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まるとさんかく 2

 ――爪だ。

 三枝は、少年の喉から音もなく生えたその物体を、直感的にそう捉えた。

 獣のような。歪で、大きくて、鋭い爪の先。目の前に伸びる細く長いそれが、そういう物であるように見えた。

 その爪の先は、三枝の喉元まで真っ直ぐ伸びていて、紙一重の所で止まっていた。

 もう一歩でも前に立っていたら、三枝の喉にも爪が埋まっていただろう。


 この爪は何だ。

 その答えは少年のすぐ後ろにあった。真っ黒な影が、いつの間にかそこにあった。


「この、学校は」

 三枝の声は、自分でも分かるほど掠れていた。

 少年から血の一滴も流れていないことに疑問を持つことすらできず。至極どうでもいい問いかけしかできなかった。

「こんな夜更けに、子供が二人も入り込めるほど、警備が薄いのか?」

「俺、外から入ってきた訳じゃないから知らないけど」

 影がぽつりと答えると同時に、爪が横へ薙ぐように動いた。

 音もなくその首は引き裂かれ、小さな綿毛が散った。少年の頭が、にこにことしたまま床へと落ちていく。

「俺が見た限りだと、まあ。ちょっと薄いかも」

 影の答えは三枝の耳に入らなかった。それよりも、目の前の光景を受け止めることに精一杯だった。

 異常だ。ただただ、純粋に。異常だった。

 綿毛から生まれ、首を裂かれても綿毛を散らして立っている少年。

 突如現れ。爪を突き立て。そこだけ電気を消したように真っ黒な影。

 お前達はなんだ? 私はどうしてこのようなものに直面している? 疑問は尽きないが、その答えを導く式を組み立てる糸口すら見えない。

「……一体、何だって言うんだ」

「大人は信じないかもしれないけど」

 黒い影は、その爪で少年の身体を斜めに切り裂いた。

 綿毛が舞う。身体がふさりと崩れ落ち、その向こうに居た影が初めて形を持って見えた。

 目に付いたのは、赤い飾り紐が付いた学帽。大きく横に跳ねた髪。背丈は綿毛の少年よりも小さく、小学生くらいに見える。右手が不自然に大きく歪んでいて、その中の一本が細長く伸びている。さっきの枝のように見えたのはこの指だろう。

 学ランも髪も影のように黒く静かなのに、金色の瞳に強い意志を宿した少年だった。

「この学校、噂話が多いだろ?」

 少年は、足下に積もる綿毛に視線を落としたまま、静かな声で言う。

「あ、ああ……」

「人体模型、ハナコさん。桜の木の下の死体、こっくりさん」

「……」

「全部、存在するんだ。それが俺達」

「君、は?」

 その問いにちら、と視線が返ってきた。彼はすぐに足元の綿毛の塊に落として。

「ヤミコ」

 簡潔に答えてくれた。

「みんなは、ヤミって呼ぶ。こっくりさんだけど、こういう、誰かに危害を与えようとするのを消すのも俺の役目。どこまで信じるかは任せるけど」

 ぽつりぽつりと、彼は語る。

 嘘を言っているようには聞こえなかったが、全て信じるのは躊躇われた。そもそも、このようなオカルトじみた話を信じていなかったのにこの数分でそれが全てひっくり返されそうになっているのだ。それどころではないと言うのが正直なところだった。

 なんとも答えられない三枝に「それで」とヤミが言葉を続ける。

「この綿毛なんだけど」

「あ、ああ」

「ケサランパサラン、だと思うけど。……これは失敗作だ」

 ふわりと飛んだ綿毛が学ランの肩に止まる。それを軽く指で払い落としたヤミの視線が、三枝の方を向く。目が合った瞬間、金色の目が鋭く光った。

「これを育てたのは、お前だな」

 その声は、先程までのぽつぽつと並べられた物とは違う。鋭く低く、刺すような声。

 この綿毛の少年は、引き出しから勝手に沸き出てきた。しかし、その元とも呼ぶべき物を入れたのは。白墨の粉を与え続けていたのは。自分に他ならない。

 それは育てた、というに十分な行動だろう。三枝は息を喉に詰まらせたまま頷いた。

「お前は育て間違えた。こういう物に関わる場合、手順は決して間違えちゃいけない」

 そうしないと、と彼の爪が綿毛を散らす。

「こいつみたいになる」

「ぼく、まちがっ ない、もん」

 二人の周りを舞い散る綿毛から、微かに声がした。

「いいや、間違ってる」

 ヤミはきっぱり否定して爪を振り下ろす。しかし、ふわふわと舞う綿毛を切る事はできず、散らすだけだ。小さな舌打ちが聞こえた。

「お前は、願いを叶える存在だ。けれども、その叶え方が良くない」

「それは」

 口を挟むと、ヤミの目が再びこっちを向いた。

 金に光る目が、三枝を真っ直ぐに射貫く。

「どういうことかって? 最近こいつ、学校内をふわふわ飛んでるんだよ」

 そうして彼は、溜息混じりに話してくれた。

 

 ケサランパサラン。綿毛ひとつで、願いをひとつ。

 ただし、灰色の綿毛はその願いを「ちょっと違う形」で叶えてくれる。


 例えば。

 テストでいい点が取れますように。

 好きな人が振り向いてくれますように。

 部活で活躍できますように。


 結果は。

 いつもより点数は良かったけど、平均点も高いとか。

 振り向いてくれたけど、自分の後ろに本命の人がいたりとか。

 活躍の場には立てたけど、それは他の人が怪我で出られなかったからとか。


 確かに願った結果は出る。けれども、思い描いた形とは何かが違うし、全てがいい結果とは限らない。

 願いを叶える。幸運を運んでくる。ただし、それらは捩じ曲がる。

 このまま捩じ曲がり続けたら、いつか誰かに危害が及ぶ。

 だからヤミは、その存在の出所をずっと探していたのだという。

「やっと見つけた。その引き出しがこいつの住処だ」

「なるほど……」

 三枝は噂話を思い出す。

 

 育てるには穴を開けた桐の箱。主食はおしろい。

 育て方を、間違えてはいけない。

 入れていたのはただの木箱。蓋は穴の空いた定規だし、白墨はおしろいではない。

 育て方は、全て間違っていた。

 その結果が。この灰色の、綿毛のような少年なのだ。

 

「そしてこいつは、とうとう自分を育てた奴の前に現れた」

 それがさっきの問いかけだ。三枝の耳に声が蘇る。


「しあわせ、にー なりたい?」

「分からないな。現状、望む物はない」

 

「なにもいらないとお前が言ったから、こいつは自身すら不要だと判断した」

「ああ……」

 綿毛はヤミと三枝の周りをくるくると舞っている。

「だから、俺はこいつを見つけられた」

 三枝が何もいらないなら、現状以上の物は不要。それは自分自身も含むと捉えた綿毛は、自分を屠る存在を呼び寄せることで消えようとした。そういう叶え方をしようとしたのだろう。

「下手したらお前も死んでた」

 望みの解釈も不完全で命拾いしたな、と彼は言った。

「にしても、ここまで育ってるのは予想外だ」

 どうしたもんかな、とヤミは爪で綿毛を払ったり斬り捨てたりしているが、何分相手は綿毛だ。空気の流れで軽々と爪を避け、舞い上がって降り積もる。まとまった所を削っても、分割されて散るばかりで、大したダメージにはならない。

 話しながらも繰り返していた攻防を諦めたのか、ヤミは手を止めて溜息をついた。

「とりあえず、この綿毛は俺が持ち帰っても良い?」

「ああ」

 頷くとヤミは「どうも」と頷いて綿毛に告げる。

「ケサランパサラン。新しい居場所を教えてやるから、こっち側で飛び回るのはやめろ」

 ふわりと綿毛がヤミの前にやってきて、はらり、と消えた。

「うわ。これでも消費されるのか」

 一体何が起きるんだ、と溜息をついたヤミの隣に、綿毛は集まり少年を形作る。

 灰色の髪の毛に最後の綿毛がくっつくと、少年はヤミに向けてにっこりと笑いかけた。

「ぼく、ついてくと。いいの?」

「ああ、そうだ」

 頷いたヤミに、少年は「そっか」と頷いた。

「それじゃあ、ねー」

 それは、ヤミに対する願いの対価を告げる言葉だったのかもしれない。

 けれどもそれが、三枝への別れの挨拶のように聞こえて。ふと、寂寞の念を覚えた。

「――待て。待ってくれ」

 思わず三枝は声をかけていた。二人の少年が、三枝に視線を向ける。

「私は、望む物はないと言った。それ故に、彼の存在すら不要とされたと、君は言った」

「ああ、言ったな」

「これから、彼をどこかへ連れて行く、とも」

「ああ」

「ならば……最後にひとつ、叶えてもらいたい事がある」

「は?」

 ヤミの声が跳ね上がる。

「望みができたんだ」

「ちょっと」

「私は」

「待て! それ以上は――!」

 ヤミの制止も聞かず、三枝は綿毛の少年に手を伸ばした。

 自分がこれから告げようとしている言葉が、どれだけ馬鹿げているか、三枝自身にも分かっていた。けれども、言わずにはいられなかった。

 

「君と、一緒に居たい」


「――っ!?」

「ぼく、と?」

 ヤミが絶句し、少年はほわりと首を傾けた。

「そんなの、駄目に決まって……!」

 ヤミが声を上げる。彼が止めようとするのは分かっていたが、ここで引き下がろうという気は起きなかった。

「私は、これまでずっとひとりだった。その綿毛も、偶然出会った物だ」

 だが。と、言葉が続く。

 喉が詰まりそうで、何かで胸がいっぱいになる。そんなのいい訳がないと、頭では分かっているのに。口は止まらない。

「何故か……ひどく、別れ難い」

 この感情は、長らく忘れていたもののような気がした。

 三枝はこれまでずっとひとりだった。

 配偶者も居ない、親も兄妹も居ない。これまで多くの人に支えられてきたのは確かだが、身内と呼べる者はひとりとしていなかった。

 子供達はこの学校から巣立って行くものだし、同僚も異動や退職で居なくなる。友人も常に居るわけではない。

 三枝の周りに、誰かが残ることはない。それが当たり前だった。ずっとそうだった。

 けれども。この綿毛の少年は自分についてきた。引き出しの隅に、在り続けた。

 もしかしたら、久しく忘れていた「家族」のような関係だったのではないか。そうでなくても、これからそれを組み上げられるのではないか。

 そう錯覚しそうなほど、三枝はその少年が傍らに在ることを望んでしまった。


「馬鹿げた話だが。私は君を。子供のような物だと思ってしまったのだろう」

 馬鹿だと思うなら笑えばいい。綿毛を子供のように感じるなんて。犬猫を飼い育てるのとは訳が違う。分かっているけれども、止められなかった。

「馬鹿! お前、教師なのに、大人なのに……なんで、そんな……っ!」

 悲鳴にも似たヤミの声が職員室に響き渡る。

 途切れた後には、ぎり、と歯を噛み締める音がした。三枝への文句だけでは済まない何かがあるのだろうというのは、容易に察しがついた。だから三枝は、睨みつけるような視線を向けるヤミに向けて、すまないな、とだけ言った。

「すまないで済む問題じゃないよ……。それ、叶えられたらどうなるか、分かってんの?」

「私は数式を解き明かすのは得意だが、捩じ曲がられる未来の解を導けると思うか?」

「思わない。思わないよ。でも。これだけは言える。その答えが、実際どんな物か分かってないから、そんな事が言えるんだ」

 ヤミは帽子のつばを下げて、苦しげにそう言った。

「そもそもだよ」

 ヤミがぽつりと零すように口を開いた。

「俺の話、聞いてた?」

「ああ、聞いていた」

「信じるって言うの?」

「君は嘘をついたのか?」

「……ついてないけど」

「私はオカルトなどはあまり信じていないが、目の前に居る君の言葉を否定する材料を持たない。ならば、真実なのだろう」

 ヤミが軽く俯く。帽子で彼の鋭い視線が隠される。

「俺とこいつは人間じゃないって言った。そんなのと一緒に居たいだなんて、どんな形で叶うか分からないのに?」

「覚悟は、しておこう」

 ああでも、と三枝はひとつだけ心配事を口にする。

「今すぐ、というのは職務上少々無理がある。三月まで待ってもらうことはできるか?」

「さんがつ」

 繰り返す少年に「ああ、三月だ」と繰り返す。

 少年の周りに綿毛がふたつ。ふわりと飛んで。はらりと散った。

 

 それは、望みが聞き入れられた証拠。

 ヤミはもう、何も言わなかった。


「願いは、聞き入れられた。三月まであと半月。どんな形で実現されるか分かんないけど、ちょっと、他の人と、話ししてくる」

 ごにょごにょと言うヤミの表情は、複雑で、悲しげだった。

「ああ、頼む」

 三枝の言葉に、ヤミは何も言わず。自分より背の高い少年の手を引いた。うん。と少年も頷く。彼は風に乗せるように手を上げ、三枝へ向けてふわふわと振る。

「せんせー、また、ね」

「ああ」

 そんなやりとりを残して。

 二つの小さな影は職員室の外、廊下に燻る闇の中へと消えて行った。

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