プロローグ
問題はない程度ですが、一部、ごく僅かですが出産シーンの表現がありますので万が一苦手な方はご遠慮下さい。
光も届かない海の底。
一つの“城”が時を待つ。
王は金糸のゆりかごで、
果てない波の夢を見る。
鼓動は刻み、息は潜め、
ただ揺ら揺らと漂うばかり。
◇◇◇◇◇
ある満月の美しい夜のこと。
円山美森は、夫の光に付き添われながら激しい陣痛に耐えていた。
十月十日。
やっと。
やっと会えるんだ。
初産のせいか子宮口がなかなか全開にならず、分娩室に入ったのは陣痛が始まってから12時間後だった。
美森は、分娩台に通された途端、そこに至るまでの時間も相まって思いが溢れ、口に手を当て嗚咽を漏らしながら泣き出した。
その様子に狼狽し、美森の容体が変だとか、早く助けてくれだとか、産婦よりも大騒ぎし始めた光は「静かに出来ないなら廊下でお待ち頂けますか」という助産師からの地を這うような一言に口を噤んだ。
「ありがとう、光さん。お陰で涙が止まったわ。」
陣痛が治ったこともあって落ち着きを取り戻した美森は、呼吸を整えて分娩台へ上る。光も彼女の側に着いた。美森の頭側ではなく、開脚の真正面へ。
「…円山さん、そこで立ち会っても良いけど、多分ショックで気絶するか男性不能になるかもよ。」
耳まで真っ赤な夫と、温かな笑い。
その瞬間に幸せを噛み締めながら、美森は気持ち新たに分娩に臨んだ。
頃は東雲。鳥の囀りが聞こえ始めていた。
◇◇◇◇◇
「心拍上げてちょうだい。呼吸数も宜しく。」
美森の身体 ―城― の中は、マタ王“ミモリ”の元、各々が忙しなく行き交い、まるでお祭り騒ぎだ。
もうすぐこの城から、新しい“マタ王の城”を外界へ送り出す。
繋いでいた命を切り離すため、皆が一斉にその準備に取り掛かったのだ。
陽の光が、徐々に城内へと差し込む。
辺り一面に降り注ぐ無数の泡はキラキラと煌めき出し、内装の輪郭を少しずつ映し出していく。
アクリルガラスのように透けた血管トンネル。それはどこまでも広がり、その中を赤い魚や半透明の白いタコ、小さなクラゲたちが宝石のように輝きながら水流に乗って泳いでいく。“神経細胞”という名の海藻樹海は、淡い色彩を纏い揺らめき、時折、蛍光の玉が駆けていく。
「整いました」
司令塔へ合図が届いた。城の最下層では、切り離しに当たり別れの挨拶を取り交わしている。
つい先程、記憶データがバグった弾みで思わず涙スイッチを押してしまったミモリだが、今は落ち着きを取り戻し的確に指令を出している。少量だが、笑いの栄養も届いたので万全だ。
そして、いよいよその時が来た。
「いきみ、します。呼吸止めます。」
ミモリのアナウンスと共に、肺が強制停止する。ほぼ同時に心拍が上がる。泳ぐ魚たちのスピードも上がる。数回それを繰り返した後、門番の一人が叫んだ。
「さぁ、いよいよ新たなる城の門出!王の目覚めだ!皆構えよ!」
空には、明けの明星が輝いていた。




