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なんだかんわ おかわり

 1杯目:夜の文句


 夜。部屋に戻ったサクラはドアの鍵をかけ。

「ちょっと」

 電気をつけるより先に、低い声で呟いた。

 少しの間の後、ずきりと頭痛が走って。

「お前から話しかけてくるなんて珍しい」

 自分の中に住む何かは、いつもより幾分楽しそうな声で返事をしてきた。

 獏と名乗る彼は、サクラの中に住んで悪夢を喰う存在だ。日常的に悪夢にうなされているから、その点は助かっている。が、サクラは彼が好きになれない。この態度もだし、心の底に得体の知れない嫌悪感がある。ざらりとした手触りのそれは、どうにも気分が悪い。

「文句を言っておきたくて」

「文句」

「文句」

 繰り返してやると、そいつは「文句ねえ」と、くつくつ笑う声を頭に響かせる。

「お前が俺に文句とは珍しい。なんだ?」

「昼間、勝手に出てきただろ」

 獏は昼間、と繰り返して、「ああ」と思い出したような興味の薄い声が返ってきた。

「アレか。髪型について一言挟んだだけだから安心しろ」

「そんなことしてたの?」

 彼は基本的に他人に興味が無いと思っていた。なのに人の髪型に何か思うことがあったりするのか。ちょっと意外。じゃなくて。

「いや……そこもだけど、そうじゃない」

「じゃあ何だよ」

「なんで突然出てきてんの。やめろってずっと言ってるだろ?」

「やめるって約束した覚えもねえがな」

「そうだけど……あの中じゃシグレさんしかお前のこと知らないのに」

 そうだっけ、と声は言う。

 そうだよ、とぼやく。

「まあ、俺は別に知られたって構わねえよ? 何か困ることあるか?」

「頭が痛いし、記憶が飛ぶ。何してたか分かんないから反応に困るんだよ」

 これまで何度も言ってきたことだ。現に今も、彼が話す度に頭痛がする。

「まったく。人が増えてから人前に出てくるのだけは自重してたのに」

 そうだっけ、と声は言う。

 そうだよ、と溜息をつく。

 彼はそれを鼻で笑い飛ばした。

「まあ、これも俺の楽しみのためだ。それにほら、あれだ。もし、サカキが髪を伸ばして持ってる歪みが消えでもしたら、って考えたら居ても立ってもいられなくてなあ」

 サクラは小さく首を横に振った。呆れて物も言えない。

 たしかに彼は自分が受け止め、夢に滲ませる人々の悩みを喰う存在だ。彼曰く、サカキの悩みは特に色濃く残るらしいが。その言葉もどこまで本気か分からない。

 声はくすくすと、サクラのその態度を笑う。

「いいんだよ。あいつもお前もそのまま、その距離で立ち止まってろ。いつか後ろからその背中、蹴り飛ばしてやるから」

「何のために?」

「俺のために?」

 飄々とした返事にサクラは溜息をついて、ドアの前を離れた。

 窓を開けると、夕方の通り雨が残した湿気が入り込んできた。

 桜は、今夜もはらはらと散っている。

「俺は」

 言葉が、胸の辺りで重さを持つ。

「サカキくんの見本なの。だから」

 だから。

「このままで良いんだよ」

 答えはなかった。

 散る花弁は湿気の中、どこか重そうに。沈むように。

 色を変えて地面へと吸い込まれて行った。



 □ ■ □



 2杯目:曇天の夕方

 

 獏は和室に居た。

 縁側に面した六畳程度の部屋。中央に小さなテーブル、隅に文机と本棚がある。季節によって家具の増減はあるが、あとは二人分の座布団しかない。縁側の先には、手入れされた庭と小さな池がある。襖の向こうに何もない部屋がもうひとつあるが、そちらが使われることは滅多にない。

 ここは、サクラが生前使っていた部屋を模した物だ。本人は教えてくれないし、聞いたこともないが、初めて会った時から彼はこの部屋に居た。それは本人の深層意識に根ざしたイメージ。慣れ親しんだ場所に他ならない。獏は、サクラの内面を反映した、この陰鬱とした和室を気に入っている。

 

 そんな部屋の中で、獏は壁に背を預けて座っていた。今日の外は曇天。池には小さな鯉が泳いでいる。

 あの時。自分はどうしてサカキの髪型なんて気にしたのか。

 サカキの顔を掴んだ手を眺め、考える。

 別に、伸ばそうが切ろうがどうでもいい。サカキが抱えている物は根深い。髪型ひとつで何かが起きるわけがない。数えてもいないが、ここに来てもう随分と経つ。それだけの年月が経っても変わらないのだ。きっとこれからも、変わらないに違いない。

 なのに、どうしてあの時、あんなことを言ったのか。


「のう。獏よ」

 ふと。あの白い蛇の言葉を思い出した。

 あれはいつだったか……確か、サカキがこの学校に来たばかりの頃だったか。

 なんと聞き返したかも覚えてないが、蛇の言葉はうっすらと思い出せた。

 ――お主は初めて知ったのではないか? 人の子を、誰かを大切に想うという事。


「――ちっ」

 舌打ちが漏れた。そんなんじゃない。

 思い出した言葉をつまんで池に投げる。ちゃぽん。と、鯉が跳ねる音がした。

 面白くなくなって寝転がる。そのまま仰向けになると。

「――ん?」

 獏は逆さまになった部屋の隅に、何かを見つけた。

 本棚の奥に何かある。小さな何かは丁寧に包まれ、本で隠すように置いてある。

 考えるのは止めにして、それを取り出すことにした。


 本棚の前に座り直す。本を数冊抜き取り、包みを手に取る。

 布を取り去り、包まれていた箱を無造作に開けて。中を見た獏の目が、にやりと歪んだ。

 箱の中身が何かを直感的に感じ取り、口の端が思わず上がる。隙間から八重歯が覗いた。

 入っていたのは箱より一回り小さい、白くて丸い物体だった。

 なだらかな曲線を描く柔らかなそれを指で押す。指先が僅かに埋まり、跡がついた。

 その感触に、獏はくつくつと笑う。

 笑う。

 ひとり、誰にも聞かれぬよう。声を殺し、腹を抱えて笑う。

 そうしてひとしきり笑った後、獏はそれを元あった場所へ戻した。

 

「あいつはまた、面白いもん持ってんなあ」

 縁側に出ると、池に鯉は居なかった。代わりのように、灰色に濁った水の上でアメンボが数匹、すいすいと滑っている。

 それを眺めて、さっきの箱の中身を思い出す。

 あれは餅だ。柔らかく分厚い餅に、重く密度のある餡が詰まっている。

 それの意味するところなんて、考えるまでもない。

 

 外の餅は、「責任」という言葉で。

 内の餡は、それ以上の感情だ。


 サクラが見ない振りをしているのか、気付いていないのか。

 あの餅の厚さから推測できないこともなかったが、獏にとってはどっちでも良かった。

 

 とりあえず面白いものを見つけた。と。

 満足そうに曇った空を見上げて頷いた。

 

 □ ■ □



 3杯目:夕立の後

 

「髪の毛、かあ」

 虹を見た帰り、サカキは自分の髪の毛をつまんで考え込んでいた。

「おや、さっちゃん。こんな所で珍しい。どうしたんだい?」

 サキさんをお探しかい? と寄ってきたのはハナだ。後ろにはヤミも居た。

 ぱたぱたとやってきたハナが足を止めると、きれいに揃えられた茶色の前髪が揺れた。

「あ。ええと。その」

 と、サカキはハナにさっきの出来事をかいつまんで話す。

「でも、僕。髪が長い自分がイメージできなくて」

「そりゃあそうだろうな」

 ハナはさも当然だと言わんばかりに肯定した。

「さっちゃん、これまで髪が長かったことはあるのかい?」

「いえ、ないです」

 首を横に振る。生前も、この学校に来てからも。髪を伸ばしたことは一度も無かった。

 その返事にハナはうんうん頷く。

「これまで長かったことが一度もないんだ。知識として持ち合わせていたとしても、見たことが無いものを想像するのは結構難しいよ」

「そう、ですね」

「うん。ならば試しに伸ばすのも大いにアリだとボクは思うんだが。ねえ、ヤミちゃん?」

「なんで俺に振った?」

「こういうのは男子の意見も聞いてみた方がいいかな、って?」

「曖昧なのに聞くな。そう言われてもなあ……」

 ヤミは困ったようにサカキをじっと見て。首を傾げた。

「別に、そこはサカキが好きなようにすればいいんじゃないか、としか」

「役に立たない意見だな」

「うるせえ」

 そう言うのは他のヤツに聞け、とヤミは溜息をつく。

「ま、ヤミちゃんの朴念仁な回答は置いといて。ボクもどっちでも良いと思うんだ」

「俺の意見を置いた意味あったか?」

 ヤミのちょっとした抗議はさらっと無視された。

「さっちゃんの髪はきれいだからださ。どちらも見てみたいと言うのが正直な所だ。でも」

「でも?」

「髪を短くしている理由があるのだろう?」

 こてん、と傾いたハナの頭に、サカキはマフラーに少しだけ顔を埋めて頷く。

「そう、ですね」

 髪を長くした事は一度もない。それが許されなかったのは過去の話で、今は理由が違う。

「多分だが、その服装もそうだよね」

「はい」

 頷くと、ハナは「理由を聞いても?」と微笑んだ。

「えっと。僕、目標にしてる人がいるんです。その人のようになりたくて。隣に立てるようになりたくて。それで、この格好を。してます」

「なるほどなるほど。ならばその目標を大事にするのも一手さ。君が女子でも男子でも、君であることに変わりはないんだ。それに、最近は髪が長い男性も居るし」

 いやあ、髪型も随分自由になったよね、とハナはからからと笑う。

「だから、伸ばしても良いなって思えたら伸ばすと良いさ」

「そうですね」

「うんうん。ボクは逆にずっと長くしてるから、君が伸ばしたあかつきには短くしてみるのもアリかもな……って、なんだいヤミちゃん」

 ヤミの視線に気付いたハナが「なにかね」と口を尖らせた。

 ヤミは「いや」と呟くように答える。

「もう短くしても平気なんだ、って思って」

「ハナさんは髪を切るの、苦手ですか?」

 今度はサカキが首を傾げる。ハナが何か答えるより先に、ヤミが「昔な」と前置きした。

「髪を切られようとすると、『こけしは嫌だ』って逃げ回っ――」

「おっとそろそろご飯の時間ださあ、さっちゃん。食堂だ。食堂に行こう!」

「えっ、え……っ」

 ハナはサカキの手を取り、ヤミから引き離すように引っ張っていく。

 サカキは引きずられそうな勢いに付いていきながら、ハナをちらりと見上げた。


 目元は相変わらず見えないけれど、少しだけ尖った唇がなんだかいつもとちょっと違った一面を垣間見せた気がして。

 それがなんだか嬉しくて、ふふ、と小さく笑って歩幅を揃えた。


 サカキがこの学校に来て随分経つが、それだけ一緒に居ても知らない一面がある。

 それならこのままでもいいし、そういう一面を出してみてもいいのかもしれない。

 今はまだイメージができないから。きっと、その時じゃないのかもしれない。


 きっと、いつか。

 女の子のようにありたいと思える日が来たら。

 その時はちょっとだけ伸ばしてみよう。

 そう思った。



 □ ■ □



 4杯目:後日の保健室

 

「胸の辺りが重い?」

 保健室の隅。椅子に腰掛けたヤツヅリが、サクラの相談内容を繰り返した。

 パイプ椅子に座ったサクラは、頷いて胃の辺りをさする。

「重いっていうか、なんか詰まってる感じっていうか。昔あった持病とも違う感じで」

「ふむ。その時の状況を聞いてもいい?」

「そうだな、あの時は理科室でお茶を飲んでて――」

 状況をざっくりと説明したら、ヤツヅリに盛大な溜息をつかれた。

「君、それはさあ……。いや、そうだな。他に症状は?」

「他に? ううん、他には特に」

「そう」

 ヤツヅリはカルテにかりかりと何かを書き記している。

「ヤツヅリくん?」

 首を傾げていると、彼は引き出しから茶色のガラス瓶を取り出した。フタを開け、「手を出せ」と示すように振る。

 言われるままに手を出すと、白い粒が三錠ほどコロコロと転がり出てきた。

「これは?」

「とりあえず胃薬。季節の変わり目だし、内蔵が弱ってるんだろう」

 そう言いながら、彼は手際よく水を用意する。

「で、それ飲んだら多分治まると思う」

 はい、と渡された水でその錠剤を飲み下すと、甘酸っぱい後味が口に残った。

「ん。それでしばらく様子見て。また自覚症状が現れたら来てくれ」

「うん、ありがとう」


 礼を言って帰って行った桜を見送って、ヤツヅリは深い深い溜息をついた。

 さっきサクラに出した「胃薬」の茶色い瓶を持ち上げてくるくる回す。からころと中で錠剤が転がる音がする。残りが少ないなと思っていると、入り口が開く音がした。

「ヤツヅリ、どうした。瓶などぼんやり眺めて」

 戻ってきたタヅナが、積んできた薬草を流し台に置きながら問う。

「んー。ちょっとね。前途多難っていうか、責任感が強くて鈍すぎるのは困るなーって」

「?」

「こっちの話」

 気にしないで、とヤツヅリは溜息混じりに呟いて。薬瓶からおもむろに一粒取り出し、口に放り込む。舌の上で転がすとすぐに溶けていく甘いそれは、ラムネ菓子だった。

「そろそろなくなるから買ってこないと」

 瓶の底に残ったラムネを再度確認して、溜息をつく。

 瓶を置いて、机の上に放置したままのカルテを眺める。

「……んー」

  引き出しから修正テープを取り出して、カルテに書き込んだ「胃もたれ」の文字を消し、上から別の名前を書き直す。


 できあがったカルテを眺める。

 少し考えて、溜息をつき。

「責任感が強くて鈍い君には、やっぱりこれくらいが似合いだ」


 やっぱり「胃もたれ」と書き直した。

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