第1章‐1 平穏の終わり
「師匠! 今日の作業、終わりましたよー」
その少年、イングは、師匠の部屋に入るなりそう言った。
ここは魔法使い、ジンの家。イングはジンの下で、住み込みで師事を受けている、魔法使いの見習いだった。
「ご苦労様、イング。君が来てからと言うものの、何もかも頼りっぱなしになってますね」
「いいんですよ。ここに置いてもらって、修行させてもらってるんですから。当然のことです」
労わるように言うジンに、イングは何でもないというようにそう返した。
ジンは、弟子を取るにしてはかなり若い魔法使いであったが、生活能力と言う点については皆無であった。家事は一切できないし、研究に精を出そうものなら、放っておけば何日も飲み食いなしになることもあり得る。弟子入りしたばかりの頃、イングは何度も頭を抱えたものだが、慣れてきてからは、持ち前の器用さを発揮して見事に家事をこなしている。そんな忙しい中でも、肝心の魔法の修行も忘れない。極めてよくできた弟子であった。
「それにしても、今日は仕事が早いですね。何かありましたか?」
「何かって……今日は町でお祭りをやる日ですよ。俺、結構楽しみにしてたんです」
「……あぁ、今日でしたか。まぁ、そんな日くらいは修行のことは忘れて、思い切り楽しむのも良いでしょうね」
「いや、今日の修行はもうこなしました」
「……君は本当によくできた弟子ですね」
半ば呆れながら、ジンはずり落ちた眼鏡を上げてそう言う。そんなジンの心中を知ってか知らずか、イングは話を続ける。
「えーと、特に忘れてることは……あ、今日は町長さんの家でご飯が出るので、夕飯は用意してません。ので、師匠は忘れずに町長さんの所に来てください」
「分かりました。楽しんできてくださいね」
「はい! じゃあ、行ってきます!」
そう言うと、イングは早足で部屋を出ていってしまった。よほど楽しみにしていたのだろう。
部屋に残されたジンは、窓から外の様子を見る。確かに、広場の方向に人が集まって、賑やかそうにしている。小さな町の、ささやかな娯楽。本当に皆、祭りを楽しみにしているようだ。
「祭りですか……確かに私も、昔は楽しみにしていたものです。あの子と一緒に……」
そこまで言ったジンの表情が、苦虫を嚙み潰したように曇る。彼は軽く頭を振り、胸に過ぎった物をかき消そうとした。
「昔のことと……忘れた方がいいとは思うのですがね」
そう呟き、ジンは目の前の研究に取り掛かることにした。
楽しい祭りの時間は、あっという間に過ぎていった。
よそから来た大道芸師や楽団のパフォーマンス、装飾品を売りに来る行商人、町の人が催す、簡単な屋台。町の子供たちは、それらに目を奪われ、貯めていたお小遣いとの睨めっこに明け暮れている。
普段は仕事や修行に精を出しているイングも、ここでは思いっきり羽目を外していた。屋台のホットドッグを食べ、音楽に合わせて友達と踊り、町の人に勧められて、魔法を使っての簡単なパフォーマンスを披露したりもした。
やがて陽は傾き、芸人や商人は帰っていく。最後は町長の家の庭でのバーベキューが開かれる。催し物に興味がなく、祭りに参加してなかった町人も、このために町長の家に集まってきていた。
(師匠、夕飯のこと忘れてないかな……?)
町人がほぼ集まり食事を始める中、ジンが居ないことに気付いたイングは、ふとそんなことを思った。
(また全部忘れて、研究に没頭してるのかも)
やれやれと思いつつ、イングは近くに居た人に一言言って、ジンを呼びにジンの家に向かった。
そして、家の中に入ろうとした、その時。
爆音が辺りに響いた。
「なっ……なんだぁっ!?」
爆音は非常に大きい。バーベキューの炭や薪が弾けるのとは訳が違う。しかしその音は、確かに町長の家の方から響いてきていた。
続けて悲鳴。そして二度、三度と続く爆音。これはもう異常事態だった。
「何があったって言うんだ……?」
イングは居ても立ってもいられず、広場の方に引き返した。