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止まない雨の日に

 ヤミとジャノメを見送ったハナは、誰も居ない理科室でひとり雨を眺めていた。

 雨はバケツをひっくり返したような勢いのまま、止む気配はない。

 しばらく眺めていた彼女は、ふらりと窓から離れ、黒板の横にあるドアをノックする。

「ハナブサさん、今お暇だろうか?」

 しばしの沈黙。

 ざんざんと降る雨音が彼女の気配をかき消すように響く。

「ハナブサさん」

「――どうしたの?」

 もう一度呼ぶと、後ろから声がした。

 くるりと振り返ると布巾を被せた皿を持ったハナブサがドアの所に立っていた。


「ああ。準備室ではなかったのだね」

「うん、ちょっと調理室にね」

 あははと照れたように笑うハナに、ハナブサはいつも通り微笑む。

「クッキーを焼いてきたんだけど、まだみんな外かな」

「ああ、すまない。ボクが追い出してしまったんだ」

 ハナの答えにハナブサは「そう」とだけ答え、皿をテーブルに置く。

「それで、私に何か用だった?」

「うん。ちょっと話したい事があって」

 ハナはいつもの調子で言う。が、ハナブサはその声に何かを感じたらしく、不思議そうな顔をした。

「私に? ……じゃあ、お茶を淹れよう。少し待ってて」


 □ ■ □


「それで……話したいことって?」

 湯気の立つお茶と焼きたてのクッキーを前に、ハナブサはそう切り出した。

「うん。ハナブサさんにはちょっと話しておかなくちゃと思った事があってね」

 その言葉にハナブサは首を傾げる。

「ヤミは居なくて良いのかい?」

「ああ……うん。いいんだ」

 ボクがさっき追い出したしな、と笑うハナに、ハナブサは「そう」と頷くだけに留めた。

 こうして改まって話があると言うのも、ハナがひとりで何かを打ち明けようとしているのも、珍しいことだった。ハナブサは黙って続きを待つ。

「あのね。これはヤミちゃんが気にしてた事なんだけど」

「ヤミが?」

 うん、とハナは頷く。

「ヤツヅリ君が来て、ジャノメ君を見つけて、サキさんが来て……どれくらい経つかな」

「うん? そろそろ一年くらいかな」

 ひいふうと数えながら答える。

 何の話だろう、とハナブサは彼らの共通点を考える。

 ジャノメ、ヤツヅリ、シマダ。ここ一年ほどの間にやってきた彼らに、気にすべき共通点はあっただろうか?


 校内で命を絶ったヤツヅリ。

 バス停の移動に引きずられてきたジャノメ。

 迷い込んできて噂に翻弄されたシマダ。

 考えるけれど、これと言ったものは思いつかない。

 

 考えるハナブサを見たハナは、そうだろうねと頷いてクッキーをかじる。

「ふふ……おいしいなこれは」

 幸せそうに微笑んで、彼女は話を続けた。

「ジャノメ君は害のない話だし、バス停の移動が原因っぽいから何とも言えないのだけれど。ヤツヅリ君が来た時かな。ちょっと違和感があったんだ」

「違和感?」

 ハナブサは首を傾げ、ハナにその続きを問う。

「うん。彼は学校内の噂話に無頓着な人だっただろう?」

「そうだったね。そこはヤミに調べてもらったけど……これと言った物は見つからなかったはず」

「うん。一応そう結付けたけど、ヤミちゃんはずっと気にしてたみたいでさ」

 時々サクラ君と話をしてるんだ、とハナは続ける。

「ヤツヅリ君が言ってた、『どこからともなく聞こえた声』って所が引っかかってるらしい。似た話は結構あるから、サクラ君も聞いたことがある程度だと言っていたが」

「そうだね」

 その程度の話は割とよくあるものだ。正体は風の音。物音。聞き間違い……怪談にも噂にもなっていない、話の種。

「けど、その状況がちょっと変わったなと思ったのが、サキさんの時」

「シマダの?」

 うん、とハナは頷いてクッキーをつまむ。

「ヤツヅリ君もサキさんも、声を聞いたと言っていた。特にサキさんははっきりと聞いている。思えばこんなに大きなヒントがあったのに気付けなかった。

 でも、と彼女はカップに口をつけて言った。

 

「ようやく当たりを引いたかもしれない」

 

「当たり?」

 ハナは、そう、と頷いた。

「実はね、先日ハナコさんで呼び出されたんだけど」

 ハナは自分の前髪をちょいとつまんで見せる。

「ほら、ボクの前髪はご覧の通りだからさ。ボクの姿を見た人が言ったんだ」


「――目隠し鬼だ、って」


 ハナブサはさくりとクッキーを噛み砕き、ハナの言葉と共に咀嚼する。

「つまり」

 ハナの話から読み取れた事を、口にする。

「目隠し鬼という単語、ないし噂話が存在するということかな?」

「うむ」

 ただ、とハナの言葉は続く。

「一体いつから話されてるのか、どんな話なのかはさっぱりなんだ」

「それくらい存在感の薄い話なのに、ハナはどうして気になるの?」

 ハナブサの問いに、ハナは「んむ」と頷く。

「ここからが話したいと思った事さ。あのねハナブサさん。実はボクには秘密があるんだ」

「秘密?」

「うむ」

 頷きながらとんとん、と机を――机に落ちた自分の影を叩く。

「影がね、最近……ここ一年くらいかなあ。みんなに会うとそわそわするんだ」

  影が? と首を傾げて続きを待つ。彼女はひとつ頷き、指先で影を押さえた。

「話したことはなかったよね。ボクの影は、僅かながらに意思があるんだ」


 思わずハナの指先を――そこに押さえられている影を見る。

 何もない。普通の影に見えた。


「ふふ。分からないだろう? で、今回のそわそわする件さ。ずっと気のせいだって言い聞かせてたんだけど。時々、気のせいなんかじゃないくらい強く感じる事がある」

 例えば、とハナの言葉が続く。

 ざあざあと、雨の音がする。

「ヤツヅリくんが飛び降りた時。サキさんが鋏を奮ったであろう時。それから――」

 

 ハナの視線がつい、と外を向く。

 ハナブサもつられるように外を見た。


「この雨の直前」

 

 雨はまだ止まない。

 勢いすら弱める事なくざあざあと降っている。

 本当に止む時がくるのかと心配になるくらい、雨は、降る。


「こう、一度感じてしまうとさ。なんというかね、お腹が空くんだ。と言っても、ご飯を食べてどうにかなるモノじゃない。お腹は空いていないのに口寂しいというかさ。なにかもっと……違うものを食べたい。そんな気持ちになるんだ」

 ハナはクッキーをもう一枚つまんで。


「例えば――ボク達のような存在とかね」

 ぱくり。と一口で食べてしまった。


 ハナブサは彼女の言葉を理解するのに少しだけ時間を要した。

「ハナ。それは……」

「うん? 言葉通りの意味さ」

「いや、うん……そう、なんだけど」

 

 彼女の話にはついていけないところがいくつかあった。

 影に意思があるとか。そわそわするとか。何より。噂を、こちら側に在るべき存在を「食べたい」と言い切った事に頭がついていかなかった。

 

 でも、彼女に変わりはない。普段通りの声で。表情で。望みを自由に口にした。

 あまりに突拍子もない話だったから、とりあえず頭の整理がつくまで置いておくことにして、先に問えそうな話を進めることにした。

 

「……ハナは」

「うん?」

「その目隠し鬼が、学校内に居ると思っているの?」

「うん」

「いつから?」

「具体的には分からないが……ヤツヅリ君は被害者のひとりではないかと思ってる」

 きっとヤミちゃんもうっすら気付いてるよ。とハナはさらりと言った。

「でも、きっとボクほどの確信はない」

「……そう」

 それで、とハナブサは尋ねる。

「ハナ。その話の根拠を……聞かせてもらえるかな」

 話はそれを聞いてからにしよう、としかハナブサは言えなかった。


 ハナは、いいとも頷いて語る。

「ヤツヅリ君は、急に色々見えなくなってふらっといったと話していた。彼はそちらに重点を置いていたようだが。同時に、声がしたとも話していた。声という点ではサキさんの方が分かりやすいね。切りたくないのに声がしたら切ってしまう。そう話していた」

 クッキーがさくりと音を立てる。

「例は二人で少々物足りないが……そこは大事じゃない。問題は、二人の話に出てきた 〝声”だ」

 それはつまり、と彼女言葉が続く。

「〝声がしたら他の物がなにも見えなくなってしまっている”、という共通点があるとボクは考えている」

「ふむ」

「それはきっと、その人の中にある漠然とした不安とか欲望とか。そんなものだけを浮き上がらせて見せる。周りの物を全部隠してしまう。まるで――」

 自分の顔を両手で覆い、右手の人差し指と中指だけを少し離す。

「こんな感じかな」

 そしてぱっと両手を離す。

「きっとその時は、自分が何故そのような行動をとったのかなんて気付かないんだ。思えば、ボクが見てきた生徒の中にも居た気がするよ。突然何かに没頭したり、ケンカになってしまったり。かと思えば大恋愛だったり、そのままどこかへ飛び出して行ってしまったりね。そんな中で〝声がした”と気付けるのは、ボク達のような存在、あるいはそれに近しい――なんと言うかな。相性がいい人なんだと思う」

「なるほどね。私達は元が人間であることも珍しくない。シマダは死んでいくらか経っていたようだしね」

「ヤツヅリ君は声がしたとは言ってたが、思い出すのにちょっと時間がかかったから……。相性かな」

 それからさ。とハナの言葉は続く。

「この雨も」

「この雨……さっきも言ってたね」

「うん。影がね。雨が降り出す直前に訴えたんだ。おなかすいたー、ってね。多分ヤミちゃんも気付いてるだろう」

「ヤミも?」

 よくわかるね、と感心したように言うと、ハナは「うむ」と頷く。

「そこはボクとヤミちゃんの、便利だけどちょっと困った所さ。それでこの雨なんだけど、降り始めが突然すぎた」

「そうだね」

「不自然だろう?」

「そう言われると……。私はこのような降り始めは見た事がなかっただけと思っていたよ」

 そういう事もあるのだろう、なんて思っていたのだけど。ハナの口ぶりからするにそうではないらしい。

「うん、普通じゃないのさ。それで話は変わるが。ハナブサさんは昔話とか良く知ってる方かな?」

「……少しなら」

 読書はするものの、この学校から出る事がない。きっと知らない事の方が多いだろうと曖昧に返す。

「雨乞いをすると雨を降らせてくれる蛇が居る。そんな昔話は?」

「ああ……虹蛇の話だね」

 祠は見に行ったよ、と頷く。


 学校の隅にある石造りの小さな祠。そこに伝わる昔話。

 図書室にあった郷土史をまとめた本で見かけて、その祠を訪れたことはあった。

 なにか居る気配はあったけれど、扉は硬く閉ざされていたのを覚えている。


「うん。虹蛇さんはね。優しいんだけど騒音を嫌うんだ。きっと最近の工事はその騒音に匹敵するだろう」

 で。とハナはもう一枚クッキーをつまむ。

「もしかしたら、この騒音で虹蛇さんは起きてしまったのかもしれない。そして、この雨を降らせている。なんて話はどうだろう?」

「虹蛇が……」

 ハナは満足げに頷く。

「そう。たかが昔話、されど昔話。ボク達のような存在が許されるのなら、虹蛇さんだって存在するに違いないとボクは思っている。この雨と影の声が、ボクの中でそれを確かにさせている」

 それで。とハナの口がにやりとつり上がった。

「降り始めた今がチャンスなんだと思ってるんだ」

 ハナは朗々と歌うように言う。

「チャンス?」

 問い返すと「ああ」と嬉しそうに頷いた。

「ずっと降りそうで降らなかったのに、急にこれだ。きっと目隠し鬼が動いたんだ。探せば会える気がする。お腹がすいた影の嗅覚はきっと正確だ。だからボクは、目隠し鬼を探し出したい。会いたい。そして、――食べてしまいたい、と、思ったわけさ」


 ハナブサの思考が止まりかけた。

 ハナは。彼女は今、何と言った?

 いや、今初めて聞いた言葉じゃない。

 さっきも言っていたのに、理解が追いつかなかった言葉だ。


「うん……待って。ハナ」

「なんだい?」

「目隠し鬼が居るという可能性は分かった。けど。改めて尋ねさせて。君が、それを……。目隠し鬼を、食べたい?」

「ああ」

「それは……どうして?」


 ハナがこのような事を言うのは初めてだった。

 これまでにもいくつか騒ぎがあったり、住人が増えたりしているが、彼女はそんなこと一言も言わなかった。

 しかも、敢えて「目隠し鬼を食べたい」と言った。

 その理由は何だろう。


 ハナは「そうだな」と考えているようだった。

「まずはここから話すべきだな。――さっきも少し言った「便利だけどちょっと困ったところ」だ。ボクとヤミちゃんの影はちょっとだけ繋がってるんだ。ひとつの影をうっすら共有していると言っても過言ではないね。それ故にさ、お互いの体調とか、強く考えた事とか、影を通して伝わるのさ」

「強く考えている事?」

「うん。例えばボクが今日は退屈で仕方ないとか、ヤミちゃんがこっくりさんで呼び出されたなとか。体温や息づかいを感じ取るようなものだけど、ヤミちゃんは鋭いからね。ボクのいたずらも用心しないとバレてしまう」

 なるほど、と頷く。

「何かに書いたりして思考を紛らわせると成功率は上がるんだが」

 だから、とハナは自分の影を再びとんとんと叩いた。

「ボクのこの空腹感も僅かながらに伝わってると思う。それでヤミちゃんも影響されて暴れ出したら大変だろう?」

 そう言いながらハナは席を立つ。

 てくてくと黒板の前に立ち、チョークを手にする。

「ハナ?」

 彼女は空いた手の人差し指を口の前に持ってきた。黙って、という事だろう。ハナブサは言われたとおり、口を閉じて続きを待つ。

「目隠し鬼を食べてしまいたい理由はね。ヤミちゃんには秘密なんだが」

 チョークははかつかつと音を立てて、白い文字を刻んでいく。

 

「この空腹感をどうにかしたいんだ」

 この影を断ち切りたいんだ


「それは、どうして……?」

「これは、上手くいったらボクが話そう。失敗したらヤミちゃんに聞いておくれ」

「それで、なんとかなるの?」

 ハナブサは、問う。

「んー。ある種の賭けだけどね」

 かつかつとチョークの音が響く。


「目隠し鬼さんを食べたらなんとかなると思うんだ」

 そのためにヤミちゃんを利用するんだ


「どうして、ヤミに話さないんだい……?」

 ハナの言葉に嘘がない事は分かる。

 その手が綴る文字はヤミを想っての事だろと言うのも分かる。

 けれども、何故ひとりでどうにかしようとするのか。

 ヤミに協力を仰がず、利用するなんて綴るのか。


 ハナブサの問いに、ハナの手が止まった。

 ちょっとだけ振り向いたその顔は、笑顔だったけれど。

 チョークを持つ手は戸惑ったように動かなかった。

「ヤミちゃんはね」

 そう言ってようやく、チョークも動いた。


「――優しい子だからさ」

 ボクのこと死ぬほど憎んでいるから

 目隠しされたらきっと、手加減しないよ

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