3話 血を浴び、肉を抉るのは
「……ここ」
ヴェルとメブキが居た通りから歩き、程なくしてメブキが収容されていた施設に到着した。
見た目は完全に、1階建てのただの一軒家。木材を組み合わせただけの簡素な作りで、長年放置されているのか所々にひび割れや廃れが見受けられる。
メブキの話によると、表向きはただの空き家で、地下に本来の施設が存在するとのことだった。
屋根と壁にはられた蜘蛛の巣を見上げ、ヴェルが零す。
「こんな近くに奴隷施設があったとは……世も末だな」
ドアに手をかけ、緩慢な動きで開くヴェル。
警戒しドアの隙間から覗くが、完全に蛻の殻だった。
中に入っていくヴェルに引っ付くようにしてメブキも足を踏み入れる。
手入れの施されていない部屋は埃っぽく、踏むたびに床がギシギシと音を立てる。
「汚っ。俺が掃除してやりたいくらいだわ」
「汚いのは嫌い?」
「好きなやつはおらんだろ……まあ綺麗好きかもな」
メブキと会話しつつ、あたりを見渡すヴェル。
メブキの言う、地下に続きそうな階段か何かは見当たらない。一見すれば。
「そこの、部屋の隅」
メブキが指指すその先。不自然に木材の散らかった部屋の隅に、ヴェルは近づく。
「床が外れるはず」
「古典的な出入り口だな。こんなボロ家に入ってくる物好きもいないだろうし、十分か」
木材を蹴散らし、嫌悪感を示しつつホコリを粗く払い、床の溝に手をかけるヴェル。
力を入れ持ち上げると、床下から地下に続くはしごが姿を現した。
外れた木板を放り投げ、メブキの方を見やるヴェル。
「さて、また戻ることになるが……準備はいいか、メブキ?」
「ここまで来て、帰るって言っても許してくれないでしょ」
「もちろん。だが下に行く前に、肝に銘じてほしいことが一つ」
メブキの目線に合わせるよう屈み、毅然とした目つきで話し始めるヴェル。
「『お前がナイフを向けるとき、お前もまたナイフを向けられている』……俺が昔、人殺し専門の組織にいたとき、鼓膜敗れるほど言い聞かされた言葉だ。人殺そうとしてるのはお前だけじゃない。殺そうとしてる敵も、お前に殺意を向ける。気づかない場所からの奇襲。直接手を下さず、間接的に殺されることもある。時には仲間に裏切られることもな。もちろん――――」
造作もなく、素早くナイフを取り出し、血に染まったようなメブキの紅い目にナイフの刃先を向けるヴェル。
「俺がお前を殺しても、不思議じゃない」
頬に一縷の汗を垂らし、向けられたナイフと、自分を見透かすようなヴェルの目を交互に見るメブキ。
人を殺す。当たり前のようにヴェルから渡されたナイフに手を触れ、ここまで来てやっとその実感が湧いてくる。
目の前の殺しのスペシャリストは、さも当然のようにこのナイフを渡した。
だが、自分はその本当の意味を知らないのではないか。
奴隷として生きてきた経験。血に慣れ、苦しみに慣れ、痛みに慣れたその経験が、自身の、人間として正常な部分を鈍らせているのではないか。
「さっきはああ言ったが、命は大事にするもんだ。人ゴミみたいに扱う奴らの巣窟に戻ってきて、見つかって無事なわけないからな」
真面目な口調でメブキに忠告するヴェル。
ナイフに触れるメブキの手に力が籠もる。
未だナイフを向けたままのヴェルに、メブキはしばらく硬直したまま、思慮を巡らす。
「改めて聞くぞ――覚悟は、いいか?」
より一層鬼気迫る様子でヴェルが問う。
ここで燻っていても何にもならない。メブキは考えを固める。
結論は、出た。
「わかんない」
「……は? ぅうおっと」
想定外の返答に、持っていたナイフを落としそうになるヴェル。
メブキはうす汚れた自身の服の裾を両手で握って皺を作る。
「お前、わかんないって、お前」
目を丸くして、ナイフをすっと下ろすヴェル。
「私はヴェルに、殺しを願った。でもそれは、私の本心じゃ無いのかもしれない」
「……どういうことだ?」
「私をここから出してくれた、変なお兄さんが言ってくれたの。ここで一生過ごすのは、死んだも同じだって。君をここに連れてきたお母さんが疎ましくないかって。君を虐げてきた人間が憎くないかって。その時初めて、思ったの――――殺してやりたいって」
「…………」
「ここを出て、あなたに会って、段々自分の感情がわからなくなってきた。もしかしたら、あの変なお兄さんに騙されてるんじゃないかって。本当は殺したくはないんじゃないかって。でも自分の能力を知ったら、やっぱり、殺すべきなのかなって」
「……そんで、結局どうすんだ?」
俯いていたメブキは顔を上げ、ヴェルに――――仄かに、笑ってみせた。
「今は、あなたに従う。少なくともお母さんを殺すまでは」
「いい目だ。いい感じに狂ってきたな」
つられてヴェルも口元を緩ませた。
「ついてこいメブキ。人殺しになれるぞ」
「……のぞむところ」
とうに頭のネジが外れた二人は、どこか嬉しそうに地獄に飛び込んだ。
長いはしごを降りた先には、上とは比べ物にならないほど広い空間が広がっていた。
降りてすぐヴェルの目に飛び込んできたのは、夥しい数の檻。正面に続く幅の広い道の両端に、似たような檻が並び壁を作っている。
少し身を乗り出すと左右に伸びる細道も確認できた。右に人影は見られなかったが、左からは人の声が聞こえる。
「……ん」
「降りたなメブキ。あまり声は出すな。会話は必要最低限で済ませるぞ。あとナイフは抜いとけ」
「りょーかい」
メブキに留意点だけ伝え、声が聞こえる方に向かい壁に背を付け耳を澄ませるヴェル。
ひとまず留まるようヴェルに手で合図されたメブキは、見飽きたはずの光景に固唾を飲む。
檻の中、死んだ目で座り込み、傷だらけの体で動かない奴隷達。そこかしこに塗りたくられた赤い液体。目で見えるものだけではない。鼻を抑えたくなるほどの鉄のような匂い。何度も踏み歩いた石材の床。
先日まで居たはずの場所が、今は違って感じる。
「いたい、いたい……」
「黙れ」
「いたいいたいいたいイタ……」
嗚咽混じりの小さな子供の声。男の怒声が響いた後、その声は次第に小さくなっていく。
何が行われているのか、メブキにとっては想像に難しくない。
胸に手を当て心を落ち着かせるメブキをよそに、ヴェルは道の奥、会話をする二人組を視界に捉える。
「3人殺られた。死体の処理……調教に手を回せ……」
「一人逃げた……そろそろ場所を……」
かすかに聞こえる男の話し声からある程度の内容は把握し、ヴェルは一つ、会話の中で気がかりなことをメブキに尋ねる。
「その変なお兄さん、人殺せるもんは持ってたか?」
「どうだろ……檻の中、暗くてよくわからなかった。私を助けてすぐいっちゃった」
「随分慣れてんな、そいつ……」
メブキから、自分の居場所も特徴も性癖(真偽の程は不明)も知っている変なお兄さんの話を聞いてから、ヴェルはその正体不明の人物に心当たりがあった。
ヴェルが組織に属していた頃、仲間の中でも一際目立っていた人間。もしヴェルの予想が正しければ――――
「……そいつの目的が気になるな」
メブキの言う、変なお兄さんの詮索をしていると、会話をしていた男二人が角を曲がっていくのが見えた。
「メブキ、大量に紙が置かれた部屋とかなかったか?」
「……ヴェルが覗いてた道を真っ直ぐ行って右、突き当りまで行ったところ。鍵がかかってる」
「むう、面倒くさいな。鍵はどこにある?」
「誰かが、持ってるかも?」
「…………もういいや、扉は壊して入る。後ろついてこい」
歩いていった男二人を追うようにして進むヴェル。
メブキもヴェルに従い、後を追う。
進んでいく途中、いくつか横に伸びる廊下が視野に入った。
先刻男たちが会話をしていたところまで進み、ヴェルはもう一つのナイフを取り出す。
前を歩いていく男二人に、メブキが言っていた目的の部屋の前、気怠げに突っ立っている男が一人見える。
「――――はむっ」
よそ見をしていたメブキが、視線を戻した途端ヴェルの背中にぶつかる。
突然背中に走る感触に驚くヴェル。
「ッッ……何だお前か。大丈夫か?」
「……うん、大丈夫」
気を取り直し、ヴェルはメブキに指示を出す。
「扉に突っ立ってる奴が見えるか?」
「うん……」
「前の二人は俺が殺る。お前は扉のあいつを殺る。そこの道から反対側に回るんだ。頚椎がベスト、無理なら喉仏、それも無理なら適当に刺せ。俺が何とかする。できるか?」
問われ、メブキはナイフを持つ手を確認し、
「…………できる」
にやりと笑って、ヴェルに返した。
「よし、お前が動くのを合図に俺も二人を仕留める。いつでも構わん」
壁際に寄り、ナイフを構えるヴェルを見て、メブキも反対側に向かう。
進んできた道を少し戻り、脇道にそれる。
反対側に続く道に幸い人はいない。それすらヴェルは把握していたのだろうと気づき、ヴェルを待たせてはいけないとメブキは足を早めた。
反対側に向かう途中、檻の中に収容された人々の姿が、メブキの視界の端をちらつく。
中にはメブキの存在に気づき、一度は目を見開く者もいたが、既に感情は失われているのかそれ以外大した反応を示さない。
ボロボロの布切れをまとって固まった様子は、死んだようにすら見える。
自分を助けてくれたあの人の目にも、こんなふうに映っていたのだろうかと、メブキは顧みる。
自分だけ自由の身になっている事実に申し訳なさすら感じ――メブキは今更になってあることに気づく。
――――変なお兄さんは、他の檻には行かず、私を助けに来た。他の人を助けようとはしなかった。最初から私を助けることだけが目的だった……?
思慮を巡らしていると、先程遠くから見ていた男が目と鼻の先となった。
少し距離をおいて、姿勢を低くするメブキ。
――――左手で首を抑えて、頚椎を切る。余計なことは考えちゃだめ――――
何度も頭の中でイメージし、呼吸を落ち着かせるメブキ。滲む手汗がナイフを持ちにくくする。
全身の力を抜いてから、突発的な勢いの、惰性のままに――――
――――殺すだけ
力強く裸足で床を蹴り、男に向けて跳躍するメブキ。
左手を伸ばし、男の首を固定する。
男が振り向く暇も与えずナイフを首の後ろに忍ばせ、刀身が首筋に触れてすぐ、そのまま押し込むように腕を動かす。
皮膚を深く切り裂く感覚。遅れて生暖かい液体が右手に降り注ぐ。
無心で突撃したメブキの体は、勢い余って壁にぶちあたった。
それを見た二人の男の内一人に間髪入れず、ヴェルがナイフを投擲する。
ナイフは首筋に突き刺さり、狼狽するもう一人の男にも、ヴェルが背中から心臓を刺突した。
力なく床に突っ伏す男二人を、近くの使われていない檻に投げ込み、ヴェルはメブキの方へ向かう。
「同じように」
「う、うん」
それだけ伝え、ナイフは握ったままに扉の前に屈むヴェル。
鍵付近に三ケ所ナイフを差し込む。老朽化した木製の扉はすんなりナイフを通し、軽く押すと鍵の部分だけを残して扉が開いた。
「入れ、メブキ」
死体を引きずり入れ終わったメブキに声をかける。
二人は誰にも悟られることなく、目的の部屋に侵入した。
部屋の中央に置かれたいくつかの木の机と、その机の上、ひいては床にまで散乱した紙の束以外、その部屋には何もない。
ただの資料室としてのみ機能する部屋のようだ。
入ってすぐ、足の置き場に困る床の上にへたり込むメブキ。
扉を閉め、疲れた様子のメブキにヴェルは賛辞を贈る。
「よくやった。ちゃんと頚椎狙えてたな。勢いは有りすぎたが」
「……えへへ」
男の血で赤く染まった自身の手とナイフを眺め、不思議な感覚にとらわれるメブキ。
人を殺した後だというのに、焦りも、不安も、怖れも感じない。
「どうだ。初めて人を殺った感想は」
「……あんまり、たいしたこと、ない」
ヴェルに問われ、そのままの感想を述べるメブキ。ヴェルはそれを聞いて微笑する。
「っははは。もう立派な人殺しだな」
暫しの安息。自分達の侵入に敵が気づく前に、メブキの母親――メブキを奴隷として売った客の情報を見つけなければならない。
気休めにはなるだろうと、扉に近い机を押して、バリケード代わりにするヴェル。
ナイフは手元に置きつつ、二人は資料を漁り始める。
奴隷を連れてきた連中の名簿の他、奴隷の引き渡し先、奴隷として仕立て上げる調教の仕方、その他の奴隷施設との提携が伺える書式でのやり取りなど、散らばった書類は様々だ。
「私があのままだったら、どうなってたの……?」
懸念する様子もなく、メブキは何となく気になったことを零した。
「……引き取る奴が現れれば、奴隷としての調教が済み次第そこに送られる。この施設は人を監禁し、奴隷を売る施設だ。取引額も馬鹿にできない。それはそれは金になるだろうな」
やがて奴隷は引き取られた先で、人権なきものとしていいようにこき使われる、と、躊躇うことなく一連の流れを説明するヴェル。
「メブキ、家名は」
「リィゲル……は、だめ。シャスタル」
「離婚、か? 『私のお母さんを殺したい』……言われたときから引っかかってたが」
「……私がここに入るずっと前に、お父さんは出ていった」
「了解……一応そのシャスタルか、メブキって書かれた紙がめぼしいな」
こうも散らかっているが、ある程度似た内容の書類が固まっているようだ。やがて二人は同じ場所を探し始める。
「……ヴェル」
「ん?」
書類を探す手は止めず、今度は、どこか遠慮するように。
「ヴェルは、いつからその仕事をしてるの?」
「……そうだな」
壁にもたれ、ヴェルは過去に思いを馳せ始める――――