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初陣は敗走から始まる

荷物を吊った肩のベルトが肌に食い込んで痛い。挫いた記憶はなかったが、動く度に足首の内側が軽くうずいた。酸素が薄いような息苦しさを感じてしまうのは緊張のせいかもしれない。喉がカラカラで、ヒリヒリ痛いような気がした。


薄暗い通路のなかに、蓮華(れんげ)たち戦闘補助者は1名の戦闘員とともに、2名の負傷した戦闘員を連れたまま、身を潜めていた。残された武器らしい武器は最早、手榴弾1つのほか、蓮華をふくめた戦闘補助者達の護身用の拳銃とナイフ程度しかない。それさえ弾数を考えれば、脱出まで切り抜けられるか危うい線であった。


戦闘能力が残っていた戦闘員らは、助けのために他班から駆けつけた一人を除いて既にこの場にいなかった。簡単に言えば、ろくに戦えないもの動けないもの達だけが、取り残された状況だった。


「(水谷(みずや)さんからの指示で――助けに来ました。)」

息を殺して佇みながら、助けにきた戦闘員……岡田悟(おかだ さとる)は、蓮華に囁いた。

「助かるためには潮時ですよ。」


戦闘補助者に高圧的な態度で接しがちな戦闘員が多いなか、丁寧なのには岡田本人の性格もあったが、ひとつは蓮華が司令の妹であることと、直属の上官である水谷が蓮華をいかに大事にしているのかを知っていたから……という事情もあった。

(……最悪の場合、緋宮蓮華(ひみやれんげ)だけでもいいから絶対に助けろと命令されてる……なんて言えないけど。)


暗闇のなか、その特徴的な、柘榴石(ガーネット)のような色をした深い赤のウェーブの髪の毛も、藍晶石(アウィナイト)のような鮮やかな青い瞳も、多くの男が反射的に目で追ってしまいそうになる――豊かな胸や、くびれた腰、よく張った尻から肉付きよく、それでもキレイな脚線を描きながら長く伸びた両足……といった、肉感的ながらメリハリのきいた、抜群のプロポーションもはっきりとしない。


初めて見た時には、こんなに美しい女がいるんだ、とその美貌に呆然となったことを覚えている。だが、岡田に無茶な要求をしてきた上官――水谷は、そんな彼の素直な感想を「そんな風に女の子の外側ばっかり見てるから、いまいちモテないんじゃないの?」と憎たらしく切って捨てたことを覚えている。


挙げ句、「僕はあの子の見た目が、もっと肌がかぶれてブツブツだらけで、目もぱっちり開いてなくて、胸もお尻もぺったんこで、足首までパンパンにむくんで……ほかの男が美人だなんて認識できなかったとしても、誰より可愛く見えるんでね。」などと意味不明のノロケ話まで聞かされた。


(そんなに溺愛されてる貴女を助けて帰らなかったら……俺は冗談抜きで、自分の命の危険を感じるんですけど?)

普段は物腰やわらかく、部下にもフレンドリーで、物分かりもよく優しい上司に見えなくもない、が、怒らせるとSっ気を爆発させるかのように、美しい顔に微笑みを浮かべたまま残虐なことを行ってしまえる上官を、冷や汗混じりで思い浮かべた。


「蓮華さんと、自力で走れる数名くらいなら俺の力でもなんとかできる見込みはあります。犠牲を少なくするためには、残酷な決断でも、必要なこともありますよ。」


そんな岡田の事情など知るはずもなく――蓮華はぎゅっと目を瞑った。


____

遡ること6時間前。暗雲は既に漂い始めていたのかもしれない。戦闘補助者として、荷物持ち、チェックなどを主に担うポーターとして初任務に当たる蓮華は、弾薬類のケースが妙に軽くなった気がして、確認作業に当たっていた。


鍛えられたとはいえ、女性の蓮華にはまだまだキツい作業だったがゆえに、持ち上げた瞬間が意外とスムーズだったことに違和感を覚えたのかもしれなかった。


周囲にシートを引きケースを開け、中を出して確認しようとしていたら、ベテランの先輩ポーターから声がかかった。

「今ごろ何を始めるんだい?」

「すみません、なんだか軽い気がして、念のために確認しようと……」

先輩ポーターはちょっと面倒くさい新人を見るような目で蓮華を見て肩をすくめた。

「ふーん。まぁ、そんなに気になるなら開けてみたら?」


開けてみると、整然と弾薬が並んで見えた。

「ほら、気のせいじゃないか。」


先輩ポーターはそのケースを抱えてみて、

「こんなものじゃないか?気にしすぎだよ。いちいち気になることを調べていたら日が暮れる。もっとテキパキ動かないと、僕ら、戦闘員さんたちの足手まといになっちゃうからね!」

と軽く叱った。


蓮華はモヤモヤしたものを感じてはいたが、戦闘員から戦闘補助者が軽視されがちで、ことに、男性のポーターは女性以上にキツく当たられがちであることも、訓練時代に経験し、体に染み付いて理解してしまっていたせいもあるだろうか。


(水谷さんに報告したら怒られるかな……)

新人である蓮華の担当につけられた直属の上官……戦闘員であり教官という指導者の地位と、その秀でた治癒回復の特殊能力ゆえに、救護班の担当までしている水谷……なぜか狐の半面をつけて顔の上半分を隠したままにして、蓮華に本名を教えようともしない男――を思い浮かべる。女たらしで、もちろん蓮華にも甘い……が、仕事の指導については、戦闘補助職に対する指導とは思えぬほど細かい部分までチェックされ、かなり手厳しい男でもあった。


(安全にかかわることは絶対に妥協するな、死ぬよりは任務失敗して処分を食らったほうがずっとまし、数ヶ月から数年もたてば、状況は変わるものだから、と言われているけど……)

気になったら何もなくてもいいから必ず確認するように、口を酸っぱく指導されていた蓮華は戸惑いつつ、何も言えなかった。


(そりゃあ、水谷さんだったら、それでまわりの手を止めてしまっても、表立って色々言う人はいないだろうし……)


立場が弱いもの、力のないものでは、同じようにはいかない。厳格な縦社会の組織のなかで、水谷のように上下にあまりとらわれず、耳を貸してくれるような上司のほうが少ない。確かな実力と、周囲からの信用、揺るがぬ自信がなければ、自分の意思など貫けるものではない。

まして新人の蓮華にできることではなかった。


――だが、この判断が大きなミスであったことは、後に発覚する。



……ケースの表面には、弾薬が整然と並んではいた。だが……その奥に詰められていたのは、廃材や汚れた衣類で、本来の弾薬は8割がた抜かれて盗まれていたのだ。



そして―― それは、上下が厳格な組織においてしばしば起こることでもあるが、

「自分は確認するように言ったんだけど、新人さんだから、表だけ見てOKと思っちゃったみたい。自分もちゃんと見てなかったから……」

と、先輩ポーターにより、事態は新人の蓮華によるミスということにされた。


「実は入ってませんでした~じゃねーよ!どうすんだよ!!」

戦闘員の面々の怒りは尋常ではない。


「他の班のを盗んででも取ってこいよ!」


(あぁ、そういうことか。)

蓮華は理解した。同じ組織でも、班ごとに、そういうことは起こりうる。だからこそ、水谷はあんなに注意していたのだ……と。


「すみませんでした!その、フォローは精一杯しますんで!」

先輩ポーターが地面に土下座をしていた。


「ほら、緋宮さんも!」

先輩はたたみかける。

「キミがやったミスだからね!?」


「……。」

蓮華は目を閉じた。


「……申し訳、ありませんでした。」


胃がキリキリと痛んだ。悔しかった。なぜ、こんなことまでさせられるのか理解できない。


(私の実の兄が、司令のひとりだって知ってたら、この人たちはきっとこんな事させないのだろう)

いっそ、その事実を言ってしまおうかとも思った。けれども兄妹であることが明るみになると困ると言っていた兄の顔も覚えている。


後ろ楯をみせることで、少なくとも、なにもない弱いものよりは、理不尽な扱いを受ける目は少なくなるだろうが、兄を困らせることはしたくないと思った。


「オラ、オメーもなんとか言えよ!」


背後から、体で払わせればどうか、などと笑いがわき起こる。


(なんで、職場で、こんなことが?)


前世の記憶でも、職場でつらいことはいくらでもあった。だが、こんなことを面と向かって言われたような経験はなかった。


(そうか、ここはそういう世界なんだ)


蓮華は、心のなかだけでそっと涙を流した。優しくされ、情のある対応や気遣いをしてもらううちに、いつの間にか忘れていたことに気付く。

(大丈夫、また、帰れる。)


狐面の内側の表情ははっきりとは読み取れない。さらに、その声までも、なぜか上手く思い出すことができない。それでもその言葉や、やわらかな気配、向けてくれる目が優しかったこと……記憶のない蓮華を、水谷が気遣い続けてくれていた事実は思い出せる。帰ったら頭を撫でてもらうんだ、と、蓮華は心のなかで涙をぬぐった。


「っ……!」


髪の毛をわし掴みされる。毛根に痛みが走ってブチブチと髪が抜ける感触がした。髪を掴んで顔を持ち上げられるのは首が痛んだが、それ以上に、精神的に苦痛だった。


(わたしに、さわらないで。)



心のなかがざわ、とした。ぼうっと熱をもつ凶暴な何かがイメージに浮かび始める。


(だめだわ、こんな)


“強すぎる力は、コントロールできなければ、周りも自分も滅ぼす”

蓮華は必死で自分に言い聞かせた。


「そいつの担当、水谷だぜ」

沈黙を破ったのは、後ろで黙っていた、薄い金色の髪をした痩せた男だった。


(あ、この人……)


慰霊碑を掃除していたときに親しくなった人物の友人で、蓮華が挨拶しても返さないほど、女性というだけで嫌悪感をあらわにしてくる人物だった記憶がある。

蓮華の髪の毛を掴んでいた男は、ぱっと手を放すと舌打ちをした。マジかよ……と背後から小さなどよめきが起こった


「それに俺は女はキライだ。さっさと行くぞ」

言い方は刺々しかったが、彼が助けてくれたのは蓮華もわかった。


―――その助けてくれた男も、戦闘不能状態でここに残されている。


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