南の港町
森の中の一本道をひたすら進んでいたが、やっと休憩所らしき小屋が見えてきた。ノールモントを出て二日経っていた。
休憩所では軽食と飲み物を出していて、僕と葵は三時間ぶりに喉を潤した。裏側には見晴らしのいい展望スペースがあって、馬車が出発するまでまだ時間があったので、葵とそこで休憩することにした。
「あれかな、向かってる街って」
「そうっぽいな。あと少しだな、、、」
「あれ、わざと触れてないでしょ」
葵は笑いながら指摘する。確かにわざと触れていないことがひとつあった。
海が、見える。
それも、眼下に見える街の先は一面が海だった。
「あ、ばれた?」
ちょっととぼけてみる。葵は笑いながら、
「そりゃ分かるよ、、、」
呆れたように言った。付き合っていた頃なら軽く肩を叩いて突っ込んできたけれど、さすがにそれは無理なようだった。一緒に行動しているとはいえ、僕らはもう別れている。それを感じてなぜか少し寂しくなった。
「海、久々に見たな」
「そうだね」
この世界に来てもう三か月以上経ったけれど、過ごしてきたのは山間の街で海を見る機会は一度もなかった。
久しぶりに見る海は眩しかった。天気が良くて日差しに反射して輝いているというのもあるかもしれないが、日本にいた頃はすぐに見に行けた海は、この世界に来てから遠くなってしまっていたから、少しだけ日本の海が見えた気がした。
馬車はそれから二時間ほど街道を行き、川沿いに出て程なく目的地に着いた。
イストポートという名のこの街は、漁業が盛んで、同じ大陸の中で最大の都市まで陸路と空路の両方があり、大陸の北側の要衝といえる街だった。僕らは海路を使って、その最大の街を目指す。ここは休憩地点だった。
僕と葵は、気分転換で市場に行ってみることにした。市場はその街を知るのに一番適している。理由は、名産が多く並んでいるからだ。例えるなら、新幹線の停まる駅のようであった。
「あ、これ鯖だよね?」
葵は市場に並ぶ魚に見入っていた。鯖や鰯などが特に多く、中には桜色の魚もいた。
「美味そうだな」
返答がなかったから、葵、と少しだけ声を張り上げる。
「あ、ごめんぼーっとしてた」
葵はへへ、と力なく照れた。
「眠いんだろ」
笑いながら突っ込むと、葵はばれたかー、と言いながらあくびをした。
「宿探そうか」
「うん。また後でここ来ようね」
あとで魚食べようか、と僕が言うと、葵は久しぶりだあと言いながら僕を見た。
久々に見たくしゃ顔に、不覚にも可愛いな、と思ってしまった。
海岸沿いの小さな民宿に宿を取ってひと休みした僕らは、魚料理の店で夕食を取ることにした。
ノールモントにいたときは農産物と山菜ときのこと、たまに市場に並ぶ猪肉が食べ物だったから、転移前はあれだけ食べていた魚が特別な食べ物に見えた。
さっきから向かいの席で落ち着きがなくなっている葵はもともと魚好きだったか。
「ほんと久しぶりだよな」
「四か月ぶりくらいだよ。早く食べたいなあ」
待つのがとても楽しいイベントだと勘違いしそうなほど、彼女はテンションが高かった。食べに来てよかったな、と心から思った。
それから少しして、頼んだ品が届いた。僕が頼んだのはバターと白ワインを使ったソースをかけたタラのグリルで、葵はシンプルな塩焼のアジとブイヤベースだった。
スープを啜って、たまらねえ、、とでも言いそうな表情をした葵は、すぐに焼き魚を食べて
「鰺でこんな感動したの初めて、、、」
と言いながら夢中になって食べている。基本的には奇麗に食べているのだけれど、スープに服の袖が浸かりかけてしまって、僕がそれを指摘した時には手遅れだった。
「うわあ、、、。私行儀わる、、、」
「夢中になってるからだよ」
僕が言うと、彼女は笑わないでよー、と言いながら僕の料理をひとかけつまんだ。
「どさくさに紛れて何してくれてんだよ」
「お返しだよ」
二人でこんなに笑ったのは本当に久しぶりだった。
笑いながら僕は、この街のおいしい魚に感謝でいっぱいだった。
翌朝、僕らは宿の一階で待ち合わせて港に向かった。宿を取るときは、部屋を別々に取るのがこの旅での自然な流れだった。
港には獲れた魚が水揚げされているだけではなく、海路で移動する人に向けた乗船案内所がある。交通の要衝だから来ている人はとても多かったが、宿の人に聞いたところ魔物が狂暴化してから運航本数が減り、利用者も平時の六割程度になっているという。普段の活気も見てみたいものだ。
案内所で乗船手続きを済ませた時に、一つ心配な話を聞いた。
大洋横断航路が欠航しているらしい、というものだった。真偽はその便が出ている街に行かないと分からないが、仮に欠航しているとなると目的地まで行けないので心配だった。
船は、僕らが手続きを済ませて港に向かうと既に停泊していた。大きな帆が縦に二枚あるのが特徴的な、一般的なフェリーほどの大きさの船だった。
「実は私初めてなんだよな、、、」
隣でそうつぶやく彼女は、期待と不安が共存しつつ、期待のほうが大きいようで声が明るかった。一方の僕は船は乗ったことがあるが、目的地まで一日を要する長距離航海は初めてだった。船酔いしないかが正直心配だ、、、。
パンなど航海中に必要になるであろう物を買って、早めに船に乗った。せっかくだから出港して街が遠くなるまで外の空気を吸おうと葵と決めて、二人でデッキの柵に腕を掛けながら海を眺めた。空は快晴で、漁帰りの船が頻繁に行き来している。このあたりの海は青魚が豊富なようで、港に揚がっている魚は鯖や鯵が多かった。ノールモントが山間の落ち着いた街だったのに対して、このイストポートは活気に満ちた賑やかな街だった。こんな街も悪くないなと思った。機会があればまた訪れたい街である。
下を見ると、出港のためにロープを解いているところだった。そしてゆっくりと、船は陸から遠ざかってゆく。広がる帆は、目指す海に向かって膨らんでいる。
「今日は風に恵まれたな」
少し離れたところにいる船長が、近くの乗組員に言う。
まるで僕らの旅を応援しているような、気持ちのいい船出だった。