3. 2つの名前
カルディアは、その後も自分の正体以外は再び口を閉ざし、わからないことは世話係から教えてもらえと一点張りだった。あなたのことをもっと聞かせて、あなたから聞きたいと王も譲らず、結局最後にはカルディアが折れる形になった。
彼はどうも、王の“あなた”という言葉の響きに弱いらしい。
ただ、世話係にも色々と事情があって猶予がないから、そちらの事が済んだ後、それでも自分と繋がっているようならば、その時は話をしようと条件を付けた。
きっと、この約束は果たされない。
彼は胸の奥で別れを告げた。
◇◇◇◇◇
王はカルディアとの話がひと段落した後、斜め後ろに控えていた例の女性をちらりと見た。女性は変わらず微笑みながら、もう宜しいのですか、と口を開いた。先程まで話していたカルディアとは違い、おっとりとした雰囲気なのにどこか隙がなく、聞きたいことは山ほどあるのに、何だか喉の奥でつっかえってしまう。
どうしたらいいかわからず口籠っていると、
「私のことは“ルビーネ”とお呼びください。本日より3日間、マタ王様のお世話をさせて頂きます。」
と、王の様子を察して彼女が名乗った。
「マタ王様って?」
「あなた様のことです。先程お話しされていたのは心臓のカルディア卿、あなた様はこの城の脳、マタ王です。」
「私の名前が、マタ?…おうさま、なの?」
「名前、というより、この城においての役割を示す名です。他のどの城にも、マタ王様やカルディア卿がおられます。あなた様は女性ですが、性別とは無関係にマタ王様はどの城においても“王”と呼ばれます。」
但し、とルビーネは続ける。
「あなた様が先程仰った意味での“名前”でしたら、母君からこの城に授けられ、且つあなた様の意識の呼び名となります。あと数日もすれば、その名もおわかりになるでしょう。」
つまりは、貰ってきたばかりの猫を暫く“にゃんこ”と呼んで、タマだのミケだの名前が決まったらそれで呼ぶ、みたいなことなのだが、マタ王には今一つ理解できなかった。
先ずは、ルビーネの言う“母君”とは何なのかの説明からして欲しかったのだが、先を急がねばならないので重要事項以外の説明は省きますねと、余計なことは一切聞くなと言わんばかりに予め釘を刺された。
(何が〈わからないことは世話係に聞け〉よ!…次カルディアと話した時は質問責めにしてやる!)
◇◇◇◇◇
美森は分娩台で休んでいた。
そのまま2時間くらい休んでいて下さいねと言われたものの、胎盤娩出(出産後に胎盤が出ること。後産ともいう。)や会陰切開後の縫合などでなかなか落ち着かず、やっと静かになったのはつい先程のことだった。
「本当はずっと側にいたかったんだけど、これから展示会の最終確認行かなくちゃいけないんだ。ゴメン。後でメールする。」
夫の光はそう言うと、美森の額にキスをして、自分の額をそこに優しくコツンと当ててから分娩室を後にした。
(もう…光さんたらもう…)
温もりが離れた場所が余計に寂しい。
そっとお腹に触れてみると、意外とまだ膨らみがある。いかんせん、つい先程までそこにいた命の気配はなく、分娩監視装置のグラフが、自分の脇に虚しく垂れ下がるばかりだ。
(助産師さん、片付け忘れたのかな?)
出産後の分娩室は、驚く程静かだ。
美森は目を閉じ、光との会話を思い返す。
「僕が雲に邪魔されて、君が闇に隠れても、皆んなの心を照らしてくれますように。」
「どんな岐路に立とうとも、臆することなく希望を持ち続けられる子に。」
子供の名前は2人で決めた。
どんな願いを込めようか、どんな漢字を使おうか。話し合っていた時の幸せが舞い戻ってきて、ふっと笑みが溢れた。
「円山さん!お休みのところゴメン!赤ちゃんの名前決まってたら教えてくれる?ネーム札に書いちゃうからさ!決まってない時“円山ベビー”ってなるんだけど」
突然、看護師の声が飛び込んできた。
微睡んでいた美森はハッと我に返り、慌てて答えた。
「あ…アカリです!燃える“火”に“登る”と書いて、燈です!」
マルヤマ・アカリ。
マタ王がこの名前を認識するのは、もう少し先の話である。
※登場人物の名前は全てフィクションです。




