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追憶の温泉ホテル  作者: Kidney Yaponskiy
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9.大浴場

 大浴場はガラス張りでがらんとしていた。プラスチックのかごに浴衣を入れ、洗い場に入ると、想像通りの大袈裟なゴシックと和風が混ざった大浴場だった。


「今時だったら、和風にするとかもう少しセンスある風呂にするよな。」


 懐かしい感じの洗い場で体を洗う。コーナーには観葉植物が置かれている。


 ガラス張りの窓の外は渓谷の景色が広がっているのだろうが、あいにく暗くて見ることができない。外には温泉街であることを唯一証明する朱色の提灯が寂しげに点っていた。


 バブル全盛期であれば、こうした洋風の大浴場もさぞ賑わったことであろうが、今はかえって珍しく、「よく残してくれたな」と感慨深くなる。


 入浴客の桶の音が高い天井にこだました。


 体をひととおり洗い、いよいよローマ風の浴槽に浸かり足を延ばした。

 疲れがどっと押し寄せてきて、これが夢に見た「癒し」なのかと勝手に解釈する。


 このまま、ずっと浸かっていたいところだが、日頃、長時間風呂に浸かる優雅な暮らしをしていないため我慢できない。風呂から上がり、また浸かりを繰り返す。


 昨今の日帰り温泉施設では、サウナや外風呂など、様々な趣向の風呂があって退屈しないようになっている。ここの風呂は自分が浸かっている浴槽だけのようだ。


「少しはお寛ろぎになれましたか?」


 さっきフロントにいた支配人と思しき中年男性から声をかけられた。


「ええ、お陰様で癒されました。」

「この温泉は少し離れた川の上流に源泉があって、どのホテルもそこから引き湯しているんですよ。」

「これだけホテルが立つと、温泉の割り当ても大変なんでしょう?」

「ええ、温泉街が活気があった頃は本当に大変でした。」

「旅館組合があって、ウチの先代が組合長をやってたんですが、まとめるのが大変でね。今はバブルも終わって営業してるホテルも少なくなったので、そういった争いも懐かしい思い出になりました。」


「失礼ですが、このホテルのご主人ですか。」

「私で2代目になります。当時はたくさんの団体さんが、東京から来ていただいたので、ホテルを建てることができました。」


「昔のままの風情を、よく残していただきましたね。私も子供の頃に1回、会社に入りたての頃に社内旅行で1回、利用させていただいた記憶があります。当時はどのホテルに泊まったのか覚えていないのですが、懐かしい気持ちになりました。」

「実はこのホテルはバブルがはじけて先代が亡くなった時に1回、営業を止めたんです。私は当時、東京で大学に通ってまして、親父の仕事は継ぎたくなかったので、そのまま東京で就職したんです。それで1回はホテルを手放したんですが、やはり景気が悪くて次の方も長続きできなかったんですね。結局、廃業しました。」


「どの位、ホテルは閉鎖されてたんですか。」

「15年くらいでしょうか。東京の会社で希望退職者の募集があって、それをきっかけにUターンしました。ホテルの権利はただ同然だったのですが建物は荒れていましたし、営業を再開するまで5年かかりました。」


「どうしてまたホテルを再開しようとお考えになったのですか。」

「地元への恩返しでしょうか。私はここで生まれ育ちましたから、たくさんの方が生活に困っているの見ておりました。何か働き口を作れないか、お手伝いできることはないかって考えるとホテルだったんですよ。」


「ホテルは地元の役に立つんですね。」

「ええ、ホテルは地元に支えられて初めて営業できるんです。逆にいうと経済基盤がない場所にはホテルは建てられません。料理人や客室係、レストラン、掃除、洗濯、歌謡ショーの芸人さんなど、たくさんの方の協力で成り立ってるんです。ホテル内で働く方だけではなく、食材を提供してくれる農家、牧場、石鹸とかタオルを供給してくれる業者さん、昔の「つて」でお願いしました。ほとんどの方が高齢化で休業していましたから、自家用に僅かに作っているものを分けていただいたりしてます。こうしてお客さんに来ていただけるようになって、序々に協力の輪を広げてきました。」


「夕食のカニが美味しかったですよ。家族もお腹いっぱい食べることができたって喜んでました。」

「あれは学生時代の友人の協力なんです。水産物卸をしているので、特別に毎日、運んでもらってます。鮎は召し上がりましたか。」


「美味しくいただきました。日本酒がよく合うんですよね。」

「近所の養殖をしている家にお願いしてるんです。一旦廃業したんですが、息子さんも私みたいにUターンで戻ってきまして、何か仕事はないかっていうことで再開していただいたんです。」


「そうですか、街が活性化してきているんですね。」

「序々にですが、みんなバブルの再来を求めているのではなく、何とか、町の特色を出そうとしているんです。まずは人を呼ぼうって訳ですね。」


「カニのHPはインパクトありましたね。それと湯葉でしょうか。妻もあれを見て、ここに決めたみたいです。」

「ありがとうございます。そう言っていただけると頑張り甲斐があります。湯葉は駅前のお豆腐屋さんで作っている、地元産の食材のものなんです。湯葉に限らず出来るだけ地元産の新鮮な食材を使っているんです。」


「それで恩返しと云う訳ですね。」

「ええ、今はまだ充分に地元の支えにはなっていないのですが、それでも働いた分だけ、収入が得られる状態でないとみなさん続きません。そういう人が増えて活気を取り戻せたら良いなと思ってるんです。」


「歌謡ショーの人たちは、どのような方なんですか。」

「ひと駅隣に鉄道会社がやってるテーマパークがあるでしょ。無理を言って、あそこの楽隊の方に来ていただいてるんです。昔は東京から住み込みで来ていただいていたんですが、今はそこまでお金はかけられませんから。従業員用の宿舎が近所にあるんですが、そこはまだ、手を付けていないんです。」


「妻と娘が感激していました。」

「楽しんでいただければ嬉しいです。」


「ええ、本当に癒されました。私は昔を知っているので、懐かしい気持ちになりました。」

「ホテルのロビーとかシャンデリア、ゲームも昔のまま残しているんです。」


「そう思いました。こだわりがあるんだなって。」

「ええ、出来るだけ昔のままにしています。昭和の名残ですが、今はかえって新しいかも知れないって。あの時代を知らない若い方も、確かにそういった時代があったってことを、分かってもらいたいなって。」


「バブルがはじけてそういう経験も、ずっとマイナスだったと思ってましたが、マイナスはマイナスで次の世代が繰り返さないように、しっかり伝えて行きたいですね。」

「そうなんです。時代に目を塞がず未来に目を向けてね。」


「今日は貴重なお話、ありがとうございました。月曜から会社ですが、お話をお伺いしてまた頑張ろうって気になりました。」

「私のほうこそ、つまらない話で申し訳ないです。旅館街でも頑張ってる方が増えているので、是非、明日はいろいろ見て行って下さい。」


 同世代の支配人の話は面白かった。「町おこし」って言うのだろうか、明るい未来を信じて自ら作っていく「やる気」のある人だった。


 悲観的になっていた自分を、新たな方向へ導いてくれたような気がした。


 部屋に戻ると妻と娘は既に寝ていた。テーブルには鮎が皿いっぱいに載せられている。私のためにわざわざ持ち帰ってくれたらしい。

 ふたりを起こさないように、鮎を肴にして、また日本酒を呑む。自分のわがままに付き合ってくれた妻と娘に感謝して。

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