4. 泡
2019.7.26 加筆修正しました。
「さて」
ルビーネが、ポンっと胸の前で手を合わせる。マタ王は、ビクッと肩を上げた。
「まずは、このレバーの説明を致しましょうか。マタ王様も気にされておられるのでしょう?」
このレバーとは、目覚めたばかりのマタ王が興味本位で押し倒したレバーのことである。それが原因で、城は早期新生児死亡の危機に陥った。
ルビーネは、マタ王は自らが城の生死に関わる事態を起こしてしまったが為に大変意気消沈しているものと思っていた。
一方、マタ王自身は全くそのようなことはなく、単純に苦しかったこと、このままだと何となく色々とマズそうなことを本能的に感じ取ったのみである。ただ、そのレバーが何なのかということだけは気になっていたので、そのまま素直に頷いた。
「これは呼吸中枢の緊急起動レバーです。本来でしたらマタ王様がこのレバーをお引き頂く必要はなく、自動起動するはずでした。」
「えーっと…つまり?」
「この城が外界へ出たと同時に自然と呼吸が始まるはずだったのですか、何らかの不具合でそれが始まらず、マタ王様のご助力を求めてレバーがこちらへ飛び出てきたのではないかと。」
「…ん―と、呼吸ってなぁに?」
ルビーネは、気の無い質問を繰り返す様子から、マタ王が何も考えていないことに気が付いた。
確かに、この城は外界へ誕生したばかりだ。マタ王も目覚めたばかりで、自分の周りで一体何が起きているのか、自分は何の為にここにいるのかさえ分かってはいないだろう。いかんせん、先程の騒ぎを通して自分がこの城に何かしら大きな影響を与え、それが自分の身体にも関わるということを幾ばくか感じ取って貰わないと、時間を幾ら割いても王は育たない。この城も守ることは出来ないだろう。
「この城が生きていく上で欠かせないものを取り込む作業のことです。あなた様へ降り注ぐその泡は、呼吸という作業によって外界から取り込まれた“酸素”というものです。」
どう言えば伝わるだろうか。
どうしたら危機感を持つだろうか。
ルビーネは、声を低くしてゆっくりと続けた。
「それが途絶えた時、死をお覚悟なさいますよう。そして、この城にいる全ての者がマタ王様と命を共にしております。たった一つの好奇心が、全てを闇へ葬り去ることもございます。何卒、軽率な行動はお慎み下さいませ。」
直接“死”と表現することは不敬に当たるとしても、これについては少々辛辣でないと今の王には伝わらない。彼女はそう考えた。
そして、これは正解だった。
“死”という言葉にマタ王は一瞬固まり、絶えず出入りしている掌の泡に目を落とす。
〈死んじまうだろうが〉
カルディアの言葉が蘇る。
あれは、単に自分を心配してくれた言葉だと思っていた。冗談半分で聞いていた。
(私と命を共にしている?…私が苦しかった時、カルディアも苦しかったのかな?…私が死んじゃったら?…ここにいる、ルビーネも?)
掌を握ると、泡がパチパチと弾けて砕けていった。
◇◇◇◇◇
カルディアは、司令塔で頬杖をつきながら、二つの監視モニターをぼんやりと見ていた。
一方のモニターには、心臓ポンプによって吐き出されては戻ってくる、色とりどりの魚たちが煌めいている。もう一方にはポンプの全体像が映し出されている。心臓ポンプの動作確認用だ。
「ねぇねぇ、カルディアくん」
隣の席から、人懐っこそうな声がする。
「そんなにマタ王ちゃんとの会話、刺激的だったの?」
その声の主は、からかうようにちらっとカルディアを見ると、すぐに自分の目の前にある二つのモニターに視線を戻した。
彼のモニターには、葡萄の房のような沢山の球の集合体と、それらに向かって泡を吹き付けるカニ、房に着かなかった泡の一部を突いて割ったりしつつ、忙しなく手を動かして何かを食べているヤドカリが映っている。もう一方には、やはりその全体像が映し出されていた。
「その言い方やめろ。…おまえと違って俺があいつと会話なんて普通なら有り得なかったんだ。仕方ないだろ。」
心臓は、拍動を早くしたり遅くしたりの指示を受ければそこまでは制御できるが、自分の意思で止めることはできない。だから、本来ならカルディアはマタ王から“命令”のみを受けるはずだった。“会話”は必要ないのだ。
それなのに、マタ王に“命令”してしまった。
「まぁ、この城もまだ起動したばっかだし、色々あるって―。僕たちが考えたところで何もならないしね―。それに、こうゆうのも中々面白いじゃないの。」
彼はそういうと、カルディアの肩を軽くポンポンっと叩いた。カルディアは、ニヘニヘと笑う隣の同僚をキッと睨んだ。
「あはっ、そんなに怒らないでぇ。でさぁ、カルディアくん。実は僕んとこの緊急起動レバーが、何故かマタ王ちゃんとこに出っ放しなんだよね。悪いんだけど、戻すの手伝ってくれる?」
そうカルディアに言うと、彼はウインクをした後、くいっと上を指差した。
人体の内部は窓とか無いので暗闇だと思うのですが、ストーリー中の体(城)の中は昼は明るく、夜は機材の明かりで夜景のようなイメージです。




