彼とサクラが見る景色 1
サクラが駆けつけた時、そこにあったのは瓦礫の山だった。
あの子は……居ない。巻き込まれてない事を切に願いながら見渡す。その希望に反して、瓦礫の近くに靴が落ちていた。
助けなきゃ。
咄嗟にそう思った。
駆け寄って瓦礫を見渡す。隙間から小さな手が見えた。
「大丈夫……!?」
膝をついて、その手を握る。
雨ですっかり冷えた指が力なく揺れる。動かない。返事もない。中を覗き込むと、ブルーシートの下に身体があるようだった。もしかしたら身動きが取れないのかもしれない。
「少しだけ、我慢してて……!」
そうして手を離し、代わりに工事の足場だったらしい金属板へ手をかける。持ち上げ、どかして、次は校舎の一部だったと思しき木の板を。それから柱を。鉄の棒を。
土砂降りの中である事も。木の欠片が手を傷つける事も。金属の冷たさで指がうまく動かない事も構わずに、瓦礫を持ち上げ、投げ捨てる。力があるとはお世辞にも言えない身体で、必死に瓦礫をどける。
ずきりと頭が痛んだ。走った痛みに眉をしかめると声がした。
「助けてどうすんだよ」
「だって、このままじゃ……」
「お前。こいつに自分を重ねてんじゃないよな?」
ぴたり、と一瞬だけ手が止まった。
「そんなんじゃ、ない」
かつての自分は、確かに日々を憂いていた。少年の憂いた表情が、そんな日々を想起させることもあったかもしれない。
でも、サクラを突き動かした感情はそれじゃない。時折桜を見上げて見せる、あの穏やかな顔をもう一度見たかった。失いたくなかった。
それだけだ。
我が儘だとかなんだとか。なんとでも後で聞いてやるから黙ってろと返す。
獏はそれ以上、何も言わなかった。
「……よ、いしょ……っ」
足場もなんとかどけて、ブルーシートをめくると。
そこにあったのは、腕だけだった。
「!?」
焦ったのは一瞬。他の瓦礫が腕を潰すように倒れていただけで、身体はすぐ近くにあった。
あったけれども。
「こいつぁまた……」
サクラの絶句に変わるように、酷い有様だ、と獏の楽しげな声がした。
瓦礫と足場に押しつぶされ、突き刺され。少年の身体は無惨な事になっていた。
身体は潰れている。骨はきっと折れている。腕は。足は。かろうじて繋がっている。けれども虚空を見るその目には焦点がなく、ただ覗き込むものを映すだけ。その目も片方は傷ついている。
地面に広がる赤い染みは、雨に打たれてどんどん薄められていく。
その姿はとても痛々しくて。
見ていられなくて。
サクラは少年の身体を傷つける瓦礫を取り除き始める。
息が上がる。頬が熱い。眼鏡は邪魔になって外した。
ずぶ濡れなのも、手のあちこちに傷がつき、木の破片が刺さっている事にも気付かない。
助けたい。
ただその一心で。
瓦礫に潰された身体に、気休めにもならないけど上着をかけて抱きかかえる。
顔を近づけて初めて分かる程度の呼吸。人を呼んでも間に合わないだろう。
でも、他の手を使えば望みはある。ならば――。
「おい、サクラおまえ」
「黙って」
いつに無く強気な言葉に、獏は言葉を飲み込み。楽しげな笑い声を零した。
「それじゃあ、チャンスくらいはやる。あとは知らねえからな」
獏のそんな言葉にサクラは答えないで、校舎へと駆け込んだ。
□ ■ □
「ヤツヅリ君……!」
遠くから駆けてくる足音と、ドアへ何かをぶつける音。それから勢いよく開いたドア。
振り向いたヤツヅリは、飛び込んできたその姿に声を上げた。
「うわ、足でドアを開けるとか君にしては暴挙……って、どうしたの。ずぶ濡れだし、その……」
サクラが学ランをかけて抱えているのは。何。という言葉だけは飲み込んだ。
人だというのは分かった。
だらりと下がった腕が揺れている。肌は青白いを通り越した、生気の感じられない色をしている。
滴っているのは雨水だろうか。いや、それはあんなに赤くない。
「お願いだ……君にしか、頼めない……俺じゃ。どうしようもなくて……」
今にも泣きそうな顔で。声で。サクラはその「誰か」をヤツヅリへと託す。
かろうじて生きてはいるが、お世辞にも元気だとは言えなかった。けれどもサクラの必死な、いや。悲壮な顔を見て、ヤツヅリは断れなかった。
「……分かった。助かると断言はできないけど、手は尽くすよ。でも、サクラくん」
ここで治療をすると言う事がどういうことか。それを分かっているのかと視線で問う。
サクラの目に一瞬の戸惑いが走ったけれども、彼は俯くように頷いた。
ぱたぱたっ、と髪から水が滴り落ちる。
「わかってる……身勝手な事だっていうのも。でも、俺。どうしても、助けたくて……。ちゃんと、責任はとる、から」
小さなつぶやきに、ヤツヅリはため息をついてベッドを示す。
「分かった。とりあえずそこに寝かせてくれ」
ベッドにありったけのタオルを敷いて、濡れた身体を横たえる。サクラにタオルを数枚投げつけ、ヤツヅリは少年の状態を見る。
呼吸は小さく浅い。傷がひどい。身体を濡らす水に血が濃く混ざっている。けれども、出血自体は止まっているように見えた。
この傷で、もう血が止まっている? 不思議に思いつつも、傷口を確認して頷く。
「これは……先日のハナくんと同じ処置でいけるかな……」
いけそうだと判断を下したヤツヅリは、シャツのボタンをひとつふたつと外し――手を止めた。
「サクラくん」
「……うん?」
タオルを頭に被せたもののずぶ濡れの彼は、顔を少しだけ上げる。
「君は、彼女について、何か知っている事はあるかい?」
「かの、じょ……?」
サクラの頭がわずかに傾いた。そしてもう一度繰り返す。
「彼女、って?」
「彼女は彼女さ。君が連れてきた子。服は確かに男子の物だが……」
少しだけ困ったようにヤツヅリは告げる。
「女性だ」
サクラは一瞬何を言われたのか分からなかった。
だって彼は……いや、彼女はずっと少年のような出で立ちだった。
けれども、心当たりがない訳でもない。
木の側にある防空壕跡に隠された小さな箱には、おはじきやビー玉がいくつか入っていて、時々それを眺めているのを見た事がある。読む本は冒険活劇よりも文学作品が多かったし、その方が楽しそうだった。
そして、桜の木を愛でる時も同じ顔をしていた。
「そっか……」
なんだかおかしくて、少しだけ笑った。
冷たかった手の感触を思い出す。あの指は、あの手は。確かに男性とは異なるものだ。自分はもちろん、同じ年頃の身体を持つ他の男子生徒とも違う。
「俺、ずっと見てたはずなのに気付かなかったや……」
あんなに見ていたのに。話に耳を傾けていたのに。ひとりであってもそこだけは、決して言葉として零さなかったのだ。黙って。黙って。いろんな物を殺して泣き続けていたのだ。
彼女の悩みはいつだって、目の前にあったのに。
「馬鹿だな、俺」
「まあ、誰が馬鹿でも良いんだが……治療は続けても構わない?」
サクラの答えはひとつだった。
「勿論」
「君くらいの権限があれば問題ないと思うけど――念のため、さっき言った事の確認もとっておこう。彼女はもう助からない。校内で命を落として、こっち側で手当てをするって事は、オレのようになると言う事だ。それでも構わないね?」
「――うん。二言はない。ちゃんと責任はとるよ」
事故だったから。どうしようもなかったから。もう家には帰してあげられないけど。
もう二度と泣かせたくない。笑って欲しい。そのためにはいくらでも手を貸すつもりだった。
寂しいなら気が済むまで側に居るし。ここに居ることを拒むなら、解放の手段も考える。
自分の我儘でこちら側に連れてきてしまった命だ。なんだってする。
そんな決意を込めて、サクラは頷いた。
お人好しすぎる、と、ため息に似たぼやきが頭にずきりと響いたけれど、それは聞かなかった事にした。
□ ■ □
葵は夢を見た。
冷たくて暗い闇の中に沈んでいる夢だった。
苦しい。声が出ない。上も下も分からない。
闇はあちこちにまとわりついて離れない。奥へ、底へと葵を引っ張って行こうとする。
それが怖くて。悲しくて。辛くて。ぽろぽろと涙をこぼして抗うけれど、葵の力では振りほどけない。
どれだけもがいたのかも分からなくなってきた頃、ふと、思った。
――このまま、沈んでしまった方が楽なのかな。
その瞬間、闇が葵を引く力が強くなった。
「ひ――っ」
声が喉に詰まる。抵抗するという思考さえ奪うほどの恐怖に、身動きが取れなくなる。
沈む。
溺れる。
飲み込まれてしまう。
怖い。嫌だ。
そんな言葉で頭が埋め尽くされかけた時。
ひらり。と一枚。
桜の花弁がどこからともなく飛んできた。
「……」
その花びらが飛んできた方を見上げる。
暗闇から一枚。
また一枚。
ひらひらと飛んできては、葵をすり抜け消えて行く。
それはとても暖かくて、優しい光を放っている。少しだけ身体に絡まった何かの力が弱くなる。右腕だけなんとか振り払う。引き込もうとする力に抗って、その花弁に手を伸ばす。
また飛んできた一枚に指先が触れた。
瞬間。
桜色の髪をした詰め襟の少年が、その手を取った。
「よく頑張った。――もう、大丈夫だよ」
「――」
あの人の声だ、と思った。
顔はもちろん、声だって覚えていなかった。
なのに、一度だけ桜の下で話をした在校生のことを思い出した。
それは、暖かくて、安心できて。側に居たい。そんな風に思える声で。
何か応えなくてはいけない気がして、手をぎゅっと握り返し――。





