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1.傷跡

 

「あなたなんか、だいっきらいよ!」


 涙を溜めた黒い髪の少女が、自身の頬に手を当てながら鱗を持つ少年に叫んだ。

 少女の頬からはどくどくと血が溢れている。

 それを見るだけで大変な事をしてしまったと鱗の少年は青褪めた。



 少女の名前はヴィオラ、少年の名前はジャサント。

 少女は人間で、少年は竜人だった。

 まだ人間に馴染めない少年ジャサントは、力加減を過ってヴィオラの頬を爪で引っ掻いてしまった。


「ごめんなさい……」

「うわああああん、いたいよぉ!」


 泣きじゃくるヴィオラをなんとか宥めようとするジャサントは、再び怪我をさせないように触れられずオロオロするばかり。

 ヴィオラの泣き声を聞いて駆け付けた使用人に弾き飛ばされても立ち上がれず、彼女が運ばれていくのをただ呆然と見守るだけだった。



「お前とヴィオラ嬢の婚約が整った」


 後日、告げられた言葉にジャサントは頷いた。


「頬の傷は思った以上に深く痕が残るそうだ。……だから」

「大丈夫です、父上」


 無表情で呟く息子に、父は複雑な思いを抱いた。

 ジャサントの父は竜人だ。母は人間で父とは番契約を結んでいる。

 二人は出会った瞬間惹かれ合い結ばれた、いわゆる運命の番だった。

 竜人にとって至上の幸福を得られる運命の番を探すのはその血に刻まれた本能であり、自然な事だった。とはいえ竜人自体の数が減り、番を感知できない人間が増えたとなれば一生のうち会えない可能性もあるというから、運命の番に出会えたその確率は奇跡とも言えるだろう。


 竜人の血を引くジャサントも、この世界のどこかに番がいるだろう。

 だが、ヴィオラとの婚約が整った以上番を探すことは禁忌とされる。


 ヴィオラは伯爵家の貴族令嬢だった。

 ジャサントも獣人貴族で位は侯爵家。

 人間の貴族より、獣人貴族は幾分位が低くなる。

 ヴィオラの両親も断腸の思いでの婚約だった。

 だから万が一番に出会い婚約破棄でもしようものなら莫大な慰謝料が請求されるだろう。


 ヴィオラが番であればこれを機に、とめでたくおさまるが生憎ジャサントの番はヴィオラではないようだ。

 しかもこの婚約はヴィオラをキズモノにした責任からのもので、もしも番に出会いそちらをとったなら、慰謝料だけでなくヴィオラの家、その周りから社会的に抹殺されかねないだろうことは幼いながらも感じていた。


「すまない」

「それより、ヴィオラ嬢に謝りたいのですが」


 淡々とした息子に父は戸惑い、ゆるく首を振った。


「近いうちに顔合わせはするが、今は放っておいてほしいそうだ。家からは謝罪は入れたよ」

「……そうですか。くれぐれもよろしくお願いします」


 頭を下げてジャサントは退室する。

 その様子に父親はため息を吐いた。


 竜人の血を引くがゆえ息子が運命の番を諦めなければならない事に憂えた。

 己が運命の番に出会い、至上の幸福を得たからなおさらだ。子どもたちには婚約者など作らず、存分に番探しをしてほしかった。

 だから、傷を負わせた責任を取る形での婚約に納得はいっていない。

 とはいえ起こってしまったものは仕方がない。

 ジャサントは淡々としながらも受け入れた。

 婚約が整えばあとは番に出会わない事を祈るのみ。


 パートナーが決まったあとに運命の番に出会うほど悲惨なものはない。



 ◇◇◇



「はじめまして、ヴィオラ嬢。僕の名前はジャサントです。まずは傷付けてしまったことを謝らせてください」


 婚約を整えるための顔合わせで、俯くヴィオラにジャサントは話しかけた。

 自分に傷を負わせた男を憎々しげに見る様はこの婚約が不本意であると言っている。

 恋も知らぬうちからキズモノにされ、その責任をとる形で成り立つ婚約者。

 ヴィオラとて恋とはなにか、と分からぬうちでも将来は素敵な王子様がと夢見ないわけではない。

 それがこんな竜人と、なんて夢にも思っていなかった。

 状況に追いつけないヴィオラの態度は頑なで、親同士の話し合いで婚約が成立してもにこりとも笑えない。


「ヴィオラ、ジャサント君を庭に案内してあげなさい」


 一言も話そうとしないヴィオラを見かねた母親が、そっと声をかけた。

 それでもヴィオラは膝の上で手をぎゅっと握り締めたまま動こうとしない。

 絶対に許さない、動くものか、と体全体で拒絶を表した。


「ヴィオラ嬢」


 ぴくりとヴィオラの肩が揺れる。椅子から立とうとしない彼女の前に跪き、見上げるジャサントと目が合い、唇を真一文字に引き結ぶ。


「ごめんなさい。傷を付けてしまって、痛い思いをさせてしまいました」


 ヴィオラの頬には未だ傷跡を覆う布が貼られている。それを醜いと言われるのでは、と外出もままならない。それもあってストレスが溜まり鬱屈した気持ちの持って行き場が分からず態度に出てしまうのだ。

 だから当たり前のことを言う目の前の男がどこか苛立たしく、ヴィオラは小さな手で頬を張った。


「痛いわ」

「……申し訳ありません」

「痛いけど、泣いたら滲みてもっと痛いから泣けないわ」

「すみません」

「あなたのせいで、私は……恋すらできない」

「……ごめんなさい……」


 頭を下げたまま、ジャサントはヴィオラに謝罪の言葉を口にした。

 さらさらの銀の髪が訳もなく苛立たせ、奥底でぐちゃぐちゃな気持ちはジャサントへ芽生えていた好意を捻じ曲げる。


 傷付けられる前は、楽しい思い出になっていたのに。


「あなたなんか」


 意識せずとも目頭に雫が溜まっていく。


「だいきらいよ……」


 言ったあとで、ヴィオラの胸が軋んで痛んだ。


「……うん、……ごめんなさい……」


 ジャサントはぎゅっと拳を握り締めた。


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