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被服室の繕い屋

 被服室を拠点に活動する部活がある。

 かつては別々だった「被服部」と「料理研究部」が合併した「家庭科部」は、そんなに人数の多い部ではない。他と兼部している部員も多く、月に数日程度の頻度で集まって、お菓子を作ったり刺繍をしたりと好きにやっている。

 そんな一見ゆるい部活だが、その歴史はとても長く、知名度も高い。その理由は、ちょっと変わった活動内容にある。

 家庭科室を授業で使う時。何らかの理由で近くを通る時。

 生徒は手書きのその看板を目にすることになる。


 「制服の修理・補修いたします」


 これは、旧被服部・現家庭科部の伝統となっている活動だ。この活動自体は部活ができる前からあったらしいが、詳しいことは伝わっていない。ただ、この活動内容の変わったところは、校内の「噂話」として代々語り継がれている。


 ひとつ。誰が補修しているのか分からない服がある。

 活動内容のひとつだから、部員が直した制服も多い。しかし、「これは明日の作業分」と箱に閉まっておいたはずのものが、次の日にはきれいに出来上がっている事がある。

 誰かが残ってやっていたのかと話題になるが、誰も心当たりはないと言う。

 ふたつ。その服はやたらと出来がいい。

 部員にも裁縫が得意な者は多いのだが、その誰もが敵わないと思う程の腕前らしい。

 物によっては、どこを修復したのかすら分からないのだという。

 小人の靴屋ならぬ、謎の家庭家部員。

 その正体は。

 

 夜も更けきった被服室。

 ヤミがトレイを片手に戸を開けると、窓辺で制服に向き合っている細い影があった。

 桃色の、わずかにクセを残しつつもさらりとした髪。華奢な身体を包むシャツと、手編みのスクールニット。指輪型の指貫を付けた細い指で針を操り、糸を結んで。歯でぷつんと噛み切った所で、彼はようやく傍らの影に気付いて顔を上げた。

「や。こんばんは」

「こんばんは、はいいんだけど。もう遅いよ」

「え? うわ、ホントだ。もうこんな時間だったの?」

 教室の時計を見上げ、彼は声を上げる。

「そう。もうこんな時間なんだよ」

 何時間くらいやってたの、というヤミの言葉に、少年は「わからない」と笑って返した。

「今日はキルトがひとつ仕上がったし、調子出てきたからもうちょっとと思って……って。あ、お茶淹れてくれたの?」

 トレイに載ったマグカップと軽食を見て、少年は嬉しそうな声を上げる。

「調理室に居たから。夕飯も食べてないから持ってって、ってハナブサさんが」

 ヤミはマグカップを差し出しながら、隣に置かれた箱を見る。中には服が数枚入っている。家庭科部に依頼された制服だろう。

「どうせ、これが終わるまで寝ないでしょ」

「バレてるねえ。わざわざありがとう」

 彼はへらりと笑ってマグを受け取る。

「っていうか、夕方にやればいいのに」

「そうかもだけど、なんか暗い方が調子出るんだよね」

「夜型だな」

「へへ、その方が謎の家庭科部員って感じするでしょ?」

「まあ、そうだな」

 

 ヤミの返事にくすくすと笑うこの男子生徒が、謎の家庭家部員の正体。

 名前をリラという。


「じゃ、俺はこれで」

 そう言って部屋を出て行こうとしたヤミの背中に、「あ」と声がかかった。

「ヤミ君。学ランの裾、ほつれてる」

「え」

 しまった、とヤミの顔が帽子の影でわずかに強ばった。

 視線をリラに向けると、彼の指がちょいちょい、とヤミを呼ぶように動いていた。

 指は、今指摘したほつれを呼ぶ。それは不思議なことに、部屋を出て行こうとしたヤミの足を動かし、ふらふらとリラの元へと引き寄せる。

「夜食持ってきてくれたお礼。直すよ」

「いや、別に明日とかでも」

「すぐ終わるから」

 ね、と笑う彼の銀の目が光った。その視線にヤミの言葉が詰まる。

 こうなると、彼は聞かない。ヤミは観念して頷く。

「うん」

「あ。帽子も金具外れそうじゃないか。直すからそれもね」

「……うん」

 ああ。これは自分の服を直しきるまで離してもらえない。そう悟ったヤミは、服を預けたら自分のお茶も淹れて来ようと決めた。


「リラは、本当に裁縫うまいよな」

 隣の調理室でお茶を淹れてきたヤミは、目の前で繕われる学ランを見てしみじみと呟く。

「そう? ありがとう」

 嬉しそうな声を返しながらも、指は休まずに糸を繰る。

「ハナも結構うまい方だったと思ってるんだけど……いや、比べちゃいけないか。リラには多分誰も勝てない」

「あはは。そう言ってもらえると嬉しいね。ヤミくんもやる?」

「いや、いい」

 そんな他愛のない話に乗せて、針はちくちくと進む。


 □ ■ □


 リラは。リラと名乗る前の彼は、気付いたら被服室にぼんやり座っていた。

 最初は何をするでもなく座っていたが、部屋の中を見て回ると箱を見つけた。中身は服が乱雑に詰められていて、どれも破れたりほつれたりしている。廃棄されるのだろうというのは容易に想像が付いた。

「まだ着れそうなのに」

 そう思った瞬間、指先がそわりと動いた。その指でほつれをなぞると、こうすれば直せるよ、と囁かれたような気がした。

 ここは被服室だ。幸いか必然か、服の修復に必要な道具は揃っていて。気付けばその服を手に取り、繕い上げていた。新品ほどではないが、思ったよりもきれいな仕上がりに、頬が緩んだ。

 ああ、これを満足って言うのかな。

 そう思いながら服を箱へ丁寧にしまうと、その指先から夜へ溶けるようにして消えた。

 

 そうして彼は。被服室の修繕屋は。目を覚ましては服を繕って。箱に返しては姿を消す日々を繰り返す。存在が不安定だった彼は、そんな風にして現れては消えた。

 なんで裁縫をしているのか、自分でも分からない。ただ、気付いたら箱の服を取り出し、針に糸を通して、きゅっと糸に玉を作っている。

 理由は分からないけど、楽しかった。破れているポケットの底や、擦り切れた布の端や、外れかけたボタンが愛おしくて。大事に着てもらった服を、もっと大事に着続けて欲しくて。制服だから三年間しか着ないのは分かってるんだけど。それでも、その間くらいは。そんな気持ちで繕い続けた。

 彼の行動は、被服室を活動拠点にしている部活動から広まり、いつしか校内でも噂になり始めた。廃棄の箱は修復依頼の箱になり、彼はいつしか、部員の一員だという自覚持つようになっていた。

 

 ある夜。いつものように制服を縫っていると、ドアの開く音がした。

「本当に居たな」

 壮年の男性の声だった。縫い終えた服を畳んで箱へ入れ、次の服を取り出す。

「調理室が近いのに誰にも気付かれなかったのは……活動時間のせいか?」

 独り言だろうか。緩んでいたボタンをリッパーで外し、糸の色を確かめて捨てる。

「お前さん、名前は?」

「さあ」

「さあ、ときたか。で。何をしている?」

「制服を、直してるんだ」

 布に空いた穴の位置を確かめて、針を手に取る。

「なるほど噂通りだな。というか、電気をつけないと目を悪くするぞ」

 そう言うと同時に、ぱちん、と何かが弾ける音がした。

 瞬間。部屋がぱっと明るくなる。視界が眩んで、指に針が刺さった。

「っ!」

「おっと、すまん。眩しかったか?」

「ううん。平気」

「怪我は?」

「それも。大丈夫」

 指に針の先が刺さっていたが、引き抜くと傷はあっという間に塞がった。血も出ていない。服は汚さずに済みそうだ。

 それにしても、部屋が明るい。こんなに明るくはっきりした空間を見るのは初めてだった。自分の手元をじっと見る。針の先も糸の色もよく分かる。

「手元がよく見える……」

 自分の指が、服が。このようなものだったのだという、実感を伴う輪郭を、初めて得た気がした。同時に、自分が月明かりのみで服を繕っていたことに気が付いた。

「そうか。ところで、少しお前さんのことを聞かせてもらいたいんだが」

「ん? いいよ」


 そうして彼は、ウツロと名乗った男性と少し話をした。

 ウツロが言うには、自分は何かが形を持ち、「噂話」でその存在を肯定された者らしい。この学校には、そういう者が他にも居るのだという。

 生徒達に被害を与えるならば対処が必要だが、自分には必要ないらしい。これまでも生徒と関わりを持ったことはないが、そのまま続けて構わないと言う言葉に安堵する。

 それから。

「お前さんの話は校内にかなり広まっている。今は夜だけみたいだが、このまま噂が浸透すれば、昼間も動けるようになるだろう」

「昼間?」

「明るい時間帯のことだ。そうすると、この部屋にずっと居るのは難しくなる」

「難しくなる」

 繰り返すと、「昼間は生徒が使うからな」と頷かれた。

 昼間は授業というものがあって、この部屋を使い続ける訳にはいかないらしい。

「それで提案なんだが、俺達が暮らしている側にこないか?」

 糸を切ろうとして、その手を止める。

「どういうこと?」

「この学校にはな。まったく同じ作りだが生徒が存在しない空間ってのがあるんだ。俺達は普段そっち側に住んでてな。そこならお前さんも、気兼ねなく裁縫ができる。それに」

「それに?」

「その方が、互いのためだ」

「お互いの……」

 繰り返して、初めて彼の方を見た。闇に溶けそうで溶けきらない灰色の彼は、入り口に一番近い机に座ってこちらを見ていた。

 全体的に褪せた色なのに、瞳だけは青みを帯びた紫が鋭く鮮やかだ。胸ポケットに何か箱が入っている。木綿のシャツは多少よれてはいるものの、目立った汚れやほつれもない。真面目な人なのだろう。

 そんな人が、こうしてやってきて「お互いのため」に生活を共にしようと言う。

 それはつまり。

「僕は、何か警戒されている?」

「ああ、いや。そうじゃなくてな」

 ウツロは胸ポケットの箱をを取り出そうとし。何か思い出したのか、止めた。

「確かに、生徒に危害を与える可能性もあるがな。そういう心配をする奴は大体安心だ。そうでなくて、心配なのはお前さんに何か起きて、それに誰も気付けない場合だ。結果、被害が増えるかもしれない」

「ふうん」

 服装に反して随分とお堅いというか、安全のための保険をかけてくる。本当は制服とか、もっときっちりした服の方が似合う性分かもしれない、なんて思いながら、糸を噛み切る。

「別に。僕はこうして裁縫ができるなら、どこでもいいよ」

「そうか」

「うん」


 そうして。姿が安定するまで待つ必要はあったものの、リラはウツロ達が住む側で過ごすようになった。皆の服を繕い。作り。暇な時は料理を覚えてみたり。部活に顔を出してみたりして。

 自分を肯定するように、趣味に没頭するかのように過ごすようになった。


 □ ■ □


「そういえばハナちゃんは?」

 ヤミの制服を繕いながら、リラは作業を眺めているヤミに声をかけた。

「ん? もう寝てるじゃないかな」

 なんで? と問うヤミに、リラは「何となく」と答える。

「こうして君の服と向き合って作業してると、ハナちゃんを思い出すことがあるから」

「…………なんで?」

 その声は、心底不思議そうだった。

「なんとなく、だよ。なんて言うのかな。君達二人はね。服の着方とか、扱いとか。ほつれる場所とか。似てる気がするんだよね」

「へえ……?」

 ヤミはよく分からない。という顔をしてマグに口をつける。

「あと、ハナちゃんのカーディガン」

「カーディガン?」

 ハナが着ている、紺色のカーディガンのことだろう。あれがどうかしたのだろうか。とヤミは話の続きを待つ。

「うん。あれ、僕がヤミ君用に作ったヤツだよね。デザインもメンズだから、ハナちゃんが着るとは思ってなかった」

「うん。俺も思ってなかった」

 あのカーディガンは、ヤミがハナにあげたものだ。流れとはいえ、ハナが着るのは、ヤミにとっても想定外だった。

 ヤミの返事に、リラは「そっか」と微笑んでボタンを縫い付ける。

「あの服ね、頼んできたのはハナブサさんだったけど、ヤミ君からの依頼だって聞いてたし、実際そうだと思って作ったんだ」

「うん」

 サイズの指定と羽織れるものがいい、というリクエストはしたが、用途については何も聞かれなかったし、言わなかった。結果、出てきたのがあのカーディガンだったはずだ。

「あのサイズ、ヤミくんにしては大きいなって思ったけど、そこはあんまり違和感なかったんだよね」

「そうなの?」

 あれは今のヤミにはかなり大きいサイズだ。不思議そうに聞き返したヤミに、リラは「そうなんだよね」と頷く。

「ハナちゃんにもちょっと大きいけど、上手に着こなしてる。それよりも色がね」

 言葉を途中で切って、リラは繕い終わった学ランをヤミへ渡す。

「はい、学ランはこんな感じかな。袖のボタンも外れそうだったから直しといたよ」

「ああ、ありがとう」

 早速袖を通し、言われたボタンを確認する。ゆらゆらしていた気がするボタンは、きっちりと留まっていた。

「それで、色って?」

「イメージカラーって言うのかな。僕、その人の持ってる色みたいなのが見えるんだけど」

「へえ」

「あのカーディガンはヤミ君の色で作ってあるんだ。男性用だって聞いてたのもあるけど、ハナちゃんのイメージじゃないんだよね」

 いや、不思議と似合ってるんだけど。とリラはヤミの帽子を手に取る。金具をチェックしようとして、「ああ」と帽子の紐を指さした。

「ハナちゃんは、この色って感じ」

「……」

「でも、ヤミくんにも似合ってるんだ。二人の色を交換したらぴったりだろうけど、これはこれでしっくりくる。見てると不思議な気持ちになる」

 ヤミは答えない。ただ、帽子の飾り紐をじっと見ている。

「だから、ハナちゃんのカーディガン見たらヤミ君を思い出すし、ヤミ君の服を繕うとハナちゃんを思い出す」

 なんか不思議だよね。とリラは笑って帽子を手に取る。

 ヤミは、金具のチェックをされている帽子を眺めて相槌を打つしかない。

「ま。そこは君らの間に色々あるんだろう。ヤミ君にだって話せないことくらいあるだろうし、そこは深く聞きはしない。君達がやってきたあの頃だって、僕は興味も持たずにこうして裁縫してたんだし。ただ、僕は君達の服を見て、そんなことを感じてるってだけ」

「そう」

 ヤミはこくりと相槌を打つ。

 リラの言う癖や色について深くは話せない。肯定はできるけど、それ以上の勇気がない。

 ハナなら「そうだろうな」とあっさり肯定するのかもしれないが。それであっても自分達にとっては根が深い話。話せば長くなるし、やっぱりあの出来事を口にする勇気はまだなかった。

「まあ、そこは。いつか話せたら話すよ」

「うん。いつかね」

 ヤミは「うん」と頷いて、そのままリラの作業をずっと眺めていた。

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