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背の高い彼の悩み

 スレンダーマン、という都市伝説がある。


 写真に映り込む、あり得ないほど背の高い男性のシルエット。

 海外の掲示板で話題になったそれは、この学校でもすぐさま話題になった。

 オカルト好きが集まった学校でもないのに、生徒達は噂する。


 修学旅行や体育祭の集合写真に。

 文化祭のビデオに。教室の何気ないワンシーンに。

 誰かの自撮りの遥か後ろに、屋上からの風景に。

 背の高い影が、映り込む。


 それが映ったとされるノイズ混じりの写真は、学校の掲示板を始め、メールやSNSを介して出回り。すっかり学校の噂話として定着した。


 □ ■ □


 理科室の入り口から「ごつっ」といい音がして。

 次いで、「おお……」という呻き声が聞こえた。

 ヤミが視線を向けると、入り口で額を押さえてうずくまる人影があった。

「エディさん、またぶつけたのかい?」

 その影に、一番近くに居たハナが声をかける。

「Oh……どうしてこの学校の入り口は、こんなにも低いのデスカ?」

「入り口が低いんじゃなくて、エディの背が高いだけだから」

 というか、そろそろそ慣れようよ、とヤミも声をかける。

「そう、なのデスカ」 

 二人の声に応えるように、黒い影は頭を押さえて立ち上がった。

 その姿は、比喩でも何でもなく真っ黒だった。

 丸いシルエットに整えられた黒髪。詰襟。黒の手袋。顔の上半分も黒い狐面で覆われていて。覗く瞳もまた、夜のように深い黒。

 そんな影のような人物――エディは、くぐった入口を振り返り、溜息をついた。


「コレでも頻度は減ったはずなのデスガ……」

「それでもぶつけたってことは、何か他のことに気を取られていたのかい?」

 ノー、とエディは首を横に振る。

「考え事ナドは、してないデス。ただ――」

 と、手を前にかざす。揃えられた指が高さを示すように、お面の前で軽く揺れる。

「今日は、コレが当たりマシタ」

「なるほどお面が」

「先日は当たらなかったのデスが」

 ぶつけたお面を見上げるように、エディはうーんと唸る。

「なんか、背が伸びてるような、気がしマス」

「は?」

「ほう?」

 ヤミが怪訝そうな声で聞き返し、ハナは興味深そうな顔で机に身を乗り出した。

「お前、ただでさえ背が高いのにまだ伸びてるとか嘘だろ」

 エディはヤミの声に「しかし」と悲しそうな表情で首を横に振った。

「これだけ気をつけていても、頭、ぶつけマス」

 それに、とさっき頭をぶつけた場所に手を伸ばす。指先は楽々と鴨居に触れる。

「ココ。先日はぶつけませんデシタ。天井も、高さが変わっているように感じマス」

「なるほどなるほど? つまりあれだな?」

 ハナはエディと天井の間を眺めながら、指を振る。

「エディさんは身長が安定していない気がする。と? そういうことかい?」

「Hmm……そう、なのデショウカ」

 エディは自信なさげに呟いて、ヤミの隣へとやってくる。小さな椅子を引っ張り出して座る。が、背が高い分脚の長さもあるから、かなり座りにくそうだ。机の下に足は収まらず、スネをぶつけそうになっていた。

「まあ、実際そうなんだろうな」

 その様子を見ていたヤミが、その足を見ながら頷く。

「俺が見てても、頭ぶつける時とぶつけない時があるし。エディは噂話が発祥だし、まだ新しい話だ。不安定だってのは十分あり得ると思う」

「ナルホド?」

 エディはふむふむと聞いている。

「噂話だと、そうなのデスカ?」

「元になる姿がないからな。備品でもたまに居る」

「Hmm」

「しかし、姿はこんなにもしっかり決まってるのに身長だけが不安定、ってのもまた不思議なもんだねえ」

「もしかしたらだけどー」

「たぶんかもしれないけどー」

「!?」

 エディの後ろ。窓にひょこりと映り込んだ影に、エディの肩がびくりと揺れる。そこに映っていたのは、興味津々でこちらを覗く、紫色の髪をしたうり二つの男女。

「カガミ。驚かすのやめてやれ」

「あれ? カガミ、おどろかせた?」

「うん? エディさん、びっくりした?」

 紫色の髪を揺らして、カガミはこてんと首を寄せるように傾ける。

「現に目の前で驚いてるだろうが」

「「ごめんねー」」

 ヤミの言葉に、二人は明るく声を揃えて謝罪する。

「Sorry, カガミ。ワタシはダイジョウブ、デス」

「うん、ちっとも大丈夫じゃなさそうだな」

 とりあえず出ておいでよ、というハナの声に、二人は窓から身軽に飛び出してきて床に着地した。

「それでカガミ。エディさんについて何だって?」

「あー。それがね」

「うん、それはね」

「写真かなって」

「ビデオかなって」

「?」

 空いた席に座りながら告げられた言葉に、全員の首が傾く。

「映っている媒体、ということだろうが……どういうことかな?」

「エディさん、遠くに影しか映らないから」

「エディさん、真っ黒にしか写らないから」

「「その時の「うつり方」で、大きさが変わるんじゃないかなって、カガミは思った」」

「Oh」

「ほう」

「なるほど?」

 カガミの言葉に納得の声が重なる。

「カガミ、そんなのよく気付いたな」

 ヤミが感心したように言うと、カガミはえへんと胸を張った。

「だってカガミも映るもの、だから」

「だってカガミは映すもの、だから」

「「それで、エディさんもうつる人だから」」

「つまり」

 と、ハナがスマホを操作し、裏サイトを表示して見せる。

「ここに投稿されてる写真に映り込んでるサイズとか、そういうのに左右されている、と」

 ハナが表示した画像を全員で覗き込む。解像度が低くて信憑性が低い物もあるが、どこかに黒い影が映り込んでいる写真がいくつも投稿されていた。

「掲示板に投稿コーナーできてるんだ」

「さすがだね!」

 カガミの二人も覗き込んで「おー」と声を上げている。

「で、これらに写ってるエディさん(仮)のサイズだが」

 と、数枚の写真を検証する。


「これはサッカーゴールより大きく見えるな」

「これは靴箱くらいか。撮影時期も分かるな。エディ、この頃は?」

「頭をぶつけなくなってちょっと安心してた時期デス」

「こっちは窓より大きそう」

「これもドアより大きそう」

「ってかこれ。日付が一昨日だ」

「本当だな。もしかしてこれが原因で伸びたのでは?」

「Oh……」


 そうして一通り検証を終え。みんなで、カガミの言葉がある程度正しかったと頷いた。

「エディさんの身長は生徒の認識に左右されてるのだろうな」

「この写真から考えると……大体20センチくらい変わる、のか?」

 二人の言葉にカガミが首を傾げる。

「今のエディさんは?」

「身長どれくらいなの?」

「今の身長、デスカ」

 エディは立ち上がり、自分の頭に手を当てる。少し考え、スマホを取り出した。ぽちぽちと操作して足元にこつん、と当て。立ち上がりながらスマホを頭上まで持ち上げる。

「77.5inch……んー……」

 単位の変換に戸惑うエディの横で、ハナがさくさくとスマホに数値を打ち込む。

「197センチ近いな。お面の高さも入れたらドアより高くなるんじゃないかい?」

「ハナちゃん計算速い」

「エディさん背が高い」

「っていうか、ここ日本なんだから、最初からセンチにしておけよ」

「ふっふっふ、これが文明の利器というものさ」

 ヤミの言葉をスルーしたハナが得意げに掲げた画面には、「77.5インチ センチメートル」という検索ワードとその結果が表示されていた。

「ボクも単位変換は一時期苦手だったからね。今はこういうのがありがた――」

 ふと。ハナの言葉が途切れた。

「ハナちゃん?」

「どうしたの?」

「そうだ。文明の利器だ」

 ハナは再度、スマホの画面に掲示板を表示して差し出す。

「ここの管理人であるシャロンちゃんなら、どうにかできたりしないかな?」

「Charlon」

 繰り返すエディにハナは「そうさ」と頷く。

 シャロンは学校中で交わされる噂を網羅している。時には、流れすぎてはマズい情報の監視や操作も行っているから、その辺もなんとかできるのではと考えたのだろう。

「具体的には?」

 ヤミの問いにハナは「そうだな」とスマホを揺らして考える。

「エディさんの身長が左右される原因は、ここに投稿されている写真が影響している。裏サイトとはいえ、生徒なら誰でも投稿や閲覧が可能だしね。それならこの写真を投稿された時点で、どうにか同じくらいのサイズに見えるよう操作できないだろうか?」

 どうだろう、と首を傾げたハナに難色を示したのはヤミだった。

「そう上手くいくか?」

「さあ、それはシャロンちゃんに聞いてみないことには分からないね」

「では、聞きに行ってみまショウ」

 エディはスマホをポケットにしまいながらハナに笑いかけた。

「できるかどうかは分かりませんが、できるなら――頭をぶつけないようになりたいデス」

「贅沢な悩みめ」

 思わず漏らした小さな呟きを、ハナとカガミは逃さなかった。

「ヤミくん背、伸ばしたいの?」

「ヤミくん背、気にしてるの?」

「そうだったのかい?」

「お前らうるせえよ!?」

 思わず声を荒げたヤミは、即座に我に返った。気まずそうに顔を背けたが、「そりゃあさ」と珍しく口を尖らせる。

「俺だって未練がましい話だってのは分かってるんだよ。でもなあ、これから伸びるか、って時期にここまで縮んだら……まあ……少しは……」

 むう、と言葉を曖昧に切って、口元と言葉を隠すように頬杖をついた。

「あー……ただの愚痴だ。今聞いたことは忘れろ」

「そっかー」

「わかったー」

 カガミは素直に返事をし、ハナは何も言わずにお茶のおかわりをすべく席を立つ。

 エディだけが、彼をじっと見つめていた。

「……」

「なに?」

 エディの真剣な眼差しに、ヤミが僅かに身体を引く。が、急に伸びてきた腕からは逃げられなず、その肩をしっかりと掴まれた。

「ヤミがそんなに悩んでいたコト、ワタシ、気付きませんでした」

「え、いや。……もう、過ぎた話だし、別に」

 この姿でも困ってない、という言葉は彼に届いていないようだった。

「ワタシ、ヤミにワタシの見ている景色、見せたいデス」

「えっ」

 言うが早いか、その手はヤミの肩からするりと下に滑り落ちた。

 ヤミの視界がめまぐるしく変わる。

「う、わ……っ!」

 慌てて帽子を押さえると、くるりとひっくり返される感覚がした。思わずぎゅっと目をつぶってその感覚に耐える。

「ヤミ、Are you OK?」

「え……は?」

 何が、という言葉は続かなかった。

 目を開けると、視界が異様に高かった。

 具体的には、天井に手が届きそうなくらい。

「えっ」

 何が起きたのか把握できないヤミの耳に、カガミの声が届いた。

「「わあ、肩車!」」

 それで、ようやく把握する。

 ここは、エディの肩の上だ。

 おそるおそる視線を降ろすと、彼の黒い髪と狐面が見えた。エディがこちらを見上げる。狐面の奥の目が、にこりと笑う。

「どうデスカ?」

「……ど」

「ど?」

「どうですかじゃねえ! 降ろせ、離せ! 今すぐ!」

「No! ワタシ、ヤミにこの景色を見せたいデス」

「ヤミちゃん、そんなところで暴れると危ないぞ?」

「そういう問題じゃねえ! いい、もうういい! 十分だから……!」

 想像以上に高く、不安定な視界は少し怖い。それ以上に、肩車をされているというのが、なんだかとてつもなく恥ずかしかった。

 カガミは「おー」と口を開けて見上げているし、ハナは……いや、彼女の方は見ないことにした。

「いいえ、このままCharlonの所へいきまショウ!」

「いやいやいや……うわ、揺れ、ちょ」

 機嫌よさげに入り口へと向かうエディに、何を言っても無駄だと諦めた。彼の頭にしがみつき、帽子だけは落とさないようにしっかりと押さえる。

 ドアに頭をぶつけないよう、用心深く廊下に出たエディは、ヤミの足をしっかり持ち直して「よし」と小さく気合いを入れる。

「ちょっと……エディ?」

 嫌な予感がした。

 いや、これで嫌じゃない予感とか、あり得ない。

「ここからノンストップ、デス。行きますよ!」

 そうして彼は、長い足で廊下をさくさくと進んでいく。走ってはいないけれども、その一歩はあまりに大きい。

「う、わ……あああああぁぁ!?」

 ヤミのなんとも言えない、悲鳴のような何かが廊下に響いた。


「おー。行ってしまったねえ」

 理科室に残った三人は、その声の余韻を目で軽く追いかけ、何事もなかったかのように椅子へと座り直した。

「楽しそう」

「面白そう」

「今度やってもらいたい」

「今度やってもらおう」

「あはは、エディさんならきっと喜んでやってくれるだろうさ」

 ヤミの心境を知ってか知らずか……いや、知らない訳はない。見なかったことにして、ハナはカガミの無邪気な会話にうんうんと頷いた。


 □ ■ □


 パソコン室で悠々自適に過ごしていたシャロンは、部屋に入ってきたエディと、その肩の上でぐったりしているヤミに目を丸くした。

「ヤミ。どうして肩車されてるの?」

「……聞いてくれるな」

「う、うん……。わかったけど。エディまでどうしたの?」

 言われた通り、肩車されたままのヤミは放っておくことにして、エディに視線を移す。

「実は――」

 エディは理科室での会話をかいつまんで話し、「どうにかならないでショウカ?」と言葉を閉じた。

「うーん、投稿画像の書き換えかー。無理かな」

 シャロンの答えはあっさりとしていた。

「Whyデスカ?」

「だって、画像処理でしょー? 容量の圧縮とかサイズ変換はともかくとして、画像の書き換えは専門外」

 それに、と彼女の言葉は続く。

「掲示板の投稿画像ってことは、それぞれにオリジナルが存在する。そっちを別ルートで拡散されちゃったらね。通信で交換されたとか共有された、って言うのは感知できるけど。そこを書き換えるっていうのは……やっぱり専門外」

「Oh、そうデスネ」

「でしょー? だからさ、エディはひとつだけ心がけると良いと思う」

「何を、デショウ?」

 不思議そうに首を傾げる彼に、シャロンは腕を伸ばしてぴっと人差し指を立てる。

「入り口の前で、一度立ち止まること」

「一度、立ち止まる」

 繰り返すエディに、シャロンは頷く。

「そうしたら、自分と入り口の距離が確認できるから。ぶつける頻度は下がると思うよ」

「なるほど。わかりマシタ」

 Thanks. と、エディはにこりと微笑んだ。


「ところで」

「はい?」

「ヤミがぐったりしてるのはいいんだけどー」

「……よくねえよ……」

 力ないヤミの声に、シャロンは苦笑いを返す。

「まあまあ。いいとして。それ、誰かに写真撮られたりしないようにね。ヤミはエディと同じくらい真っ黒だからさ」

 また、身長伸びちゃうかもよ、というシャロンの言葉に、エディはこくこくと頷いた。

「OK, 気をつけマス」

「いや、二度と、肩車とか……されねえから」

 もうお腹いっぱいだ、というヤミの言葉は、心の底から疲れていた。

 そこには「二度と身長の話はしない」という決意も沈んでいたように聞こえた。

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