第四話 ガキ大将
初回投稿その……いくつだったかな?
いくら庶子で生活水準が高くたって、朝に刻印騎士に剣を習っていたって、それ以外のほとんどで歴史の本を熟読ばかりしている息子を見て、愛情を注ぐ親はなんと言うか。
その答えを今、カリムは実体験で味わっている。
「カリム、本を読むこともいいけど、たまには外で遊んで来なさい」
さきほどニイサから言われた一言である。
別にカリムは外で遊ぶことが無駄だなんて思ってはいない。外で植物図鑑に載っている植物の実物を見たり、街に繰り出して市場調査に出るなど、フィールドワークにも意味があることはわかっている。
遊ぶとフィールドワークが同義だと考えている時点で重症だが、本人に自覚はない。
不貞腐れながらカリムは村の広場に向かう前に、サワリムの部屋兼書斎の扉を開けた。ノックなどしない。いても気にしないのがカリムだが、今まではなんだかんだとサワリムと鉢合わせることはなかった。
しかし、今日になってようやくというべきか、顔を合わせた。
興味深げにカリムを見るサワリムだが、対するカリムは部屋の主に目を向けることもなく、勝手知ったる弟の部屋から目的の歴史の本を手に取り、スタスタと出口に戻る。
そのまま出て行こうとするカリムにサワリムが手に取っていた意匠入りの紙を机に置き、口を開く。
「学ぶ姿勢は関心だが、もう王になりたいなんて世迷言は言わないことだ」
カリムが舌打ちしながら振り返り、サワリムを睨みつける。
「俺はもう王になるつもりなんてねえよ!」
「それは上々。進歩は良いことだ。励めよ、カリム」
カリムは勢いよく部屋の扉を閉めた。そこから扉に向かって後ろ回し蹴りを叩き込む。その衝撃で壊れ、うまく閉まらなくなったがカリムは知ったことではないとその場を後にした。
「おいおい……物に当たるなよ。後で直す手間を考えてほしいな」
残されたサワリムのため息が部屋に木霊した。
+++
コウハクの別荘地は南方に山があり、その先に領主邸や政庁、ソーカルド術理院があるのだが、今回カリムが向かっている広場はコウハクの別荘地から東にある。山は越えずに田んぼを一つ、越えた先にあるのだ。
広場に到着して、カリムはその長閑な広場に感動……なんて全くしなかった。広場とはよく言ったもので、所々に雑草が点在し、カリムと同年代くらいの少年少女が、粗い造りの木剣を手元に置いて休憩していたり、追いかけっこをしていたり、木製バケツに水を汲んできて、その水で泥団子を作ったり、意味もなく土で作った山のトンネル開通に情熱を燃やしたりしている。
しかし、他には何もない。本当にただ広いだけの場所だった。
天気は晴れ。霧までは晴れていないけれど、ソーカルド領では晴れだ。雨が降っていれば、カリムはニイサの言葉を翻すことができたと内心で歯嚙みする。
とはいえ、せっかく広場に来ているというのにカリムはあくまで我が道を行く。
どっしりと地面に座り込み、片足の立てた膝に頬杖をつきながら、地面に置いた歴史の本を読む。
行動もそうだが、服装の面でもカリムは浮いていた。他の子どもは汚れた衣類を身につけているのがほとんどだが、カリムは洗濯された清潔な衣服を纏っている。仮に彼が歩み寄ったとして、距離を置かれてしまう可能性は十分にあった。
ここ数日、カリムはガルムとの稽古でボコボコにされ、筋肉痛もあったので身体を動かす気など皆無だった。広場の他の子どもにしても、勝手にやってろと思っている。そこのところ傍から見ればサワリムとそっくりなのだが、カリムに自覚はなかった。
黙々と本のページをめくっていると、木剣を置いて休憩していた少年達に動きがあった。
「よーし、みんな剣の修行の再開だ! 木剣持って俺と戦え!」
「えー、またかよ」「俺ちょっと腹の調子が……」
「ごちゃごちゃ言わずに早くしろー!」
うるさい奴らだ、とカリムは舌打ちをする。完全に癖になってしまっていた。
けれど、しばらくすると静かになったのでカリムは安堵した。
これでゆっくり読書ができる、と。
そんなカリムの頭上に影が差す。顔を上げると、カリムと同じくらいの体格で、目つきの悪い少年がカリムに木剣を突きつけていた。なお今のカリムも大概目つきは悪い。
「外に出てまで読書かよ? 男なら剣を握って、俺と戦えよ。目つきの悪い坊ちゃん」
「はあ……母上の言いつけに従って広場に来てみればこれか……。つくづく俺は運がない」
カリムは本を閉じ、自分の背後へと静かに移動させ、目の前の少年に敗北した者達が地面に投げ出した木剣の位置を確認し、身近に一本あることを認識してから、少年を睨みつける。
「この本は貴重な本だ。子どものお前でも本が高価だってことは知っているだろう? もし傷がついたりしたらお前の家に取り立てに行かなくちゃあならなくなる。それが嫌なら……そうだなあ。向こう、さっきお前達が稽古をしていた辺りまで移動しよう」
「いいぜ、てっきり断ってくると思っていたが、ただのお坊ちゃんじゃあなかったか……うおっ」
背中を向けて、歩いていく少年に向かって、カリムは平然と前蹴りを叩き込んだ。続いて、地面に落ちている木剣を拾って追撃するが、防がれてしまった。
「せこい真似しやがって!」
「お前なんか強そうだからさ、奇襲しようかなって思ったんだ」
「訂正する! お前、育ち悪いだろ!」
「うるさいな。えいっ」
「金的に突きしてんじゃねえ、この野郎!」
初めこそ奇襲に、急所への攻撃で優位に立っていたカリムだったが、少年が立て直してからは終始守りに集中しなければならないほど不利だった。
剣の腕自体はカリムが勝っているが、センスとフィジカルで容易に対応されてしまうのだ。
振り下ろしがくれば脇に弾き、横に一閃が来そうになったら半歩前で受けて衝撃を和らげる。
稽古での言いつけ通りに防御しているが、一向に反撃の兆しが見えてこない。ガルムとの稽古だと体格差があるからと言われていたけれど、同年代にこうも易々と優勢をとられて、やっぱり自分には才能がないのだとカリムは実感する。
「ちっ、しぶてえなお前。さては誰かに剣習ってやがるな?」
「まあね、なのに普通に対応されて泣きそうだ」
「言ってろ!」
結局。
勝負は斜めからの振り下ろしに対応できずにカリムが負けた。
読書を中断され、挙句に敗北したとあってカリムは苛立ちから舌打ちをした。
「滅べ、目つきの悪いゴリラめ」
「絶えず口が悪い奴だな。俺の名前はタムマインだ。ゴリラはやめろ。俺はそんなに筋肉質じゃあない。これでも気にしてんだよ」
+++
タムマインはカリムとの勝負が終わってすぐに一緒に稽古をしていた少年達を帰らせた。その流れに乗ってカリムも帰ろうとしたけれど、襟首を掴まれて物理的に引き止められた。
「なんだよ? 俺もあいつらみたいに帰らせろよ」
「いや、お前とゆっくり話をするために帰ってもらったんだよ。お前が帰ったら意味がない」
「いいじゃないか。人生一度くらい挫折しておくべきだと俺は思うぞ」
「挫折なんて大層なものかよ。いいから座れよ」
半ば強引にカリムは地面に腰を下ろした。いつでも気に入らなければ帰れるように手元には本を持ったままだ。
「お前、名前は? その服装からして貴族だろう?」
「貴族なものかよ。ただのカリムだ。貴族なんて大層なものじゃあない。ただのカリム。……しいて言えば、ちょっと偉い父親の庶子ってだけの紛い物だよ」
「へえ……お前も大変なんだな。悪かったな、カリム。庶子相手に坊ちゃんなんて最低な嫌味だった」
「別に……気にしてないさ、クソ野郎」
「……当分許されそうにないことはよーくわかったよ」
少し間を空けて、カリムはタムマインを指差した。
「お前もって言ってたが……タムマインも訳ありなのか?」
タムマインは「ああー」と言って、後頭部を掻きながら、言いづらそうに口を開く。
「訳ありっつうほど大したものでもねえさ。俺の家系はこのアマガハラ王国の外、海を隔てた大陸の亡国、ペクシャトリアからの移民なんだわ」
「ペクシャトリア? ニューラクトに滅ぼされたあの国か?」
「伊達に勉強してねえな。けど、少し違う。ペクシャトリアは大炎帝国との戦争、その敗戦で実質滅んでた。そこを死体漁りのニューラクトに止めを刺されたって感じだ。……まあ、かく言う俺も爺ちゃんの又聞きだがね」
「ほう、歴史は勉強してる途中なんだ。興味深い、もっとその話を振り下げてくれるか?」
「やだよ、面倒くさい。言えることは俺の祖先がペクシャトリアの騎士身分だったことくらいさ。他は知らん」
「使えんな」
「言ってろ」
日が暮れてくる。夕陽のオレンジが気になる時間帯になって、カリムがそろそろ家に帰ろうかと、腰を上げる。
「俺さ、アマガハラの将軍になりたいんだよ?」
タムマインの夢に、カリムは呆れたようにため息を吐く。
「将軍になりたい奴がこんなところでチャンバラごっこか? 武力を磨くのもいいが、将軍に見合う頭は仕上がっているのか?」
「それは……これからやるつもりだ」
「将軍なんていくら武勲があろうが平民には任せてもらえないぞ? 前提条件として王都の王立術理院を卒業していないと話にならないぞ」
「言われなくても行く!」
「文字は読めるのか?」
「これから…………やる」
「お前なあ……あんまり他人が言うことじゃあないんだろうが……勉強しろよ」
タムマインは顔を赤くする。
「俺のことはもういい! お前はどうなんだよ! 夢とかないのかよ!」
「あるぞ」
即答である。
「俺はアマガハラの宰相になりたいんだよ。だから、勉強にも励んでいる」
「はっ、散々俺にダメ出しをしといて、カリムの将来設計も甘々じゃねえか。宰相なんてたとえ王立術理院を卒業しようが不可能じゃねえか。そもそも宰相、どころか左大臣や右大臣だってフシャール四家の貴族様で席が埋まってるよ。カリムは庶子だろう? 話にならねえな。せめて王族なら目があったろうに……」
「ちっ、そういうものなのか?」
「ああ、残念ながらそんなものだよ。目指すなら官人だろうな。と言っても、俺と同じく王立術理院に行かなくちゃあ論外だが」
「……ままならないな」
「年寄りくせえな、カリム……って痛いな。本で殴るな、痛いから!」
カリムに夢を語り合える友ができた。本人は決して認めないだろうが、彼の人生で初めての友人であった。