苦い再会
草原だった景色は、整然とした住宅地に変わった。カフェを出た時は僕しかいなかった馬車の中には、他にも二人乗客がいた。それから、馬車は終点の街に着いた。
馬車を出て、操縦士のおじさんにカフェでおばさんから貰った交通費を差し出して、街を他の乗客について歩いて行く。町並みはヨーロッパのようだった。道は石畳で整えられ、道に沿って建つ家々は、土壁がきめ細かく美しかった。街の中心に来てから一軒家を見ていないから、この建物達は集合住宅らしかった。
カフェを出たのは二日前、それから住宅の多くなる事はあっても、大きな街を通る事はなかった。カフェでおばさんに聞いたこの街は、ノールモントというらしい。山間にある盆地に広がるこの街は、他の多くの都市に繋がる馬車の起点となる要衝地という。人口は五万ほどだが、この世界では多い方らしい。要衝であるからには、いろいろな都市から人が集まるから、これから何をするか考えるのに適している。
しばらく歩いていると、街の案内板があった。文字は知らないはずだが、なぜか読む事が出来た。案内板によれば、街は中心部に教会があり、それを囲うように広場が、そしてそこから四方に太い道があり、それに沿って碁盤状に住宅地が広がっている。都市らしい碁盤の造りの街の南端には馬車の停車場が、東には市場がある。僕がいるのは西に延びる通りで、このまま歩けば教会がある。行くべき所の見当がつかないので、とりあえず教会に行ってみる事にした。
教会は、外見は大聖堂だが中身は役所のようだった。例えば、生活困窮者向けの仕事紹介所や、戸籍登録所がある。その中に、街の案内所があった。そこに行けば、何か聞けるかも知れない。迷子になったような気持ちを抱え、案内所へ向かう。そこへは歩いて直ぐだった。
「こんにちはー。どうしました?」
案内所に着いてすぐに、受付の女の人が訪ねた。彼女もやはり西欧風で彫が深く、目は青かった。
聞くべき事が分かっていなかった僕は、何を答えるか迷って目を逸らした。知らない事といえば、この世界が何なのかも知らないし、次に何をするべきかも分からない。旅に出て話を聞こうと決めたはいいが、最善の質問が何なのか分からなかった。
「この世界の事について知りたいです。」
ここで暮らして来た人からすれば、訳の分からない質問だったろう。でも、ここまで来て何も聞かずに立ち去るのはもったいないと思った。
聞くと女性は予想通り驚いた様で、僕をじっと見たまま少しの間時が止まったようだった。それからまた再生したかのように地図を取り出して、
「これの事ですか?」
とそれを指さして言った。
「あ、はい。」
僕が言うと、彼女は地図を広げて、
「この世界は三つの大陸から成っていて、この街は北のこの位置で、、、」
と、丁寧にこの世界の事について一から説明してくれた。地図には大きな大陸が3つあった。横長の大陸が地図の上部の四分の一を占めており、その下に、海を挟んで左右両側に縦長の大陸が伸びている。全体を見ると鳥居の様だった。地図を見る限り、僕のいるこの世界は元いた世界とは全く違うらしかった。怖い事だが、そうなった以上は何もせずに居れる訳はないだろう。旅を続けていくことで、この世界の事は知れるに違いない。その中で何か元の世界に戻る手がかりも得られるかもしれない。それを信じない選択肢はなかった。それが唯一、僕がこの世界で生き抜き、元の世界に戻るための選択肢だった。
「ありがとうございます。」とだけ伝えて、その場を去った。聞く事が他に思い付かなかった。
その他に、何か手掛かりを掴む事は出来なかった。誰に何を聞こうにも、自分が今何を知りたいのか、どう聞けばいいのか、全く見当もつかなかった。分かっているのは、僕が全く知らない世界に居るという、ただ一つの現実だけだ。
それに、今僕が持っているお金では、今日の飯すら手に入らない。何か食える術を探さなければいけないのは確実だった。それは今日を凌ぐという意味ではなく、この世界でしばらく生活しなければいけないという事だ。この教会に入って来るとき、案内看板に職業紹介所とあったのを思い出した。とりあえずそこに行くしかない。縋るような気持ちで向かった。
紹介所は歩いて直ぐだった。入り口のドアを開けると、左には相談のための席が三つほどあった。右にも掲示板があり、貼ってある内容を見ようとその方を見ると、掲示板を見ている見覚えのある姿があって、僕は夢を見ている気持ちになった。
「あおい、、、?」
呼びかけると、彼女は驚いた様子で僕の方を向いた。
「え、、、 何でいるの、、、?」
純粋な白い肌で、綺麗な輪郭に少しだけ頬が膨らんだ丸い顔。主張のはっきりした目。全体的に優しい顔立ちの彼女は、間違いなく、この前まで恋人だった葵だ。
「こっちの台詞だよ、、、。」
思った事がそのまま外に出ていた。ただでさえ訳の分からない状況が更に深く分からなくなる。知っている人にこの世界で初めて出会えたに変わりはないだろうが、振られた立場の僕には、はじめ一緒に行動するという選択肢が心のどこにもなかった。会った事がなかった事にならないかと思った。
「ひとり、、、?」
そんな感情になっている僕に、彼女は探るように小さく聞いた。彼女としても同じ様な気持でいるはずだろう。別れた相手に会っても、普通でいられるほど時間は経っていないし、彼女は僕に、別れようと思った理由も言っていない。一緒にいようとは、彼女としても思わないはずだ。それなのに、彼女は僕を繋ぎとめるようだった。それは、僕と同じように、ここまでの道のりをひとりできたのだとしたら、無理もないかもしれない。極限まで心細かっただろうし、これからもそれが続くと考えると何もできない怖さに向き合わなければならない。一人で向き合うには、確かに限界があるかもしれない。
「ちょっと、移動して話そう。」
僕が言うと、彼女の表情は少し緩んだようだった。
紹介所を出て、廊下が広くなっている所にあるベンチに座って、葵から話を聞いた。彼女も突然この世界に来て、戸惑いながらこの街を目指したらしい。草原の中で気が付いた彼女は、途中で会った農家の人に助けてもらい、三日かけてこの街に来たらしい。
「怖かった?」
聞いてから野暮だと思った。
「怖いというより、何とかしなきゃって思った。ご飯も何もないんだもん。あの時農家の人に助けてもらえなかったら、今頃飢え死にしてたよ。」
少し笑いを含みながら、冗談交じりで彼女が言う。少しだけ表情が緩んだ気がした。
それから少しだけ沈黙した。別れたばかりでは、そんなに会話に気乗りはしなくて、雑談用の言葉は思い付かなかった。彼女も同じように見えた。少し顔を逸らして、気まずさを紛らわしているようだった。
「雄貴、、、。」沈黙を破って、葵が言った。
続けて何か言うようだったが、言葉に詰まっているようで、黙ってしまった。普段は目を見て話すのに、僕から目を逸らしていたから、言いづらい事を言おうとしたようだった。
「葵、、これから二人行動にしようか。」
僕としても言いづらかったが、言わないと何も進まなそうだったから、代わりに彼女が言おうとした事を口にした。彼女は驚いたようだったが、少しして
「そうだね、、、。」と呟くように言った。表情が緩んだ彼女は、少しだけ緊張が解けたように見えた。
頼れる人はこの世界では会えないと思っていた。少なくともはじめの内は、一人で旅をしていくだろうと思っていた。そんな中で、初めて出会えた頼れる人は、別れたばかりの恋人だった。彼女が別れを切り出した時、その理由を言ってくれなかったのは今も気になるけれど、別れた事を理由に別行動出来るほど互いに余裕がなかった。だから僕は、彼女と共に元の世界に戻る方法がないか探る事にした。
「がんばろうね、、、。」
控えめな声で葵が言った。
「おう。まず飯探しか、、、」
僕が言うと、彼女ははっと気付いたようで、少し恥ずかしそうに苦笑いした。ほぼ一文無しなことを忘れていたらしかった。
職業紹介所に戻って、相談員の人に僕と葵の困窮ぶりを伝えると、彼はそうした困った人に向けた住宅がある事を教えてくれた。そこは働くことを条件に貸し出していて、僕たちはとりあえずそこで生活する事にした。
「結構近代的なんだね」
葵がひとり言のように言った。確かに、街の装いから考えれば、職業案内してくれるというのはとても進んでいる気がした。そのおかげで、今日は野宿しなくても大丈夫そうだ。
「仕事、、、。これやってみない?」唐突に葵が控えめな声で言った。葵が持っている紙には、衣服販売とある。
「葵、服作れるの?」咄嗟に出た疑問を口にする。
「練習すれば何とか出来ると思うんだ」
紙に書いてある、説明書きの続きを読むと、仕事は衣類の販売だけではなくて、その原料の調達も自分でするという。原料だけで収入を得る事も出来るため、葵が売れるくらいの服を作れるようになるまでは、それで生活していく事になりそうだ。
「私も出来る事はしたくて、、、。」
掠れそうな弱い声だった。僕に対して、彼女は遠慮しているらしかった。それでも、力になりたいという気は伝わってきた。目が真剣だった。
「しばらくは原料収入だな、、、。」
嘆くように言うと、彼女はありがとう、とだけ言って、それから黙った。だが、表情はどこか嬉しそうに綻んでいた。
外は陽の光が消えそうに強くなっていた。もう夕方だった。僕と葵は、その橙色の街の中を、紹介された住宅施設へ急いだ。
※
「雄貴、起きて、、、。」
葵の優しい天然目覚ましで目が覚めた。部屋は、ひとつしかない窓から差した光が照らしていた。少し寂しげであった。
ゼロから、ここから頑張らなければいけないと思った。この世界を旅するための費用もないし、今日の飯すら危ういのが現状である。
「これしか買えなかったんだけど、、、。」そう言うと、葵は持っていた包み紙からパンを出した。僕が寝ている間に、持っていたわずかな所持金で買って来てくれたらしい。パンは、何も付いていないただのバケットだった。硬いものだが、それでも美味しそうに見えた。側で食べている葵がとても美味しそうだったから、そのせいらしかった。
食べてみると、意外に美味しかった。硬くて乾ききっているが、少しだけパンに甘みがあった。これが今日を乗り切るための食糧だと思うと、大切にしないといけないと思った。かみしめるように食べた。
今日から早速働かなければならなかった。僕が選んだ仕事は、衣類の原料を獲るというものであった。原料とはどんな物なのだろうか。僕には蚕や動物の皮しか想像出来なかった。
一方の葵は、衣類の販売のための資格を取りに向かう。資格が取れたら、あとはひたすら買って貰えるレベルまで練習し続けるという。それもそれで大変だ。
「行こっか」僕が食べ終わったのを見かねて、葵が言った。
「行こう。」
外は澄んだ青空であった。
仕事着が教会から支給されたいたので、それに着替えた。道着のようなその服は、この世界の普段着であるローブに比べると幾分か動き易かった。家を出て葵と別れた僕は、街の外れにある猟師たちが集まる広場に向かった。広場には多くの猟師が集まっていた。この街は服作りが盛んで、街の名産として他の街との交易の際多く送り出されていた。
「よお、兄ちゃん。初めて見る顔だな。」
着いて早々に、しっかりした体格の男が話しかけてきた。濃い顔が男らしかった。
「今日が初めてなんです。」
「そうか、俺はアベルだ、よろしく。」
そう言って、アベルは手を差し出した。僕もそれに応じて握手を交わした。彼の手は、僕よりひとまわり大きかった。
「雄貴です。初めまして。」
アベルは僕に、狩り方を教えると言ってくれた。彼はこの仕事を始めて五年目で、まっさらからスタートする僕にとっては心強かったので、素直に教えてもらう事にした。優しい仲間に出会えてよかった。
原料調達に必要な道具として、刃渡り五十センチ程の短刀を渡された。渡されたものからして、原料は動物らしかった。アベルも鞘付きの短刀を準備して
「行くぞ」と僕に呼びかけた。
アベルと共に森の中を歩いて行くと、途中木が生えていない空間があった。そこに差し掛かる前で、アベルは僕に制止を促した。
「ここは獲物の巣だ。餌でおびき出すから、ここで見ときな。」そう言って、アベルは果実酒に着けたような臭いのパンを出して、その巣に向かって投げた。
「奴って何ですか?」
「知らないで来たのか?魔物だよ。」
「魔物、、、?」
「出てくるぞ」
まるでファンタジーの世界のようなその言葉に、僕は気が張った。魔物という事は、モンスターか何かなのだろうか。
「ヴルルル、、、、」
思ったよりも小さく鳴りながら、獣が一匹出てきた。牛のようで、よく見ると牙が鋭い狼のような表情をしていた。
「そろそろ出るから見ておけよ」
そう言って、アベルは鞘から剣を抜き、下向きに構えた。
「急所は首だ。二、三回突けば仕留められる。」
獣が帰ろうと後ろを向いたタイミングを見て、アベルは飛び出して行った。そして獣の肩に乗り、そのまま首を三回突いた。獣は一回吠えたが、その後すぐに倒れた。狩りは、そのほんの一瞬で終わった。一瞬の出来事で、僕は唖然として狩る様子を見ていた。夢でも見ているのかと疑うほどだった。
※
「今日の収穫分だ。お疲れ、雄貴。」
市場を出ると、アベルが僕に今日の収入の半分をくれた。魔物一匹と、あの後に収穫した蚕の繭一キロで八四〇〇トラス、その半分で四二〇〇トラスだった。生活費としては、家賃がない分二週間以上暮らせる額だった。
「こんなに、申し訳ないです、、、。」
結局、狩りに関して僕は何もしていない。見ているだけだったから、こんなに貰うのは申し訳なかった。
「いいんだよ。明日獲れるとは限らないんだから貰っとき」
そう言って、アベルは、僕が返そうとしたお金を突き返した。
「ありがとうございます。」
アベルの優しさに感謝しつつ、僕はそのお金を貰う事にした。早く自分も狩れるようになりたいと心から思った。
アベルから聞いた話では、魔物は動物の一種だという。主に衣類の原料とされている種が多く、刃物や馬車の潤滑油として使われる事もあるが、食用にはされない。人々の暮らしに密に関わってはいるが、馬などのように手懐ける事は出来ないらしい。
明日もアベルと狩りに行かせてもらえる事になった。アベルは、僕が慣れるまでは共に行動してくれるというので、本当に感謝の限りであった。いつか恩返しをしよう。
アベルと市場で別れた僕は、二人分の夕飯の材料を買って家路を歩いた。
「葵は、どうだったろう。」
夕焼けのせいかそんな事を思った。でも、彼女にそれを聞く事はないだろうと思って、心の隅に避けておいた。
街は、徐々に明りを灯し始めていた。