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殺め色ナイフは染まらない  作者: ののかね
一章 初めの、始めの
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1話 願ったり、叶ったり

 暗がりの中、月明かりを反射し僅かに煌めくそれに、男は底冷えした。


 視界が悪い。手探りで周囲の家具やら壁やらをつたって、何とか光るそれから距離を取るのが精一杯だった。


 呼吸がまるで落ちつかない。心臓が、ここまで速く大きく拍動することなどあるのか。

 目の前の影に、ただただ抱くのは恐怖心のみ。

 自らの体を内側から侵食するように、体の制御を妨げるように、その感情は大きく膨れ上がる。


 ああ、今この状況から逃れることが能うならば、それこそ自らの富や権利、その他すべてを擲ったって構わない。


 男は、ひたすらにしがみつく。生に。等しく全人類に与えられたはずの命に浅ましくも縋り付く。

 死にたくはない。死にたくはないのだ。ただそれだけだ。

 ただそれだけを望むことすら、目の前のこいつは拒絶するというのか?


 理性が崩壊するまさにその時、闇雲に動かしていた男の右手に、ひんやりとした、慣れた感触。


 ああ神様。まだ私を見捨ててはいなかったということか。


 震える足ではろくに立つことすら叶わず、へたりこんだ状態のまま、男は全体重と、最後の望みをかけるように、右手に触れたそれを下に降ろそうと――


「ああ、その、なんだ。俺はそんなに優しいやつだと思われてんのか?」


 ――――しばらく、男の脳はその機能を放棄した。

 今しがた発覚した事実を受け、とても冷静な思考などできるはずもなく。

 その間、唯でさえ静寂に包まれた部屋が音沙汰一つない空間へと化ける。


「そのドアが空いたとして、館内の使用人か誰かに助けを呼ぶつもりだったんだろうが、もうこの建物の中にいるのはあんたと俺だけだよ。慣れ親しんだ奴らが赤く染まってるのは見たくないだろ? だからほら、サービス」


 するりと、力なく男の手は下に落ちる。

 わずかに回されたドアノブはだが、確かな引っ掛かりで男の望みを悉く打ち壊した。


 この部屋から逃げることは、出来ない。間もなく、目の前のこいつに殺される。

 男には目の前の人間が、人の形を模した、化物にしか見えなかった。

 ドアが開き、逃げたとして、追いつくことなどたやすいはずがわざわざ自分の退路まで塞ぐ周到ぶり。

 確実に殺しを心から楽しんでいる。


 男は望みなど叶わぬと知り、落胆とも、絶望とも言えぬ感情――虚無に支配される。

 程なくして、自分の首と体が切り離されるだろう。


 だがそれならば少しでも、あと少しだけでも、可能性に固執したっていいだろう? 

 せめて最後の悪あがきくらいは許してほしい。

 私が愚か者であるならば、最後まで愚かしく生きてやろう。


「何が、欲しいんだ」


「……は?」


「金なら、いくらだってやろう。働かなくとも、死ぬまで遊んで暮らしていけるほどの金だ。それとも権利か? 幸いにも私はこの国の政治にある程度は干渉できる。貴様が望むなら他にもなんだってやろう。それなら私をわざわざ殺す必要なんてな」


「おっさん、交渉相手を間違えてるぜ。俺は飽くまで雇われの身なんでな。依頼された任務を反故にすんのは――」


 暗がりの中、わずかに男の手元が揺れる。直後、


「残念ながら、不可能だ」


 男の意識は永久に葬られた。

 べちゃべちゃと、高価そうな絨毯に、男の鮮血が滴る。血を流しながら、男は力なく倒れ込んだ。

 やがて鮮血は徐々に広がり、倒れ込んだ男をまるごと包み込むほどになった。


「……まあ金に困ってんのは事実なんだがな。金貨一枚ぐらいなら貰ってやりたいところではあるが」


男の血で赤く彩られた刃を、軽く降ってから鞘に戻す。

 かたり、かたりと木製の床を踏み鳴らして、窓の縁に足をかけたとき、殺人犯は最後に言い残した。


「金貨20枚。おっさんの価値はそんなもんってことだな」


 風が吹きすさぶ宵闇。誰に知られることもなく、一つの下劣な命が天に昇る。







 ――――大陸の約6割を占めるほどの大きな国。


 古来より目覚ましい発展を遂げ、今では世界でも有数の大国として名高い。

 多大な人口で満たされたこの国では、大きな街ともなれば昼間の人々の賑わいすら目を見張るものがある。

 商業に富んだ街、貿易の盛んな街、娯楽の充実した街と、どの街も、行き交う者達を決して飽きさせはしない魅力と栄えがある。


 だがそれでも、夜になれば当然の如く活気は失われていく。


 大勢の人々で溢れかえっていた通りは、仄かな街灯が照らすのみ。

 品物を抱えて、それでもまだ店を回る客も、朝から働き続けていた店主も、そのどちらでもない者も、皆それぞれの営みへと戻っていく。


 ――――それこそ、暗い影が落とされた路地裏に、ただ一人座り込んだ人間を気にかける者すらいない。


「に、し、ろ、は、と、に、し、ろ、は……よし、あるな」


 小さな麻袋から、床にぶちまけられた金貨を丁寧に数える一人の青年。


 黒髪に、黒い服に、黒いズボン。おまけに黒いブーツと全身黒に染まった格好。

 長い前髪から除く、月明かりを弱く反射する紺碧の瞳は、薄く開かれたまぶた故に少し眠たげにも見える。

 あぐらをかき、背中を丸めた状態で床を見下ろす姿は、傍から見れば不気味にも映るだろう。


「……寝よ」


 数え上げた金貨を再び麻袋に戻し、すぐ横においてあったナイフを掴んで、青年はそのまま寝床――とすら言えないただ布を丸めただけの枕が置かれた場所に体を横にし、深くまぶたを落とした。


 時刻はすでに0時を回っている。空高くに浮かぶ上弦の月が、暗い路地裏ではよく見える。

 右手に掴んだナイフの柄の感触を何度も確認しつつ、青年は緊張を徐々に解き、そのまま眠りにつこうと――――


「こんばんは、あんさつしゃさん」


 ――――して、間もなく意識を覚醒させた。







 右手に握っていたナイフを再度強く握り直し、青年はゆっくりと体を起き上がらせる。

 幸いにも深い眠りにつく前だったおかげで、体はすんなりと動いた。


「お願いがあって、きたの」


 可愛らしく、柔らかな印象を持つその声。

 少女のものだろうその声が、ペタペタと床に柔らかい何かを付けるような音とともに近づいてくるのに気づき、青年はより一層警戒心を強くする。


 そのまま顔だけを路地の入り口の方へ見やると、明かりの一つもない中ではあるが、わずかにその姿が確認できた。

 小柄な、背丈の小さい少女の姿がそこにあった。


 青年と同じ黒髪、瞳の色こそわからないが、どこか虚ろげに見える眼差し。整った顔立ちではあるが、着ている白い服は所々が薄汚れており、お世辞にも綺麗とは言えなかった。

 腰辺りまで伸び切っている長髪が、時折吹く冷たい風に静かに靡く。だが何よりも――――


 少女の体の至るところに見受けられる赤い傷が、目に余る。


 青年は落ち着いて、少女の声に答える。

 右手に持っていたナイフはひとまず見えないよう枕元に置きつつ。


「こんばんはお嬢さん。こんなクソ真夜中に一人か?」


 青年の問いかけに、少女は僅かに首を立てに振り、そのまま淡々と話を進め始める。


「変なお兄さんが、施設を出たら、隣町の有名な大きな服屋さんの近く、路地裏にいる人に夜会えって」


「変なお兄さん、ねぇ……その変なお兄さんの紹介を信じてここまで来たと」


「うん。その人が私の願いを叶えてくれるって。全身真っ黒の、18歳ぐらいの、人殺しのろりこんさんが」


「ちょっと待とうか」


 どこか舌足らずな、初めて言う言葉なのか言い慣れていないことが聞いて取れるその四文字に、青年は反応せずにはいられない。


「ロリコンって。お前今ロリコンっつったか? 全身真っ黒の? 18歳ぐらいの? 人殺しの」


「ろりこんさん」


「違う。断じて違う。確かに昔請け負った仕事の一環で子供の世話したことはあるし、同胞からも『子供の世話上手いんだな』とか言われたことはあるが断じてロリコンではねえ。おーけー?」


「……まあ、うん。おーけー」


「まぁって、お前」


 不思議に首を傾げる少女を一瞥し、過剰に反応しすぎたことを省みつつ、青年は「それよりも」と続ける。


「俺が全身真っ黒で18歳で人殺しなこと知ってるその変なお兄さんも気になるが、とりあえずお前の願いってやつを聞こうか?」


 最後の四文字以外はすべて肯定しつつ、その少女の願いとやらを聞こうと青年は少女に会話を促す。


「……それは」


 しばらくの沈黙のあと、小さな声で少女が答える。

 俯き、暗い顔により一層影を落としたかと思うと、少女は再度青年の方に向き直り、


「私の、お母さんを殺し」


 ――――カチャリッ、と無機質な音が聞こえてから間髪入れず、弾丸の放たれる轟音が路地裏に響き渡る。


 放たれた、正真正銘人殺しのためのそれが、青年の顔のたった数センチ横を通り過ぎ、壁に当たると同時、火花を散らす。


 驚きすぐさま振り返った少女の目の先。路地の入り口に二人の長身の人影が見える。

 そのうちの一人、おそらく引き金を引いたであろう銃を携えたその男が、低い声でこう告げる。


「奴隷を連れ戻しにきたんだが、あんた、保護者かなんかか?」


「最近の奴隷には保護者がつくのか? ずいぶんと進んでんだなぁ闇商売も」


 その目に確かな殺気を宿しつつ、青年は眠気を感じたまま、重い腰を上げた。




気ままに連載開始です。自分では結構書いたつもりが全体見るとそうでもないですね。次話からもっと増やします。良ければ読んでいただければ。

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