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転機

「ありがとうございます。」


 葵は優しい声で、手作りの洋服を買ってくれたおばさんに礼を言った。彼女はいつも服を買ってくれる人で、気さくに雑談を少ししてからいつも帰って行くが、今日は急いでいたのか直ぐに帰る姿勢だった。


 「いつもありがとうね。」


 人当たりのいい笑顔で一言、それからおばさんは満足気な様子で帰路に着いた。


 「今日はこの辺で閉めるか」


 後ろで今日の売り上げを数えながら、僕が葵に呼びかけた。


 「そうしよっか」


 葵は疲れ気味な声で言った。朝は早く起きて洋服を仕立て、それから店先に立って販売をしている葵は間違いなく僕より働いているから、そうなるのも無理はなかった。


 「今日も結構売上いったな」


 「そうだね。ありがたいよ」


 夕陽が、沈む手前の一番眩しい光で街を照らしていた。それは僕らにとって店閉めの合図になっていた。

 僕らは店を畳んでから、葵が作ってくれた夕食をとった。オニオンスープとクロワッサン。この世界の肉は高価なので多くは食べれないので、いつもシンプルな食事である。話によれば海沿いなら魚が安価で、海を渡れば肉もこの街よりは安価で手に入るらしい。いつか行ってみたいものだ。

 次の日も朝早いので、それからすぐに寝床に入った。

 僕と葵は、生きるためにまずノールモントで生計を立てる決意をした。葵の提案で、洋服を作って売る事を生業にするためにそれぞれ努力を続けた。それからもう三カ月である。僕の場合は狩りに挑戦したが、アベルの教え方が上手かったのが大きくて、自力で狩りが出来るまで平均ひと月かかるものが二週間だった。その間何度も怪我はしたが、大型の魔物を一人で狩れた時の喜びで全く気にならなかった。

 狩りは一日に狩れる量に規制がかかっているので、狩りが上達してからは昼には仕事が終わるようになって、葵の手伝いが出来るようになった。

 慣れてきたある時に、アベルが僕に言った。


 「俺と同じ様に狩り出来るんだし、もう教え子じゃなくて相棒だな」


 まともに魔物と対峙する事すらままならなかった僕にとっては、師匠からのその言葉が何より嬉しかった。それ以来アベルとは狩り仲間になった。

 葵は、売れる程度の質の服を作れるようになるまでは一週間かかった。それだけなら早いが、初めは呉服店に持ち込んで売ってもらっていたため収入自体はあまり高くなかった。その状態に転機が生まれたのは、持ち込むようになってから一カ月してからだった。


 「この世界って洋服みたいなのがないんだよね」


 ふと葵は、服を作りながら呟いた。それから少しして、思いついたように言った。


 「それを作って売れば手に取ってもらえるかも!」


 思い付いてからの彼女は、それまで通り服を作りながら、傍らで洋服を試作し始めた。そして一ヶ月後、葵自身が納得する質の洋服が出来上がった。初めて見せてもらった時は、その完成度の高さに驚いた。僕らがいた世界で売っている服とさほど変わらない、縫い目の精緻なシャツだった。

 完成後、彼女は呉服屋に持って行ったが、この世界で主に着られているローブとは明らかに違うシンプルな造りはそこの店主にはあまり理解してもらえず、結局その店頭には並ばなかった。

 諦めきれなかった葵は、その商品を自分で売りたいと僕に言うようになった。僕と葵は日に稼いだお金を最低限の生活費と仕事で必要なもの以外には使わず貯め置いていたのだが、互いに頑張ったからなのか店舗を借りる費用はあった。


「やってみっか」


軽やかな僕のその一言で、僕らは店を出すことになった。

僕と葵が店舗を借りたのは、街の中心部にある教会から少し西に行った所にある、商業街道の外れだった。主力で売ったのはもちろん葵の洋服で、それに加えてローブも販売した。始めはローブしか売れなかったが、来てくれる人一人ひとりに洋服の試着を勧めたり、宣伝のために洋服の側に説明書きを大々的に書き置いたりして、徐々に評判になって行った。その評判を広めていったのは、間違いなく葵の作る服の質の高さだった。縫い目はなかなか壊れないし、細かいからか着心地が良かった。 

こうして、葵のおかげで評判の服屋を出す事が出来た。それは感謝してもしきれなかった。

旅に出るための費用もすぐに貯まったから、今すぐにでも旅に出られる状況である。

だが、肝心の元の世界への手掛かりは何一つなかった。お客さんや市場の人、狩り仲間に異世界への伝説がないか聞いても、有力な手掛かりはなかった。旅支度も整い、いつでも元いた世界に戻るために動けるが、肝心な動き方が分からないまま、ただ時間だけが過ぎていっていた。

                ※

「号外―、号外―!」


新聞売りが高々に呼びかけている声で目が覚めた。明らかに、いつもより外が騒がしかった。

 下に降りると、葵は既に起きて新聞を読んでいた。


「外、騒がしいな」


僕は葵に挨拶がてら声をかけた。葵は読んでいた新聞を閉じて僕に手渡しながら、

「よく分からないけど、読んでみて」と、苦笑いしながら言った。

 新聞に目を通すと、イステレス最北の村が占領、との見出しが初めに目に着いた。それだけでも僕には馴染みのない事で驚きだが、その後の小見出しが更に理解し難かった。


 「シミラって何?」


 葵に聞いても多分分からないであろうことを、思わず聞いてしまった。当然、

 「私も分からないよ」の答えだった。葵が続ける。


 「今日一日、調べてみない?」


僕が咄嗟に思ったのは、これは何か、元の世界に戻る手がかりになるのでは、という事であった。初めて聞いたシミラという何かが、僕らが帰る手がかりになるのではないか。もしそうであれば、僕らが動かない訳にはいかない。


「そうだな、調べに行こう」


店を一日閉める事にして、僕らは図書館に向かった。思えば、この世界に来てから図書館に一度も行っていなかった。魔物という動物がいる事を知った時も、動物の一種と知ってそこまで調べる気にはならず、結局何も調べなかった。図書館に行くのがもっと早ければ、動き出すのももっと早まったかもしれないと少し後悔した。図書館に向かう足が、そのおかげで少し早まっていた。

図書館に着いた僕らは、まず職員の人に聞いてシミラ関連の書物を数冊読んだ。読んだ内容をまとめると、シミラとは人間の亜種である。見た目はほぼ人間で、人よりも体格的には大きく、力が強い。一方で、シミラは意思の疎通に言葉を使えず、代わりに文字のみでそれを図る。そして、文明的には人の方が優れている。そのため度々、彼らが居住している北の大陸から人間の領地に攻め込み、文明や食料を奪う行為を繰り返した。今までで僕ら人間が意思の疎通を図ろうとした事は歴史上何度もあるが、その度にシミラは武力で拒否してきたため、彼らとの交流は一度もなかった。

シミラの事が新聞で取り上げられなったのは、対立した状態が当たり前であり、シミラが人間の領地に危害を加えない限り報じる事がなかったからで、僕らがシミラを知るのが遅れたのもそれが理由だった。

ここまで知って、やはり僕らが今いる世界は元の世界とは全く違う成り立ちの、別世界である事を改めて実感した。だからこそ、この世界での生活にはすっかり馴染んでしまったが、その事実が元の世界に戻るという本来の目標をまた意識し直すきっかけになった。

本を読み進める。シミラとの過去の戦争の記述の欄にたどり着いた。書き出しは二百年前からで、こちら側の損害と戦争の経過が詳細に書かれている。その記述の中で気になるものがひとつあった。


<北西戦役(テルス暦一六六〇~一六七五)。イステルス最北の街にシミラが侵攻。わが方は、シミラが鉄砲や砲撃を多用する戦術に苦戦しイステルスの北半分を占領される。その後はわが方の必死の対処によりそれ以上占領されなかったが、膠着状態に陥り泥沼化。それが一二年続くが、一六七二年に四人の指揮官が現れたことで一気に持ち直し、そのまま勝利に至る。その指揮官の長官は名前をコダマと言い、この戦役から一ヶ月後に突然姿を消す。彼を記念する像は今も、彼が最後に訪れた街フレーヌにある。>


何が気になったかと言えば、コダマという指揮官の名と、突然姿を消したという事である。コダマとはつまり日本人の名であろう。その彼が活躍した後、姿を消したという。状況的に自殺は考えにくいし、姿を「消した」ということはつまり彼は見つかっていないのだろう。ここで思いついた仮説は、彼も僕らと同じようにこの世界に転移して来て、為すべきことをなして元の世界に戻ったのではないかということだった。普通ならあり得ないだろうが、僕らの今のこの状況自体が想定外なのでこの仮説は可笑しくはないだろう。

同時に、もうひとつ仮説を思いつく。

シミラとの戦役が始まったこのタイミングで僕らが来たのは、これと何か関係があるのではないか。関係があるとすれば、僕らもコダマという人物と同じく戦いに向かうべきで、そうすれば元の世界に戻れる可能性もあるのではないか。

この仮説は、同時に僕と葵が戦に向かうことを意味する。いや、葵は戦場には出向かないだろうが、今まで二人であったからこそ出来た生活を捨てる事になりかねないであろう。そう思って葵の方を見ると、葵とちょうど目が合った。互いに気まずくなって目を逸らす。


「これって、私たちが動いたら何か変わるのかな」


僕の方は見ずに、俯き気味な視線のまま葵が言った。同じ思考になっていたことに少し驚く。


「仮説に過ぎないけど、その可能性はあると思う」


しばし沈黙した。


「行ってみる?」


遠慮しながら葵が言う。

コダマという人物が姿を消したというのが、彼が元いた世界に戻ったというのはあくまで仮説に過ぎないが、この世界で日本人の名前の人物には一度も出会っていないし、記録に残る唯一の日本人が突然姿を跡もなく消した事から、それが事実である可能性は十分あるだろう。

ただひとつ、彼女に確認しなければならない事があった。


「シミラがどういう存在かは分からないけど、戦うってことは死ぬ危険も大いにあるけど、いいの?」


「私は、雄貴がいいならついて行くよ」


答えは考える間もなく返って来たから、彼女が聞いた時点で決意は出来ている様子だった。


「俺らが行ってどこまで戦力になれるか分からないし、戻れない可能性もあるけどいいの?」


「何もしないより全然いいよ」


彼女の強い語気には決意がある様だった。確かに、彼女の言うとりで何もしないより出来る事は全てしておきたい。僕が弱気になっているという事に、葵の決意を通して気付いた。男の自分が弱気では情けない話だ。


「よし、なら一度行ってみよう」


僕らが向かうのは、海を挟んだ反対側の大陸の最北端の村だ。飛行機などないこの世界で、そこまで行くのは相当時間がかかるであろう。もちろん到着するまでにシミラとの戦いが終わる可能性だってある。それでも、じっとしているより少しでも元の世界に戻るための方法を探すために動きたい。元の世界に戻るというのは、僕と葵がこの世界で再会してからの約束だった。葵もその事を考えたからこそ、危険もある決意をしているのだろう。僕が動かない理由はない。

図書館を出ると、街はすっかり夕暮れだった。具体的な準備は明日になるだろう。必要なものを揃え、旅程を決める。早朝から動くために、僕も葵も帰路を急いだ。

               ※

 夜が明けた。

 この街では朝八時の教会業務の始業時間になると鐘が鳴る。街の人は大多数が時計を持っておらずそれを合図に一日を始めるため、僕ら二人もそれに合わせて、情報収集に向かった。情報によれば、教会で有志兵を募っているらしい。それを確かめるためと、出来ればそれに参加したいと思っていた。

 教会はやはり混雑していた。もちろん僕らのように有志兵に参加するために来ている人も多かったが、混雑の最たるものは、手紙を送るための郵便部であった。

シミラとの臨戦態勢になってから、なぜなのか魔物が凶暴化し、そのため大陸を自由に行き来できなくなったからであった。親類や友人、恋人の安否を気遣う人がこぞってここに殺到していたため、教会の業務はほとんどそれで占められていたようであった。

僕らは、その郵便部を素通りして有志兵の募集を担当する総務部に行った。中にいる人は屈強な人ばかりなのかと思っていたが、僕と変わらぬ体格の人や、女性まで多く集まっていた。

その様子を見て、やはり葵の事が心配になった。葵は優しい人柄だ。戦いになんて向いていないのは明白だった。命懸けで行くのは僕だけでいいのではないかと思った。


「葵、、、。」


呼ぶと、葵は「どうしたの?」と言いながらそっと僕の方を見た。僕を見た彼女の眼はまっすぐで、明らかに覚悟している様子だった。

何も言えなくなった。危険を顧みず決心している人に、僕だけが危険にあって君は安全な所にいて欲しいなんて身勝手すぎると思った。


「私は大丈夫だよ。」


僕の表情から言おうとした事を察したのか、葵は僕を説得するように言った。


「だから雄貴も大丈夫でいてね。」


葵の方が怖いはずなのに、そんな姿は全く見せなかった。葵は決心すると本当に強いと、この時ほど思った事はなかった。

 受付は、義勇兵を募るというよりは戦場までの旅費を補助してくれる制度の申し込みだった。シミラと緊張状態になってから魔物が狂暴化したらしく、なるべく少人数で魔物を刺激しないように移動しなけらば行けないようで、一気に義勇兵を輸送することはないらしい。

 僕らは翌朝の馬車で出ることに決まったので、今夜は旅に向けて早く寝ようと思った。

 この街での暮らしが上向いたのは、すべて葵のおかげだった。それを考えたら、僕はこれからは葵を支えないといけないなと今まで以上に思った。きっと彼女は遠慮するだろうけれど、僕に出来ることは全力でやろう、そう誓いながら、店までの帰路を歩いた。



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― 新着の感想 ―
[一言] よく元の世界での事をすっきりさせずに一緒に居れるなぁ……
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