鬼が沈んだその後に
後日。
呼び出されたハナとヤミは理科室のテーブルに隣り合って座っていた。
向かいには難しい顔をしたウツロとハナブサが居る。
既に人払いは済ませてあり、今この部屋に居るのは四人だけだ。
「今回の件についてなんだけど」
ハナブサは、静かに話を切り出した。
「二人の話を聞くに、目隠し鬼、サトリ……どちらでもいいけれど、それに関する事件は収束したと考えて良いと思う」
けれども、と続くハナブサの声は重い。
「ケガ人が出て、その当事者が居る。という事はそれなりの処分が必要だ」
ハナには、ヤミを利用して勝手な行動を取ったことを。
ヤミには、ハナを傷つけたことを。
「うん」
「ああ」
二人はそれぞれ頷いて、言い渡される言葉を待つ。
「まずは、ハナ」
「うん」
「ハナは今回、無謀な計画でヤミを危険に晒そうとした」
淡々と綴られるハナブサの言葉に、ハナは黙って頷く。
「だからしばらくの間、ハナコとして振る舞う事以外を禁止する。呼び出された時以外、許可無く表には出ちゃいけないよ」
「……それは、今と変わらないのでは?」
ハナの疑問そうな言葉に、ハナブサは「そうでもないよ」と首を横に振る。
「実行する人や噂をする人が居ないと広げようがなくなるんだ。行動制限としては重い方だよ」
「なるほど」
「それに、これまでハナコだったのは、狐だと聞いてる。君は狐じゃないだろう? その振る舞いを見ていただけで、実際には勝手が分からないはずだ。だから、呼び出されたらしっかりと存在を誇示して。君なりのハナコを見つけることを最優先にして」
ハナはその言葉にふむ、としばし考え。
「それもそうだね。分かった。ボクはハナコとして振る舞う事を約束しよう」
ところで、とハナは確認するように問う。
「表に行く許可というのは誰にとればいいのかな?」
「それは私かウツロ、もしくはサクラのうち誰か、かな」
「なるほど。分かった」
「それからヤミ」
「はい」
「君はその力でハナを傷つけた。下手したら彼女は消えていたかもしれない」
「はい……」
「だから、その力を正しい方へ使う――具体的には、ハナの監視と学校内の治安維持を新しい義務として追加する。あと、ハナと同様に許可無く表には行かないように」
「――え」
言い渡された、処分と言うにはあまりに軽い内容にヤミは思わず聞き返した。
「ハナブサさん。それって」
「何かな」
ハナブサの表情は変わらない。ただ、淡々と言葉が続く。管理者としての口調や声に、普段のような柔らかさはない。
「これは妥当な判断だと思うけど。ハナの隣によく居るのは君だから、監視するには丁度いい。それから、もっと周りを見るようにして。自分とその役割を見失う事がないようにしないとね」
ハナブサの言う事はもっともだ。だが、ハナを殺しかけたのだ。幽閉やそれ以上も覚悟していたヤミは、本当にそれで良いのかと視線で問い直す。
ハナブサは何も答えない。それは静かな肯定だった。
声に優しさはない。だが、その内容は……管理者というには随分と優しい。ヤミに拒否する理由はなかった。
「うん……分かった」
「それから」
と。ハナブサは二人に向けて言う。
「二人の監視役として、ウツロを担当者として付けておくよ。期間は、ウツロが問題ないと判断するまで」
「……だ、そうだ。二人揃って面倒なことしてくれたな」
ウツロはため息をつきながら言う。
「これで二人ともまた何か問題起こしてみろ。次は俺がお前らを斬る事になるからな」
「分かった。そんな事ないよう気をつけるよ」
「うん」
「そうしてくれ……あとヤミ」
「うん?」
なんだろう、と顔を上げたヤミに、ウツロは目を伏せ。
「お前は週に二、三回は俺の所に来い」
鍛え直してやる。とめんどくさそうにそう言った。
「わかった。よろしくお願いします」
「さて。固い話はここまでにして――二人が籠もってる間に色々あったから。その話をしよう」
ようやくハナブサの表情が和らぐ。和らいだといっても、まだ緊張した空気は残っていて、話が深刻なのは嫌でも分かる。
それで何かを察したのか、ウツロは理科室を出て行った。
「今回の大雨で、校舎が一部倒壊した」
「えっ」
思わずヤミの声が上がる。ハナも「ほう」と言いたげに口が小さく開いた。
「倒壊……あの音はそれだったのか……」
ヤミが思い出すようにつぶやくと、ハナブサはこくりと頷いて肯定した。
ハナが眠っていた間、轟音と僅かな地響きを感じたことがあった。なんだろうとは思ったけれど、音はそれきりだったし、彼女の傍を離れる気はなかったから詳細を知ることはなかった。
それはどうやら、校舎の一部が倒壊したものだったらしい。多分、解体中だった旧校舎だろう。それならあの音も納得がいく。と、ヤミは記憶の中の音を話と結びつけながら続きを待つ。
「解体中だった箇所でね。老朽化やこの雨、いくつかの要因が重なって起きた事故なんだけど……それに子供がひとり、巻き込まれた」
学校は休みだったから生徒は居ないと思っていたんだけどね、と言うハナブサの声は、心なしか沈んで聞こえた。
「生徒ではないのかい?」
「うん。この学校の生徒ではないんだ」
「ふむ……それで、巻き込まれたってことは、どうなったんだい?」
「うん。亡くなったよ」
答えはあっさりと返ってきた。
「ただね。サクラが見つけて、こっちに連れてきたんだ」
「ほう、サクラ君が?」
ハナの声には「珍しい」と言いたげな色が混じっていた。
彼は何においてもまず中立を守る人だと思っていた。なのに、ただの事故で死んだ人をここに連れてきたのだという。それは、相当珍しい行動に思えた。
「丁度見てたらしくてね。手当ても終えて、今は話もできる状態だ。ウツロが呼びに行ってるから、しばらくしたら戻ってくるんじゃないかな」
「ほう。新しい仲間というわけだね」
「そういうことになるね」
それから数分もしないうちに、ウツロが戻ってきた。
「英、連れてきたぞ」
「おかえり。ありがとう」
入ってきたウツロは、まっすぐお茶を淹れに行く。お湯を沸かす準備をしながら、入り口に立つサクラに「緑茶でいいか?」と声をかけた。
「うん。君は?」
サクラは自分の背後に立つ影に声をかける。
「はい、大丈夫、です……」
緊張が混じった声にサクラが頷き、室内へと促す。
その手に背中を押されて入ってきたのは、小柄な少年だった。
中学生ほどの背丈で、ぱらっとした黒髪と大きめの茶色い瞳をしていた。
その小柄な身体は、真新しいけれどもサイズの合わない学ランとズボンに包まれている。
事故に巻き込まれたというだけあって、首や手など身体のあちこちに巻かれた包帯と、頬や目に当てられたガーゼや絆創膏が目立つ。ハナもまだまだ包帯やガーゼが外せないが、それに負けないくらい痛々しさを感じる姿だった。
彼はハナブサの近くへやってきて、背筋を伸ばして立つ。その表情はかなり緊張しているのが分かる。元々、人前に立つのが苦手なのだろう。
「紹介しよう。私達の新しい仲間だ」
「初めまして……サカキ ミヤ、と、いいます……」
声変わり前のような、高く小さな声だった。少年は慣れない様子で「サカキ」という名を口にして、ぺこりと頭を下げた。
「やあ、よろしく」
「よろしく」
二人が挨拶を返すと、ハナブサが「そこで」とサカキを手のひらで示した。
「ハナにもうひとつ仕事をしてもらいたい。これはどちらかというと頼みになるんだけど」
「なんだい?」
サカキの今後についてなんだけど、とハナブサは前置きをする。
「この学校に住むと決めたけど、生憎と丁度いい話がなくてね。だから、この子にまつわる噂話を広めてほしい。これに限ってはさっきの条件の例外とする。生徒に混じっても構わないよ」
ただし許可は取りに来てね、とハナブサは付け加えた。
「ほう?」
どんな話がいいかい? とハナは問う。
どんな話でもいいよ、とハナブサは答える。
「事実としては、校舎が一部崩壊して、巻き込まれた子供――生徒が居る。それだけだ。実際に見た生徒は居ないけど、事実に即した方がやりやすいとは思う。どうするかはハナに任せるよ」
ハナはしばらく考えて「わかった考えておこう」と頷いた。
「昔よくあったような事件とかを洗って、そこからいくつか逸話を拝借してみようか。校内を徘徊する少年……最近噂話で欠けた身体を探してるっていうのがあるからそれにするか……? それとも先日見たあれみたいに――」
「おい、怖がられてるぞ」
ひいふうと数えながら話を挙げていくハナにヤミの言葉が鋭く差し込まれる。
おや、とハナが視線を上げると、ヤミの言う通り、サカキはいつの間にかサクラの後ろへ隠れていた。その視線はふるふると震えている。どうやら怖い話は苦手なようだ。
「おっと、すまない。君を怖がらせるつもりじゃなかったんだ。ただ、ボク達は怪談話だ。ある程度のインパクトはあっても許されるだろう」
「は、はい……」
サカキは隠れたまま、こくこくと頷く。
「ふふ。無理はさせないから安心したまえ。少しずつ校内の話を拾いながら方向を決めていくとしよう」
ハナも頷いて席を立つ。手を貸そうとしたヤミをそっと制して、サクラの前に立つ。
「大丈夫さ。噂がどんなものであれ、君がなんであれ。ボク達は君に危害を加える事はないと約束するよ」
ね。と、ハナの手がサクラの後ろに向けて差し出される。
「ボクはハナコ。ハナと呼んでくれたまえ。よろしく、さっちゃん」
「さっ、ちゃん……?」
サカキはぱちぱちと瞬きをしてその名前を繰り返す。
「うん、サカキだからさっちゃん。気に入らなかったらサカキ君でも……あ、ミヤ君の方がいいかい?」
「……あ、いえ」
サカキはふるふると首を横に振った。
「そう、呼んでください……」
「うむ。ではさっちゃん。これからよろしく頼むよ」
「はい、よろしくお願いします」
サカキはハナの手をそっと握り返し、はにかむように笑った。





