錯乱した女が銃を乱射して
夏場、気温が上がった際にゴキブリが飛んでくることがある。当たるとその体の大きさや重さからは意外なほど、それなりの衝撃があるが、それ以上に精神的にくるものがある。片手で数えられる程度の数でさえ、そうである。
慣れないもの、不衛生なイメージのあるものが視界を遮るほど大量に押し寄せる状況は、虫に苦手意識のあるものをパニックに陥れるには十分な威力があった。
「いやアぁぁ!」
一人の女性戦闘員が、小銃を乱射しだす。蓮華も、慌てて防弾シートをかぶり地面に伏せた。
「落ち着いて!」
「やめて!」
膨大な量の虫が、そうしてじっとしている蓮華の体にも這い上がってきていた。這いまわる足音、羽音が不快な聴覚刺激として意識される。虫の上に虫が重なり、視界はおろか、呼吸も圧迫されるような苦しさを感じた。
(どうすれば……?)
防弾シートにくるまり地面に伏せてはいる……が、地面と体のすき間から入り込んでくる虫もいる。襟元から首のなか、服のなかに入り込んでくる虫の感触にも、蓮華は息を止めるようにして、必死で耐えた。
(うっ、……臭っ!)
カメムシの臭いにも似た悪臭が鼻の粘膜にを突き刺すようだった。わずかに露出した肌の部分に、虫の足の表面に生え揃った棘が引っ掛かり浅く傷をつけたが、痛みを感じる余裕さえなかった。
(きっと、これは……罠なんだ。)
パニックに陥れることが一番の目的かもしれない。……分かっているのに動けない。
(あの人、立ってたらこれどころじゃないはず……)
パニックで見境なく小銃を乱射する女がいた。蓮華の体にも何度か強い衝撃があった。防弾シートは壁から跳ね返ってきた弾や遠方からの流れ弾は防げても、近接距離からの射撃までは防げない。……皮肉にも、折り重なった大量の甲虫たちが衝撃干渉クッションとなり、ギリギリで守られた形だった。
(このままじゃ……)
誰かが死んでしまう。蓮華は必死で今の自分にできそうなことを考えた。記憶をなくし、地味な女として生きていた前世の記憶しかなかった……ここがどこなのか。自分が何者であるのか。何一つ知らなかった彼女に、置かれた特殊な状況を説明してくれた彼女の直属上司、担当の教官は今はそばにいない。
(こんな時、どうしたらいいですか?)
水谷さん、……と蓮華は心のなかでその名を呟く。
虫に全身を覆い尽くされながら、まともに知覚していたら気がおかしくなりそうな現実からしばし逃避するように、蓮華は彼と出会った時のことを思い出していた。
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ヒロイン
緋宮蓮華
“表社会の番犬”と呼ばれる、アンダーグラウンドの世界のなかで、表社会に害をなす存在を取り締まる組織に所属する。
戦闘補助職者。深い赤のウエーブヘアーに、鮮やかな青い瞳をした、扇情的なプロポーションの美女。
記憶がなく、前世の記憶を頼りに生きている。
水谷
蓮華の担当教官。蓮華にこの世界や彼女が置かれた状況を説明し、研修期間から見守り相談にのっている。なぜか狐の半面を着用して蓮華に接している。後に助けに駆けつけた岡田悟の上司でもある。どうやら素顔は美青年のようである、が……?
狐の半面をつけた少女
何らかの能力を隠して任務に同行している。小学生のように小柄で華奢な体格であるものの、本当に少女であるかは不明。