まっしろい日のこと
それはとても寒い日の事だった。
「ヤミちゃん!」
「「ヤミくん!」」
「どうした騒々しい」
「雪だ!」
「雪だよ!」
「雪だって!」
「……そうだな。何回目だこのやりとり」
「さあ」
「「忘れちゃったー」」
ここ数日、雪が続いている。
どこもかしこも真っ白に、分厚く覆われている。教師や生徒は雪かきをしたり、授業を中断して雪遊びに興じてみたり。まあ、楽しくやっているようだった。
雨は割と多い地域だから、雪も多いかというとそうでもない。
それは気温とか、湿度とか、色々な要因があるのだろうけれど。少なくとも、冬はいつもの三割増で眠そうなシグレが部屋のこたつから出てこないからではないはずだ。
そもそも一度聞いてみたら「雪? まあ、場合によっては雨も雪に変わるじゃろう」という眠そうな返事だった。その返事の適当さは、雨を降らせるよりも寝る方に注力したいと語っていた。
なのに、こんなにも雪が降っている。
積もりに積もって、真っ白に染まっている。
ジャノメはこんな日でも、傘がさせるならと出かけていき。
すぐに帰ってきた。
「ねえねえ、ハナブサさん」
「うん?」
戻ってきたジャノメは、お茶を淹れていたハナブサに声を掛けた。
「あのね。知らない子が居るの」
「知らない子?」
なんだそれ、と怪訝な顔をするウツロにジャノメは「知らない子」と繰り返す。
「途中でヤミさんに会ったから、少し話したんだけど。んー……高等部くらいの人と、もっと小さい人」
このくらい? と、胸より少し下で手をぴたりと止めて大きさを示す。
「生徒、じゃないんだね?」
ハナブサさんは珍しげな顔で問い返し、ジャノメはこくんと頷いた。
「うん。こっち側にいたから」
「ヤミはなんか言ってたか?」
「最近妙な噂は少ないから、とりあえず様子見てくるって」
その言葉にハナブサとウツロは「そう」と頷く。二人とも特に何か心配をしている訳ではなさそうだ。ジャノメは「ぼく、もう一回見に行ってくるよ」と理科室を後にしようとした。
「ああ、ジャノメ」
ハナブサが声をかけると、ジャノメは「なあに?」と足を止めて振り返った。
「その二人、君はどんな風に感じた?」
ジャノメはうーん、と天井を見上げるようにして考え。
「なんか、すごく困ってるみたいだった、かな」
「じゃ、そんな心配することなさそうだね――もし困ってるようだったら」
ハナブサの言葉を継ぐように、ジャノメは「うん」と頷く。
「ちゃんとここに連れてくる。それじゃあぼく、行ってくるよ」
「うん。よろしくね」
理科室から遠ざかる足音を見送った二人は、一瞬だけ視線を交わし、窓の外を見た。
「雪、止まないね」
「そうだな……ったく寒くてかなわん」
□ ■ □
ジャノメがぱたぱたと傘を抱えて廊下を走っていくと、売店ホールに人影があった。同時に、ひやりとした空気が頬を撫でる。
「こら。廊下を走るんじゃない」
「あ、先生」
ジャノメはぴたりと足を止めて「ごめんなさい」と笑う。先生と呼ばれたその人は、眼鏡の位置を直しながら呆れたような溜息をついた。
売店にはジャノメの他に四人が居た。
影のように黒い少年――ヤミはなんだか不機嫌そうに、顔を背けている。
それから先生と呼ばれた男性。近付くのをためらいそうなほど、気難しそうな顔をしている。
そして、女の子はさっき見た二人。
ひとりは切れ長の目に長い睫毛。背丈は高等部の子くらい。髪の毛は長いけど、シグレより短い。
もうひとりはくりっとした目で、頬が少し赤らんでいる。髪の毛はふたつにんであって、肩にちょっとだけかかっている。
どちらも黒い髪で肌がとても白くて。お人形みたいだな、とジャノメは思った。
高等部くらいの方はなんだか困ってるようで。小さな方は背中に隠れながらヤミを睨み付けていた。
ジャノメが居ない間に、彼女達の間に何かあったらしい。
何があったのだろう? と、ジャノメは彼女達の声を聞く。
「ほら。ミユキ。謝りなさい」
「いや! ミユ、悪くないもん!」
ミユキ、と呼ばれた小さな少女はぷくっと頬を膨らませてそっぽを向く。
「ヤミ。お前は言う事ないのか」
「俺、何もしてない」
先生の言葉に、ヤミも同じようにそっぽを向いたまま返事をする。
「うーん……?」
何かあったのだというのは分かるけど。
何があったのかは分からなかった。
「ねえ先生、何があったの?」
ジャノメは先生の隣へと回り込み、首を傾げて問う。
「何があったのか、俺が聞きたい」
先生は疲れた声で言う。
「泣き声がしたからここに来てみたら、彼女が泣いていて」
と、少女を視線で示し。
「ヤミはご覧の通り拗ねていた」
「拗ねてない」
その声は不機嫌と言うより諦めの色が強く混じっていた。
「様子を見に行って、出くわした瞬間あいつが泣き出したんだよ」
「だって、急ににらんで、……だっ……う、ひっく……」
こわかったん、だもん。と、少女は盾にしている少女の背中にしがみついて泣くのを堪えていた。
「あー、あはは……」
ジャノメは苦笑いするしかなかった。
そしてなんとなくだけど状況を理解した。
要は、様子を見に来たヤミと出くわして。
背丈の近い彼女はヤミと目が合ったのだろう。
ヤミは目つきが鋭いし、口調も初対面にはぶっきらぼうに聞こえるかもしれない。
ハナが居たらもっとこの場を上手く丸めてくれたのかもしれないけど、残念ながら彼女は不在。
おかげでフォローをしてくれる相手も居らず、その目つきに泣き出した彼女と、それをどうすればいいか分からないヤミという構図ができあがった。
あとは先生が来るまで現状維持。という訳だ。
だけど。とジャノメは先生をちらっと見上げて思う。
整えた灰色の髪と眼鏡。その奥の視線は鋭い。ぴしりと着込んだスーツと、それをすらりと見せる真っ直ぐな背筋。子供は泣き止んでも、それはなんというか、怖くて泣き止んでるだけかなあ。なんて思ったりする。
そうすると、ここでどうにかできるのは自分しかいなくて。
ハナブサさん来てもらった方がよかったかなあ、と、ちょっとだけ後悔する。
「ええと。とりあえず、先生もお姉さん達も座ろう? まずは自己紹介だよ」
「む。それもそうだな」
「ちょっと先生。先生なんだからそこちゃんとしてくれないと」
「二人を宥めるのに時間がかかったんだ」
なだめきれてないと思うな、という意見はそっと飲み込んで、ジャノメも椅子に座る。
「それじゃあ、はい。まずはヤミさんから」
「ヤミ。以上」
「いつもはハナさんって、女の子と一緒に居るよね。ハナさんは?」
「さっきハナコさんで呼ばれてったからな。今頃表で遊んでるんじゃないか?」
そっか、と頷いて次はお姉さんの方を向く。
「次はお姉さん達。名前、教えて?」
お姉さんは黒い髪をさらりと揺らして「はい」と頷く。同時にひんやりとした風が吹いた気がした。
「私はマシモ リッカ。こっちが妹の」
ほら、と背中を促されて小さい方が「ミユキ、です」と呟くように名乗った。
「リッカさんとミユキさん、だね。ぼくはジャノメ。えっと、ジャノメ ツカサ。それから最後に先生」
どうぞ、と話を振ると、彼は何かを書いていたノートをぱたんと閉じた。
「サエグサ。さっきから呼ばれてる通り、教師だ」
「あれ。ランさんは一緒じゃないの?」
先生はふわふわとした綿毛みたいな子とよく一緒にいるのに、今日はその姿が見えない。ハナさんも居ないし、なんだか珍しいな。なんて思う。
「あれは図書室に居る」
「そっか。これで自己紹介は終わったね。それで、えーと、ミユキさん」
「な、なに?」
しどろもどろ、という感じで彼女は答える。
「すみません。この子、人にあまり慣れていなくて」
申し訳なさそうなお姉さんに「うん。だいじょうぶ」と頷いて話を続ける。
「ヤミさんはね。ちょっと目つきが悪いだけで、怖い人じゃないんだよ」
「……にらまれたもん」
「睨んでない」
「……おこってる」
「怒ってないし」
怒ってない。とは言うけど、その声は不機嫌だ。
うん、そうだよね。何もしてないのに勝手に泣かれるとか、困るよね。
そして彼女は、ヤミさんの声でみるみるうちに目に涙が溜まっていく。
「ああ、泣かないで。泣かないで、ね。ヤミさんも、ハナさんいないとその調子なのよくないよ」
「いや、ハナがいたら悪化するだけだろうが」
「そうかなあ」
「そうだよ……」
なんかぐったりした声でヤミさんは「ともかく」とため息をついた。
「ここでうだうだしてても仕方ないし。話、進めよう。俺は二人がどうしてここにいるのか、それを聞きたいだけだ」
ヤミさんの言葉に、二人は顔を見合わせて困った顔をした。
「それが……わからなくて」
わからない。と、三人の首が傾いた。
「よし、順を追って聞かせてもらおうか」
話を進めてくれたのは先生だった。
さすが先生、数学の先生だけど、うまい具合に話を聞き出してくれる。ハナブサさんがゆっくり優しく聞いてくれる人なら、先生はきちんとまとめながら聞いてくれる人だ。
おかげでわかったのは。
二人は雪女の姉妹だということ。
数日前この街へやってきて、登校してくる子供たちに混じってミユキさんが学校に飛び込んでしまったこと。
探し回ってようやく見つけたと思ったら、そこは誰もいなくて。
ミユキさんはぐっすり眠っていたから、リッカさんも一緒にそこにいた。
数日間そうやってじっと過ごして、ようやく目を覚ましたミユキさんと外へ出ようと試みていた。
「ミユキはまだ子供です。私もまだ一人前ではありません。ですからこのように」
と、窓の外を見て目を細める。
「雪の量もうまいこと調節できませんし、力を使って消耗した体力が回復するまで時間がかかります。ミユキが数日間眠ってたのはその為です。回復しながらも、雪を降らせ続ける。力の制御が、うまくないのです」
本当なら。と、リッカさんは言う。
「一人前になるまで、山奥で暮らすのですが――」
住宅地の開発で山が削られ、居場所がなくなってしまったのだという。親や同族たちともはぐれてしまい、ここまでたどり着いた。
そんな話だった。
「ふむ……行き場がない、か」
話を聞き終わった先生がコツコツとノートを叩きながら息をついた。
「ここ数日の雪はお前らだったのか」
ヤミさんが窓の外を眺めながら白い息を吐いた。
「みゆ、悪くないも――」
「いや、責めてないから」
「でも、おこってる」
「怒ってないから」
「うー……」
「ああ、泣かないで。ね。ヤミさんいつもああだから」
「ジャノメ。全然フォローになってない」
「あれ。なってない、かな?」
「なってない」
「雑談はそこまでだ」
ぱんぱん、と先生が手を叩いた音がホールに響いた。
「行き場がないのならここに滞在することを推奨する。悪さをしなければハナブサも何も言わないだろうし、ここには天候を操れる者もいる」
「あ。シグレさんだね!」
ジャノメがぱっと表情を輝かせてその名前を挙げる。
シグレさんは雨を操る虹蛇様。
雨と雪もきっと似たような物に違いないから、力の使い方を教えてもらうことだって出来るのかもしれない。
「そう。彼女に指南してもらえば、多少は力の制御もできるようになるのではないか、と思うのだが」
「うん、うんっ。そうだね。そうかもね。さすが先生!」
ぼく、ハナブサさんにお話ししてくるよ! と席を立って。
先生の返事も聞かずに売店ホールを後にした。
□ ■ □
「なるほど。そういうことだったんだね」
湯気の立つ湯のみを前に、ハナブサは穏やかに頷いた。
「はい。どうか、ここに置いてもらうことはできますか?」
不安げに問いかける二人の前には、氷の入った冷茶のグラスが置かれている。
雪女の二人は、温かい物は苦手らしい。
「ああ。そこは心配いらないよ。部屋もあるし、困っているなら放り出す理由もないからね」
そこでようやく、リッカは肩の力を少しだけ抜いたようだった。ほっとした顔で「ありがとうございます」と深々と頭を下げた。
「それじゃあ、ヤミ」
「ん。後で空いてる部屋に案内する……けど」
少し離れた席から、ヤミはちらりと二人を。いや、姉に隠れるようにしてヤミを睨んでいる妹の方を見る。
少しだけ何か言いたげに口を結んで。
「……ハナが戻ってきたらでいい?」
諦めたようにそう言った。
□ ■ □
「ほうほう、ここ数日の雪はそういうことだったんだね!」
廊下を先導しながら、ハナはこれまでの話を簡単に聞いた感想を口にした。
「はい、ご迷惑おかけしてすみません」
「いやいや、迷惑だなんて思ってないさ」
雪遊びで随分と楽しませてもらった、と、彼女は上機嫌だ。
「カガミもさっちゃんも、滅多にないこの雪で楽しませてもらった。ありがとう」
「そうだといいのですが」
「うんうん……ところでさ」
ハナがくるりと振り返り、後ろ向きに歩きながら首をかしげる。
「ミユちゃんとヤミちゃん、なんだいその距離」
リッカの後ろ。彼女の服を掴んで歩きながら、後ろをしきりに警戒するミユキと。
そこから距離をとってついてくるヤミがいた。
「なんだもなにも……こんだけ睨まれてたら距離もあけたくなる」
「だって、睨んでくるもん」
「睨まれてるの俺だよな……?」
「おこるし」
「怒ってねえ」
「ほら」
「違え」
「あはははは! 君たち仲良しだな」
「仲良く見えるか? ちょっと保健室行ってこい」
不機嫌なヤミの言葉に背中を向けて、ハナは上機嫌で先導を続ける。
「喧嘩するほど仲がいい、仲良きことは美しき哉、ってね。うんうん。ボクとヤミちゃんもそんな感じさ」
「いや、それは違うから。お前が一方的に俺を怒らせてるだけだから」
「またまたそんな」
「ああもういい。ほら、案内に集中しろ集中」
「ヤミちゃんったら照れ隠しが下手だな」
「勘違いも大概にしろよな?」
「はあ……先が思いやられる」
そんな、ヤミの心底疲れた声は、前を歩く二人が残していく冷気の中。冷え固まって廊下に転がっていった。
ヤミは見えないそれを蹴飛ばし、もう一度、深い深いため息をついた。





