界だ」

ケペトは微笑んだ。


「みんなが、アポピス様の優しさに気づいただけです」


「優しさか…」


「はい。最初から、アポピス様は優しい方でした」


アケムとの関係進展

そんなある日、アケムがケペトに相談があると言った。


「実は、両親にケペトのことを話そうと思うんです」


「ご両親に?」


「はい。正式に、お付き合いしていることを」

ケペトは緊張した。


「大丈夫でしょうか…」


「大丈夫です。両親はケペトのことを知っています。音の調和祭のことも聞いて、とても感心していました」


「そうなんですか」


「はい。『そんな素晴らしい方とお付き合いできるなんて、アケムは幸せ者だ』って」

ケペトは赤くなった。


「私の方こそ、幸せです」


「それじゃあ、今度一緒に実家に行きませんか?」


「はい、ぜひ」

二人の関係も、着実に深まっていた。


新たな発見

ある日、アポピスが興味深いことを言った。


「ケペト、君の力について、気づいたことがある」


「私の力について?」


「ああ。君の力は、単なる調和の力ではない」


「違うんですか?」


「君の力は、愛を伝染させる力だ」


「愛を伝染?」


「そうだ。君と接した人は、必ず愛について学ぶ。私もその一人だ」

ケペトは考えた。

確かに、自分と関わった人たちは、みんな優しくなっているかもしれない。


「それは…良いことなんでしょうか」


「もちろんだ」

アポピスが微笑む。


「愛ほど美しいものはない」


「アポピス様…」


「私は君に出会えて、本当に良かった。愛というものを教えてもらった」

その時、空に虹がかかった。

美しい七色の虹。


「あ、虹です」

ケペトが指さす。


「綺麗だな」

アポピスが見上げる。


「はい」

二人は並んで虹を見上げた。

混沌の神と愛の調停者。

正反対の存在が、今は親友として並んでいる。


「ケペト」


「はい?」


「君と友達になれて、幸せだ」


「私もです、アポピス様」

虹の下で、新しい友情が深まっていく。

そして、この友情が、やがて大きな力となることを、二人はまだ知らなかった。



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