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夜の学校と白骨の怪 後編

「え」

 真後ろだ。視線を向けようとすると、小さく笑う声がした。

「目を離すとまた死ぬぞ」

 背後の誰かは笑みを含んだ声で、鹿島に続けて言う。

「いいからそのままやってしまえ」

 聞いた事はある。けれども知らない雰囲気の声。しかし、声の言う通り、問題は目の前の骨格標本だった。刀も鞘も手放してしまった。骨も右の手首から先を失っているが、それが影響している様子はない。

 思わず舌打ちをする。コイツはどこまで壊せば動かなくなるのだろうか。

「やってしまえ、ったって。粉砕するまで動くんじゃないだろうな……」

 それはだいぶ骨が折れる。まずは脚。それから腕。少なくともそこからをどうにか――。

「あー。喉だな」

 また声がした。ひどく簡潔だが、これは法口の声だとようやく気が付いた。けれども様子が随分と違う。普段とは異なる冷ややかな声が気になって振り返りたくなる。が、それは目の前で鹿島の剣を不器用に構える骨格標本が許してくれない。

「あいつの弱点はそこだ。そこさえ抜き取ってしまえば動けなくなる」

「喉の骨……」

 そう、と春のような少年によく似た声は言う。

 なるほど、理には適っているのかもしれない。

 人体に急所は多い。こめかみ。内蔵。上腕骨。スネ。目や首は言うまでもない。その中で骨に有効な箇所となると限られてくる。

 なにせ、骨格標本には内蔵が無い。脳が無い。目が無い。神経が。血管が。呼吸が無い。

 だが、喉ならば。首を刎ねるように頭を飛ばしてしまえば。

 喉には仏が居るとも言う。そこが骨格標本の要だと声は言う。

 ならば。鹿島はその一点に狙いを定める。

 

 一歩。

 その足音は軽く地面を蹴る。

 骨が刀を大きく振り上げる。

 

 二歩。

 振り下ろされた刃は、呼吸ひとつで避ける。

 勢いのついた刃先が、床板に突き刺さる音がした。

 それを勢いよく踏んで、更に深く埋める。

 

 回り込むようにもう一歩。

 爪先から踵へ重心を移動させて振り返り、背後をとる。

 骨が剣を手放し、腕をそのまま鹿島へと奮う。

 舌打ち。まったくコイツはやりにくい。

 だが。鹿島の腕の方が速かった。

 迫る左腕を裏拳で迎え撃つ。腕の骨が軋む嫌な音がした。

 痛みが腕に響くが、骨格標本も無傷ではない。今の勢いで肘から先が外れた。その手は飛ばされまいと、鹿島の肩を力任せに掴む。肩の関節に指が食い込む。そのまま肩を外されてしまうのではと思ったが。

 鹿島にとって最大の好機だった。

「――っ、残念、だったな!」

 骨が痛みも恐怖もなく襲ってくるのなら、こちらも腕や骨の一本くらいは覚悟している。

 にぃ、と笑っているのが自分でも分かる。そのまま、拳を力一杯前へと突き出す。

 感触は思いの外軽かった。ばかん、と何かが割れる音がした。頭骸骨が肩を飛び越え、背後に落ちる。

 ついでだ、と鹿島は半歩下がって骨格標本の足を払う。

 同じように何かが外れるような音を立てて、骨格標本は崩れ落ちた。

 腕から骨が滑り落ち、がしゃがしゃと音を立てて足元に崩れ重なる。

 そうして骨格標本は、今度こそ動かなくなった。


「お疲れさん」

 労いの声に振り返る。居たのはやはり法口だった。

 今日はいつもの詰襟ではなかった。ただの夏服なだけで随分と身軽に見える。しかし、それを差し引いても様子が違う。何より違うのがその目だった。彼とは何度か会っているはずだが、初めて見る表情だった。眼鏡を通しても分かる好戦的な視線が、鹿島を見て笑っていた。

 思わず身構えたが、法口によく似た少年は、足下に転がっていた頭蓋骨を足で転がしながら両手を上げた。笑う彼の口元に八重歯が覗く。

「おっと。察しの通り俺はあいつじゃない。が、別に何もしねえよ。さっきの助言がその証拠だと思ってくれ」

「……」

「それよりもほら。そこの骨、拾ったらどうだ?」

 その言葉に嘘はなさそうだった。鹿島は散らばった骨の中から、仏が座しているような形をしたものを拾い上げる。

「これか」

「多分それだ」

「分からんのか」

「生憎と骨には詳しくなくてな」

「ふうん。それで。お前さんはこれをどうするつもりだ?」

 手の上で小さく座る骨を眺めながら問う。

 少年は頭蓋骨を転がしながら「そうだな」と答える。

「俺はさっさと砕いてもいいんだが……それをするとまあ、人体模型とこいつに怒られる」

 と、彼は自分の胸をとんとんと叩いた。彼の言う「こいつ」とは法口の事だろうと、何となく察する。

「お前さんは違うのか?」

「まあな。しかし、人体模型もこいつも。揃ってお人好しなんだ」

 だから、と彼は面白くなさそうに頭蓋骨を転がす。

「骨格標本の要はその骨だから、それを何かの器に放り込んで動けなくしてやる。身動きが取れないモノの中に入れておけば、しばらく悪さはできねえだろ」

「器に入れておくのか」

「そう。つってもこれは人体模型が出した案だ。なんでも、学校を平和で住み良い場所にするつもりらしくてな。できることなら平的な解決をしたいとか言う」

 めんどくさそうな溜息が挟まった。

「とっとと壊してしまえって何度も言ったんだが、聞きやしねえ。人体模型も最終手段だと言う。だったらまあ、時間に解決してもらうしかねえだろ」

 なるほど、時間は最大の薬だという。彼らはそれを使おうというのだろう。

「封印に近そうだな。俺はお前さん達の仕組みも、怪奇現象もよく分からんが、時間の経過で何か変わるのか?」

 彼は「さあ。どうだか」と肩をすくめた。

「ただ、人も時間かけりゃ変わるらしいし、可能性はあるんじゃねえか?」

「ふむ。お前さんが言うのなら、そうなんだろうな」

「物わかりが良いな」

「郷に入っては郷に従え、って言葉がある」

「なるほど? じゃ、容れ物探すか――と、その前に」

 彼はすっと手を差し出した。

 その指先はひらひらと「その骨を寄越せ」と言っていた。

 首を傾げながらもその骨を手渡すと、彼は白い指で器用に回し、それと向き合う。

「……ま、このくらいならしておいても良い」

 めんどくさそうに呟いて、彼はふうっと息を吹きかける。

 鹿島の目には何が起きたのか分からなかったが、彼の視線は骨から上がった煙を眺めるように小さく動いた。

「ほら」

 そう言って彼は鹿島へと骨を投げ返し、ふらりと歩き出す。

 ついて行こうとした鹿島の足に、散らばった骨がこつりと当たった。思わず足を止め、壊れてしまった標本に苦い顔をする。

「おい、これはどうするんだ?」

「あー……別にそのままでもいいんじゃねえの? あんたがやらなかったら俺か人体模型がやってたことだ。気になるんなら後で修理すればいい」

 頭を掻きながら、彼は廊下の向こうへ姿を消そうとする。


 仕方ない、片付けや修理が必要なら後で手伝おうと心に留めて、鹿島も後に続いた。

 

 途中で人体模型と出会った。

 鹿島が持っている骨にひどく驚いた様子だったが、二人の説明で安心したようだった。

「怪我は。ああ、その腕、かな」

「これは別にどうという事は……痛、ぅ!?」

 言葉は途中で悲鳴に変わった。隣に立つ少年に腕を軽く叩かれたのだ。

「お前……何を」

 腕を庇って文句を言うと、彼は叩いた手を上げてけらけらと笑った。

「いや、平気だって言いそうだったから?」

「……」

 余計な事をと睨んだが、食えない笑みで躱された。

 先程の一撃を受け止めた腕は腫れていた。折れてはなさそうだが、ヒビくらいは入ったかもしれない。そうでなくとも、しばらく痛むだろう。そんな具合だった。

「巡査さん。すまないね。本当なら私がやるべきことだったんだ」

「いや、気にするな」

 申し訳なさそうな人体模型の頭を、無事な方の手でわしわしと撫でてやる。夜の空気を吸った髪は、指にその静かさを伝えるようにひやりとしている。見た目だけかもしれないが、あれは子供にやらせるようなことじゃなかった。と、鹿島は内心で頷く。

「それじゃあ、その骨は私が預かるよ」

「そうだな」

 差し出された小さな手の平に骨を乗せると、人体模型はそれを大事そうに握りしめた。

「容れ物は探しておいたんだ」

「ほう?」

 ついてくる? と彼は聞いた。

 ついて行く。と鹿島は答えた。


 □ ■ □

 

「これか?」

 用意された容れ物を見て、少年が面白そうに声を上げた。

「これが……?」

 鹿島も思わず呟いた。

 

 案内されたのは図書室。

 そこにあったのは、透明なケースの中で静かに座る人形だった。

 肩で揃えられ、少し内に巻いた綺麗な黒髪。淡いベージュのドレス。ブルーのリボンが鮮やかなのだろうが、月明かりでは少しばかり色が夜に溶けて見えた。

「私も骨格標本も、人の形を模した物だからね。一番近そうなものを探したんだ」

「なるほど、人形なら話は似たモノができるだろうな。それに――」

 少年はぐるりと図書室を見回し、満足げに頷いた。目が合ったが、彼はにやりと笑っただけで、それ以上何も言わなかった。

 人体模型はケースから人形を取り出す。人形など触ったことがない鹿島でも分かるほどに緊張した手つきで髪を撫で、外し、頭に空いた穴へ骨をそっと落とす。からん、と軽い音が響いた。髪を付け直し、きれいに整えてケースの中へと座らせる。

 ケースを閉じる前に、人体模型はその頬にそっと触れた。

「今は眠ってるから聞こえないだろうけど」

 話しかけるように、人体模型は言う。

「またいつか。目が覚めたら話をしよう。次は――もっと良い関係になれるといいな」

 それまでおやすみ。

 小さな最後の言葉は、ケースを閉じる音と夜の闇に紛れて消えた。


 □ ■ □


 こうして。鹿島が出会った学校の怪談話は幕を閉じた。

 用務員には、事件は生徒達のイタズラだったと説明をした。見つけた奴はひどく叱っておいたからこれ以上追求してやるな、もう大丈夫だと言い聞かせ、鹿島は学校を後にした。


 後に一度だけ、用務員への挨拶も兼ねて学校を訪ねた事がある。

 人体模型と法口は、ふらりとやってきた来訪者に驚いた様子だったが、嬉しそうに迎えてくれた。

 あの後はどうだったのかと聞くと、彼らは笑いながら「大変だったよ」と答えた。

「ある日突然骨格標本が針金でぐるぐる巻きにされていたからね」

「まあ、そうだろうな」

「骨の位置もバラバラだったみたいだし。手の骨が足にあったりとか」

「あー……」

 人体というか、骨格に明るくない者が組み立てたらまあ、そんなものだろう。

「でも、それ以来大きな騒ぎはないよ」

 穏やかに笑う人体模型は、安心したような少し寂しそうな。そんな顔で騒動の締めくくりを語った。

「そうか」

「ありがとう、巡査さん」

「いや、礼には及ばん。それより」

「うん?」

 二人が首を傾げる。

「鹿島、だ」

 二人は揃ってパチパチと瞬きし、顔を見合わせ。嬉しそうに笑った。

「うん。ありがとう。カシマ」

「ありがとう、鹿島さん」


 以来、鹿島が学校へ足を運ぶのは昼間ばかりで彼らに会うことはなかったが。

 鹿島の中であの二人、いや、三人は、忘れがたい知人であり続けた。

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