第七話 霧狸の社探検隊とキング・ライダー②
投稿その三。
コウハクの別荘地から霧狸の社へは、広場と向かうのと同じように東へと進む必要がある。
南方の山には入らず、山に沿って歩き、一軒の民家と畑の間を通り抜け、少し歩いた先に目的の場所。霧狸の社のある森、霧狸の森があった。
コウハクの別荘地を抜け出すとき、全力疾走をしたカリムとタムマインだったが、二人はすぐに歩いて移動するようになっていた。無駄に走って体力を消耗しようとは思わなかったのだ。
霧狸の森には濃霧が立ち込め、来る者全ての侵入を拒んでいる。近づくにつれ、霧が濃くなっており、数十メートルくらいは先が見えていたものが、今では数メートルくらいしか認識できないほど、霧が濃くなっていた。森の中などはもっと濃いようで、一寸先すら見えないかもしれない。
とはいえ、それは二人も覚悟していたことだった。霧狸の森は平時でも迷いの森と呼ばれるくらい霧が濃いのだ。ゆえに、霧が濃いだけですんでいて、むしろ二人は少し安堵すらしていた。というのも、場合によっては何か別の異変が目に見える形で表出しているのではないかと思っていたからだ。
「ここが霧狸様の森か……」
「らしいな。なんだかんだと知ってはいても、帰って来れなくなるから行くなって言われていたから、来たのは初めてだ」
「俺もだ……」
緊張した面持ちで、霧狸の森を見つめる二人。
「痛っ!」「きゃあ!」
そんな二人の背中にぶつかる者達がいた。
「もうっ……なんで足を止めているのよ! カリムの馬鹿!」
「ああ、あわわ、ぶつかってすみませんでした!」
カリムの姉ノルトリムと領主であるギルダ・ソーカルド黒爵の三女、セナ・ソーカルドだった。
実は、コウハクの別荘地を抜け出すカリム達と入れ違いで、彼女達は広場から戻ってくる道中だった。二人しかいないままごと故に、珍しくセナにも王子様役というメインの配役が決まったが、台詞がおぼつかない彼女に早々にノルトリムが帰宅を決定したのである。
そんな事情もあって、ノルトリムは遊びに行く前よりも鬱憤が溜まった状態で帰宅する道中だった。
だからこそ、家を抜け出すカリム達を見て、咄嗟に思った。
ああ、この二人は何か面白そうなことをしようとしている、と。
そう思ったらもう後は簡単だ。消え入るような声で、「やめておこうよ、ノルトリムちゃん」と制止するセナの声はそもそも耳に入らず、探偵という概念を知らない中で尾行するスリルを楽しみながら、彼女達はここまでついてきた。
しかし、霧が深くなっていることもあって、誤って至近距離まで接近してしまい、ぶつかってしまったけれど。
ゆえに、ノルトリムの第一声はこんなものとなった。
「自分達だけ面白そうなことしようとしてズルいわ! 私も混ぜて!」
遊びに混ぜてもらおうとする子どもそのものであった。年齢的にはおかしいところなどないし、むしろノルトリムの行動は別に責められるようなものではなかったはずだ。……状況次第では。
いくら領軍に目撃させるような杜撰な脱出劇と、タムマインを送ると言いながら当然のように霧狸の森のある方角へと一直線に向かってしまっていたとはいえ、カリム達は本気だった。
本気で何かを成し遂げようとしているのに、遊び感覚で混ぜてと言われて、大人な対応ができるほど、カリムもタムマインも大人ではなかった。事実、彼らは五才児だし、中身が転生したどこかの国のサラリーマンなんてオチもありはしない。
「姉さん、これは遊びじゃあないんだ。霧狸様の社に行って、神威獣の異変を突き止めないといけないんだ」
「まあ、年上のノルトリムさんに言うことじゃあないけどよ、子守しながらゆっくりしてる場合じゃあねえんだよ。俺達も正しく事態を把握しているわけじゃあないから、詳しいことは知らないけどさ」
「だから、霧狸様の社を探検するんでしょう! 私もするって言ってるの!」
「いや、探検って……まあ捉え方によってはそうなるかもしれないが……そういうことじゃあないんだって。そうだ、セナならわかってくれるだろう? 霧狸様の森は迷いの森だから危険だって」
助けを求めるようにカリムがセナを見る。しかし、彼女は泣きそうな顔をしながら、地面を見つめて首を振るだけだった。
「いや、あの……霧狸様の森が、危ないってことはわかって、いるんです。た、ただ……今までお二人についてきた……だけだから、帰り道、わからなくて、ごめんなさい! そ、それに、霧が濃くて前が見えなくて……どうやって帰ったらいいのか、わかりません」
「それは…………そうだな。なあ、カリム。こんな場所でノルトリムさんやセナ様を置いて行って、二人が迷子になるのも避けた方がいいぞ。ただでさえ、霧狸様に異変があるんだ。何が起きるのかは知らねえが、事前にどうにかなるなら、余計な問題は起こさないようにするべきだ」
タムマインまで二人を同行させる側に寝返り、カリムは悩んだ。
霧狸の森は迷いの森。そんな場所にノルトリムやセナを連れて行ってもいいものか? しかし、置いて行っても迷うなら一緒のことかもしれない。
そう結論づけて、カリムは決心した。
「仕方ない……な」
こうして。
期せずして、霧狸様の社探検隊が発足した(ノルトリム命名)。
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霧狸の森は濃霧である。そもそも名前からして、霧狸は霧の狸なのだ。そのホームならば当然霧に包まれているものだろう。それに神威獣はそういった大規模な影響を起こることにそれほど力を割いているわけではない。彼らは息を吸うような自然体で環境を捻じ曲げる。それ故に神威獣という大層な呼び名がつけられているのだ。
一寸先は闇なんて言葉があるが、ここでは一寸先は霧だ。
気を抜けば目の前の人間すら見えなくなってしまうような濃霧の中、霧狸の社探検隊はズンズンと森を進んでいく。森の中には獣道すらない。あるのは木々と草花、そして湿った土だけだ。魔物もいない。霧狸だけの森と植物や小動物だけの森なのだ。
そして、遊び盛りの子ども達がすぐにスタミナが切れるという事態はなかった。
しかし、踏み出す一歩が意図せず木の根に躓き、草花を踏んでしまったりしていると、不思議と疲れてくる。こういったことは体力云々ではなく慣れなのだろう。慣れていない子ども達には森を歩くのは予想以上に辛いものだった。
「タムマイン、位置を確認してくれ! 俺は真っ直ぐに進めているか?」
「いや、ちょっとばかりズレているな。もう少し右方向に進んでくれ」
加えて、カリム達は何も無策で霧狸の森の中枢、霧狸の社に向かおうというのではない。
対策は考えていた。
まず、森に入る前に大量の小石を用意した。それを四人で分け合い、歩きながらも石を置いて、四人の位置を石の直線で結び、ズレていれば少し修正する。
この方法で少しでも真っ直ぐに霧狸の社へと辿り着くために工夫していた。気休めにしかならないだろうとカリムはわかっていたけれど、濃霧の中、子どもが四人身一つで進むには気休めでもないよりはマシであった。
間違っていようと、前に進んでいるという実感がある限り、不安を押さえつけ、正しい道を進んでいると信じて前進できたから。
だから、各々が押さえつけていた不安が表面化したのは、別の原因によってだった。
――――狼の遠吠えがした。
一匹じゃあない。何度か一つの声に別の声が被さるように聞こえたのだ。
確かなことは、魔物にとって不可侵領域であるはずの霧狸の森に、魔物がいるという事実だった。
手を押さえ、息を殺しながらカリム達はそれでもゆっくりと歩いて進む。まともな判断能力は既に失せていた。思考は息を殺すのと、存在を悟られないようにすることに注ぎ、残った身体が無意識に歩みを進めていた。立ち止まっている方が怖かったのだ。
ノルトリムとセナは悲鳴を上げようとするのをタムマインに口を塞がれて、押し留めた。
危険が迫り、探検隊らしくなってはきたが、子どもにとっての探検隊は楽しいものであって、こんな恐ろしい事態は想定していなかった。神威獣の異変を探るという大義を掲げていたカリムにしても、どこか危険なことはないと楽観的に考えていて、現状に冷静でいることはできなかった。四人の内で誰一人として、本当に魔物の脅威を実感した者なんていなかったのだ。カリムは知っていたけれど、サワリムの武勇伝の中の話だ。
そうして、悪いことは重なるものだ。
何かが力強く大地を蹴り、草花を揺らす音があちこちでする。
――――そして。
四人の耳に獣の唸り声が聞こえた。
遠吠えとは違う。身近にいる敵を警戒するような、恐ろしい唸り声だ。
それを耳にして、四人が四人とも顔を蒼白にして、固まった。
石像にでもなったかのように、吐く息すら音の出ないように。目は忙しなくギョロギョロさせて、濃霧の中、確かに近くにいるはずの魔物を探して。
魔物は唸り声を上げ、匂いを探りながら、周囲を舐め回すようにじっくりと、音を響かせる。
近づいては遠のき、近づいてはより近づいて……遠のき。
何度か死を覚悟したカリム達だったが、幸い魔物は獲物はいないと判断したのかカリム達から離れるように足音を遠のかさせていった。
しばらくして。
カリム達はその場に座り込み、大きく息を吐き出し、吸った。呼吸を整えながら、カリムは口を開く。
「いる。……確かに魔物がいるぞ。一体や二体じゃない。もっと、たくさんの魔物がこの霧狸様の森の中に入り込んでいる」
緊張の糸が切れ、泣き出すノルトリムとセナ。
鼻を啜る音を響かせるノルトリムに、カリムは注意する。
「姉さん、泣きたい気持ちは痛いほどよくわかるし、俺だってここが家なら泣き出したい。でも、今はやめてくれ。一生のお願いだ。これが終わったらままごとだって付き合うから、音を立てるのだけはやめてくれ」
「でもー、でもー!」
「頼む、お願いだから!」
結果として、カリムの説得は悪手だった。
既に決壊寸前だったノルトリムには何も言わずに慰めておけば良かったのだ。年のわりに頭が良いカリムには交渉するという選択が最善に思えていたとしても。
「もう、嫌だよーー! 母上ーーーー!」
ノルトリムは泣いた。それも特大の泣き声を上げて。
そして、そんな大声を上げようものなら、いくら視界の悪い濃霧の中だって魔物は聴覚を頼りに集まるのだ。
フォレストウルフ。
つい最近、嫌いな弟が手に入れた魔物とあって、興味本位にその魔物のことは調べていたカリムだった。
十匹程度の群れで行動し、獲物を狩る。肉食で、未熟な傭兵や山賊、盗賊などは彼らの餌食になることもしばしばあるらしい。
カリム達の体長よりも大きいフォレストウルフの赤い眼光、そして唸り声に、四人は腰を抜かした。正確にはその体躯は濃霧に隠れ、全容は認識できていないけれど、その息遣いと薄っすらと見える狼然とした輪郭に、カリムはフォレストウルフを決めつけた。
四人とも、今まで味わったことのない、魔物からの殺意に完全に萎縮してしまっていた。
先頭の一匹が襲いかかり、鋭い爪を持つ前足がカリムへと振り下ろされた。