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雨蛇の夢現 後編

 後ろの枝に、誰か居るような気がする。いや、気配だけだ。振り返っても姿はないだろう。

 姿を見せる気がないならば、振り返るだけ無駄だ。

 無視をしても良かったが、なんとなく応えた。 

「聞くだけならば」

 ――

 返事は工事の音に紛れて聞こえなかったが。

 その音は喉の奥をひやりとなでていった。

 これは、応えてはいけない物だったと、直感が告げる。

 しまったと思っても遅い。耳を貸してはならないと思うが、言霊とは強いもの。己の発した言葉は姿の見えない何者かに捕らえられ、抗えない。

 

――あのね。この音、うるさいと思わない?

「ああ、……やかましいな」

 肯定の言葉が、零れ落ちる。

 

――何日かだけでも、止まったらいいなって思わない?

「別に――」

 思わぬ、とは言えなかった。

 ふつ、と、祠の中で抱いていた苛立ちが音を立てた。

 

 ――工事が止まったら、少しだけ静かな日がくるよ

 そんなもの、終わりを先延ばしにするだけだというのは分かっている。

 だから、祠の奥で眠ろうと決めたのに。

 

 ――ちょっとだけなら良いと思うよ。手伝うよ。その間にはゆっくり寝ようよ

 

 雲だって今にも雨を降らせたそうに垂れている。

 ふつふつとした小さな苛立ちは、その声で増幅されていく。

 

 この学び舎が作られた時は、ささやかながらも力を押さえる儀式があった。おかげで静かに眠れたが。あれから何十年と経った今、祠の存在を覚えている者が居るかも怪しい。

 雨を降らせる蛇などただの昔話、伽話と化しているのかもしれない。

 

 そうだ。人間とは。

 勝手に祀り上げ、忘れ、都合の良い時に思い出す生き物だ。


 そう思うと、途端に目の前の工事が。

 動き回る人間が。

 とても煩わしいものに見えた。


 ――ねえ、雨。降らそう?


 蛇に否定の言葉はなかった。

 見えぬ者の力を軽んじるようになった人間も。

 その力を信じ、利用する人間も。

 等しく雨に打たれてしまえば良い。

 そんな感情に身を任せたまま、彼女は空を見上げた。

 

 何も見えなくなっていた。ただただ、人間が疎ましかった。

 力なら存分に奮える。雨雲は大量の水を含んでそこにある。

「――ああ。そうだな。降らせてやろう」


 □

      ■

   □



 どざあ! とバケツの水をひっくり返したような音がして。

「うわ」

 ジャノメが驚いて窓から飛び退いた。

「ん? ……おや。これはまた」

 盛大に降り始めたねえ、とハナが窓を流れていく大量の雨水に目を向ける。

「さっきまでぽつりともしなかったのに……うわあ、すごい雨……」

「雲に限界が来たのかもしれないな」

 しかし、とハナは窓に寄って空を見上げる。

 窓を流れる雨水は雫とは到底呼べなかった。窓の向こうを歪ませて見せるほどの量が流れていく。

「待望の雨だが……これじゃあ外には出られないな」

「そうだね……」

 少しだけ残念そうにジャノメは呟く。

「――そうだ、ジャノメ君」

「うん?」

「ヤミちゃんと一緒に、傘が使えそうな雨垂れでも探しておいでよ」

「?」

 首を傾げるジャノメにハナは人差し指を立てて言葉を続ける。

「君、まだ来たばかりだし、学校内をよく知らないだろう? もしかしたらこの雨量だと傘をさすに良い場所があるかもしれない」

「それ、雨漏りって言うんじゃあ……」

「ふふ。そうとも言うね。見つけたらウツロさんにでも知らせておくれ。ついでに、暇つぶしに最適な図書室とか案内してもらっておいで」

「うん。でも、ヤミさんは今外に――」

 ジャノメの言葉を遮るように、がら、とドアが開いた。

 

「ったく何だよ突然降ってきて……」

 ぶつぶつと文句を言いながら入ってきたのはヤミだった。

 髪や帽子についた雫を払いながら、教卓に置いてあるポットに手を伸ばす。

「待ったヤミちゃん」

「うん?」

 ぴたりと手を止め、ヤミが振り返る。

 その目は「早くお茶飲みたいんだけど」と語っているが、ハナは無視して話しかける。

「雨に降られたのかい?」

「見りゃ分かるだろ」

「うむ」

「分かってんなら何故聞いた」

「いやいや単なる確認さ。と、いうわけでヤミちゃん。ジャノメ君と見回り行ってきてくれたまえよ」

「はあ?」

「えっ」

 ヤミとジャノメの声が重なる。

「お前俺がどんな状況か確認した上で言うのがそれかよ」

「うん、ヤミさん暖まってからでも……」

「ジャノメ君」

 ハナはヤミの言葉を無視し、ジャノメの肩をぽんと叩いて言った。

「ヤミちゃんは丈夫だから、大丈夫だ」

 ね、と笑いかけたハナを一瞥し、ヤミは無視して湯呑みに白湯を注いだ。

「何一つ大丈夫じゃねえよ」

 ぶつぶつ言いながら白湯を飲み、溜息をついたヤミは「で?」と視線だけで問う。

「何か気になることがあったか?」

「いいや? 強いて言うならこの突然の土砂降りでどこか雨漏りしてないか、位だが」

「そうか。そうだな……」

 

 歯切れ悪く言葉を切ったヤミは、ハナをじっと見つめる。

 ハナはそれを、首を軽く傾げて「どうしたんだい?」と返す。

 

「ヤミちゃん。目が怖いぞ?」

「それは元からだって、お前がいつも言ってたと思うんだが?」

「ふふ、そうだな」

 あっさり頷かれて、ヤミは苦い顔をした。

「まあまあ、そんな沈痛な面持ちで溜息をつかないでくれたまえよ。幸せが逃げるぞ?」

「誰のせいだと思ってんだよ」

 飄々としたハナから視線を逸らし、ヤミは話を打ち切るように小さく首を振った。

「――ジャノメ。行くぞ」

 ヤミはそれだけ言って、部屋を出て行く。

「え。えっ?」

 戸惑うジャノメに、ハナは優しく声をかける。

「うん、行っておいでジャノメ君。そしてみんなに会っておいで」

 ハナは窓辺で見送るつもりらしい。ひらひらと振られた手は、後ろの窓に歪んで映っていた。

 ジャノメにはなんだか寂しそうにも見えたけど。

 行っておいでと言われるままに、理科室を後にした。


 □ ■ □


 理科室を出て廊下を歩くヤミに駆け寄り、ジャノメは心配そうに声を掛ける。

「ね、ヤミさん」

「ん?」

「ハナさん、どうしたの?」

 ジャノメの問いにヤミは「ひとりになりたいんだろ」とさらっと答えた。

「そうなの?」

「多分な。……ああ、お前には何の落ち度もないから心配するな。あいつが自由すぎるだけだから。で、俺らは体よく追い出されたという訳だ」

 はあ、と疲れた溜息をつくヤミにジャノメは「そうなんだ」と呟く。

「でも、あれだけのやり取りでそこまで分かるなんてヤミさんすごいね」

「あ。ああ。そりゃあ――」

 ふと、言葉を切ってヤミは小さく首を横に振った。まだ濡れていた髪から、小さな雫が落ちて肩に染みこむ。

「長い付き合いだから。……とりあえず図書室でも行くか」

「? うん」

 そうして二人は、突然の雨ですっかり暗くなった校内へと姿を消した。


   □

      ■

 □


 蛇は濡れたまま祠へと飛び込んだ。

 鱗に覆われた細長い身体は、水浸しだった。

 頭の中は工事の騒音に――いや、人間に対する苛立ちでいっぱいだった。

 呼吸が上がる。

 嗚呼、そうだ。人間など身勝手な存在だ。

 いつだってワシを叩き起こし、雨を降らせる力ばかり頼っていた。

 それがすっかり忘れ去られてしまったと思えばこの騒音。


「――ああ。これで。いい」

 

 ふれ。

 降れ。

 もっと降れ。


 何もできなくなるくらい。

 何も聞こえなくなるくらい。

 外では滝のような雨が降っている。

 その音が蛇の心に幾許かのの安心を与える。

 うむ。これでいい。

 そうして蛇は、祠の奥で丸くなる。

 耳を塞ぎ、目を閉じ、雨音だけを感じながら眠りについた。


 感情任せの雨は、蛇が眠りについても止むことはなかった。

 雨は数日間降り続け、工事は急遽中断された。

 後に記録的な大雨として記されるそれは、川の水量を増し、町中を水浸しにし、山の斜面を削り取った。


 蛇は気付かず、深い深い夢の中に沈む。

 外の物音がすっかり聞こえなくなってしまう程。

 雷のような、耳をつんざく崩落音にも気付かない程。

 深く。眠った。


 □ ■ □


 ――こんこんこん。

 音がした。

「シグレさん、雨が降ってくるよ」

 そんな声がして、彼女はふと微睡から浮き上がってきた。

 うたた寝をしていたらしい。

 

 懐かしい夢を見た。

 実に身勝手だったあの時の悪夢だ。

 おかげで気分が悪い。


 起こした奴に文句でも言ってやろうかと、重い身体を引きずって戸を開ける。そこには、予想通りの顔が立っていた。

 戸が開いたのが予想外だったのか、僅かに目を丸くしていたが、すぐに破顔した。何が嬉しいのか分からない。

「……お前は。懲りん奴じゃの」

「えへへ……初めて言われた」

 具体的な言葉が何一つない文句に、赤い傘を携えた少年――ジャノメは幸せそうに頬を緩めた。

 

 人間は嫌いだ。

 奴らは自分勝手で、やかましくて、いつも夢の邪魔をする。

 ワシはただ静かに静かに。泥のように。水底のように。沈むように眠っていたいだけなのに。夢の中に、居たいのに。

 とある一件の後、校舎内で過ごすようになってからは、特にやかましいのがひとり居る。

 赤い蛇の目傘を持って、へらっとした笑顔でやってくる。

 

「シグレさん」

 どうして名を呼ぶだけで、それに視線をやるだけで嬉しそうなのか、微塵も分からない。

「ワシが起きても良いことなんぞないだろう」

 そう言って突っぱねても、彼奴は「そんなことないよ」とにこにこしている。


 彼奴だけではない。他もそうだ。

 あんなにも身勝手だったワシに、住人達は辛くなるほど普通に接してくる。

 ワシが傷つけた者も、壊してしまった関係も、全てをそのまま抱えて過ごしている。

 

 罪を背負えなどと言わない。

 罪悪感を抱えて生きろとも言わない。

 ただ、供に在ろうと。

 仲良くしたいと彼らは言う。


 ずっとひとりだった蛇には、それがひどく暖かくて。

 とても、苦しくて。

 未だに理解し難い。


 蛇の目傘は言う。

「ぼくはシグレさんが起きてくれると嬉しいよ。ぼくだけじゃなくて、きっとみんなもそうだと思うなあ」


 人間のことは分からない。この蛇の目傘の言う事は、尚一層分からない。

 そんな事を思いながら。

 雨の蛇は今日も、うつらうつらと日々を過ごすのだ。

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