髪切りさんのうた
突然の雨に、数名が駆け込んだ校舎の奥。みんなが憩う理科室で。
「濡ーれた髪をー切りましょうー」
「目隠す前髪ー切りましょうー」
カガミが歌を歌っていた。
「ちょきちょき」
「さくさく」
「濡れた髪にはご用心ー」
「伸びた髪にはご用心ー」
「「髪切りさんがーやーってくるー」」
濡れた髪を拭きながら、カガミが無邪気に歌っている。
その歌に、お茶を飲んでいたジャノメとヤミが顔を上げた。二人は顔を見合わせ、小さく頷きあう。
「なあ、カガミ――」
ヤミが口を開くと同時に、理科室のドアががらりと開いた。
「ねえ」
少々ハスキーな声が、同時に飛び込んできた。
開いたドアの方を向いたカガミは、ぱっと表情を明るくして声の主を呼んだ。
「「サキさん!」」
サキ、と呼ばれたのは細身の女子だった。
改造した男子制服と、鮮やかなメッシュの入った非対称のウルフカット。ボーイッシュな印象を与えるが、女性らしさは損なわれていない。腰にはハサミや櫛が詰まったポシェットが下がっていて、一見すると街の美容師のようにも見える。
そんな彼女が「ねえ」首を傾げると、左右非対称の髪がさらりと揺れた。
「ねえ、カガミ。その歌どしたの?」
「えとね。中等部で聴いたの」
「あのね、生徒が歌ってたの」
手遊びなんだよ、とカガミがタオルから手を離して再現してみせる。
「……そう。そっかあ」
サキはため息をつくように目を伏せて頷いた。
「何かあったの?」
「どうかしたの?」
不思議そうな顔のカガミに、彼女は少し悩む素振りを見せた後、「いや」と小さく首を横に振った。
「懐かしい歌を聴いたと思って」
「「なつかしい」」
繰り返すカガミにサキは頷く。ちら、とジャノメに視線を向け、その目を伏せる。
「ん。昔ね。私がここに来た頃に流行ってた歌……っていうか、私のことだもの」
「うん、そうだね」
ジャノメも頷くと、カガミは「そうだったー」と頭にタオルを乗せたまま席を立つ。
「ああこら。ちゃんと乾かしな」
サキが声をあげる。その手にはいつの間にかドライヤーと櫛が握られていた。
「お茶淹れたらこっちおいで。乾かしたげるから」
「「わあ、ありがとう!」」
カガミは教卓にあったお茶をそれぞれのマグに注ぎ、そのままサキが座るテーブルへと駆け寄っていく。
「よろしくねサキさん」
「おねがいねサキさん」
「はいはい。順番ね、順番……って、服も濡れてるじゃん。髪、乾かしたら着替えといで」
「「はあい」」
二人が声を揃えて返事をすると、ドライヤーのスイッチが入る音がした。
ドライヤーの風音に紛れて、ヤミとジャノメはそっとカップに口をつける。
「懐かしい、ね……」
ヤミがぽつりと呟いた。
「うん。確かに懐かしいね」
「ジャノメはそれで片付けられ……るのか」
ヤミの言葉にジャノメはへらっと笑う。
「うん。ぼくは時期が重なってただけだから。当事者はヤミさんとかサキさんでしょ」
「そうだったな……」
しかし、とヤミは難しい顔をする。
「あの歌、また流行ってるって一体どっから……」
「まあ、流行は繰り返すっていうから。どこからともなく、じゃないかなあ」
噂話なんてそんなものだよ、とジャノメは言う。
そうだけどな、とヤミは相槌を打つ。
ジャノメの言う通りだ。流行はいつだって繰り返す。だから噂話は繰り返し語られて、古びたものは掘り返される。
だからこそ、自分達はこうしてここに居られるのだ。
だけど。
「しかしなあ……こうも具体的に歌われてるとなると、何か起きそうで嫌だ」
ヤミが向けた視線の先では、きゃっきゃと髪を整えられているカガミと彼らの髪を楽しそうに手入れするサキの姿があった。
「でも。もうあんなことは起きないでしょ?」
ジャノメの言葉に「そうだけど」と答えつつも、どこか心配そうだ。
「ヤミさん心配性だねえ。それにさ。歌われたってサキさんなら大丈夫じゃないかな」
「――そうそう。もう、恐怖の髪切りさんは現れない。それでいいじゃないか」
後ろからひょっこりとかかった声に、二人がびくっと背筋を伸ばす。
二人が振り返ると、そこには茶色い髪を揺らした少女――ハナが立っていた。
「……は、ハナさん」
「お前……気配無く寄ってくるのやめろって……」
「いやあ、二人でなんかしんみり話してるからつい」
からからと笑うハナはいつも通りだ。
ジャノメはほっとしたように、ヤミは呆れた顔で息をつく。
「それで。カガミが歌ってたあれについての話かい?」
「そうだけど……なんでそこで突然割り込んできた」
「そりゃあ、恐怖の髪切りさんが現れた時の保険がボクだからさ」
「?」
首を傾げるヤミに、ハナはにっこりと笑って自分の前髪を指す。顔の半分を覆うその髪から瞳は見えない。
「忘れたのかいヤミちゃん? ボクの目がこうして隠れてるのは、あれ以来だよ?」
「えっ、そうな――」
「嘘をつくな嘘を。ジャノメ。お前も騙されるな」
ヤミはハナの言葉をすっぱりと切り捨てる。が、ハナはその反応こそ待ってたと言わんばかりに、にやりと笑った。
「ふっふっふ。ヤミちゃん、引っかかったね?」
「は? ――あ」
ヤミはその言葉の真意を即座に読み取り、絶句した。
「そう! ボクは今、「あれ以来」がいつの事かなんて、明言してない!」
そもそも最初からこうだったしな、とハナは笑う。
「そうか。そうだな……ハナ。お前夕食後部屋で待ってろ」
「ヤミさん……?」
ヤミの声から温度が消えつつあることを察知したジャノメが、恐る恐る声をかける。
一方でハナはそんなの気にしてないかのようにからからと笑う。
「おお。ヤミちゃんったら夜に女子の部屋に来る気だな? ボクならいつでも歓迎だが、他の女子にはそう簡単に持ち掛けてはいけないよ? で、一体何かな。相談事かい?」
ハナの言葉にヤミがカップをそっと。そーっと置いた。
その表情を見たジャノメが何かを察したのか、僅かに距離を取る。
ヤミは極力音を立てないように。力を入れないように。机に両手をついて立ち上がる。
「ハナ。今日は前もって用件を。伝えといてやる」
その声は微妙に震えていた。
そして勢いよくハナへ指を突きつけ。声を上げる。
「お前の! その軽率な発言に対する説教だ! 覚悟しておけ!」
「嘘なんかついてないのに説教とは。ヤミちゃん、短気は良くないよ?」
「昨日今日の話じゃねえよ! 大体お前は――」
「おや。説教は後じゃなかったのかい?」
「……っ!」
ヤミは一瞬声を詰まらせたが、小さく首を振り、自分を落ち着かせるように息をついた。
「いや。予定変更。今から説教だ。ハナ、そこに座れ。今すぐ」
「えー」
「いいから。座れ」
「わかったよもー。ヤミちゃんはせっかちだな」
「俺のことはいいんだよ、だいたいお前は……」
こうして始まった説教は夕飯時まで続いたという。
「でも。どれだけがハナさんに残ったのかは分からないなあ」
ハナさんずっとニコニコして聞いてたからなあ、と、ジャノメは後に苦笑いでそう言った。
□ ■ □
「ったく……あの二人は相変わらず騒がしいったら」
カガミの髪を乾かし終えたサキが、理科室に響く声に顔をしかめてぼやいた。
「ハナちゃんとヤミくんは仲良しだからね」
「ヤミくんとハナちゃんはいつも一緒だからね」
二人はさらさらになった髪を撫でて、機嫌良く答える。
いつもなら対称的に跳ねている髪は綺麗なストレートになっていて、制服と分け目でしか見分けがつかなくなっていた。
「あー……ケンカするほど仲が良い、って?」
「そう。そんな感じ」
「多分。そういうの」
なるほどねえ。と、サキは笑うハナとイライラした様子で説教しているヤミを見る。
確かに二人は仲が良い。サキがこの学校に住み始めた頃には既にあんな感じだった。
前に比べたら雰囲気が変わったような気もするけど、気のせいと言われたらそれまでだし、時間による変化とは緩やかに起きるものだ。きっとそんなものだ。
周囲に人が増えても。学校や生徒が変わっても。誰かが居なくなっても。
きっと、彼らはこのまま緩やかに、変わったかどうかもわからないまま変わっていくのだろう。
うんうんと頷いたサキは、何か思い付いたようにカガミに声をかけた。
「あ。変わると言えばさっきの歌だけどさ」
「うん?」
「あれ?」
そう、それ。と頷く。
「表で歌う時にさ、歌詞をちょっと変えといて欲しいんだ」
「「どんなのに?」」
声を揃えた問いに、サキはうーん……と考える。
「そうだなあ……」
□ ■ □
鏡の内側にしゃがみ込んで、カガミは道行く生徒達を眺めていた。
足を止めて制服を整えていく生徒、見向きもせずに通り過ぎていく生徒。わいわいと部活に向かったり、帰ったり、委員会に向かったり。思い思いの放課後を過ごす彼らがそこに居る
「今日も賑やかだね」
「みんな楽しそうだね」
そう言い合っていると、ふと。誰かの鼻歌が聞こえてきた。
濡ーれた髪をー拭きましょうー
目隠す前髪ー切りましょうー
ちょきちょき さくさく
髪が濡れたら呼んでみてー
髪が伸びたら呼んでみよー
髪切りさんがーやーってくるー
髪切りさんにーであーったらー
きれーに揃えてーくーれるでしょー
聞こえてきた歌詞は微妙に変化していた。カガミが歌っていた生徒達に混ざって広めた結果だ。
一緒に付いてくる話も「濡れた髪や伸びすぎた前髪を放置していると襲われて髪を切られる」から「髪を綺麗に整えてくれる」ものに変化していた。
「うんうん。ばっちりだね」
「そうそう。これでいいね」
カガミはよいしょと立ち上がる。
「サキさん喜んでくれるかな」
「サキさん満足してくれるかな」
「きっと大丈夫だね」
「うん。大丈夫だよ」
そして二人で笑い合い、鏡の奥へと姿を消した。





