保健室の縁 3
叶藤くんと話をするようになって、およそ1ヶ月。
会うのは10日に1回程度だけど、彼女はよく喋る子だった。さすが、あの叶藤の孫娘、という訳だ。
最初は昔のオレの話だったり、叶藤の彼女……いや、嫁。つまりは彼女の祖母の話をよく聞かせてくれた。といっても、そんなに話題がある訳じゃない。オレが彼らのことを話せる訳でもないし。
だから最近はもっぱら学校内の行事――主に学力試験や卒業式の話題がよく挙がるようになってきた。
オレは3年生で通してしまったから、受験という言葉もちらつくのだが。
「もう進学先決まってるから」
とだけ言ってごまかした。
彼女と会うと、彼のことを思い出す。
同級生だった叶藤は、とにかく明るいやつだった。
庭いじりに徹していたオレを、本屋や川辺へと連れ出し、よく笑い、よく喋る。たまに突拍子もないことを言い出すこともあったけど、クラスの中でもムードメーカーというやつで、どうしてオレに構うのかよく分からなかった。今でもよく分からない。
彼女の祖母という人物には覚えがないが。もしかしたら叶藤に意中の相手がいる、という話くらいは聞いたことがあったかもしれない。
あいつは、突然いなくなってしまったオレのことをどう思っているのだろう。
考えたこともなかった。今更聞く気もない。
オレはただ、なにもなかった自分をそのままにして。
現状を受け入れて。
時間を止めて。
そうして過ごしてきた。
孫だという彼女は、そんなオレに彼が送りつけてきたメッセージか何かなのかもしれない。
嫌がっても外に引っ張り出すようなあいつだから。
どんな手段を使っても逃げ切れなかったオレだから。
もっと話をしろと。笑えと。そう言うことなのかもしれない。
それなら、オレも少しだけなら応えてやっていいような、気がした。
本来の期待に応えられるかは、別として。だ。
もうすぐ3月。卒業式が近い。
ずるずる現状維持してる訳にはいかないから、そろそろ決めなくてはいけない。
叶藤くんとどう付き合うか。今後どうするつもりか。
「――」
オレは白衣をきちんと着なおして、理科室のドアを開けた。
「あのさ、ハナブサさん。ちょっと話があるんだけど……」
□ ■ □
しとしとと雨が降る日の事。ヤツヅリはパソコン室を訪れた。
「やあ。ヤツヅリ」
ドアの開く音に反応して長い金髪を揺らしたのは、シャロンだった。
「どうも、ハナブサさんから話は聞いてる?」
「うん。ばっちりー」
ならば話は早い。と、ヤツヅリがシャロンの横に立つと、彼女はキーボードを叩いていた手を止めて席を立った。
「それじゃあ、頼んでたものだけど。よろしく頼むよ」
ヤツヅリの言葉にシャロンは頷く。
「うん。その前にひとつ確認なんだけどさ」
「ん?」
「ライネ、ってあのライネでいいんだよね」
「そう」
頷くとシャロンはこくこくと頷いた。
「ハナブサ、よく許してくれたねー……」
「柄にないくらい頼み込んだから」
「……ヤツヅリがそんなに言うなら、ハナブサも折れるしかなかったかー。ま、ヤツヅリなら大丈夫だってハブサ言ってたし。任せてよ」
それで、とシャロンはスカートの裾と呼吸を整える。
「能力だけでいい?」
「ん。十分」
「了解了解。でも、読み込むの初めてだから時間かかるかもしれない。ちょっと待ってねー」
「ああ」
そうして彼女は数歩離れ、目を閉じる。
「Search……」
彼女の口がぶつぶつと高速で動き、何かしらの言葉が紡がれる。
それは髪の毛を揺らし、影がじじっと小さな音を立て、身体の所々をドットにして。散っては補修されていく。
傍目には、ただ何かの呪文を唱えているだけのように見えるが、シャロンの視線や表情には、集中を1ミリも乱さないようにという真剣さが垣間見える。
それは彼女が今、読み解いて編み上げる情報量の多さを物語る。なにせ、かつてこの学校に存在していた人格や能力を一人分丸ごと読み込むのだ。
魂の重さはよく取り沙汰されるが、データ量にするとどの位なのだろう。そんな疑問がヤツヅリの中にぽかりと浮かんで消えた。
頭の回転……というか、情報量とその処理能力に関してなら、ずば抜けた力を持つシャロンがここまでかかるんだ、相当なんだろう。と、呟かれる言葉と影がたてる物音を聞きながら待つ。
そうしてしばらく。
じりっ、と時々軋んだような音を立てる影に一際大きなノイズが走り。
シャロンの瞳が大きく開いた。
鮮やかな緑の瞳が輝き、ちらつく。
「――OK. Call ……Install_Leine-Mode!」
ばっ! と彼女が手を伸ばすと同時に、きぃいぃん、と耳の奥にだけ届くような甲高い音が響く。
不快なその音に耳を塞ごうとするもつかの間。それはすぐに収まり。
ぱしん。とシャロンの手が何かを掴んだ。
「よしっ、できたー! これでいいかなあ」
「――随分とお手軽なサイズになったね」
そこにあったのはハサミだった。手のひらより少し大きい、標準的なそれは、鈍い輝きに雨の色を弾く。
「うん。簡易版だしね。使えるのは能力だけ。使用回数は予備も含めて2回にセットしてるよ。使い切ったら消えるから気をつけてねー」
「ああ、ありがとう」
はい、と差し出されたそれを受け取る。金属のせいか気分のせいか、それは思いの外重かった。
これはかつて校内を、というか自分達の関係をめちゃくちゃにしかけた騒動に関係する一品だ。
ヤツヅリもその被害に遭ったひとりだった。
傷ついたり、傷つけたりといったことはなかったのだけれど、その用途においては――あまり良い気はしない。
特にシャロンにとっては、胸の痛い事件だったはずだ。
当時を思い出して、ヤツヅリは少しだけ眉をひそめる。
「まさかこれを使うことがあるなんてね」
「ホントだねー。でも、ヤツヅリは正しく使うんでしょ? 気に病むことないよ」
「そうだけど……」
君は大丈夫なのか、と言うより先にシャロンは「それにさ」と言葉でヤツヅリのそれを封じた。
「うん?」
「保健委員が病む方が困る」
「……おう。そうだな」
軽口に少しだけ笑うと、シャロンも口の端をにこりと上げた。
「ヤツヅリ、笑った」
「ん? そりゃあオレだって笑うさ」
「そうだけど、いつも怠そうだったから珍しい」
「そう。きっと今日は機嫌が良いんだ――それじゃ、ありがとう」
受け取ったハサミを白衣の内ポケットにしまってパソコン室を後にする。
雨で薄暗い廊下は、なんだか肌寒い。
溜息をつきそうな程、白衣が重い。
自分は結局臆病なのだ。
過去にこれ以上触れたくない。このままで居たい。
そんな欲に甘えてきた。
だから名前もそのままだし、やっていることだって変わらない。
役に立てばいい。なんてそれだけを掲げて立ち止まってた。
昔から、自分の未来は見えなかった。
きっと今も見えてない。
ハナブサさんのような大きな目標もなければ。
ヤミくんやウツロさんのように強い意思もない。
サカキくんのように過去と向き合うこともないし。
カガミくん達のように全て忘れて笑ってることもできない。
だから。
怖がって何にもできない自分だから。
立ち止まって、ここに立って。
みんなの背中をしっかり見ることを。
手助けをして、背中を押すことを。
自分の。保健委員としての役割としよう。
ようやく何かを、見つけたような気がした。
□ ■ □
卒業式。
今日はとても、暖かい日でした。
1年生に卒業式への出席義務はありません。中等部はなおさら、高等部の卒業式には縁がありません。
けれども、部活動や委員会の関係で学校へ来る人もいました。
私は何もなかったけれど。ただなんとなく、ふらりと保健室を訪れました。
卒業生が保健の先生と話をして去っていくのを、お手伝いしながら見送ります。
先生もしばらくしたら、会議が入ったと出て行ってしまいましたので、私は、一人残って作業を片付けることにしました。。
保健室はとても静かなのに、外はわいわいと賑やかです。
ぱちん。ぱちん。と、ホチキスの音が響きます。
ぱさ。
ぱちん。
ぱちん。
ぱさり。
がらり。
――。
「……やあ。先生は居る?」
そこには、ヤゲン先輩が立っていました。
今日は卒業式ですから、3年生の先輩がいるのは当然です。
「いえ、先生は会議で出てて」
先生の用事があったのでしょうか。それなら戻ってくる時間が、と言おうとしたところで先輩が「よかった」と呟いたのが分かりました。
よかった? 何がでしょう?
「叶藤くん。君にちょっと用事があってさ」
「ぅえ? 私にですか?」
「うん」
一体何なのでしょう? 少しだけドキドキするような、頬が少しだけ温かくなったような気がします。
でも、頷く先輩はいつも通りです。
怠そうな雰囲気も。ちょっと疲れたようにみえる顔も。
――ただ、ひとつを除いて。
それだけが、どうしても先輩の周りに緊張感を張り巡らしている。そんな感じがして。
それが、いつもの先輩と違った空気を持たせていて。
「え、えっと。……ところで先輩、ひとつ聞いても良いですか?」
私は思わず聞いてしまいました。
「どうぞ」
「あの、先輩。……どうして、白衣を着ているんですか?」





