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きれいに揃えてあげましょう 後編

「とりあえず顔上げろ」

「……」

 言われるままに、顔を上げる。

 さっきの刀で斬られるのだろうか。覚悟を決めて見上げると、ウツロさんは刀に手をかけてすらいなかった。

「……あの……」

 初めて真っ直ぐ見たウツロさんは、眉間にしわを寄せて険しい顔をしていた。紫の目に刃物のような鋭さはあるけど、怖くはない。

「あー……今は斬らんよ。まずは泣き止め」

「……はい……」

 涙を袖で拭く。どうして今斬られないんだろう。再度顔を上げると、ウツロさんは困ったように溜息をついた。

 女子供はやりにくい、とちょっとだけぼやく声がした。

 その姿に、少し不器用だったお父さんのような温かさを感じた。場違いな気持ちだけど、なんだかほっとして。涙が少し止まった。

「質問をいくつかするから、出来るだけ答えろ。分からなかったら分からんと言ってくれ」

 こくん、と頷いて顔を上げると、彼は「まず……えーと」と天井を見上げて、指折り数えながら質問を投げかける。

「お前は鬼にはなりたくない。そうだな?」

「はい」 

「ここに来るまでの事は覚えてるか?」

「ここに……学校に、ですか?」

「いや、こっち側にだ」

 こっち側とはなんだろう。分かりません、と応える。

「そうか。あと――」

 ウツロさんの目が少し細められて、視線が鋭くなった気がした。


「自分が死んでるという自覚はあるか?」

「死ん、で……?」

 

 繰り返して気付く。

 ああ、そうだ。


 最初は何が起きたのか分からなかった。

 刺されたと気付いた時には、背中に硬い何かが入り込んでいる違和感があった。

 痛くて、苦しくて、立っていられなくて。

 膝をつくとなんだか寒くなってきた。

 それから……何があったのか分からない。

 気がついたら学校の近くに居た。数年前に卒業した高校へ続く通学路に立っていた。


 そうだ。私は。

 とっくに死んでた。


 誰も私を見つけないのも。

 いとも簡単に髪を切れるだけの距離に立てるのも。

 手がこんなに鳴ってしまってるのも。

 考えれば分かることなのに、考えもしなかった。

 そうだ。そうだよね。


「あは。はは……」

 分かったらなんだか笑えてきた。

「そうですね……分かります。私、死んでること。……そんなに未練、あったのかなあ」


 確かに美容師になりたかった。夢を叶えたかった。

 確かに不意の事件だった。巻き込まれただけだった。

 確かに死んだのは不本意だ。死ぬなんて、考えてもなかった。


 けれど。

 人を襲いたくなる程に、醜い未練を持っていたなんて思ってもなかった。


「まあ……未練、っちゃあ未練かもな。お前さんが考えてる程悲観するもんでもないが。まあ。それでもここにやってきたからな、可能性はある」

 それで、とウツロさんは言う。

「俺はお前を見定めるために待ってた」

「見定め……?」

「ああ。最近の噂話や被害の元凶は確かにお前さんだ。それは間違いないだろう。ただ、人に危害を与える奴にはな、話が通じる奴と通じない奴が居る。で。お前さんは本当に危害を与えたいのか、それとも他に意志があるのか――」

 どこか疲れたようだったウツロさんの目が、刃物のように光る。

「選択肢を二つやる」

 選べ。と暗に彼は言う。 

「ひとつは、このままこの学校に住み着く事」

「住……?」

「もうひとつは、このまま」

 かちゃ、と彼の腰に下がった剣が音を立てる。

「俺に斬られて消え去る事」

 さあ、どっちがいい。と、ウツロさんは問う。私の答えを待っている。

「私は――」

 答えは、思ったよりすんなり出てきた。

「これ以上、誰かを無意識に傷つけるなら、居なくなってしまいたい」

「なるほど」

 ため息のような声と一緒に、ウツロさんの刀が抜かれる音がした。

 ああ、私はコレまでだ。最後に飛んだ迷惑をかけてしまった。でも、これで全て終われるなら。

 ぎゅっと目をつぶる。その時を待つ。

 

 ひゅ、と風をきる音と。

 がちん! と金属が何かを抉るような音がして。


「……?」

 何も起きなかった。

 生きてる。いや、死んでるけど、消えてはいない。痛みもない。

 なんで……? と、目を開けると、刃に映った私の目があった。

「え?」

 そのまま視線をそろそろと下す。

 刃先は私の指先から数センチ先に突き立てられていた。一番長かった人差し指と中指の先が、砕け折れている。鈍い銀色の、歪な刃物みたいな物がふたつ、転がっていた。

「あ、あの……」

 視線を上げる。

 落とした刀の柄に手を乗せたウツロさんの、見下ろす視線がそこにあった。


「なんで……」

 私の疑問に、ウツロさんは疲れたような顔で目を伏せた。

「お前さんの希望は「傷つけたくない」だっただろ」

「はい……」

 目の前で刀が抜かれて、鞘にしまわれる。

「ならこれで充分だ。お前さんの爪は使い物にならん」

「……」

「無意識に傷つけてきた道具がなくなれば、多少はマシにならんか?」

「なります……か?」

「さあな。少なくとも爪は砕いた。再生は容易だろうが……お前さん次第だろうな」

 なんとも無責任な返事だった。けども、そう言うからには何か在るのかもしれない。そんな。不思議な安心感みたいなものもあった。

「いいん、ですか?」

 私は生きていて。

「俺に聞いても分からんな。そこはお前さんの希望だ」

 どうしたい、と尋ねられてるような気がした。

「できる、なら……」

 できるのならば。

「私、役に立ちたいです」


 爪じゃなくて、鋏を持ちたい。

 切り裂くんじゃ泣いて、整えたい。

 傷つけるんじゃなくて、役に立ちたい。

 そう思っても良いのだろうか?

 

 私の声にウツロさんは「そうか」と頷いて、手を差し出した。

「ほら」

「へ?」

「いつまでも地べたに座ってる気か。そろそろ英の茶もできる頃だ。対策がとれるかどうかは今後次第だが、こっち側に来たのも縁ってやつだ。力の使い方に慣れりゃあ、その希望も叶えられるだろうし。万が一の時も、誰かがお前さんを止められるだろ……多分」

「……」

「で。手助けは不要か」

「え。あ。ごめんなさい! いり、ます……!」

 涙とかで汚れてる手をスカートでごしごしとこすって、ウツロさんの手をとる。

 歪な指先も気になったけど、ウツロさんはしっかりと握り返し、引っ張り上げてくれた。


 力強くて、堅くて、不器用そうな手だったけれど。

 それはとても暖かかった。

 

 □ ■ □

 

 連れてこられたのは理科室だった。

 

「なんで理科室……なんですか?」

「深く考えても何も無いぞ。単なる溜まり場だ」

「はあ……」

 状況を飲み込めない私をそのままに、ウツロさんがドアを開ける。

 理科室というとなんだか辛気くさいというか、薄暗いイメージがあったけど。そこにあったのは明るい団らんの場だった。

 部屋中の視線が、少しずつ私に集まってくる。ざわめきが静かに伝播していく。

 どうしたら良いのだろう……。と、戸惑っていると。

 

「あ、ウツロさん。連れてきたのだね」

 セーラー服の女子生徒が声をかけてきた。栗色の髪がさらさらと揺れている。

「……そいつが髪切り鬼か」

 隣に座っているのは、さっきの子とは違う男子だ。灰色じゃなくて真っ黒。影みたいだ。

「ヤミちゃん。ヤミちゃん。髪切りさんだよ」

「いや、どっちも一緒だろ」


 私の方を見ていたり、気にしない様子で他のことをしていたり。

 賑やかで、穏やかな場所なんだというのはすぐに分かった。

 

「まあ、こいつらは……やかましいが一応無害だから安心しろ」

 ぽかん、としてしまった私にウツロさんが教えてくれる。

「はい……」

「一応だなんて酷いなウツロさん」

 セーラー服の子が椅子に座ったまま胸を張る。

「ボクは常に無害である事を心がけているよ。ヤミちゃん以外には」

「俺は対象外か」

「勿論じゃないか」

 堂々と頷く少女に少年は「だろうな」と、疲れたような溜息をつく。

 

 彼の髪は黒くて艶やかで。癖が強いのか大きく跳ねている。それを帽子で無理矢理押さえているように見えた。

 隣でからからと笑っている少女は、栗色で綺麗な髪だけど、前髪が目をすっかり覆っていて、前が見えているのかちょっと心配になる。


 跳ねた髪。

 長過ぎる前髪。

 指先がうずく。

 声が聞こえる、気がする。


 そんな私の背中を、ウツロさんがそっと押した。

 は、と我に返る。

 

「落ち着け。そうだな……ハナ」

「なんだい」

 ハナちゃんと言うらしい。彼女が首を傾げると、栗色の長い髪が黒い制服の上でさらっと揺れた。

「とりあえず、お前。髪が伸びてきたって言ってたろ。揃えてもらえ」

「ああ……そうだな」

 肩から流れる毛先をちょいとつまんで、彼女はこちらにやってきた。

「やあ、髪切りさん。ボクさ、後ろを少し短くしたいんだ。頼んでも構わないかい?」

「えっ……その。怖く、ないの?」

 あまりにあっさりと頼まれたので、こっちが驚いて聞き返す。

 学校内では怖がられていたと思う。彼女はその噂を知らないのだろうか。いや、さっき私の事を「髪切りさん」と呼んでいたから知っているはず。

 なのに、彼女は小さく首を傾げ、不思議そうな顔をした。

「怖い? どうしてだい?」

「どうしてって。私、無差別に鋏で人を傷つけてたし。さっきも……あなたの髪を見て、声が聞こえそうだった。もしかしたら、そのままヒドいこと、しちゃうかもしれないのよ?」

「なんだ。そう言う事か。それなら心配いらないさ」

 ハナちゃんはからっとした顔で言う。

「ウツロさんがこうして連れてきたってことは、大丈夫だと判断されたからさ。ボクはそれを信じるし、万が一ここで何か起こりそうになったら――」

 にこりと彼女が笑う。

「ウツロさんかヤミちゃんに怒られるだけさ」


 怒られるだけ、と彼女は軽く言ったけれど。

 最初のウツロさんの目を思い出した。


 きっと、そのまま斬られてしまうのかもしれない。

 けど、それはそれで当然の結末なんだろうなと思うと、なんだか安心できる。

 彼女達が私をこうして迎え入れてくれる事も。もしもの時は、容赦なく殺してくれそうな事も。なんか嬉しく思えた。

 だから「そっか」と頷いて、本題に戻る。


「ええと。髪を揃えるんだよね……でも、道具が」

「道具? それは違うのかい?」

「えっ」

 彼女が差した方向を振り返ると、ウツロさんが鋏を持っていた。無言で差し出されたそれを受け取る。

 目立った装飾もない、鈍い銀色の鋏。少し重いけど、持ちやすく手に馴染む。ずっと使ってたみたいだ。

「あの、これは……」

「お前さんのだ」

 さっき拾った。とウツロさんは言った。


 私は鋏を持って、ハナちゃんに向き合う。

「長さはどの位がいいとか、イメージはある?」

「そうだな……襟より少し短い位、かな。そこで揃えて欲しい」

「襟……うん、分かった。じゃあ、そこに座って」

 彼女は嬉しそうに、目の前の椅子にすとんと腰かける。

 無防備に向けられた背中に、私への不安などはまったく見えない。

「それじゃあ、よろしく頼むね」

「うん」

 

 ハナちゃんの髪を手に取り、借りた櫛で梳いてみる。まっすぐだけど、少し柔らかい。痛みも少なく、さらさらと櫛が通っていく。

 一方で、私の指先はぎこちない。動くけれどもまだ硬い指先は、さっきまでの胸の痛さを思い出させる。

「ねえ、髪切りさん」

 長さを確かめていると。彼女が声をかけてきた。

「は。はい」

 その名前で呼ばれて、思わず背筋に緊張が走る。

「聞きたいことがあるんだが……って、そう緊張しないでくれたまえよ。もっと気楽に話しておくれ」

 うん、と頷くと彼女は嬉しそうに笑った。

「うん、ありがとう。それでだね。髪切りさんの名前なのだが、なんと言うんだい?」

「え?」

「名前だよ。ボクはハナ。あっちの黒いのがヤミちゃん。君を連れてきたのがウツロさん。それから――」

 彼女は一通り部屋に居る人達の名前を列挙し「それで」と問う。

「いつまでも髪切りさんじゃ嫌だろう? 名前、教えてくれるかい?」

「名前……」


 名前を口にしようとして、止まった。

 私の人生と共にあった名前だけど、私は死んでいる。それに、この名前は「髪切り鬼」という存在にすっかり染まっているような気がする。

 嫌厭するわけじゃないけど、名乗り続けるには少し抵抗があった。


「それって……本名じゃないと、だめ?」

「うん?」

 振り向こうとしたのか、ハナちゃんの髪がさらっと揺れる。が、それ以上振り向くことはなく「そんなことないよ」とだけ聞こえてきた。

「ここは何を名乗ろうとも自由さ」

「そっか。ありがとう」

「いやいや」

 そうしてまた私に背中を預けるように座り直す。

 

 何が良いんだろう。私の名前。これから一緒に歩いて行く、道。

 これまでの人生と、やってしまった事の後悔を混ぜて。

 私は髪を梳きながら考える。

 

「そうだな……シマダ」

「シマダ?」

「高島田って髪型、ちょっと憧れたことがあって、それで」

「なるほど。いいね。それで、それだけかい? ボクのように名前しか持たないのも居るから、十分ではあるが」

 どうだろう、とハナちゃんは言う。

 少しでも元の名前を。これまで生きてきた私を残しておきたい、という考えはすっかりお見通しのようだった。

「……サキ、かな」

「サキさん」

 ふふ、と彼女は笑う。

「真面目だね」

「そうかな」

「うん。ヤミちゃんくらい真面目だ」

「そう、なの……?」

 不機嫌そうな顔で文庫本を捲っている彼の事はよく分からないけれど、彼女が言うのなら、そうなのかもしれない。

 なんて思いながら鋏を持つ。

「それじゃあ、サキさん。これからよろしく」

「……うん。よろしく」

 頷いた言葉は、しゃき、と彼女の髪を切る軽い音と重なる。

 

 久しぶりに自分の意志で整えた髪は。

 自分の中の色んな物も、きれいに揃えてくれたような気がした。

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