二人だけの世界が、揺らいだ瞬間
四日目の夜は、もう何もかもどうでもよくなっていた。
窓の外では、昼間から降り続く雨が、屋敷の重たい石壁をしとしとと叩いている。
外の世界が遠ざかり、この部屋だけが時を止めた小さな箱庭のように感じられた。
ここには、私と彼だけ――それだけで世界は満たされていた。
胸の奥に巣食っていた不安や疑念は、湿った空気の中でふわりと溶けて消えていく。
――騙されているかもしれない。利用されているのかもしれない。
そんな小さな声がかすかに囁いたけれど、もう構わなかった。
だって、彼の瞳がこんなにも熱くて。
吸い込まれそうなほど真っ直ぐで、私だけを閉じ込めるみたいで。
その視線を浴びるだけで、心の奥まで甘く支配されていく。
そう、私は彼を愛している。
たとえこれが伯爵の計画通りであってもかまわない。
彼の言葉がもし演技だとしても――今この瞬間は本物に思えるから。
彼の指先がそっと私の髪に触れた。
それだけで胸がきゅっと縮むように痺れる。
もう、他には何もいらなかった。
この閉ざされた世界で、彼と二人だけでいられるなら――それでいい。
熱を帯びた瞳を見つめ返しながら、私はゆっくりと彼の唇に自分の唇を重ねようと顔を近づける。
その瞬間――
――バンッ!
重厚な扉が、嵐のような勢いで開いた。
湿った夜の空気が流れ込み、蝋燭の炎が大きく揺らぐ。
心臓が跳ね、時が止まる。
「……ソフィア……!」
胸の奥に眠っていた何かが、音を立てて目を覚ます。
忘れていたはずのその声――
懐かしさと、胸をぎゅっと締めつける切なさが同時に込み上げた。
思わず体がびくりと強張る。
けれど、すぐそばの温もり――赤い瞳の彼の腕の中が、優しくその震えを包み込む。
彼はまだ熱を宿した瞳で、私だけを見つめていた。
ほんの数秒前まで、世界は二人きりで完璧に閉じていたのに。
今、開いた扉の向こうから押し寄せる現実が、甘い夢を切り裂こうとしている。
――誰?
――どうして今?
問いが喉まで込み上げても、声にはならなかった。
胸がきゅうっと締め付けられ、息が詰まる。
手のひらは冷たく、でも抱かれた体は熱い。
心の奥で、遠い私が目を覚まし始めるのを感じた。
扉の向こう、揺れる影が一歩、また一歩と近づくたび――
さっきまで甘く満ちていた空気が、まるで恋心ごとひび割れていくようだった。




