4話 廉潔を突き放し、歪める
「14、だったかな。俺が初めて人殺したの」
書類に目を通しながら、遠い過去を思い出すように話し始めるヴェル。
メブキも書類を拾い上げつつ傾聴するも、ヴェルの話が気になりあまり書類探しに集中できない。
メブキからそんな雰囲気を感じ取りつつ、ヴェルはお構いなしに話を進める。
「もうよく覚えてねえが……ある日の夜、今まで何一つ問題なく生きてきたのに、包丁一本持って家を出た。自殺する気だったんだよ。人通りの少ない場所までぜえはあ息切らして走った」
持っていた書類から手を離し、メブキは既にヴェルの話に聞き入っていた。
「街歩いてく人間が、どうしようもなく憎くなってな。みんな悪いやつに見えた。欺瞞だらけの、狡い人間に。いつからか、そんな見方しかできなくなった自分も嫌で、クソガキみたいに泣いた」
「……何が、原因だったの?」
もはや書類などどうでもよくなり、ヴェルの隣に、同じようにしてもたれかかり、質問を投げかけるメブキ。
困惑することもなく、ヴェルは答える。
「人間の反吐が出るほど汚い部分が、子供の頃からよく見えた。この奴隷施設みたく、他人貶めてにこにこしてる奴、見下して、悦に入る奴、無関心で知らん顔の奴。見てるうちにこっちも影響されて、知らんうちに同じ奴がもう一人出来上がってた」
「……そのあとは……?」
「包丁首に当てて引こうとしたら、知らない女性が声かけてくれてな。止めようとしてくれたのに、どうでもよくなった俺は――その女性をぶっ刺した」
何も言わずに、膝を抱えて座るメブキ。
「刺したら、涙が止まった。体の震えも。包丁抜いて逃げて、何日かして、言ってた組織に拾われた。そっから本格的に人殺し始めて、ある日やらかして組織クビ。一人で仕事するようになって、今はお前と談笑してる……ほれ、お前の書類」
「えっ、あっ」
話しながら、メブキの書類を探しあてていたヴェル。
表をメブキに見せつつ、気持ちメブキの方に寄せて、自身の膝の上に置く。
その書類を上からざっと見てみるが、
「名前、経過観察……住所みたいなのは載ってないな。他のも探すか」
早めに見切りをつけ、ヴェルはまた書類を探し始める。
つい手が止まっていたメブキもはっとして、ヴェルに倣い母親の書類を探し始めた。
話に夢中になり怠けてしまった自分への戒めか、メブキはさっきよりも必死になって書類を探している。
しばらく静寂が流れた後、横目でメブキをちらりと見て、ヴェルが沈黙を破る。
「……お前はどうだ、メブキ?」
「ん……」
「奴隷としてここに来たのは、いつか」
「……遠慮するものかと」
質問をオウム返しするヴェルに対し、上目遣いで、わずかに不満そうな顔のメブキ。
気を使う必要もなく、また、自身に気を使わないヴェルにご立腹の様子だ。
ぼやくメブキの言葉がダブルミーニングであると気づき、ヴェルは小さく笑いながら謝罪する。
「ごめんごめん。話したくないならいい。別に不公平とも思わんからな」
そうヴェルが告げたのを境に、またしばらく紙が擦れる音だけが部屋を満たす。
メブキは目を通した紙をどかし、その腕にいくつもついた赤い傷を見て、痛みを想起する。
今度は、先に口を開いたのはメブキだった。
「ううん、話す」
「私がここに来たのは、一年前」
メブキの話を聞きながら、見つけたメブキの資料内容を咀嚼するヴェル。
「お母さんが、もう育てなくないってここに連れてきた。お父さんはいないから、行く場所はもうなかった」
平然として語り始めるメブキ。さながら紙に書かれた文章を読み上げているようだ。
徐々に書類を眺める目が滞るヴェル。
「お母さんとは、あんまり話してなかった。家にあった本を読んで、毎日過ごしてた。言葉も知識も、教わったことはなかった」
「本だけで学習したのか?」
「うん。本は嫌いじゃない。何も考えずに読めばいいだけだから」
「……そうか」
紙を握るヴェルの手が、ゆっくりと降ろされる。
資料に目を向けているようで、実際はメブキの話に現を抜かしていた。
「来たときは怖かったはずなのに、すぐに怖くなくなった。何も思わなくなった。最初は殴られたりもしたけど、言うことは聞くようにしてたから、大したことはされなかった。他の人は、爪を剥がされたり、服を破られたり……私はまだ幸せな方だった」
「それで、変なお兄さんに助けられた……?」
「うん。死んだように生きるなって。そう言われて、情緒が少し戻ったような気がする。ヴェルと普通に話せてる自分が、自分でも不思議」
終始落ち着き払って話終えたメブキ。
ヴェルは書類に書かれていた情報を思い出す。
喚いて言うことを聞かない大抵の新入りと違って、メブキはある時途端に魂が抜けたように、命令に従うようになったと。
ヴェルは思う。放任主義だった親と、外道な奴らの扱いが、メブキの精神を壊した。
自ら道を踏み外した自分と違い、周りの、抗えない環境から変化したメブキ。辿る道が違えば、メブキは殺しを懇願することなどしなかったかもしれない。人を手にかけるという常識外れな、あまりにもアウトローな行動に出ようとはしなかったかもしれない。
こんな仕事を続けている以上、人間の情はとうに薄れているが、手を差し伸べたくなるのは、どうしてだろうか。
助けた人間に言われ、少しは情緒を取り戻したとメブキは言うが、その情緒は、自分と似た、正常とは程遠いものに変わりゆくかもしれない。
――――ナイフをやったのは、自分なのにな
まだ自身の考えに整理もつかぬまま、呆けて天井を見つめるヴェル。
「――ル。ヴェル。お母さんの見つけた」
「えっ、あっ」
「……私みたい」
ぼうっとしていたヴェルは、見つけた資料を指差し、報告するメブキに動揺する。
天井の明かりを遮るように顔を近づけるメブキは、先刻の自分を模倣したようなヴェルの反応にくすりとわらう。
「……似てるのかもな。俺ら」
「……そうかも」
メブキもヴェルの横に座り、壁に体重を預けた。
人殺しに成り下がった二人は、並んで表情を緩める。
血に染まった手が、力なく伸びる指先と、細くか弱い指先が、微かに触れる。
「こんなに話してんのに、気づかれないもんだな」
「……お膳立て、されてるみたい」
「そのお膳立てがここ出るまで続けば楽なんだがな……さて」
メブキが見つけた紙を手繰り寄せるヴェル。
書かれた住所をにらみつけるヴェルの隣、メブキはヴェルが見つけた資料を小さく折り、ポケットに入れようと――――
「ポケット、ないんだった」
「その紙、持っていくのか?」
「――――うん。私はもう奴隷じゃないから」
「ならこれ。失くすなよ」
ヴェルが胸ポケットから、紐の長い革製の入れ物を取り出し、メブキの手に乗せる。
「腰に巻けば邪魔にならない」
「……わかった」
言われたとおり腰に巻くメブキ。
入れた紙を握りしめ、メブキは虚空を見つめ――――殺害予告。
「……待っててね、お母さん。殺しにいくまで」
書類にかかれた住所は、ヴェルとメブキの居る街の2つ隣、数十キロは離れた場所。不可能ではないが、徒歩では厳しい。
だが車等の足を持たない二人は、数日かけ歩いて向かうしかない。
ヴェルはともかく、メブキの身なりでは列車に乗るのも拒まれるだろう。
「金はある。が、お前のその格好じゃ列車にも乗れない。血まみれの俺たちを車に乗せてくれるやつがいるとも思えん。手ぇ洗って、お前は服着替えて……靴も買わないとな」
「……めんどくさい」
「そう言うな。時間はかかるが、今の俺らに選択肢は選べない……と、メブキ」
書類に印刷された、メブキの母親の顔写真と、メブキを交互に見比べるヴェル。
「……似てないな。肌の色も、目の色も違う。血のつながりを疑うほどだ」
「肌はそうだけど……似てないの?」
「似てないだろ……お前、自分の顔見たことないのか?」
「うん」
「…………マジ?」
「まじ」
衝撃の事実に驚愕し、嘘じゃないかと疑いすら持つヴェル。
メブキはヴェルが驚く理由がまるでわからない。
「ヴェルは見たこと、あるの?」
「あるだろ……鏡とか写真とか。言葉話せないときから見てるわ。多分」
「私の写真は家になかったけど……鏡って、透明の、板みたいな?」
「……家になかったのか?」
「本で見たけど、あれって高いものじゃないの?」
「そりゃ物によるが、鏡ぐらいどこの家にも――――」
そこまで言って、ヴェルは自ら発語した言葉も加味し、一つの可能性に行き着く。
写真も、鏡もない。親がメブキに自分の顔を見せさせない理由は――――
「――メブキ。ナイフが少し軽くなるかもしれない」
「……どういうこと?」
「行けばわかる……さて、さっさと出ようぜこんな気色悪いとこ」
「……うん」
一息に立ち上がり、メブキの母親の書類を適当に折ってポケットにしまうヴェル。
メブキは、結局機能しなかったバリケード代わりの机に手を付き、どけようと――――
「どっせぇぇぇぇえええええい!!」
鼓膜を異常なほど揺らす大音声と伴に、扉が、置かれていた机ごと瞬時木片に変わり、メブキを連れて部屋の後方に吹き飛びされる。
「!! のんびりしすぎたか!?」
流石に長居しすぎ、施設の人間に気づかれたかと危惧するヴェル。
速やかに立ち上がり、吹き飛ばされたメブキの方へ走り寄る。木片に埋もれ、手足だけが生えているような状態だ。
「大丈夫か、めぶ……」
煙が巻き上がる部屋の外、大きな体躯の影が、粉塵に姿を投影する。
「さあここが最後よおとなしく堪忍なさ……あら?」
煙を払い、出てきたのは、大きな髭を貯えた、肩幅の広い、巨体で上裸の――――俗に言う、筋肉モリモリマッチョマン。
メブキの安否を確認しようとしたヴェルも、その姿を見てフリーズした。
規格外すぎる。手に負えないこともないが、あまり相手はしたくない。
しかし、メブキが動けないままでは、ヴェルも一人で逃げる訳にはいかない。
目の前の人間が、施設の人間ではないことを願うヴェル。
「可愛らしい顔のお兄さんねぇ……あなた一人?」
「馬鹿げた怪力だなおっさん。扉は粉々に粉砕するものって教育されたのか?」
煽りつつも苦笑いを浮かべ、ナイフでは危険と予期し銃を抜くヴェル。
さっきの破壊力、頭を掴まれれば頭蓋骨粉砕も訳なさそうだ。
部屋の入り口に立つ身長2mはあるその男は、不気味さと怪しさを醸し出し、余裕の表情でヴェルを俯瞰した。