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保健室の縁 2

 タヅナはヤツヅリの言葉に首を傾げた。

「ふむ? つまり、その学生が級友とやらの関係者ではないかと?」

「うん。年齢からして子供か孫……孫だったらどうしよう……」

 その声の根元に絡む感情が何かは分からないが、何かを本気で心配しているような色をしているように感じた。

「己の言葉に衝撃を受けるな。――そもそもそれは確かなのか?」

「うん。オレもそうだけど珍しい苗字だからね」

 間違えようがないんだよなあ、とヤツヅリは溜息をついた。

「なんていうかさ。ずっとこの学校にいるからそう言うこともあるんだな、って話なんだけど」

 ごろり、と彼はようやく寝返りを打って天井を仰いだ。

「なんか。ずっとこうして過ごしてきて……今でも昔と変わらない感じでいたんだ。だけど。実際の所、他の人はこうしてちゃんと時間を刻んでるんだなって知ると……なんていうのかな。んー……」

 少しだけ羨ましい、のかな。と。言葉が落ちた。

 タヅナはそれを一瞥し、並べ終えた薬草を窓辺へと寄せる。

 

 窓の外はよく晴れていて、薄青の空に白い雲が流れている。気温もそんなに低くない。実にいい天気だ。

 だが。それを四角く区切る窓枠が目に入る。

 ああ、とてもいい天気なのに。


「――ここは檻のようだな」

「どうしたの突然」

「いや。ふと思ったまでだ。……私は長いこと外に居たが、このような場所で過ごすことなど考えてもいなかった」

 己の柄じゃないとは思いつつも、ぽつりぽつりと話をする。

「私は。妖としてはまだ若い部類だ。私よりずっと長く生きてるものもここに居る。だが」

「だが?」

 天井に向けて、小さな問いが投げられた。

「何の因果かここに捕われ、話に絡まれ、こうしてここに居る。それは未だに私から離れぬ。それは実に不本意で、窮屈で……一方で安堵してしまう自分が居るのも確かだ」

「安堵」

 繰り返された言葉にうむと頷く。

「時が止まったもの。変化しないものとは、実に居心地がいい。それは全て知っているからだ。自分を大事に守り続ければ恐怖もなく、未知なる未来や目を背けたい過去と向き合わなければ、傷つくこともない」

 特に、と言葉を繋ぐ。

「人間は。ここに居る人間は、そのきらいがある」

「ふぅん……。それはオレも?」

「勿論だ。お前に人に話すような過去があろうがなかろうが、かつて「未来が見えなかった」と言っていた。そこから、少しでもそれに向き合おうとしたか?」

「うーん……」

 そうだね。とヤツヅリは微かな声で頷いた。


 ヤツヅリは己の過去をあまり話さない。聞くこともないし、かつて話題に上った時には「未来が見えなかったんだ。でも、平凡だったよ」とだけ言って苦笑いをしていた。いや、ヤツヅリだけではない。過去を持ってここに存在するものは、あまり話をしない。

 する必要性と機会がないのかもしれないが。

 己を見直して前を向いているものは少ない。


「だからとは言わないが。ヤツヅリ。お前はしばらくその生徒と話をしてこい。少しはお前の刺激になるだろう」 

 ついでにその級友の話も聞いてこい、と言ったら。

 えぇー、というめんどくさそうな声と、枕を抱き寄せる音がした。



 □ ■ □



 ヤゲン先輩は時々保健室にやってきて、少しだけ話をするようになりました。

「そういえば、この間の名前さ」

「あっ。あのときはごめんなさい……」

「いや。それはいいんだ。気にしてない。それよりも、その「薬綴さん」っていうのは……誰、なの?」

「は! そうですね。私もそんなに写真を見てたわけではないのでうろ覚えなのですが」

「写真」

「はい。卒業アルバムに……えっと、私じゃなくて、おじいちゃんの」

「おじいちゃんの」

 繰り返されたその言葉がなんだか不思議そうで、そんな先輩がなんだかとても珍しい気がして。おもわずくすくすと笑ってしまいました。

「はい。私の祖父母はここの卒業生なんです。おばあちゃんとアルバムを見てたのを、私も一緒に見てて」

「へえ……」

「おじいちゃんの同級生が、薬綴さんだと聞きました。私は写真でしか知りませんが、目元とか表情の感じとかが、ヤゲン先輩はすごく似てて……って、つまらなくないですかこの話!」

「え。いやいや」

 先輩は「それで?」と話を先に促してくれます。

 静かな先輩ですが、興味がない、というわけではないのでしょう。

 その日、私はおばあちゃんと薬綴さんについて知っていることを、少しだけお話ししました。

 先輩はその日、ずっと相づちを打って。

 静かにその話を聞いてくれました。


「ちょっとタヅナ」

「うん? どうした疲れた顔を……っと。それはいつものことだな。どうした」

「――孫だって」

「ほう。孫か」

「そりゃあ時間経ってる訳だよね……同級生が今やおじいちゃんって」

 ぼふん。とベッドに突っ伏す音。

「こらヤツヅリ。今日はお前も薬草の仕分けを手伝え」

「あー……そうね」

 返事はあるけれども、動く気配はなかった。

 タヅナはそんなヤツヅリの背中へ、やれやれとため息をつく。

「お前は、外へ手を伸ばすことに苦労しているようだな」

「ん……、んー?」

 そうかなあ、と。もごもごとくぐもった声がした。

「そうだろう。帰ってきて早々布団に突っ伏すなど、私が知る限り数えるほどしかない。そのうち一度は先日……外の、名を何と言ったか」

「叶藤くん?」

「そう、その名の生徒と会った日だ」

「あー……そう言われると、そうかもね」

 なんか、ショックって言うか。とヤツヅリは大きなため息をついた。

「すごくこう。さ。叶藤に。忘れてた友人に置いて行かれた気がした。オレはずっとここに立ってるのに、知らない間にみんなの背中が、随分と遠くにあるみたいな実感、っていうのかな……」

 その声に、いつも以上の気怠さがある。気に病んでいる訳では無いのだろうが、ずっと腹の底にあった重しを実感している。そんな声だ。

「そうだろうな。生者と死者の大きな違いはそこだろう」

「毒針のような肯定ありがとう。解毒剤はある?」

「さてな。もしくは道を違えた故の結果。と言えばいいのかもしれぬ。とはいえ私はお前の過去を知らんからな。お前の感想を聞いてやる位しかできんよ。それが解毒剤になるかは」

 わからんな、と。乾いた薬草を仕分けながらの返事は素っ気ない。

 ヤツヅリもそれに文句を言いはしない。事実なのは痛いほど分かっているのだ。

「私に話せぬというのなら、己の中でどうにかしろ。もっと話を聞いて自分なりの結論を出すもいい。そのまま飲み込んでしまうのもいい。対処はお前次第だ」

「そうだね……」

 ヤツヅリの声は、少しだけしなびているように感じた。

 だからといって、何かしてやるわけではない。

 人間に手をかけすぎるとよくないと言うことは、タヅナも身をもってよく知っている。

「……もう少し、彼らの話を聞いてみるのも、たまにはいいかな」

「ああ。お前がそうしたいならそうするといい」

 


 □ ■ □



 私は時々。そもそも会う機会すら「時々」だったので、その中のさらに「時々」でしたが。

 ヤゲン先輩が保健室へやってくると、いろんな話をしました。

 そんなに回数は多くありませんでしたが、私は主に「薬綴さん」について話をしていたと思います。


 おばあちゃんが見ていたという薬綴さんのこと。

 ほんの僅か。気付いたかどうかも分からなかった感情のこと。

 その人が居なくなって、ショックを受けていたおばあちゃんを励ましてくれたのがおじいちゃんだと言うこと。

 おばあちゃんは今、風邪をこじらせて家で寝込んでしまっていること。二人とも仲がよくて、おじいちゃんはつきっきりで看病をしていると言うこと。

 そんな二人に、ヤゲン先輩のことを話したら、うれしそうに話を聞いてくれたこと。

 そして先輩もまた、そんな感じがするということ。


「すごく似ている人が先輩にいた、っていうことを話しただけだったんですけどね。なんだか自分たちのクラスメイトの話を聞いてるみたいな……んー。私は小学校の友達くらいしか離ればなれになった人っていないんですけど。なんかそういう反応で」

「へえ……」

「先輩も、私の祖父母の話を聞いてる時はそんな感じがします」

「……今、年寄りくさいって言われた?」

「え。いやそういうつもりはなく……!」

「うん。そうだろうね。気にしないで続けて」

「は。はい……」


 この通り、大体が祖父母と薬綴さんについての話でしたが。

 ヤゲン先輩は静かに。時には話の先を尋ねるように。

 まるで、草花の世話をするように。

 ついついおしゃべりになってしまう私の相手をしてくれました。

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