第四十六話 武舞祭⑦
「騒ぐな」
声がカリムとタムマインの耳に響く。誰かが声を大にして叫んだわけではない。二人の近くで声を発したわけでもない。
声の正体は貴賓席で冷たい視線で下方を見つめるアマガハラ国王、シャムトリカであった。
王冠を被り、艶やかな黒髪を風に靡かせて、王が介入を開始する。
+++
なんじゃ、これは?
ジュリアンの暴走を目の当たりにしたシャムトリカを最初に襲ったのは混乱だった。
武舞祭が始まり、初めの内は下らないとシャムトリカは思っていた。
二頭体制を樹立するのなら、余計な手間を取らずにすればいいと思っていた。
王の力をシャムトリカが、そして王位をジュリアンが担うことで無意味な王位継承争いに終止符を打つ。ナルカマカロの案自体をシャムトリカは否定しない。
むしろ、賛成だから従っている。
しかし、やるならばわざわざそれを武舞祭で発表しようとするところが、面倒だと思っていた。
武舞祭は将来アマガハラ王国を担っていく若い世代を視察できる機会だったが、事あるごとに合間を縫って、段取りを確認してくるナルカマカロはやっぱり面倒だった。
それでも、アマガハラ王国のためと思って忍んできたシャムトリカにとって、ジュリアンの暴走は意味がわからなかった。
既に王位を約束されているというのに、対戦相手を重症に追い込んでまで勝とうとする。
そして、ついには忌々しい黒をまとって暴走し始めたのだ。
シャムトリカはあの邪悪な黒に見覚えがあった。
彼女の父、先代シャルムを死に追いやった厄災の黒である。
フシャール四家に端を発し、王国の中枢で蔓延した疫病。その厄災の邪悪さに正気を失った水龍の暴走。
魔素だけで理術を使用できるシャムトリカにはその性質が、忌まわしき過去の黒と同様のものであることは明白だった。
「なぜジュリアンがアレを用いている?」
呆然とするシャムトリカの足元に膝をつくナルカマカロ。
「シャムトリカ様、どうか落ち着いてください! ジュリアン様はどうやら乱心しているご様子。今回は機会が悪かったのです! どうか二頭体制について発表するのはまたの機会にして、シャムトリカ様は安全な場所に避難を!」
「余は正気じゃ。心を乱しているのはジュリアンだけじゃ」
「お願いします! どうか避難を! 今のジュリアン様は危険です! ここの対処は私にお任せください! すぐにでもジュリアン様を正気に戻し、この混乱を解決します! ですから、どうか避難を!」
「くどい。すぐに正気に戻せるなら余の前で、今すぐにしろ。できぬなら口を開くな」
「どうか私を信じてください!」
必死に頭を下げるナルカマカロをシャムトリカは冷めた眼で見る。
「余はお前を信じてここに来た。その結果が今だろう? 王位を約束された者が忌まわしき呪いに手を出し、惨めな姿を晒している」
「きっと他のフシャールの陰謀なのです! どうかジュリアン様にもう一度機会を!」
「ふん、それで何か? 貴様の言う通りにして、考えなしアレに王位を渡す愚者になれと?」
「いえ、そういうわけではなくありません。私にお任せくだされば……」
「もういい。聞き飽きた」
+++
そして、シャムトリカは直接手を下す決断をした。
彼女にはいつだって王剣百士という強力な護衛がいたけれど、父親の命を奪った原因である呪いの黒を目にして、他人の手に委ねることなどできなかった。
ふわりと第一演習場に降り立ち、ジュリアンと相対する。
「なっ、ここは危険です! どうかお逃げを!」
既に限界だったカリムだが、それでも王であるシャムトリカの命を優先して、危険を訴えた。
シャムトリカはそんなカリムを見て、優しく微笑む。
「サワリムにカリム、親に似ず優秀な子どもを持っているな、あの男は」
シャムトリカは黒炎を吹き出し続けている化物を見据える。
カリムは訴え続けるが、護衛の王剣百士は距離をとって動こうとしない。
彼らは王命を何よりも重視する。
――何より絶対的な王の力を知っていた。
「その黒い火は目障りだ」
シャムトリカの言葉に呼応して、黒炎の化物と化したジュリアンの足元に円形の幾何学模様が輝き、黒炎を全て消し去った。後には青白い顔で呻くジュリアン。
ついで叩きつけられるようにジュリアンは地面に張りつく。
「忌まわしき呪いめ。……また疫病になられても面倒じゃ。消えてもらうぞ」
シャムトリカが手を翳すとジュリアンから禍々しい黒い光を放つ小指が浮かび上がる。その小指はミイラのように朽ちている。
シャムトリカが手を握りしめると、朽ちた小指もメキメキと圧縮されていき、消滅した。
+++
かくして、ジュリアン・ツチツカミの暴走は治まった。幸い彼は一命を取り留めたが、彼の暴走によって観客から死傷者が出たので、注意だけで事は済まされない。
会場の大規模な破損から、武舞祭は一年の部の決勝を終える前に中止。一年の部の後に予定されていた二、三年の部に関しては一試合もしないままに終わることになった。
――そして、この一件はシャムトリカの心境にも大きな変化を齎した。
シャムトリカは武舞祭でのジュリアン・ツチツカミの暴挙を機に王位をジュリアンに与えることを明確に否定し、その事実を公の場で周知した。
また、ナルカマカロ及び彼女の実母であるコウミリアの意見に耳を傾けることをしなくなり、敵対するようになった。
各々に次代の王を掲げるフシャール四家と現王シャムトリカ、そして完全に孤立し始めたナルカマカロとコウミリアという勢力が分かれ、アマガハラ王国が抱える問題が振り出しに戻ってしまう。
そして、王は臣下を信頼しすぎたことを恥じて、父より受け継いだ国の将来を憂う。
「余は一体どうすれば良かった?」
「シャムトリカ様の問題ではありません。全ては愚かにも二頭体制を台無しにしたジュリアン様と、彼を見出したナルカマカロ殿にこそ原因があります。シャムトリカ様の期待を裏切った奴らこそが悪です」
シャムトリカが招いた理術学派のドルキルムはシャムトリカが絶対的な正義と疑わない。
「余にできることはなかっただろうか? 王族の恥をあんな形で表に出す前に」
「できないでしょう。過去には戻れません。あなたに後悔があるのなら、未来を変えるしかありません」
「変えられん。余には力はあっては権力がない。アマガハラを動かしているのはいつだってフシャール四家だ。奴らはアマガハラ中の貴族の長だ。余にはできない」
「いいえ、できます。アマガハラ王シャムトリカ様。あなたが不退転の決意の下、フシャール四家から政を取り返す気持ちさえあれば!」
「……できない。余にはそのようなことは……」
「では、またナルカマカロやジュリアンのような輩にアマガハラを委ねるのですか?」
「それは……」
シャムトリカは武舞祭での怒りを思い出す。
これから手を取り合い、アマガハラ王国を安寧へと導く仲間であったはずの後継者が呪いに吞まれ、民を傷つけていた。
別のフシャールに任せても、きっと二の舞になるだけだろう。
「余しかいないのか? 余がやるしかないのか?」
「ええ、あなたしかいません。人手が足りないなら私が集めましょう。心が苦しいなら傍に寄り添いましょう。信頼すべき臣下いないなら私が代わりになりましょう。……全てはアマガハラ王国のため。そして、シャムトリカ陛下、あなたのためにこの身を捧げます!」
ドルキルムが差し出した手をシャムトリカは取った。
というわけで、今回はシャムトリカの心境に重点を置いた話でした。二章で度々登場させていた理由がこれです。王立術理院という閉鎖的な空間での出来事をきっかけにして、現王シャムトリカの心境が変わるという内容でした。
あと、もう少し王立術理院編は続きます。(; ・`д・´)




