表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/171

鬼さんこちら 1

 ジャノメとヤミが図書室で時間を潰し、外に出ても雨はまだ止まなかった。

 廊下は電気を点けても良いほどに薄暗い。

「サラシナさんとレイシーさん、本当に仲がいいね」

「……そうか?」

 ヤミの怪訝そうな声にジャノメはうんと頷く。自分の事ではないのに、その表情はなんだか嬉しそうだ。

「まあ、そう見えなくもないけど……一方的すぎだろあれは」

「ふふ。そうだね。ぼくもあんな風に一緒に居れる人がいたら嬉しいなあ」

「一緒に居れる人、ねえ」

 そういうものだろうか、と考えたヤミを覗き込むようにして、ジャノメは「そうだよ」と口を尖らせた。

「ヤミさんにはハナさんがいるから」

 それが当たり前になっちゃってるんだよ、とジャノメは言った。

 ヤミはそれに「ああ」とも「うん」ともつかない、曖昧な答えを返した。

 その濁された言葉に何があるのか気付かないまま、ジャノメの興味は窓の外へと移る。

「雨、やみそうにないね」

「……そうだな」

 

 雨が降って気温も下がってきたのか。どことなく肌寒い空気が辺りに漂い始める。

 指先や足元から冷やすようなその空気に、ジャノメは学ランの前を合わせながら「温かいお茶が飲みたいなあ」と呟いた。

「じゃ、一旦理科室戻るか」

 図書室には随分と長居したし、そろそろ戻っても良い頃だろう。

 そんなヤミの言葉に頷いたジャノメは、ぱたぱたぱたと数歩、急いで暖を取りたい意思表示のように先へ進む――が、ヤミの足音はなかった。

「……?」

 ぴたり、と足を止めて振り返る。

 ヤミはそこに立っていた。

「ヤミさん?」


 ヤミは黙って立っている。ただ立ってるだけだ。

 けれども何だろう。その姿に寒気がした。

 雨のせいではない。廊下が冷えているからではない。ヤミの周囲が。酷く暗く、冷たく感じた。


「ねえ、ヤミさ――」

 ジャノメの言葉は、ヤミがふと上げた視線で喉に詰まった。


 ヤミは外を見ていた。

 降り続く雨を。その窓に流れる水を。

 薄暗くても分かる、金色に輝く瞳で。

 そんな彼の影は、不自然なまでに深く、暗く見えた。


 何かを堪えているのだろうか。動こうとしないヤミに、ジャノメは声を掛ける。

「ねえ。ヤミさん。どうしたの?」

 答えは、ぎり、と歯の軋む音だった。

 きゅっと唇を結んで、ヤミは目を伏せる。輝く金の瞳が、髪と帽子に隠れた。

「ああ、悪い。ちょっと……ぼーっと、してた」

 あと、と廊下に少しだけ強く言葉が響く。

「用事、思い出したから先に戻ってろ」

「え……」

 ヤミはそれだけ言って、すたすたと歩き出す。

 ジャノメが何か言うより先に横を通り過ぎ、階段を降りていく足音だけが残った。


 □ ■ □


 ヤミは階段を降りながら、小さく首を横に振った。

「一緒に居るのが良いこと……か」

 なんとなく繰り返したジャノメの言葉がなんだか痛い。

 彼はアレが何か知らないから。何があったか知らないから言えるのだろう。いや、それは関係ない。自分の意思で側にいるのだから、そう見えて当然だ。

 ないまぜになった感情が、ため息にもならないほど重い。


 ヤミは「彼女」を忘れた事はなかった。傍に在る理由も、忘れたつもりはなかった。

 なかった、はずだ。


 ジャノメの足音はしない。言われた通り、そのまま理科室へ向かったのだろう。ヤミは理科室まで最も遠い道を選んで歩く。

 廊下は薄暗い。雨はざあざあと降り続く。


 雨音に混じって、声がする。

 図書室を出てから、ずっと無視していた声だ。

 あの様子だと、多分ジャノメは気付いていない。自分だけに聞こえている。。


 ――君は、誰と一緒にいたいの?

 声なんて聞こえない。

 ――君は、何をそんなに抱えてるの?

 声なんて、聞いてない。

 ――それ、重くない? 無理はよくないよ?


 無理とは。

 ヤミの中にわだかまっていた何かが蠢く。胸の奥。腹の底。その辺りにずっとずっと押し込めていたものの気配がする。

 無理なんてしていない。していない。ああ、していないとも。

 ヤミは言い聞かせるように繰り返す。

 でも、声は諦めない。


 ――でもね。知ってるんだよ

「――」

 思わず足を止めた。ヤミの目が薄暗い廊下で僅かな光を照り返す。


 その声が何者なのかは、ある程度の予想はついている。

 ヤツヅリを屋上から落とし、シマダに鋏を奮わせた者。その元凶となった「声」だ。

 この雨が降る直前に感じた、空腹感に似た感覚は、その時も感じた覚えがある。同じ物だ。

 この、バケツをひっくり返した、というより滝のような雨もそうだと言うのなら、影響を受けた誰かがいる。いずれ生徒にも被害が出るかも……いや、少なくともヤツヅリは「その影響を受けた生徒」のひとり。サキも卒業生だからそうかもしれない。すでに被害は出ている。

 ならばそれは、この声は。見つけたら即刻斬り裂くべきものだ。


「何を、知っているって?」

 ヤミは静かに問い返す。

 右手に意識を向ける。


 ――君が大好きなもの。お姉ちゃんのこと

 声が耳元で囁く。


 静かで、楽しげで、耳に貼り付いて離れないような。吐息にも似た声だった。

 右手に力を込める。黒い影に染まった右手の輪郭が、歪む。

 どこに居るかは分からない。けれども、声はすぐ傍から聞こえてくる。


 ――お姉ちゃん、君を利用したんでしょ

「……」

 

 酷い姉だね。


 ふと、そんな言葉が蘇った。

 とうの昔に忘れたと思っていたのに。それは、ついさっき聞いたかのように鮮明だった。


「……利用、なんて」

 ――されてない? 嘘だあ

 声は言う。


 ――だって、聞こえてるよ。叫んでるよ。感じるよ。考えてるでしょ?

 ――あの狐を討ちとるんでしょ? お姉ちゃんに会いたいんでしょ?

 ――だからずーっと一緒に居たんでしょ?


 まるで「サトリ」と呼ばれる妖怪のように、心の中を言い当ててくる。

 聞くと心がざわつく。ざわつくと。意識すると。その声は余計に耳に入る。

 相手にしないのが一番だ。

 そもそもこれは、応えてはいけないものだ。


 分かっている。

 分かっているけれども。


 ――なんで、できるのにやらないの?

 ――君にしかできないんだよ?

 ――もう一度、会いたくないの?


「……うる、さい」

 思わず声が零れる。声はやまない。

 ――きっと、こう思ってるよ?


 ――私はこれからも、一緒に居たいよ

 ――ねえ、暦ちゃん


「――っ!」

 それは、とても懐かしい声だった。

 思わず振り返る程、懐かしくて、望んでいた声だった。


 けれどもそこには、誰も居ない。

 幻聴だ。気のせいだ。

 そう思った瞬間、ヤミの視界にひょこりと影が飛び込んできた。


 長い栗色の髪。目を覆い隠す前髪。セーラー服を身に纏った少女は、ぱっと花を咲かせたように笑った。

「やあ、ヤミちゃん」


 ――あ、狐だ

「――狐、だ」


 反射的に言葉が落ちた。

 言葉を、繋いでしまった。


 ざあざあと雨が降る。

 他の物音を全て消すように。世界を雨水で満たすように。


 ヤミの喉に言葉が詰まっていく。

 言葉を全て封じるように。心を言葉で満たすように。


 満たすように。

 満たすように。

 起こすように。


 忘れてはいないけど忘れていたかった「彼」を。「彼女」を。「あいつ」を。

 それらに対する想いを。


 ――ほら。忘れてなかった。君の力はその為にあるんだよ

「……る、さい」

 耳元に回り込み、嘲笑うように囁かれる声は。とても甘くて暖かい。

 ――お姉ちゃんの仇、今なら討てるよ。助けられるかもしれないよ

「――」

 ――ほら。あの子は気付いてない。君の事を信頼しきってる


 耳を傾けてはいけない。頷いてはいけない。

 けれども。声はそれすらも優しく否定する。

 斬らなくてはいけない。

 けれども。その声は。囁きはあまりに優しく彼を抱きしめる。手が動かない。


 ――いいんだよ。君はたくさん我慢してきたじゃない

 ――だから、たまの我が儘くらい、いいんだよ


 それは、ヤミがこれまで堪えてきたものを優しくつつき、破り、中身をどろりと零す。


 ――ずうっと狙ってたんでしょう? 今が絶好の機会だよ


「……そう、かな」

 ぽつりと。呟きが落ちた。

 ――うん。そうだよ

 声は優しく肯定する。

 ――君ならできる。お姉ちゃんを助けられるの、君だけなんだよ


 そっか。いいのかな。できるのかな。


 ヤミの思考にそんな言葉が浮かぶ。

 それが波紋を広げると同時に、身体は自然と動いた。ヤミは軽く床を蹴って、少女との距離を詰めた。


 何の言葉も。躊躇いも無かった。

 ヤミの中にあったのはただひとつの感情。

 憎しみ。

 姉を奪った狐を、今度こそ切り裂く。

 それだけ。


 その身体の中に姉の魂が残っているという話も。

 その影を通じて姉の存在を感じていることも。

 全部忘れて。


 ただ。姉を真似る目の前の少女が。姉を奪ったこの狐が憎くて。

 憎くて。

 憎くて。

 今すぐ目の前から消し去りたい。

 それだけだった。


 一歩。右腕が大きく歪な爪に変質する。

 二歩。大きく床を蹴って。

 三歩。狙いを定めて振りかぶると。

 前髪の隙間から覗く目が、嬉しそうに微笑んで。

「――っ!」

 着地。彼の爪は易々と彼女の身体を切り裂いた。


 彼女は抵抗ひとつする事なく。むしろ、ヤミに身体を寄せるようにその爪を受け入れる。

 骨をへし折り、肉のちぎれる嫌な感触がして。

 爪の先に引っかかった何かが、ぱきんっ、と割れる音がして。


「――ぁ」

 ヤミが我に返った時は、もう何もかもが遅かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ