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砂の涙  作者: 日野 哲太郎
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砂の涙ー9

 妖怪の女王である悪魔ミウは魔界の牙城ブラックウォールにいた。黒装束に裏地が紅の黒マントを纏い、腰に魔剣を帯び、右手に魔法の杖を握っていた。その姿は絶対君主のように恐ろしくも美しかった。ミウはその魔宮を根城として地上の要所要所を支配していた。世界史の大発見や大戦争にことごとく関与し、神の王国を徐々にに破壊し、人類をおのれの思惑通りに操っていた。皮肉なことにその悪魔が一人の病弱な少女に嫉妬した。これは信じられない大事件であり、この世の不条理を物語る珍事だった。アルファと梨咲との関係はあまりに純粋な絆となっていた。それゆえ女王の恋心はいやが上にも燃え上がった。

 そのとき世界は、悪魔の思惑通りに動いていた。歴史の潮流が近代化へと動き始めれば、もはや誰にもその流れを止めることはできなかった。女王は金によって動く世界を巧みに創造していた。

 むろん金が善なのでも悪なのでもない。金というものは生活に必要な道具であって、人間の扱い方ひとつで善にも悪にもなる両刃の剣なのである。金は人間生活にゆとりをもたらすものであるが、善悪には関与しない。だから、富裕者が善をなせば金は大きな善として働き、富裕者が悪をなせば金は大きな悪となって働く。これは技術に関してもまったく同じことが言える。技術は人間能力の拡大をもたらすものであるが、善悪には関与しない。だから、技術者が有益なものを作れば技術は大きな善として働き、技術者が有害なものを作れば技術は大きな悪として働く。むろんこれは原理原則であって実際はもっと複雑である。表からみた場合に好ましいものが、裏からみた場合には好ましくないこともあるからである。たとえば、自動車は現代社会に欠くことのできない有益な機械であるが、それは人間の扱い方ひとつで人を殺傷する凶器となる。そのリスクを技術の改良により限りなく無害化していったとしても、人間の身体能力を退化させてしまうというリスクを拭い去ることはできないだろう。このような近代化の光と影は現代社会のいたるところに散見される。偉大なる生の行進は、その背面に偉大なる死の行進の要素を内包しながら進んでいるのである。それは核戦争の脅威を考えただけでも充分に理解できることだろう。金や技術に善悪があるわけではない。善悪は人間にあり、人間の扱い方ひとつでそれらは大きな善にも大きな悪にもなるのである。

 悪魔は、人間には両刃の剣は使いこなせないと見ていた。だから、すべては自分の思惑通りに進んでいると確信していた。

 魔界の女王は澄んだ姿見の前にいた。

「ああ、なんて永い道のりだったのかしら。すべては順調に進行している。

ああ、く・た・び・れ・た」

 このような感慨はそれまでにはないことだった。妖怪の女王はアルファへの恋心におのれの疲れをみた。自分が常態であれば人間に恋することなどあり得なかった。彼女は、これが天使の仕掛けた罠なのではないかと疑ってもいた。

「それにしてもあのとき急に胸が痛んだ。

 キューピットの矢に射抜かれたのかもしれない」

 そこで彼らを抹殺することも考えたが、それは自分の心を殺すことのように思えた。女王はこれまでも人間を情欲の虜にしたことはあった。しかし、それは恋ではなかった。神の子フェリアへの憧れはあったが、それは憧れだった。ところが彼女は純粋な乙女のような恋をしてしまったのである。胸がときめき、世界が彼を中心に輝いてみえた。

 魔法の鏡の前に立った女王は、自分の姿をまじまじと見つめた。

 杖を玉座に置き、剣を外して、マントを脱いだ。頭にはえた二本の角を魔法で隠し、鏡に向かっていくつも妖艶なポーズをとった。

 鏡の中の自分が美しく微笑みを返すのを見ると、自分のボディラインをなぞってみた。熱い溜息が洩れた。

「彼に愛されたい」

 自分の言葉に上気した。この欲望は止めようがなかった。

 意を決した。

「しばらく休暇を取りましょう。そして彼のすべてをわたしのものにする。その満足を胸に別れましょう。それができないのなら殺すまで」

 妖怪の女王は牙城ブラックウォールに自分のダミーをこしらえた。側近である魔王たちには自分がいない間の細かな指示をあたえた。彼らはそれぞれが多くの妖怪たちを従えた魔界のリーダーたちだった。

 仮面をかぶった腹心の部下である左王と右王、魔王の第一人者である山王には、他の魔王たちの監視を命じた。

 それから現実世界にきらびやかな恋の劇場を創造した。それは現代人が夢見るもっとも美しい夢だった。億万長者の令嬢。美貌と才知とを兼ねそなえた現代のヴィーナス。火のような情熱と水のような潤いをもつ乙女。愛すべき魂と美しい身体をもつバレリーナ。美の化身。彼女が住むにふさわしい極上の館と紳士淑女の面々。それらの舞台装置は悪魔の力を使えば簡単に整えられた。それは甘美な魔法が掛けられた夢の世界だった。しかし、魔法はそこまでだった。女王はありのままの自分を愛されたかった。それでこそ恋の悩みは解消されるのだった。

「わたしはわたしに呪文をかけよう。

 恋に魔法は使わない。片想いになっても使わない。わたしはわたしの魅力だけで勝負する。花にはならない。蝶にもならない。わたしの心とわたしのからだ。それがすべて。それがすべて」

 妖怪の女王は長い黒髪の麗人に姿を変えた。恋心が現実世界に美しい肉体をもってあらわれ、一人の女として地上に舞い降りた。日本の舞台装置はそのままに乙女の降臨を受け入れた。

 悪魔はとある大金持ちのご令嬢と入れ替わった。本物の令嬢はブラックウォールで眠り姫となった。そして与えられた夢の中でいつもと変わらぬ生活をしていた。女王は令嬢となり、自分が悪魔であるという記憶を消して人間と変わらぬ生活を始めた。彼女の記憶が戻るとき、それは恋が成就した時だった。


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