第3章‐1 20年前の悲劇
しばらく歩いて、三人はジンの家にたどり着いた。
リタには、空いている部屋のひとつをあてがった。彼女は部屋に案内されてから今まで、ベッドの上で膝を抱えて座り込み、何もない所をじっと見ているだけだった。
「それで、話を聞かせてくれるんですよね、師匠?」
場所はジンの部屋。イングは持ってきていた椅子に座り、ジンの話を待っている。
「えぇ、もちろん。まずは、私の昔話を聞いてください。もう20年以上前になります。私はお師匠様の下で、魔法の修行をしていました」
「お師匠様と言うと、さっきの男の人ですよね?」
「えぇ、ダグラス師匠。私はこの町で、お師匠様とその娘、リタと共に過ごしていました」
その昔。ジン13歳。彼はこの町で、ダグラスの家に住み込みで弟子入りをしていた。
ダグラスは、その筋では研究者として有名な魔法使いであった。当時34歳。弟子を取るにしてはまだ若い方だったが、周囲にそれについて文句のある人はいなかった。
ジンは魔法の素質は見込まれていたが、生活能力は皆無であった。ダグラスも、研究や発表会などに忙しく、家を空けることも多かった。そこを支えたのが、ダグラスの娘、リタだった。当時11歳。幼いながらも、家の仕事をきちんとこなし、早くに亡くなったダグラスの妻の代わりを務めてみせていた。
ジンとリタは、本当に仲が良かった。リタはジンを「お兄ちゃん」と呼び、ジンもリタを、本当の妹以上に可愛がっていた。ダグラスもジンを認めており、事実上家族、もしくは親公認の仲と言ってもいい関係だった。
あの日が来るまでは。
「じゃあ、行ってくる」
「お父さん、靴が左右で違う。ネクタイも曲がってるし」
「おっと」
「もう……しっかりしてよ。2週間も私がいなくて、やっていけるの?」
「……それ、本来は私の台詞だよね?」
この日からダグラスは、大きな研究発表のため、長い間家を空けることになっていた。
魔法という分野は、魔石が無ければ大したことは出来ないというのもあり、学会の中では日陰者だった。しかし情勢が変わり、研究が進んだ。今回公表される発表の反応次第では、広く日の目を浴びるかもしれない。そういった大切な発表だった。
「副武装……この技術が広まれば、魔法の地位も上がる。もう少し楽な生活ができるようになるかもしれないんだ」
「お父さんが必死に研究していたことは、私もよく知ってる。きっと大丈夫だよ」
「ありがとう、リタ」
そしてその間、家にはジンとリタの、子供二人が残されることになる。その間の彼らの世話は、ダグラスがこの町の町長に頼み込んでいた。
「もう、心配しなくても、私一人で2週間くらい、この家回していけるのに」
「いや、リタ。そういう心配じゃ、無いと思うんですよ」
「?」
ジンがつい指摘するが、リタはよく分からないといった様子だ。
「分からないなら、いいです」
「? まぁ、お兄ちゃんはちゃんと朝起きて、夜に寝て、三食食べに来てね。それ以上は望まないから」
「随分信頼が薄いね……」
「はっはっは……まぁ、何か困ったことがあったら、町長さんに言いなさい」
「わかった」
「じゃあ、お師匠様。頑張ってくださいね」
「あぁ」
そうしてダグラスは、町を出た。
それが、ダグラスとリタが会う、最後の時となった。
それから数日。特に何事もなく、時間は過ぎていった。
そして三日目の昼、事件の日。ジンは町長の家の前を、たまたま通りかかった。
(一応お世話になっているわけですし、挨拶くらいはした方がいいですよね)
そうは思ったものの、気は進まない。その理由は、町長の家の庭にある。
町長は庭で犬を飼っており、その犬を溺愛していた。ペットのことになると人が変わると噂されるほどだ。しかしその犬はやや凶暴で、近くを通る町民をよく威嚇していた。そのため近所の評判は、すこぶる悪い。
(まぁ、でも、ちゃんと鎖に繋がれてるわけですし、大丈夫ですよね?)
ジンはそう思い、町長の家に踏み込んだ。
そして、それがどういう理由だったのか、ジンは知らない。しかしその時、町長の犬は、鎖に繋がれてはいなかった。
「……え? うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
一直線に走ってきた犬によって、ジンは一瞬にして組み伏せられてしまった。
唸り声を上げる犬。その意識は、ジンの喉元に向けられていた。
(殺される……!!)
ジンは死を覚悟して、目を瞑った。しかし次に感じたのは、犬の牙が喉元に刺さる感触ではなく、生暖かい「何か」が体に降りかかる感触、続いて犬の体がのしかかってくる感触だった。
「え……?」
ジンは恐る恐る目を開ける。彼は血まみれだった。そして、首元から血を噴き出す犬の死体をどかすと、目の前にいたのは……。
「リタ……?」
血まみれの鎌を持ち、座り込むリタだった。