第二十九話 誉田合戦
後藤隊の全員が討ち死んでから一刻(三十分)後、先鋒軍の残りの薄田兼相隊、明石全登隊ら三千七百余が道明寺付近までに到着したが、小松山を占拠した徳川方を見て、後藤隊が壊滅したことを知った。
(何と! 基次殿……。間に合わなんだとは……)
基次以外の先鋒を賜った後続は、昨夜半から発生した濃霧に進む道を迷い、到着に今まで掛かってしまったのだ。その間に基次隊が全滅していた。
大坂冬の陣では博労ヶ淵砦の守将でありながら役に立たなかった薄田兼相は、再度の失態に己が責任を痛感した。
「兼相様。逃れてきた後藤隊の負傷者を発見いたしました! 後藤様より、大坂城へ引き上げるように――と下知を賜ったとのことにございまする」
「分かった。何人か護衛を付けて、大坂城に送ってやれ」
「御意!」
「これより、徳川方に攻撃を掛ける!! 続けぇっ!!」
「ははぁっ!!」
抜刀した兼相は配下にそう下知し、馬を駆った。もっとも、薄田隊も千五百ほどの寡兵であった。策を弄するでもなく、ただ闇雲に討ち掛かったために徳川方から四方八方に攻め立てられ、あえなく兼相も討ち死に。薄田隊もやはり壊滅した。
続いた明石全登隊二千余も崩れ、全登は残った兵を纏め撤退すると決めた。
濃霧で道に迷って、到着した時刻が区区であったせいでもあるが、結果として、豊臣方は戦力の逐次投入をしてしまい、数倍の敵に個々に殲滅された。戦い方としては下策を打ってしまったのである。
撤退を開始した明石隊は、後詰としてやって来た毛利隊、真田隊の合わせて一万二千余と合流。誉田村付近へと布陣した。
そこへ、明石隊を追いかけて来た徳川方と睨み合う形となった。やがて、しびれを切らした伊達勢の家臣、片倉重長(伊達家の重臣、片倉景綱の嫡男)が、真田勢の挑発に乗って攻撃を開始し、戦闘が始まった。
「敵は退いたぞ! 追えぃ!!」
真田隊に誘引された片倉勢は突出した形となり、真田隊と鉄砲を撃ち合って応戦する。さらに、信繁は巧妙に片倉隊を引き込み、敵陣深くに侵入した先頭を攻撃。崩れた片倉隊を追い討ち、その勢いのままに伊達勢を石川沿いまで押し返した。
「ええい……、退け! 退けっ!!」
自軍の損耗を嫌った政宗が後退を指示、態勢を立て直しているうちに、真田隊は引き上げ、誉田村の西、藤井寺村のあたりまで後退して、待機していた毛利勢と合流。徳川方と豊臣方は睨み合う形で、戦線は膠着した。
その豊臣方の陣へ、八尾と若江での戦いで豊臣方が相次いで敗戦した――との報が届く。信繁を始め、豊臣方の諸将が集まって進退を協議中に、撤退命令が大坂城より届き、即時撤退と決まった。
「殿は某が引き受け申す」
信繁が殿軍を務め、豊臣方は大坂城へと撤退していった。
徳川方、大和路方面軍の先鋒大将であった水野勝成は追撃すべきと主張するも、政宗以下、諸将が戦いでの兵の疲弊を理由に拒否。勇猛でなる勝成は撤退する敵を討ち取りたがったが、とうとう追撃は叶わなかった。




