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砂の涙  作者: 日野 哲太郎
19/30

砂の涙ー19

 武居梨咲葬儀の日。

 帰り道、若者たちはT駅から繁華街を過ぎ、涼風通りに向かっていた。全員が喪服を着ていた。

 愛結子「アルファさん。だいじょうぶかしら? 」

 拳士郎「これで潰れるような男ではないさ」

 優希はそれまで我慢していた想いがはち切れたように道路にうずくまり号泣した。

 皆の足が止まった。

 少し間を置いて、覚は彼女を慰めた。

「梨咲ちゃんのことは残念だよ。

 でも、あいつはリンチにあっても微笑していた。強い男だよ」

 優希は彼らがアルファを信頼していることに心打たれた。

 しゃくり上げながら「そうね。信じてあげなくちゃね」と涙を拭った。

 愛結子は友人の肩を抱いた。

 覚や拳士郎は、彼女たちの前ではそう言いながらも、独りのとき、あまりに早すぎる少女の死を悼んで袖を濡らしていた。

 これからは本格的な夏だった。夕立が降りそうだった。

「これまで通り。

 これまで通りさ」

 覚の声に皆は頷いた。

「よし。きょうはうまいラーメンをご馳走するよ」

 拳士郎の声に皆は足早に大龍へと向かった。

 覚はカン、カン、カン、カンとなる踏切の信号機の音が風に乗って遠くから聞こえてくるような気がした。


 梨咲の葬儀は武居家で行われた。身近な人達でささやかに行う予定であったが、親戚縁者や会社の関係者、学校関係者、地域の人達など思いの外多くの人達が参列していた。

 武居夫人は葬儀終了後、アルファに梨咲の部屋で待っているように声を掛けた。

その部屋は少女と会話をし、絵を描いた場所だった。思い出が柱にも壁にも染み込んでいた。アルファは喪服のボタンを外し、黒ネクタイを少しゆるめた。ベッドには今でも梨咲が寝ているようだった。手を置いた。今度いつ来ることができるのか分からなかった。彼は、部屋の隅々までも心に焼き付けておこうと思った。

 目には見えないところで少女との会話は続いていた。死んでしまったからといって、すべてが消えてしまうわけではない。彼女の魂はずっと自分に寄り添っている。そう感じて窓を開けた。曇って今にも雨が降りそうだった。でも、青々とした木々は太陽の恵みを宿したように風にそよいでいた。

 この部屋とこの景色が梨咲の世界だった。少女は天国より『ここがいい』と言っていた。それは家族や自分をふくめた『ここ』だったのだろう。だから、『ここ』を過去の出来事として片づけたくはなかった。火葬場の炎によっても消えないものがある。それは人の想いだ。灰の中からも蘇るような命の想い。人間の真実。

 そのとき本棚でパタンと一冊の本が倒れた。そのとなりに少女の姿が見えた。いつもの白い衣装をきて微笑んでいた。「梨咲」と呼ぶと、彼女は走って彼の胸に飛び込んできた。身体の重さは感じなかったが、温かな霊気を感じた。

「これからも一緒に生きていこう。

 ずっと一緒に」

 生前、言えなかった言葉だった。

 時の流れはすべてを変化させていく。どんな人にも出会いと別れがある。しかし、変わらないものもある。人を愛する心。

「梨咲。どんなことがあっても忘れない」アルファは固く心に誓った。


 一時間ほどして幸江夫人が来た。ベッドに座っていた若い男は立ち上がった。

「ごめんなさい。お待たせして」

 夫人は礼服の裾を少し上げるように椅子に腰掛けた。彼がテーブルの向かい側に座るとおもむろに話し出した。

「アルファさん。あなたのお陰で梨咲にもよい思い出ができました。ありがとうございます」と深々と頭を下げた。

「わずかですがお礼です」と分厚い包みを差し出した。現金だった。

 それを見て堪えていた感情が一気に溢れ出した。

「受け取れません! 」と突き返し涙があふれた。

 夫人はアルファの反応を予想していたようだった。立ち上がって

「お気持ちはよくわかります。でも、あなたの役に立たせてください。これは梨咲の感謝の気持ちなのです」

 そういって包みを手渡し、目にハンカチを当てた。

「あなたは、わたしの息子と同じです。娘が心から愛した人なのだから」

 幸江夫人の心遣いはうれしかった。でも、それを無償で受け取るわけにはいかなかった。

「供養をさせてください。

 肖像画を描きます。それをこの部屋に飾ってください」

「あなたが描いたデッサンは棺に納めました。いっしょに天国へと行けるように。

 この部屋にも梨咲がいてほしい」

 夫人は潤んだ瞳で微笑した。


 このようなやりとりを扉の向こうで聴いて泣いている人がいた。奈美だった。

「わたしが死んでも、これほど悲しんでくれるのかしら?

 梨咲は幸せ者だわ」


 アルファはアトリエ・アマランスを訪れ、50号のキャンバスに肖像画を描き始めた。白石は彼の心を察し、無言で画業を見守った。

 友人たちは彼を気遣いながらもいつもと変わらぬように接していた。

 寝る間も惜しんで一か月半で肖像画を描きあげた。それは笑顔で本棚の脇に立っている梨咲の全身像だった。

 白石にそれを見せると、笑顔で涙ながらに握手を求めた。

 覚や拳士郎や優希や愛結子にも見せると、いっせいに賛嘆の溜息がもれた。

 武居夫人はその絵をみて驚いた。まるで娘がそこに生きているようだった。

「梨咲が帰ってきた」

 家族の喜びようは大変なものだった。ご主人も、誠太郎も、真琴も、奈美も、身内との再会を喜んだ。

 アルファは語った。

「ありのままを描いたのです。

 葬儀の日、お嬢さんはそこにこのように立っていたのです」


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