32年の経験値を持った5歳
高熱にさらされた三日三晩で前世の記憶を取り戻し、目覚めたその3日後、わたしは5歳の誕生日を迎えた。
成人女性の記憶を片隅に持ちながら、5歳を祝われる。
ティーン・エイジャー時代ですら懐かしいのに、一桁の年齢のお祝いなんて…。
何年ぶりだ?
もしあのまま生きていたら32歳だから、27年ぶり2度目?
なんとも言えない不思議な感覚だった。
わたしにアメリアの年齢の子どもがいてもおかしくないのだから、もはや娘の誕生日だわ。
紛れもなく自分自身のバースデーだけど。
毎年このスペンサー伯爵家では、子どもたちの誕生日は大勢を招いてパーティーを開く。
それが大人にとっては社交の場となり、社交界デビュー前の年頃の子どもにとってはいろんな慣習やマナーを知る良い機会となっている。
本来なら、例年通りお屋敷中が祝福ムードやプレゼントで溢れかえるはずだった。
しかし、さすがに今回は病み上がりということで、当日に予定されていた誕生パーティーは2週間延期となり、わたしはしばらく自室での静養を言い渡された。
ぽつん、と広い空間にひとり置かれている。
大の大人にあてがわれたとしても、ここは随分と大きな部屋だ。
天蓋付きのベッドに、大きな机に、いわゆるウォークイン・クローゼットみたいな衣類の仕舞われたスペースがあるのに、それでも客人をもてなすスペース(お茶や食事も数人なら問題なく楽しめる)と身だしなみを整えるドレッサーコーナーがある。
これまで、こうなってしまう前に、夫と二人で暮らしていた1LDKよりも、ずっとずっと広い。
ああ、あの部屋、本当に庶民的な広さだったのね…。
改めて認識するけども、アメリアはかなりのお嬢様なんだわ。
なんせ、幼少から面倒を見るわたし付きのメイドが既に存在している。
そんな贅沢な暮らしをできる環境がある家柄であることも、ちゃんとわかる。
熱が引いて落ち着く頃には、両親だけでなく、兄弟も代わる代わるお見舞いに来てくれた。
兄弟に関しては、ほとんど会話なく花だけをメイドが受け取る形だったけど。
今の、アメリアとしての記憶もちゃんとあるため、両親のことも、兄弟のことも、屋敷の人間のことも、誰が誰だかは認識できている。
でも、あくまで彼らにとっての「わたし」は「アメリア」だ。
彼らの中に「わたし」を本当には、知っている人間などいないのだ。
「わたし」の家族も、友だちも、ここにはいない。
がんばって取得した資格も、それなりに頑張って積み上げたキャリアも、ここにはない。
何より、ここには、大好きな夫がいない。
これが転生ならば、わたしは死んだということだし、それまで一緒にいたはずの夫も死んだことになる。
ふたりともが死んで生まれ変わったというわけじゃないのだろうか?
どうやら「わたし」ただひとりだけが「アメリア」として、この世界にいる。
夫は?
夫はどこにいるの?
どんな世界線でも良かった。
生まれ変わりだったとしても、夫がいるなら、夫さえいるなら、何に生まれ変わっても何でも良かった。
しかし愛する夫はここにはいない。
いないのだ。
アメリア・スペンサーがどんなに多くの人に囲まれて愛されていようと、「わたし」を愛してくれる人はどこにいるんだろう?
「わたし」はひとりぼっちじゃないか。
そんなことって、ない。
32歳の意識を持っているとはいえ、子どもの体だ。
受け止めきれない、処理しきれない悲しみに涙が溢れてくる。
「うっ…ううっ…」
嗚咽も止まらない。
泣きじゃくる声を抑えられない。
「ううぅっ、ううっ…ひぃっく」
止めることができない。
どんどん大きくなる泣き声に、部屋の外に控えていたメイドと執事が何事かと慌てて飛び込んできた。
「アメリアお嬢様っ!」
「どうなさいましたか、お嬢様!?」
「わあぁぁ!うわぁぁぁぁぁ!あぁぁぁぁぁ!」
目が溶けるのではないかというくらい、涙は止めどなく流れた。
拭うことも顔を覆うこともせず、わたしは、ただただ泣き叫んだ。
まるで赤ん坊が癇癪を起こしたかのような、感情にストップをかけない泣き方だ。
大人だったら、32歳のままだったら、きっとこんなふうに悲しむことはできなかっただろう。
でも今は5歳の少女なのだ。
わたしは、紛れもなく、5歳を迎えたばかりのアメリア・スペンサーその人なのだ。
記憶が戻ってからこっち、意識と身体がまだバラバラなままで、アメリアと「わたし」はそのバランスをとろうとしている感覚がずっと続いている。
「お辛いのですか?どこか痛いのですか?」
メイドのソフィーがあたふたしながら頭を撫でたり、背中をさすったりしてくれる。
普段、父の傍にいることが多いセバスチャンも、珍しくわたしに付いていてくれている。
世界が変わっても、大人が子供にしてやれる精一杯の寄り添いを感じながら、しかし、それがどうしようもない喪失感を増長させ、わたしはますます泣き喚いてしまった。
心が痛くて仕方ないの。
本当はそう叫びたかった。
夫に会いたい。
夫とまた一緒に暮らしたい。
新婚旅行だってやっと行けたところだったのに。
ふたりで子どもをつくる話だってこれからだったのに。
どうして?
わたしが教会に行きたいなんて言わなければこんなことにならなかった?
わたしだけが死んだの?
それとも一緒に死んだの?
夫だけが残されていたとしたら。
一緒に死んだとしても、事故か何かで痛い思いをしたとしたら。
悲しい。苦しい。
なぜ前世のまま愛を証明させてくれなかったの。
なぜ一緒に過ごさせてくれなかったの。
なぜ今わたしはひとりなの。
言葉にならず、ただ声を上げて泣き続けた。
傍らのソフィーにすがりついたけれど、いろんな気持ちがこみ上げてくるばかりで、気持ちの処理が追いつかないこの体ではどうにかなりそうだった。
前世でも経験したことのない感情の渦だった。
ややもすれば意識が飛びそうな、どうにかなりそうな喪失感と悲しみ、絶望感。
このまま泣き続けてしまえば、これもまた夢オチで、目覚めれば夫が隣にいるんじゃないかと願った。
嗚咽も抑えられない。苦しい。
「わぁぁぁぁぁ…あぁぁぁ…うう、うううっ…」
子どもってこんなに泣くの下手なんだろうか。
過呼吸になるかと思うくらい嗚咽していたところ、メイドも同じことを危惧したのだろう。
背中をとん、とん、と優しく擦ってくれた。
そのリズムに合わせて乱れた呼吸を整えていたら、だんだん、しゃくりあげていた喉も落ち着いた。
息苦しさから解放されると、不思議と、涙が引っ込み始める。
涙が引っ込むと、視界も思考もクリアになるような感覚があった。
「大丈夫、大丈夫ですよ、お嬢様」
「ううっ…、うっ…」
「大丈夫…エマ様は大丈夫…」
「うう…」
頭の上から優しい声が降りかかる。
どこか懐かしい、安心する声。
小さい子にかける声。
ずっと昔、死ぬ前の世界でまだ幼かった時分、お母さんにそうやってあやされたことを思い出す。
「大丈夫ですよ…、何があっても、大丈夫ですからね」
大丈夫。
その言葉にまた少しだけ泣きそうになる。
けれども、さっきまでとは違う涙だ。
ふう、と深呼吸してみると、乱れた呼吸は整い、すっかり調子を取り戻すことができた。
「────ありがとう、ソフィー」
「落ち着きましたか? エマお嬢様」
「うん、びっくりさせてごめんなさい、ソフィー…、セバスチャンも」
心配してくれたふたりにお礼を言いながら、わたしは差し出されたティッシュで思いっきり鼻をかんだ。
そのレディーらしからぬ振る舞いに、ソフィーもセバスチャンもぎょっとして何かを言おうとしたが、病み上がりの令嬢が大泣きした後なので見逃してくれた。
「ありがとう。もう大丈夫!」
にっこり笑うとソフィーとセバスチャンはまたも驚いた顔で互いに見合った。
が、すぐに安堵の表情を見せ、
「いつでも呼んでくださいね」
と、また、扉の外へ控えて行った。
大丈夫。
うん、自分で口にしたら、本当に大丈夫な気がしてきた。
わたしはただの5才児じゃない。
由緒あるスペンサー家の令嬢、そして、32年の経験値つきだ。
曲がりなりにも大学を出て就職して転職もキャリアアップも経験した。
恋愛も結婚もして社会の荒波だってかいくぐってきた。
RPGならチート的な強さだ。
悲しみに暮れてメソメソ泣くのはこれが最後よ。
ちゃんと見てろ、「神さま的な何か」!
わたしの長所は切り替えが早いことなんだから!
ずっと見ていると言ったあいつ、神さま(的な何か)に向かって、心の中でそう叫んだ。
アメリア・スペンサーとして、この世界で夫を探す。
それが愛の証明になるのなら、夫を見つけて、神さま(的な何か)に一発お見舞いくれてやる。
「32歳の人生経験なめるなよ!」と、今度は、声に出してつぶやいた。