8. 開始
新生児のお世話で、オムツ交換や授乳のシーンがあります。問題はないと思いますが、念のため苦手な方はご遠慮下さい。
マタ王は少し緊張した面持ちだったが、ポルモネのマイクテストに気が和らいだ。
「では、早速計器を操作して実践しながら覚えていきましょう。マタ王様、ランプが点滅しているのがわかりますか?」
ルビーネから部屋中央にある座席に着くよう促されると、目の前にずらりと並んだ“整備中”のシールの間に『快』と『不快』と書かれた二つの文字が見えた。点滅しているのは『不快』のランプだ。
「このランプが点滅し出したら、こちらの『泣く』というスイッチをONにして下さい。」
どうぞ、と手で示されたツマミには、四角で囲って『泣く』と書いてある。それを言われた通り“ON”と記されている上側へパチンと上げた。
◇◇◇◇◇
「円山さん、ちょっと早いけど赤ちゃんのお世話してみる?丁度今泣き始めたんだけど。それともやっぱり今日は一晩休んで明日からにする?」
産婦人科医院によって、出産後新生児と一晩別に過ごして休み、翌日からお世話を始めるというところや、出産直後から母子同伴させてお世話を開始するところなど、方針が違う。
美森が出産したこの医院では、産後どう過ごすか個人の意思を尊重してくれる。
壮絶な分娩をやり終えた後だからぐったりしていそうなものだが、10ヶ月もの間お腹の中にいた我が子に漸く会えたという大興奮が覚めやらず、意外と頭はバッキバキに冴えまくって眠れない。故に、看護師の提案に「やってみたいです!」と即答した。
臨月に入ってから産院の売店で購入して準備していた“出産セット”のバッグから、脱脂綿と紙オムツの試供品を取り出す。バッグの中には、分娩時と入院中に必要な物や赤ちゃんのお世話用品が一式入っている。その内、産褥シートと産褥ショーツは先に使用したので、その他を入院中使うことになる。その手始めが脱脂綿と紙オムツの試供品、というわけだ。
看護師に案内され新生児室に入ると、入退室時のルールや各設備の説明を受けた。正直、初めての我が子のお世話を控え落ち着かず、話が全く入ってこない。
「円山さーん」と声を掛けられ何とか我に返り、いよいよ我が子との対面となった。
ガラスの仕切りに沿って並んだ新生児ベッドの一つに、“まるやま あかりちゃん”と札が下げてある。中には、識別コードと名前が記載されたバンドを足首に着けられた赤ちゃんが、甲高い声で泣いていた。
看護師は「元気だねー」と一言言うと、感極まって涙ぐむ美森に隙を与えず「はい、これから本番だよ」と肩を軽く叩いて水場へ連れて行った。
おしりふき用に、脱脂綿をぬるま湯で軽く絞り、剥がして二枚に分ける。新生児ベッドのフレームにそれらを引っ掛け、ベッドごとオムツ交換台の脇へ連れて行く。
抱き方を教えてもらい、左手で首と頭を支え、右手を股の間から入れてお尻を抱えるのだが、まだ首が座っていないので緊張で手が震えた。
「円山さん上手ー。そのままオムツ交換台へ乗せて。」
肌着の前を解く。腰の下に新しいオムツを敷いて準備して置き、履いているオムツの前のテープを外して広げる。おしりが…物凄く小さい。掌に収まる程だ。
「お、上手にうんちできてるねー。この時、便の色と形を確認して下さいね。2〜3日は胎便と言って、黒くて水っぽいうんちが出ますが、おっぱいが始まると段々黄色くなってきます。もし、赤かったり少しでもいつもと違ううんちが出ていたら教えて下さい。」
新生児の胎便は、脱脂綿で拭き取れるほど少なく、臭いも然程ない。二枚に分けた内、一枚でおしりの汚れを取り、もう一枚で再度拭く。終わったら、古い方のオムツにそれらを包んで一緒に捨てる。
オムツの下に敷いていた新しい方のオムツを着け、肌着を元に戻したら、いよいよ授乳だ。
「授乳は授乳室でも自分のベッドのところでもどちらを使って頂いても構いませんからね。じゃぁ、最初なんでこれから授乳室で一緒に初乳出してみましょうか。」
“初乳”というのは、新生児の免疫や脳の育成に必要な栄養が含まれている、母体から出る最初の母乳のことである。
指導を受けるため、新生児ベッドに戻した赤ちゃんと共に授乳室へ移動して来た美森は、椅子に座って病衣の前を外すよう指示された。
「あ、ブラ、前ホックなら全部外しちゃって。」
妊婦健診時に母乳マッサージを受ける機会が度々あったのだが、美森はお腹が張りやすく、早産などの不安があって断っていた。なので、他人に胸を曝け出したことがあるのは、温泉の女風呂と夫の光に脱がされた時くらいである。
「円山さん、母乳マッサージ受けてないんだよね?自分で少しやってみてた?」
看護師はそう言うと、清浄綿を一枚取り出し、
「母乳が出易くなるように、乳頭は常にお手入れしといて下さいね。」
と言いながら、美森の両方のそれを潰すように摘んだ。
「いっっっっっ!!!」
痛い。思わず声が出た。
摘まれた乳頭の皺から、にゅるっと灰色の汚れが出る。驚きと羞恥心で居た堪れない。思わず、今までここを光さんが…と考えた途端、顔から火が出る程に熱が上がってしまった。




