調理室のおいしい話 前編
■ハナのレシピ
ヤミは悩んでいた。
「んー……」
特に大した悩みではない。
いや、ある意味では重大だけれども、些細と言えば些細。
その日一日の締めくくりとして、次の日の話題の種として。皆の前に並び、食される。
夕飯の献立。
ヤミが向かい合っている冷蔵庫には、食材が入っている。
大体は季節の野菜やある程度の材料が揃っていて、作ろうと思えば何か作れるはず。なのだが。
なぜか今日は、野菜と豚バラの薄切りしかなかった。
食材の追加はきっと明日なのだろう。今日はこれで乗り切るしかない。
「となると……豚肉を使った献立、なんだけど……」
とりあえず冷蔵庫の戸を閉め、むむ、と唸る。
ヤミは料理をそんなにする方ではない。頭の中に献立の手数は少ない方だと自負しているから、大体は焼くか煮るかの二択で済ませるのだが。
「なんかこう……うーん……」
野菜炒めには物足りない。かといって何かうまくこの食材を使える気もしない。
さて、どうするか。
「おや。冷蔵庫の前で何を悩んでるのかね?」
「あ」
ひょこ、っとドアから姿を現したのはカーデガンを羽織ったセーラー服の少女。ハナだった。
「なにかいいおやつでも見つけた? それとも、つまみ食いなのかい?」
「違えよ」
「なんだ違うのか」
つまらんな。とハナは言う。
つまらなくて悪かったな。とヤミは答える。
「そういえば、プリンは食べたかい?」
「え?」
ヤミの返事が意外だったのか、ハナは「プリンさ」と頷いた。
「サクラ君が作ったプリンが残ってるかと思ったんだが」
プリン。と、首を傾げる。
冷蔵庫の中にそんなものあっただろうか?
思い出してみるけど、他の食材は、と探していた時に見たおやつ用のスペースにはそんなものなかった。
「いや。俺は見てない」
「そうか。ボクが午前中にいただいたのだが美味しくてなあ。いや実はね、昨日の夕方にサクラ君が作っていてな。ヤミちゃんに、とひとつ残してあったんだ」
「うん。お前が午前中に食べたと白状したそれが、多分俺のだろうな?」
「だな!」
いやはや失礼した、と彼女は笑う。
笑い事じゃない。ヤミだって甘いものは嫌いじゃない。あると知れば、多少なりとも食べたくなってくるじゃないか。と口の中が甘味を欲する感覚に眉を寄せる。
いや。プリンはこの際置いとこう。
今は甘味とかなんとかで説教をしている場合ではない。
「で。お前は何をしに来た? 俺への謝罪か?」
「いやいや、そんな訳ないじゃないか」
「いや、一言くらい謝れよ」
後だ、と思ったものの、つい言葉が口をついて出てきた。
が、こんな言葉でどうにかなる彼女ではない。
「こういうのは礼こそいえど、謝罪をするかは別問題ではないかい?」
「おお、なんか殊勝な心がけだな。そうじゃねえよ」
「まあまあ。なんかヤミちゃんが唸ってる声が聞こえた気がして来てみたら、案の定。と言うのが実際のところ、という訳さ」
「どう言う訳だ。お前は俺の声をどこで聞いたんだよ地獄耳か」
二人はかつて、お互いの感情を僅かながらに共有していた。今はその繋がりも切れてしまったというのに、ハナは時々ヤミの感情を嗅ぎ付けたようにやってくる。地獄耳というか、何かを受信しているようにしか見えない。
カガミがハナに報告しているのだろうか、と考えたこともあるが。カガミの姿を見ない時でも彼女は容赦なくやってくる。
ヤミとハナ。二人の関係を考えれば、あり得ない話ではないのだろう。と、ヤミは勝手に納得することにしている。一々気にしてたら、色々と保たない。
ハナとは神出鬼没で、空気を読まなくて、肝心な所で頼りになることもある。そういう少女なのだ。
つまり。諦めるが吉。
「まあまあ、ボクが地獄耳だなんて褒めてくれなくてもいいのさ」
「褒めてないし、そもそも褒め言葉じゃない」
「そうか。残念だ。褒めてくれてもいいんだぞ?」
「どこを褒めろと?」
「ボクが君を心配してやってくるこの行動力とか」
「……」
無視して冷蔵庫と向き合った。
夕飯の献立を考えなくてはならないのだ。ハナの戯言に付き合っている暇はない。
「ま。冗談はこの位にして。だ。悩みがあるなら相談くらい乗るぞ? 値段はプリン一個」
「前払いじゃねえか」
「そうだな! だから今から乗ってやろうと言うわけさ」
詳しく言ってみなよ、と彼女は隣に立つ。
「うん。まあ。夕飯の献立がな」
「夕飯の献立」
「主菜を何にしようかと思って」
「ほう。肉? 魚? 何があるんだい?」
「肉。豚バラの薄切り」
「それだけかね」
「あとは野菜」
ふむふむ、と彼女は野菜室を開けて一通り眺めて。ぱたん、と閉じた。
「白菜、昆布、人参とキノコに卵……豆腐はないのか。あとはえーっと」
ぱたぱたと調味料の棚を覗き込む。
「調味料はある、と。これでヤミちゃんが作れそうなのと言えば。野菜炒め?」
「白菜で野菜炒めだと、カガミとか絶対飽きるだろ。八宝菜……でも良さそうだけど、魚介がちょっと足りないな」
「そうだな。ならばミルフィーユ鍋とかどうだろう」
「みる……?」
それはケーキの名前で聞いたことがあるような。その程度の認識しかしてない単語だ。なのに鍋とは? 鍋のふたを開けたら詰まっているケーキのイメージがほわほわと浮かぶ。いや、そんなの夕飯にしてたまるか。
ハナはそんなヤミの想像の中身を容易に理解したらしい。
「うん。ヤミちゃん。ケーキの名を冠してるからといって別に甘い訳じゃないぞ。見た目がそうだから、そう呼ばれてるだけで、要は重ね鍋だ」
「なるほど?」
「ま、白菜と豚肉があればできるさ。野菜はお好みで」
「……なるほど。じゃあ、それでいい。教えてくれ」
材料も時間も少ない。決断は早かった。
ハナに教わりながら――彼女は口で指示するだけだったが、なるほどヤミでも下ごしらえから簡単にできた。
白菜を切る。肉を挟んで鍋に敷き詰める。
水を注いだら昆布を入れて火にかける。
沸騰したら昆布は取り出す。
灰汁を取って、蓋して。ある程度煮込んだら、余熱に任せる。
夕食時になれば、温め直して運ぶだけ。
□ ■ □
夜。
温め直した鍋の蓋を開けると、ほわっと立ち上がった湯気の影から彩りの人参が姿を見せた。
染み出た肉汁が絡んでまとまった白菜。半透明になったそれをポン酢に付けて口へ運ぶと、口の中で簡単にほどけていく。
お玉で一気にすくってポン酢を染み込ませておいたり、箸で少しずつ取って食べたり。
冷え込む外からやってきた人達が、わいわいと一つの鍋をつついては口へと運んでいく。
「どうだい、いいアイディアだっただろう?」
鍋から白菜を取り出しながらハナが言う。
「……そうだな」
味は悪くない、とヤミは頷いて白菜を口に運ぶ。
「ふっふっふ。気に入ったのならまた頼ってくれても構わないよ」
「悩んだらな」
ハナは一口ぱくりと肉をほおばり、はふはふと飲み込む。
口の中が空っぽになった所で「そうでなくても」と言葉が続いた。
「ヤミちゃんが悩んでたら、ボクは勝手に押しかけるけどな!」
「それは、時と場合を考えろ」
溜息をつきながら口に運んだ野菜は、そんな言葉と一緒に柔らかく砕けて飲み込まれていった。
まあ、たまになら。悪くないのかもしれない。
■ 冬の廊下は寒いから
冬の廊下は寒い。夜なら尚更だ。
そもそもシグレにとって冬とはいつまで経っても馴染めない季節だった。
足元から忍び寄る寒さは、指先から身体の芯までじわじわと冷やし、思考を鈍らせ、目蓋と身体を重くする。
できる事ならこたつ……いや、布団でずっと寝ていたい。
そもそも蛇は、冬眠する生き物だ。こうして寒い中起きている方が不思議なのだ。
何てことを思いながら。重い身体を引きずって、シグレは廊下を歩いていた。
「あ。シグレさん!」
廊下を歩いていると、よく聞く声が後ろから袖を引いた。
――ああ、この声は。
誰かは分かっている。振り返れば思い描いた通りの姿があるのだろう。
一瞬無視してやるかとも思ったが、それでめげるような奴ではない。足を止めて振り返る。想像通りの顔をしたジャノメが立っていた。
「こんな時間に呼び止めて。どうした」
寒くてかなわないから早々に部屋へ戻りたい、と視線で訴えるも、彼は相変わらず嬉しそうに頬を上気させて「あのね」と笑ってくる。
こやつはどうしてこうも無邪気でいられるのかと、問うてみたくなる。
彼に対して良い結果をもたらすような事をした覚えなどほとんどない。なのに、どうしてここまで笑っていられるのか。子犬のように付いて回るのか。とうの昔に愛想を尽かせて去ってしまっても許されるのに、何故なのか――。いや、問うたところで何かが変わるわけではない。とシグレは心の中で嘆息する。ジャノメというこの少年が、いかに無邪気で、まっすぐで、それ故に理解し難くても。彼は彼。きっと彼なりの理由があるのだろう。と勝手に納得する。
それで。
そんなジャノメはなぜこの場所に立っているのか。どうして、呼び止めたのか。
答えはすぐに返ってきた。
「うん。寒いからちょっと調理室であったかいもの飲もうかな、って思って。そしたら丁度見かけたから」
シグレさんも飲む? と彼は問う。
いや、不要だ。とさくっと断る。
「確かに今夜は冷える。なればこそ。ワシは部屋に戻って暖をとる」
「そっか。シグレさんの部屋、あったかいもんね」
声に僅かな落胆の色が見えた。えへへと笑っているが、なんとなく。ほんの僅か。声の調子が落ちたように感じた。シグレが読み取れる「僅か」ということは、他人が見たらひどく落ち込んでいるのかもしれない。
シグレは人の感情には疎い。疎くあろうと生きてきた。望みを口にしなければ。それを耳にしなければ。 シグレは人の気持ちに気付くことはしない。
しないのだが。
「……ああ」
「なあに?」
立ち去る素振りはなく、むしろ自分が立ち去るのを見送ろうとしていたジャノメの首がこてんと傾く。夜の廊下は冷たいのに、彼の瞳は暖かそうに見えた。
「やはり、ワシも行く」
「え……、シグレさんも、飲む?」
今度はシグレでも見て分かる程、ぱあっと表情が明るくなった。
「うん、うんっ、じゃあ腕によりをかけて作るよ! お湯が湧くまではちょっと待ってね」
言うが早いか彼はくるりとシグレに背を向け、調理室へと歩き出した。
□ ■ □
調理室に人は居なかったが、無人になってそんなに時間が経ってないようだった。
人が居たぬくもりがわずかに残っている調理室は廊下ほどではないにせよ、しんしんと窓辺から寒さがにじんでいる。
「よかった。まだちょっと暖かいね」
それじゃあ待っててね、とジャノメはヤカンを火にかけ、冷蔵庫から何かを取り出す。
「うわ、冷たい」
そんな声に視線を向けると、彼の手には生姜があった。そんなに冷たいものなのか、と思っていると、テーブルで固い音がした。
なるほど冷凍してあったのか。と、それをおろし金に当てる手を眺める。
しゃりしゃりと、生姜を削る音がする。
会話はない。
あとは、しゅー、と音を立てて沸くのを待つヤカンくらいだ。
おろした生姜を並べたマグカップに入れて。
そこに蜂蜜をすくい入れる。
そうしてしばらく待っていると。
ぴひゅー。
どこか気の抜けたような音がヤカンから吹き出た。
湯を器に注ぐ音。匙でかき混ぜるかちゃかちゃという音。
それを聞きながら、外を眺める。
すっかり暗くなった外は、部屋の中を鏡のように写し上げる。
退屈そうな自分の顔。
器に視線を落とし、にこにことしているジャノメ。
外の景色は見えない。見えたとしても、この向こうにあるのはちょっとした斜面。昼間でも面白そうに眺めているのはヤツヅリくらいだ。夜になると尚のこと。見る人は居ない。
でも。この窓に映った光景は――。
「お待たせ、シグレさん」
ことん、と目の前にマグカップが置かれた。薄い琥珀色をした液体。上がる薄い湯気には、甘く特徴的な香りが混じる。
「――これは?」
「ぼくの自己流だけど、しょうがはちみつ湯」
「ほう」
「あったまるよ。シグレさんの指先も、暖かくなるといいねえ」
「……そうだな。では、頂こう」
「うん」
そうして二人、そおっとカップに口をつける。
「あつっ」
「……慌てて飲むからだ。落ち着け」
「えへへ。気をつける」
まったく、こやつは思わぬ所で落ち着きがない。という溜息で念入りに冷まし、はちみつ湯を流し込む。
思ったより熱くはないが、冷たくもない。薄い湯気と甘い香りが鼻をくすぐる。
飲み下すと、喉に生姜のぴりっとした辛みが残り。そこからじんわりと暖かくなっていく気がする。
会話はない。
ただ、隣に並んで、湯をすする。
飲み終える頃には、すっかり身体は暖かくなっていた。
「ふう。ごちそうさまー。それじゃあ、ぼく、カップ片付けて戻るから」
先に行っていいよ、と彼はカップをシグレの前から取り上げる指先で言う。
ならば、シグレも残る理由はない。「そうか」と頷いて席を立つ。
「――ジャノメ」
「うん?」
部屋を出る前に。足を止めてカップを流しに置くジャノメを呼んだ。
なんで呼ばれたのだろう、と彼の目は不思議そうな色をしている。
「確かに温まった。ごちそうさま」
「うんっ。おそまつさまでした。コレでよかったらまた作るから、寒くなったら言ってね」
「気が向いたらな」
そうしてシグレは調理室を後にして部屋に戻った。
布団に潜ると、いつもよりもぽかぽかと暖かい。
この暖かさは飲み物のせいだろう、とは思うが。
どうにも違う何かもあるような気がする。
どちらにせよ。
口に合う味だったし。身体も温まった。
布団に潜ったシグレが、その心地よいぬくもりと睡魔に埋もれるにも、そう時間はかからなかった。





